一眼とは、両眼のうちの片方の目を指す。また、片方の目だけが見える状態、すなわち隻眼を意味することもある。
天眼とは、神通力を有し、通常では見ることのできない遠方の事物や隠された事象をも透視する能力を指す。千里眼と同義であり、「てんげん」とも読まれる。
方眼とは、規則正しく並んだ正方形の区切り目を指し、主に方眼紙のように等間隔に縦横の線が引かれた状態を表す。
正眼とは、剣術における構えの一つで、刀の切っ先を相手の目の高さに据え、中段に構える姿勢を指す。
白眼とは、毛色が白い牛や馬を指す。また、両眼の縁が白い牛や馬についてもいう。
肉眼とは、望遠鏡や顕微鏡などの光学機器や眼鏡を介さず、生まれつき備わったままの目そのもの、あるいはその視力を指す。裸眼と同義であり、例えば「肉眼で見える星」のように用いられる。
血眼とは、激しい興奮や怒りのために充血した目つきを指す。また、転じて、何かに夢中になり、必死になって物事に取り組む様子を表す際にも用いられる。
近眼とは、遠くのものがはっきり見えず、近くのものに焦点が合いやすい目の状態を指す。近視と同義であり、眼球の屈折異常によって網膜の手前で像が結ばれるために生じる。
青眼とは、好意や歓迎の気持ちを表す目つきを指す。中国晋代の阮籍が、気に入った人物には青眼をもって接し、嫌いな人物には白眼で応じたという故事に由来する表現である。
物事の本質や真実を見極める鋭い洞察力、また道理を正しく理解する深い見識を指す。
点眼とは、目薬をさすこと、あるいは薬液で目を洗うことを指す。眼科治療や目の衛生のために行われる行為であり、「点眼水」などの形で用いられる。
ムクロジ科の常緑高木で、中国を原産とする。鹿児島や沖縄において果樹として栽培される。春には黄白色の五弁花を咲かせ、芳香を放つ。果実は球形で果皮は茶褐色をしており、その果肉は特に竜眼肉と呼ばれ食用や薬用に供される。名称は球形の実を竜の目に見立てた漢名に由来する。
眼光とは、目から放たれる鋭い輝きのことを指し、また転じて物事の本質を見極める鋭い観察力や洞察力を意味する。
眼疾とは、眼球やその周辺組織に生じる病気の総称であり、視力障害や痛みなどの症状を伴うことが多い。
眼帯とは、眼病や怪我をした人が患部を保護するために、ガーゼなどの布を用いて片方の目を覆うもの。
眼底とは、眼球の奥に位置する内側の後壁を指し、網膜や視神経乳頭などの重要な構造を含む部位である。眼科検査において観察の対象となり、出血などの病変が生じることもある。
物事の中心となる最も重要な部分を指し、全体を理解する上で欠かせない要点を意味する。
眼指(まなざし)は、ものを見る際の目の様子や視線そのものを指す語である。優しさや厳しさなど、内面の感情を反映した目の表情を含意し、表記としては「目指」「目差」とも書かれる。
魚眼とは、魚の目を指す語である。また、広角レンズの一種である魚眼レンズの略称としても用いられる。このレンズは180度以上の広い写角を持ち、魚の目がほぼ180度の視野を持つことに由来する名称で、天文観測や気象観測などに用いられる全天レンズとして知られている。
晴眼とは、視覚に障害のない状態の目を指し、またそのような視力を持つ人を意味する。主に視覚障害者に対する用語として、健常な視覚を持つ側を表現する際に用いられる。
視力を測定し、その状態を調べることを指す。通常、視力表などを用いて遠近の視力を検査し、目の健康状態の把握や眼鏡・コンタクトレンズの処方に必要な情報を得るために行われる。
象眼とは、金属や陶磁器などの表面に模様を彫り込み、そのくぼみに金や銀などの異なる素材をはめ込んで装飾する技法、またそのようにして作られた工芸品を指します。転じて、活版印刷において、鉛版の修正が必要な部分を切り抜き、別の活字を埋め込む作業を指すこともあります。「象嵌」の書き換え字として用いられます。
開眼とは、本来見えなかった目が見えるようになることを指し、特に視力を回復させる手術などの医療行為をいう。また「カイゲン」と読む場合には、新たに制作した仏像に瞳を描き入れる儀式を意味し、これにより仏像に魂が宿るとされる。
裸眼とは、眼鏡やコンタクトレンズなどの補助器具を一切使用せず、そのままの状態にある目のこと。また、その状態での視力を指すこともある。
城壁などの防衛施設に穿たれた穴で、外部の敵情を監視し、あるいはそこから銃を構えて射撃を行うための開口部を指す。
入眼とは、仏像を造る際に最後に眼を描き入れる儀式を指し、これによって仏像に魂が宿るとされる。転じて、物事が完成に至ることを意味する。また、位記に氏名を記入して臣下に位を授けることもいう。「じゅげん」とも読む。
百眼とは、厚紙に眉や目の形を描いて作られた眼鏡状の仮面を指し、紐で耳にかけて用いる。また、これを装着して目つきや表情を変えながら小噺などを演じる寄席芸のこともいう。
眼路とは、目で見渡すことのできる範囲を指す。視界や視野とほぼ同義で、見通せる限りの空間を意味する。「眼路に入る」などの表現で用いられ、漢字表記としては「目路」と書くこともある。
