一期とは、人が生まれてから死ぬまでの期間、すなわち一生涯を指す語である。仏教に由来する表現であり、この世における一つの区切りのある命の全体を意味する。
その場にいる人々全員、あるいはある集団や組織に属するすべての成員を指す。特定の場所に居合わせた全員を指す場合と、特定の団体や仲間の総体を指す場合がある。
ある地域の全体、またはその周辺一帯を指す表現。特に天候や災害などの影響範囲を示す際に用いられる。
「一堂」とは、一つの建物や場所を指す語であり、特に同じ場所に人々が集まる様子を表す。かつての仲間が一堂に会するといった表現で用いられ、人や物が一か所に集まる状態を簡潔に示す。
一つの事柄や物事を指す語。特定の出来事や問題など、個別に取り上げられる対象を表す際に用いられる。
一如とは、真理が様々な形で現れてもその本質は一つであるということを指す。また、二つに分けることのできない一体性を表し、例えば身心が渾然一体となった境地や、物質と精神が不可分に結びついている状態などを意味する。
ある短い時間を指し、しばらくの間や少しの間を意味する。また、過去のある期間を表して、かつてやその当時という意味でも用いられる。さらに、その場限りや臨時の状態を指す場合もある。
一八はアヤメ科に属する多年草で、その名はアヤメ科の植物の中で最初に咲くことに由来する。別名として鳶尾とも呼ばれる。
一巡とは、ある範囲や順序を一回りすること、また一通り回ることを指す。例えば会議の出席者全員に意見を求める場合や、野球で打順が一巡する状況などに用いられる。
「一眼」とは、片方の目、すなわち両眼のうちの一方のみを指す語である。また、片目が不自由である状態や、そのような人を表す「隻眼」の意味でも用いられる。
一具とは、甲冑や衣類、道具などが揃って一組となったものを指す。また、雅楽において序・破・急の三つの楽章から構成される曲の形式を意味する。
絵筆でほんの一塗りすること。転じて、ほんのわずかな様子や気配を表す。わずかに感じられる感情や雰囲気に用いられる。
一脈とは、どこかでつながりを持ち、一本の筋として連続していることを指す。互いに通じ合う関係や、共通する流れを感じさせる様子を表す。
一夏とは、僧侶が一つの寺院に留まり、修行に専念する夏の期間を指す。陰暦四月十六日から七月十五日までの九十日間を指し、「一夏九旬」を略したものである。
一存とは、他の意見を考慮せずに、自分一人の考えや判断に基づいて物事を決めることを指す。
江戸時代に流通した穴あき銭一枚を指し、最も価値の低い通貨単位であった。転じて、ごくわずかな金額や、取るに足りない物事の喩えとしても用いられる。
一躍とは、もともと一跳びすることを指すが、転じて、一足飛びに進んだり、一挙に出世したりする様子を表す。特に、ある出来事をきっかけに、突然注目を集めたり、地位や名声が急上昇したりする際に用いられる。
一荷とは、一つの荷物を指す。また、天秤棒の前後に振り分けて一人で担うのに適した量の荷物を意味する。釣りの分野では、一本の釣り糸に複数の釣り針を付け、一度に二匹以上の魚を釣り上げる方法を指すこともある。
一過とは、ある事象が短時間で通り過ぎることを指す。特に台風や嵐などの自然現象が速やかに通過し、その後には穏やかな状態が訪れる様子を表す際に用いられる。
一枚の葉を指すほか、紙や写真など薄い材質のもの一枚を数える際にも用いられる。また、一艘の小舟を数える単位としても使われる。
一覧とは、全体をひととおり目を通すことを指し、また一目で全体が把握できるように簡潔にまとめた表やリストを意味する。例えば解説書を一覧するといった使い方や、一覧表や便覧といった形で用いられる。
一理とは、ある主張や意見の中に認められる、一応の道理や妥当な点を指す。完全に正しいとは限らないが、それなりの根拠や合理性を含んでおり、一概に否定できない要素をいう。
すべてが同じ調子で変化がなく、一様で例外のないさまを表す。例えば、千篇一律のように内容に変化が乏しい場合や、費用を一律に負担するように扱いに差がない場合に用いられる。
ある分野において最上級の水準に位置し、他を凌ぐ優れた品質や地位を指す。また、他に類を見ない独自の様式や方法を表すこともあり、学問や芸術などの特定の流派を意味する場合もある。
巻物や書物、フィルムなどの一つを数える単位として用いられる。また、複数巻から成る書物などの最初の巻を指す場合もある。
自分自身だけを指す語で、個人の範囲や能力に限定されることを表す。複数の人間や組織ではなく、単独の個人の立場や判断を強調する場合に用いられる。
一本の矢を意味する。特に「一矢を報いる」という慣用表現で、攻撃や批判に対して反撃を加えることを指す。
一貫とは、かつて用いられた尺貫法における質量の単位であり、その重さは約三・七五キログラムに相当する。また、転じて、初めから終わりまで同じ方針や態度を貫き通すことを意味し、一貫した姿勢や考え方などと表現される。
一顧とは、わずかに注意を向けたり振り返って見たりすることを指す。多くは否定表現を伴い、全く関心を持たない、あるいは軽視する態度を示す際に用いられる。
鎖を構成する輪の一つを指すことから転じて、密接に関連する一連の物事や過程の中の一部分を意味する。例えば、教育活動全体の中での読書感想文のように、より大きな体系や計画の中の一要素として捉えられる。
一度考えてみること。軽く検討する程度の思考を指し、深く熟考するというよりは、とりあえず考えてみる段階を表す。
一献とは、まずは一杯の酒そのものを指す。また、杯に一度酒を注ぐ行為を意味し、そこから転じて、酒を相手に勧めてもてなすこと、特に感謝や祝いなどの気持ちを込めて酒を振る舞うことを表す。
「一切」は、ある範囲内のすべての物事を指す場合に用いられ、全体を包括する意味で「すべて」「何もかも全部」と説明されます。また、後に打ち消しの表現を伴って、その否定の度合いを強める用法もあり、この場合は「まったく」「全然」という意味になります。
一蹴とは、相手の要求や申し出をまったく受け入れずに拒絶することを指す。また、競技などで相手をやすやすと打ち負かす意味でも用いられる。
一度や二度という程度を表し、回数が少ないことを示す。
非常に短い時間のたとえで、瞬きをするほどのわずかな時間を指す。瞬時。
ちょっとした面白みや、その場限りの楽しさを指す。特に大げさではないが、それなりに趣きのある遊びや気晴らしを言い表す際に用いられる。
一策とは、ある状況に対処するための一つの方策や計略を指す。特に切羽詰まった状況で思いつくような、窮余の策として用いられることが多い。
一緒とは、複数の物事を一つのまとまりとして扱うことを指します。また、複数の人々が同じ場所に集まったり、同じ行動を取ったりする状態を表します。さらに、考え方や嗜好などが同一であることを示す場合にも用いられます。
一通の証文や書き付けを指し、特に約束や保証の内容を記した書面を意味する。金銭の借用や契約の履行などを確約する際に作成され、「一札入れる」のように保証書を差し入れる行為や、「一札取る」のように相手から保証書を受け取る場合に用いられる表現としても使われる。
一生とは、人が生まれてから死に至るまでの全期間を指す。また、危険な状況から辛うじて命が助かることを表す場合にも用いられる。
一つの策略やはかりごとの意で、何かを成し遂げるために考え出した方策を指す。
一笑とは、軽く笑うことや微笑むことを指し、特に「破顔一笑」のように表情をほころばせる様子を表す。また、他人の笑いの種となることや嘲笑の対象となることを意味し、「一笑を買う」という表現で用いられる。
短時間眠ること。わずかな時間の睡眠を指し、一息つく程度の仮眠を意味する。