眼撥はサバ科に属する海魚で、マグロの一種である。全長は約二メートルに達し、体形が太く目が大きいのが特徴である。肉質は淡い紅色を呈し、旬は春と秋とされる。若い個体は「ダルマ」とも呼ばれる。
眼張はフサカゴ科の海魚で、日本各地の沿岸に生息する。目が大きく、体色は生息環境によって灰赤色から灰黒色まで変化に富む。釣りの対象として人気があり、特に春には美味とされる。
炯眼とは、鋭く光る目つきを指し、物事の本質を鋭く見抜く優れた洞察力を意味する。慧眼と表記されることもある。
「眼睛」とは、眼球や瞳を指す語で、特に黒目を中心とした目の部分を表す。視覚器官としての目全体を意味することもあり、まなこと同義で用いられる。
頭蓋骨の前面に位置し、眼球を収容するくぼみ状の構造を指す。
眼球を覆い保護する皮膚のひだで、開閉によって眼球の露出や保護を行う器官を指す。
慧眼とは、物事の本質や真実を鋭く見抜く優れた眼力や洞察力を指す。炯眼とも表記する。
城壁や塀に設けられた小さな開口部で、矢を射掛けるため、あるいは外部の様子を窺うために用いられる。矢狭間(やざま)とも呼ばれる。
蟹眼とは、蟹の目を指す語である。また、湯が沸き始める際に水面に現れる小さな泡、あるいはその沸き具合の状態を表す。後者の意味は、その泡の様子が蟹の目に似ていることに由来する。なお、より大きな泡が立つ状態は「魚眼」と呼ばれる。
一隻眼とは、片方の目を指すほか、物事の本質を見極める鋭い洞察力や、優れた見識を備えていることを意味する。
両眼で同時に対象を観察するための光学機器で、二つの望遠鏡を平行に組み合わせて遠方の景色を拡大して見る。野外での自然観察やスポーツ観戦、劇場などで用いられる。
天眼鏡とは、柄の付いた大型の凸レンズを指し、主に手相見などが手のひらや細かいものを拡大して観察する際に用いる道具である。
白眼視とは、冷たい目つきで人を見ることを指す。この語は、晋代の竹林の七賢の一人である阮籍が、気に入った人物には青眼(黒目)を向け、嫌いな人物には白眼(白目)を向けたという故事に由来する。
片目の英雄や豪傑を指す語で、特に江戸時代初期の武将である伊達政宗の異名として知られる。その由来は中国唐代の片目の英傑・李克用の故事に基づく。
ヒルムシロ科の多年草で、池や沼などに生育する水草である。漢名の「眼子菜」に由来する名称であり、別名として蛭蓆とも呼ばれる。
マメ科の一年草で、葉の形が矢筈に似ていることから「矢筈草」とも呼ばれる。漢名の「鶏眼草」に由来する名称である。
メカジキ科に属する大型の海魚で、温暖な海域に分布する。全長は約三メートルに達し、紡錘形の体と大きな目が特徴である。上顎は剣のように長く突き出ており、食用として利用される。
眼仁奈はメジナ科に属する海魚で、北海道以南の沿岸に生息する。体は楕円形で青黒色を呈し、全長は約50センチメートルに達する。磯釣りの対象魚として人気があり、食用ともされる。別名をグレという。
胡孫眼はサルノコシカケ科に属するキノコの総称で、主に木の幹に水平に寄生する。半円形の形状を呈し、乾燥すると非常に堅くなる性質を持つ。細工物の材料や薬用として利用され、その名称は漢名に由来し、「猿の腰掛」とも表記される。
膿漏眼は、急性結膜炎の一種で、目やにが多量に膿を伴って出る症状を特徴とする。俗に風眼とも呼ばれる。
理想や批評眼は高いものの、実際の実力や創作能力がそれに伴わず低い状態を指す。他人の作品を批評する際には厳しい目を持ちながら、自ら創作する段階では同等の水準に達しないことを意味する。
眼光紙背とは、読書において文字面を追うだけでなく、行間に込められた作者の真意や精神の深みまで鋭く見抜くことを意味する。眼光が紙の裏側まで透き通るように、文章の奥底に潜む本質を鋭く洞察する読解力を表す表現である。通常、「眼光紙背に徹す」などの形で用いられる。
眼光炯炯とは、目が鋭く輝き、鋭い洞察力や強い意志を感じさせる様子を表す四字熟語である。「炯炯」は光り輝くさまを意味し、眼光が鋭く冴えわたっているさまをいう。主に人物の鋭い眼差しや、物事を見通す力の強さを形容する際に用いられる。
開眼供養とは、新たに制作された仏像や仏画を安置する際に行われる法要で、仏の眼を開く儀式を指す。これにより仏像に魂が宿るとされ、礼拝の対象としての機能が備わる。
煙雲過眼とは、眼前を過ぎ去る煙や雲のように、物事が一瞬で消え去り、心に留め置かないことを意味する。転じて、富貴や栄華などが儚く消えやすいことの喩えとしても用いられる。
雲烟過眼とは、目の前を過ぎ去る雲や霞のように、物事が一瞬で消え去り、心に留め置かれない様子を表す。転じて、富貴や栄華といった世の儚いものに執着せず、淡々と受け流す心境を指す。
冷眼傍観とは、物事の成り行きを、感情を交えず冷静な目で、あるいは時に冷ややかな視線を向けながら、ただ傍らで見つめている様子を表す四字熟語である。
美人が異性を誘うような、色っぽく媚びた目つきや流し目を指す四字熟語。秋の水のように澄んだ涼やかな瞳が、艶やかな表情で相手をとらえる様を表す。