「一層」は、重なり合う層のうちの一つを指す。また、程度がより強まる様子を表し、既にある状態がさらに進んだり深まったりすることを意味する。例えば、努力や成長、変化などが以前よりも増す場合に用いられる。
多くの人や物が同時に同じ行動を取ったり、同じ状態になったりする様子を表す。
ある地域の周辺を含む広い範囲を指す。また、連続して続く一続きのものや領域を表す場合にも用いられる。
一夕とは、ひと晩、あるいはある夜を指す語である。ひと晩という意味では「一朝一夕」のように用いられ、また、特定の夜を漠然と示す場合にも使われる。
「一席」とは、宴会や茶会など、人を集めて行うひとつの催しを指す。また、演説や講談、落語など、一回分の話を聴く機会を意味することもある。さらに、順位や地位において第一位、すなわち首席を表す用法もある。
二つ以上のものがぴったりと合致し、同じ状態になること。また、意見や考え方などが同じになること。
豆腐や料理、また刃物・ろうそく・駕籠など細長い形状のものを数える際に用いる助数詞「一挺」の書き換え字として用いられる。主に物を一つと数える単位として機能する。
一戦とは、一回の戦いや勝負を指す語である。特に、重要な対戦や決着をかけた一回の戦闘を意味し、宿敵との対決など、勝敗が大きな意味を持つ局面で用いられる。
一本の線を指すほか、明確な区切りや境界を表し、それを越えることや画することを意味する。また、学問や芸術、ビジネス、スポーツなど様々な分野における活動の最前線、すなわち第一線を指し、そこで活躍する状況を表現する際にも用いられる。
一朝とは、ある朝やある日を指すほか、ごく短い時間や一瞬の出来事を表す。また、一度やひとたびという意味でも用いられ、一旦や一度と同様の使い方をする。
二つで一組を成すものを指す。特に左右対称の関係にある一対の物品に用いられ、例えば屏風や靴下など、対になって初めてその機能を果たすものについて言う。
二つで一組を成すもの。対になって揃っていることを指し、茶碗や花瓶など、対として用いられる物について言う。
一筆とは、筆を紙から離さずに一気に書き上げることを指す。また、同一人物による筆跡を意味し、土地登記簿上における一区画の土地を表す場合もある。加えて、手紙などの簡潔な文面を指して用いられることもあり、「一筆啓上」などの表現にその用法が見られる。
一手とは、囲碁や将棋において石や駒を一回動かすことを指す。また、他人に任せず自分一人で行うこと、あるいは独占して物事を進めることを意味し、例えば販売権を一手に担う場合などに用いられる。さらに、唯一の方法や手段を表すこともあり、特定のやり方で事を成し遂げる際にも使われる表現である。
他とは異なる独自の味わいや趣を指し、特に人や物事が普通と違った特徴や個性を持っている様子を表す。
学問・芸術・宗教・武術などの分野において、元来の系統から分かれて成立した独自の流儀や系統を指す。また、転じて、特定の思想や主張を共有する一つの集団や仲間を意味することもある。
一服とは、粉薬をひとつまみ服用すること、特に毒薬をひと盛りすることを指す。また、茶やたばこをひと息に飲んだり吸ったりする行為や、少しの間休憩をとる意味でも用いられる。
一徹とは、自分の考えや信念を頑なに貫き通そうとする態度を指す。特に、周囲の意見に耳を貸さずに自らの意志を押し通す様を表し、時に頑固さや強情さを含意する。伝統や習慣を固守する姿勢にも用いられる。
一つの容器に満ちる分量を指す。また、ある範囲全体に広がっている状態や、数量が多い様子を表す。限度いっぱいであることや、酒などを飲む行為を意味することもある。
一幅とは、書画を掛け軸に仕立てたものを数える際に用いる助数詞である。特に一幅の絵画や書といった、掛け軸として鑑賞される作品を指して用いられ、転じて、まるで掛け軸に収まった絵画のように美しく整った風景を形容する表現にも使われる。
「一天」とは、空全体を指す語で、一面に広がる空の様子を表す。また、全世界や天下を意味する場合もあり、「一」は天を強調する働きを持つとともに、語調を整える役割も果たす。
一回の敗北を意味する。特に勝負事において、一度負けることを指す。
一変とは、状況や状態が急激に、あるいは完全に変化することを指す。また、そのように変化させることにも用いられる。
一点とは、一つの点や一つの事柄を指すほか、物品や得点を数える際の単位として一つを表す。また、ごくわずかな量や程度を示す場合にも用いられ、心にわずかな曇りもないといった表現で、ほんの少しの意味をなす。
一転とは、状況や状態が急激に、あるいは完全に変化することを指す。特に、それまでの流れや傾向ががらりと変わる様子を表し、心機一転や話題が一転するなどの表現で用いられる。また、古くは一回転する意味でも使われた。
物事の一部分や一端を指す表現で、全体から見てごく一部であることを示す。豹の毛皮にある一つの斑点に由来し、全体像の推測を可能とする手がかりとして用いられる。
月の最初の日を指す語で、暦の上で各月の始まりを表す。古くは「朔日」や「朔」とも書き、月末を意味する「晦日」と対になる表現である。
一葉はユリ科の多年草で、漢名に由来する名称である。葉蘭(はらん)とも呼ばれる。
「一向(ひたすら)」は、他のことに気を散らさず、ただ一つの事柄に専念する様子を表す。心を集中させ、その対象だけに向かって行動するさまを指し、「一向に努力する」のように用いる。表記としては「只管」と書くこともある。なお、「いっこう」と読む場合は異なる意味になるので注意が必要である。
一統とは、複数のものを一つにまとめ上げることを指し、統一する行為や状態を表す。また、そのようにしてまとめられた全体、すなわち一つのまとまりとなった集団や組織を意味し、例えば一家や一門が一体となっている様子を指して用いられる。
不意をつかれて驚き慌てる様子を表す。相手の予期せぬ行動によって狼狽させる意で「一泡吹かせる」などの形で用いられる。
一連とは、一つにつながって並んでいる状態を指す。また、同程度の水準にあるものや同列の関係を表すこともある。さらに、一つのことに専念する様子やひたむきな態度を意味する場合もある。
「一時(ひととき)」は、ある短い時間の区切りを指し、その間だけ続く状態や期間を表す。同じく「一時(いっとき)」とも読まれ、ほんのしばらくの間という意味で用いられる。
他と比べて特に目立っている様子を表す。普通の程度を明らかに超えて際立っているさまを指し、一段と、一層といった意味で用いられる。
一本の旗を指す語で、特に「一旗揚げる」という慣用表現において、新たな事業を起こして成功を収めることを意味する。
「一肌脱ぐ」という慣用句で用いられ、他人のために自ら進んで労力を惜しまず、力を尽くして援助することを意味する。
一つの花、または花一輪を指す。転じて、一人が目立って活躍したり成功したりする様子を表し、「一花咲かせる」などの慣用表現で用いられる。
文章における一つの行を指すほか、文章や話の内容の一区切りとなる部分を表す。
魚や野菜などに薄く塩を振りかけること。また、そのように塩味を軽く付けた食品を指す。保存よりも素材の味を引き立てるための調理法で、「一塩の鯖」などの表現で用いられる。
万一とは、極めて稀に起こり得る事態を指す。また、そのような稀な場合に備えて用心することを意味する。さらに、仮にそうなった場合を想定して使われる表現でもあり、万が一の意を表す。
同一とは、二つ以上のものが互いに同じであることを指し、例えば同一人物のように全く同じものを表す場合に用いられる。また、複数のものの間に違いや差がなく、等しい状態にあることも意味し、大人と同一に扱うといった表現で用いられる。
金額や状態などが全体にわたって同じであり、ばらつきや偏りのない様子を指す。例えば、濃度をかき混ぜて均一にする場合や、一律の料金体系などに用いられる。
複数の選択肢の中からただ一つを選び出すことを指す。二者択一のように二者間の選択に用いられるほか、より多くの選択肢から一つを選ぶ場合にも使われる。選択を迫られる状況や、択一問題といった形で用いられる表現である。
専一とは、一つのことに心を集中させて他を顧みない状態を指す。また、何かを最優先とし、それを第一に考えることを意味する。例えば、学問や仕事に打ち込む様子や、健康を何よりも大切にする態度を表す際に用いられる。
単一とは、ただ一つだけであること、または一人だけで行うことを指す。また、複数の要素が混じることなく、一種類だけで構成されている状態を表す。
純一とは、他のものが混ざっていない状態を指し、純粋さを本質とする。また、飾り気や作為がなく、ありのままの素直な様子を表す。
順序を追って一つ一つ物事を行う様子を表す。詳細にわたって漏れなく行うことを意味し、例えば「逐一報告する」のように用いられる。また「チクイツ」と読むこともある。
順序において最初の位置を指す。また、最も重要であることや、他よりも優れていることを表す。何よりもまず最初に考慮すべき事柄を示す場合にも用いられる。
一見とは、初めて対面すること、すなわち初対面を意味する。特に旅館や料亭などにおいて、初めて訪れる客を指して用いられることがある。なお、「いっけん」と読む場合は別の意味となる。
一角(ひとかど)とは、他と比べて特に優れた様子を指し、一人前として認められるだけの能力や品格を備えていることを表す。例えば、際立った人物や十分な働きを示す場合に用いられる。
薄く平たいものを一枚数える語。紙や花びら、雪など、薄く広がった形状のものを指して用いられる。
一入(ひとしお)は、染め物を一度染液に浸す工程に由来し、その染め上がりの深みから転じて、程度が一段と増す様子を表す。感動や趣などが際立って強く感じられる場合に用いられ、「ひときわ」「いっそう」といった意味を持つ。
三一とは、二つの賽を投げて三と一の目が出る組み合わせを指す。また、江戸時代には、わずか三両一分の扶持しか受け取らない下級武士を軽蔑して用いられた呼称であり、この「ピン」はポルトガル語で「一」を意味する語に由来する。
「不一」は、手紙の結びに用いられる挨拶語で、書き尽くせなかった心情を述べる際に使われる。また、物事が揃わず、均一でない状態を指すこともある。
太一とは、中国の古代思想において天地創造の際の万物の根源、すなわち宇宙の本体を指す概念である。また道教では宇宙を支配する神格として太一神と称され、陰陽道においては星の名として太一星がある。
尺一とは、古代中国において天子の詔勅を記すために用いられた板を指す。その長さが一尺一寸であったことに由来し、転じて詔勅そのものや、特に尺一詔書を意味する語となった。
光一とは、多くのものの中で特に優れて目立つ様子、あるいはそのようなものを指す。花札の手役の一つで、多くの無地札の中に一枚だけ光る絵札が含まれていることに由来する表現である。
一朶とは、花のついた枝を一本数える際に用いる語である。また、雲などが一かたまりになって浮かんでいる様子を指すこともある。
一毫とは、極めてわずかな様子を表す語である。「毫」は細い毛の意であり、一本の細い毛筋ほどの僅かな量や程度を指す。転じて、ごく僅かな隙や欠点もない完全な状態を言い表す際にも用いられる。
軽く一度おじぎをすること。特に帽子を取って行う会釈を指し、簡素な挨拶の動作を表す。
丸くて小さいものを一つ数える際に用いる語で、主に果実や宝石など、粒状のものを指す。例えば、「杏一顆」のように用いる。
一郭とは、一つの囲いや区切りによって区画された範囲を指す。また、同種の事物が集まって一つの地域を形成している様子を表し、例えば特定の産業や市場が集中する町の一角などを意味する。
一簣とは、土や石を運ぶために竹や藁で編んだ籠一つ、あるいはその一杯分のわずかな土砂を指す。転じて、大事業を完成させるための最後のわずかな努力や仕上げの段階を意味し、「一簣の功」などの表現で用いられる。
一つの杯、または一杯の酒を指す。特に酒宴の場で杯を手に取り、酒を飲む行為を連想させる表現として用いられる。
一粲とは、白い歯を見せてにっこりと笑うことを指す。特に「一粲を博す」という表現は、自らの詩文などを相手に贈る際に用いる謙遜な言い回しであり、どうかお笑いくださいという意味を表す。
一籌とは、勝負事において得点を数えるための竹製の棒を一本を指す。転じて、僅かな差や一つの点数の意となり、「一籌を輸する」のように用いて、ほんの少し劣ることを表す。
一挺は、主に細長い形状のものを数える際に用いる助数詞である。特に、刀剣や銃器、楽器の笛など、棒状や筒状の物品に対して使われることが多い。例えば、刀一挺、鉄砲一挺といった具合に用いられる。
一擲とは、全てを一度に投げ出すことを意味し、重大な決断を下して全てを賭ける様子を表す。乾坤一擲という成句に用いられ、運命をかけた大胆な行動を指す。
一臂とは、片方の腕、あるいは片肘を指す。また、わずかな助力や手助けを意味し、例えば「一臂の労をとる」のように、些細ながらも力を貸すことを表す。
一齣(ひとくさり)は、話や物語などのまとまった一区切りを指す。語り物や謡曲の一段落を意味する古い用法に由来し、現代では講演や談話などにおいて、主題に沿った完結した部分を述べる際に用いられる。例えば「一齣の感想を述べる」のように使う。読みを「ひとこま」とする場合は別の意味となる。
映画や演劇などにおいて、物語の短い区切りを指す。また、転じて、歴史や日常における出来事の一場面を意味する。読みが「ひとくさり」の場合は別の語義となる。
「一揃」は、二つの賽子の目が共に一となることを指す。また、一枚の着物を二枚重ねて着ることを嘲る表現としても用いられる。語源の「ピン」はポルトガル語に由来する。
全体を均一に統一すること。また、そのような状態を指す。多様性を排し、すべてを同じ規格や基準に合わせることを意味し、「画一」とも表記する。
一枚しか持たない晴れ着、あるいは所有する中で最も上等な着物を指す。転じて、着替えの用意がない唯一の衣服という意味でも用いられる。
一見識とは、ある分野において独自の確固たる見解や優れた判断力を備えていることを指す。単に知識があるだけでなく、それに基づいて形成された立派な考え方や、他とは一線を画する深い洞察を意味する。
その人独自の見解や主張を指し、特に一定の分野において確固たる見識を備えた意見を意味する。中国前漢の司馬遷が『史記』の序文で、本文に書き漏らした事柄を補い独自の見識を示したと述べた故事に由来する。
これまでにない新しい分野や方向性を切り開くことを指し、特に学問や技術、芸術などの領域で新たな手法や視点を生み出した局面を表す。
一辺倒とは、ある一つのものや考え方、方向性にのみ偏り、他の選択肢や可能性を考慮しない状態を指す。中国の毛沢東の論文に由来する語で、例えば「防御一辺倒の試合」のように、戦術や態度が単一の側面に固執している様子を表現する際に用いられる。
重大な事態や、放置できない深刻な出来事を指す。通常、個人や集団にとって深刻な影響を及ぼす可能性があり、緊急の対応や特別な注意を要する状況を表す。
一軒家とは、周囲に他の家屋がなく単独で建っている家を指し、特に人家のない場所に孤立して建つ様子を表す。また、独立した一戸建ての家屋を意味する場合もある。
文章における一つの区切りを指す。また、転じて物事がひと区切りつく状態を表す。
頑固なまでに自説を曲げず、一本気で融通の利かない性質を持つ人を指す。特に職人など、強い信念やこだわりを持つ人物について用いられることが多い。
順調に進んでいた物事の流れや勢いが、途中で何らかの障害や問題によって阻まれ、停滞したり挫折したりすること。
一角獣は、西洋の伝承に登場する一本の角を持つ想像上の動物、ユニコーンを指す。また、北極圏に生息する哺乳類イッカクの別称としても用いられ、その牙から作られたとされる解毒剤を指すこともある。かつてはこの解毒剤に偽物が多かったことから、転じて偽りや嘘を意味する場合もある。
一年草とは、発芽から開花・結実を経て枯死するまでの一生を一年以内に終える草本植物を指す。イネやアサガオなどがその例であり、多年草に対比される概念である。
一周忌とは、人が亡くなってから満一年目にあたる命日のことで、この日には故人を偲び供養するための法要が営まれる。一年忌や一回忌とも呼ばれる。
今日から数えて二日前の日を指す語で、「おとつい」とも言う。また「いっさくじつ」と読むこともある。
個人の身の上や境遇、特にそれに伴う事情や都合を指す語。主に退職や辞任など、個人の事情に基づく行動の理由として用いられる。
一目散とは、脇目も振らずに一心に駆け出す様子を表す。何かに追われている時や急いでその場を離れたい時などに、後ろを振り返る余裕もなく全力で走り去るさまを指す。
もともとは一本の縄を指す語であるが、通常は「一筋縄ではいかない」という慣用表現の中で用いられ、物事が単純な方法や通常の手段では処理できない複雑さや困難さを有している様子を表す。
大切な一人っ子を、一粒しか実らない貴重な種にたとえた表現。特に親が我が子を愛情を込めて言う場合に用いられる。
三国一とは、かつて世界の中心とされた唐(中国)・天竺(インド)・本朝(日本)の三国の中で最も優れていることを意味し、転じて、広く世界の中で第一であること、この上なく優れていることを指す。
天一神は陰陽道において、常に八方を巡り人の吉凶禍福を司るとされる神である。表記は「中神」とも書く。また、「テンイチジン」と読む場合もある。
「生一本」とは、混じりけのない純粋な状態を指し、特に酒造りにおいては水や添加物を加えずに醸した純米酒を意味する。また、性格や態度について用いる場合は、一途で曲がったことを嫌い、ひたむきに物事に打ち込む真っ直ぐな気性を表す。
物事を始めようと最初に心に決めた思いや、最初に抱いた志を指す。初めて心に動かされたその瞬間の純粋な決意を表す語である。
時間が絶え間なく経過していく様子を表し、物事の状態や状況が少しずつ変化していくさまを指す。特に、ある時点に向かって着実に近づいていくニュアンスを含む。
すべてが同じ型にはまり、個性や多様性に欠ける様子を指す。特に教育や制度などにおいて、一律に同じ方法や基準が適用されることをいう。
春の訪れを告げる、その年初めての強い南寄りの風を指す。主に立春から春分の間に吹き、気温の急上昇をもたらすとともに、時として突風や砂塵を伴うこともある。
多くの男性の中にただ一人の女性がいる状況を指し、またその女性自身を表す。王安石の詩「万緑叢中紅一点」に由来し、緑の草むらの中に一輪の紅い花が咲いている様子を、男性集団の中の唯一の女性に喩えた表現である。
一枚の紙の厚さほどしかない、ごくわずかな隔たりや差異を表す。物事の優劣や成否、状態の違いなどが、極めて僅差である様子を指す。
無一物とは、一切の所有物や財産を持たず、文字通り何一つ所有していない状態を指す。特に価値のある物を何も持っていないことを意味し、時に「無一物」とも表記される。
まったく金銭を持たず、一文の蓄えもない状態を指す。
危険や失敗が髪の毛一本ほどのわずかな差で回避される、極めて切迫した状況を表す。
裸一貫とは、自分の身体以外に頼るべき財産や資本を何も持たない状態を指す。そこから転じて、無一物の状態から自力で努力を重ねて成功を収めることを意味する。
その人が持てる力をすべて出し尽くす様子を表す。可能な限りの努力を傾けること、あるいは限界まで力を振り絞ることを意味する。
一弦琴は、約一・一メートルの胴に一本の弦を張った琴の一種で、中国から伝来した楽器である。別名として独弦琴や須磨琴(すまごと)とも呼ばれる。
群れを離れて単独で行動する狼を指す。転じて、組織や集団に属さず、独自の判断と方法で行動する人物を喩える表現として用いられる。
一本槍とは、槍一本で敵に立ち向かうことを指し、そこから転じて、一つの方法や考え方に固執して他を顧みない姿勢を表す。特定の技術や手段だけに頼る限界を指摘する際にも用いられる。
桐の葉が一枚落ちる様子から秋の到来を感じ取ることを指し、転じて物事の衰退や終わりが近づいている兆候を暗示する比喩としても用いられる。
樗蒲一とは、中国から伝来した賭博の一種であり、一つの賽子の出目を予想して勝負を争うものである。当たれば賭け金の四倍を得る仕組みであった。転じて、人を欺くような不正な行為や、いんちきを意味するようになった。語源は「樗」と「蒲」の木の実を賽子として用いたことに由来し、「チョボ」とも呼ばれる。
ごくわずかな金額の喩え。江戸時代の粗悪な銭貨である鐚銭(びたせん)一文に由来し、取るに足りないほどの僅かな金銭を指す。
九死一生とは、ほとんど死ぬほどの危険な状況からかろうじて命拾いすることを意味する四字熟語である。また、命を懸けて必死に事に当たる覚悟を表す場合にも用いられる。語源は『楚辞』の「離騒」にあり、「九死」は十中八九死に至る可能性を指し、一般には「九死に一生を得る」という形で使われる。
九牛一毛とは、多くの牛の毛の中の一本という原義から転じて、膨大な数量の中のごくわずかな部分を指す。全体から見れば取るに足りないほど些細な事柄や、問題にならない程度の少量であることを喩える表現である。『漢書』司馬遷の「報任少卿書」に由来する四字熟語で、「九牛毛」と略されることもある。
季布一諾とは、一度約束したことは必ず守るという、誠実で信頼できる人物の喩えである。『史記』季布欒布列伝に由来し、楚の国の季布はその一言が千金にも値すると評された故事に基づく。転じて、極めて重い約束や、確固たる信義を表す四字熟語として用いられる。
危機一髪とは、髪の毛一本ほどのわずかな隔たりで危険が迫っている極めて切迫した状況を指す。転じて、今にも重大な危険や災いが起こりそうな瀬戸際の状態を意味する。
勧百諷一とは、多くの人々を楽しませるために作られた作品が、かえって少数の者を戒める効果しか持たないことを指す。『漢書』の司馬相如伝の賛において、その賦が華美に過ぎてかえって諷諫の意を弱めてしまうことを評した表現に由来する。
煥然一新とは、物事がすっかり新しくなる様子を表す四字熟語である。古い状態が完全に改まり、見違えるほど新鮮で美しくなることを意味する。主に建物や環境、雰囲気などが一新された状況を形容する際に用いられる。
頑固一徹とは、自らの信念や態度をいささかも変えようとせず、それを貫き通す様子を指す。また、そのような性格を表す四字熟語である。
鎧袖一触とは、鎧の袖がわずかに触れるだけで敵を倒すという意から、非常に弱い相手を容易に打ち負かすことを表す四字熟語である。敵を全く問題にせず、わずかな力で簡単に勝利する様子を形容する。
口を開いて最初に発する言葉を指し、話し始めるとすぐに特定の話題や意見を述べる様子を表す。
鉛刀一割とは、切れ味の鈍い刀で物を一度切り裂くことを意味する四字熟語で、転じて自分自身の力の未熟さや微力を謙遜して述べる際に用いられる表現である。『後漢書』班超伝に由来し、「鉛刀」は切れない鈍刀を、「一割」は一度で割くことを指す。