文身とは、皮膚に針や刃物で傷をつけ、そこに色素を入れて文字や模様、絵などを刻み込むことを指す。かつては職人や遊び人の間で行われる彫り物として知られ、また、顔や腕に墨を刺し入れて前科者の印としたものもあった。後者は本来「黥」と書き、「刺青」や「入れ墨」とも表記される。
文身とは、皮膚に針などで色素を入れて模様や文字を描き入れることを指し、入れ墨と同義である。
片身とは、体の半分を指す語で、特に魚を背骨に沿って二つに分けた一方をいう。また、衣服の身頃の半分を指す場合もある。
その人が生まれ育った土地や、学んだ学校、あるいはかつて所属していた身分や組織を指す語。例えば「秋田の豪雪地帯の出身」のように出生地を示すほか、「出身校の応援に行く」のように卒業した学校を表す際にも用いられる。
相撲や剣道などで、相手に対して体を斜めに向けて構える姿勢を指す。また、魚を縦に二つに割いた際の片方の身を意味することもある。なお、「ハンシン」と読む場合は、文字通り身体の半分を表す。
古身とは、古くから伝わる刀剣を指す言葉で、特に新しく作られた刀である新身に対して、昔に作られた刀を意味します。古刀と同じく、長い年月を経た由緒ある刀を表す表現です。
正身とは、まさにその人そのものを指す語で、本人や当人を意味する。漢語「正身(しょうしん)」が転訛したもので、確かにその人物であることを強調する表現である。
白身とは、卵においては黄身を包む透明な部分を指し、調理の際に泡立てるなどの用途がある。また魚肉では、身の色が白い部分や、そのような特徴を持つ魚そのものを表し、刺身などに用いられる。さらに、獣肉では脂身の多い白い部分を指す場合があり、木材においては白太と呼ばれる白い部分をも意味する。対義語として赤身が挙げられる。
全身とは、頭から足先までを含む体全体のことを指す。身体のすべての部分を総称する表現であり、例えば鏡に全身を映すといった使い方をする。満身や渾身、総身などと同様に、体全体を一つのまとまりとして捉える際に用いられる語である。
肌身とは、皮膚と体を合わせた表現で、主に自分の身体そのものを指す。特に大切なものを常に携帯している様子を「肌身離さず」という慣用句で表し、身体から切り離せないほど重要であることを示す。
投身とは、自ら命を絶つために、水中や高い場所から身を躍らせる行為を指す。
赤身とは、魚肉のうち赤みを帯びた部分を指し、特にマグロなどに代表される。また、赤い身を持つ魚そのものを指す場合もある。対義語は白身である。木材においては、中心部の赤褐色を呈した部分を指し、心材とも呼ばれる。なお、「セキシン」と読む場合は、裸体を意味する別語となる。
身代とは、個人あるいは一家の財産の総体を指す。また「みのしろ」と読む場合は、人質の解放と引き換えに要求される金銭、あるいは人身売買における対価を意味する。
身柱は灸点の一つで、首の付け根の下、両肩の中央に位置する。また、頭に血が上るような幼児の病気、すなわち疳のことを指す場合もある。表記としては「天柱」と書くこともある。
身内とは、まず自分の身体全体を指す。また、血縁関係にある家族や近しい親族を意味し、さらに特定の社会集団において同じ頭領に仕える者同士の関係を表すこともある。
身方とは、対立する関係において自分が属する側、あるいは自分と立場を同じくする仲間を指す。また、そのような関係で一方を支持し加勢する行為も意味する。表記としては「御方」や「味方」と書くこともある。
身屋とは、寝殿造において建物の中心となる部屋を指す。また、敷地内の離れや付属建物に対して、主たる居住の用をなす建物を意味し、母屋とも表記する。
身軽とは、身体の動きが軽やかで敏捷な様子を指す。また、束縛されるものが少なく、気持ちや立場が楽である状態も表す。例えば、身軽に飛び跳ねる動作や、荷物が少なくて楽な旅の状況などに用いられる。
身共は、武士が同輩や目下の者に対して用いた一人称の代名詞で、自分自身を指す語である。複数形として「われら」の意で用いられることもある。
生の魚介類や肉などを薄く切り、醤油や薬味を添えて食べる日本料理。主に魚を用いるが、他の食材を用いる場合もある。
空身とは、身一つで何も持たず、また同行者も伴わない状態を指す。荷物を携えず、付き添いもいないため、身軽で気楽な旅などができる様子を表す。
肩身とは、肩から胴体にかけての身体の部分を指すが、転じて世間に対する体面や面目の意味で用いられる。特に「肩身が狭い」などの表現で、恥ずかしくて世間に顔向けができない状態を表す。
変身とは、外見や姿を大きく変えることを指す。特に、人物の外観やスタイルが以前とは著しく異なる状態に変化する様子を表し、その変化の結果として現れた姿そのものも意味する。
単身とは、家族や仲間を伴わず、ただ一人だけでいる状態を指す。身一つで事に当たる様子を表し、単身赴任などの表現で用いられる。
独身とは、婚姻関係にない状態を指し、またその状態にある人を表す。未婚の成人を意味する語で、特に配偶者のいない個人を指して用いられる。
砕身とは、身を粉にするほどに力を尽くして苦労すること。特に「粉骨砕身」の形で用いられ、骨身を惜しまず全力で事に当たる様を表す。なお、「砕心」と表記する場合は、心を砕くように細やかに気を配り苦心する意となる。
食肉に含まれる脂肪分、または脂肪が多く集まっている部分を指す。特に豚肉などにおいて、筋肉組織の間に沈着した白い脂肪組織をいうことが多い。
骨身とは、文字通り骨と肉を指すが、転じて身体全体を意味する。寒さや痛みが体全体に染み渡る様子や、労力を惜しまずに働く姿勢を表す際に用いられる表現である。
捨身とは、仏教において自らの身命を投げ出して仏に供養したり、衆生を救済することを指す。また、仏道修行や供養のために世俗の欲望を捨てて出家する意味も含まれる。後世には、財物を寺院に寄進する行為もこれに含まれるようになった。
終身とは、人がこの世に生きている間、すなわち死に至るまでの全期間を指す語である。生涯や終生と同義であり、雇用や刑罰など、その期間の長さが重要な事柄に用いられる。
体中全体を指す語で、全身のあらゆる部分を含む意味を表す。例えば、全身の力を込めて何かに取り組む様子を「満身の力をこめて」と表現する。
痩身とは、身体が痩せている状態、あるいは肥満を解消して体を引き締めることを指す。特に、美容や健康の観点から、余分な脂肪を落とし、細く締まった体形を目指す行為やその結果を表す語である。
随身とは、目上の人に付き従って外出に同行すること、またその役目や人を指す。古くは貴人の外出に際し、武装して護衛を担った近衛府の武官を意味した。随行やお供と同義で、「ズイシン」とも読む。
艇身とは、競艇においてボートの全長を指す語である。特に接戦の際に、ゴール時のわずかな差を表現する際に用いられ、一艇身の差などと表現される。
衣服を一切身につけず、肌が露出した状態の体を指す。裸体と同義で、特に何もまとわない生の身体そのものを表す。
「総身」とは、頭のてっぺんから足の先までを含めた体全体を指す語で、全身と同義である。古くは「ソウシン」とも読まれた。
身元とは、その人の生い立ちや経歴、職業、住所など、個人を特定するための情報を指す。また、一身上の事柄や保証を意味する場合もある。
衣服を身につけたときの姿や格好を指し、特に外見から見た服装や身だしなみの状態を表す。
仗身とは、古代において五位以上の高官に付き添い、その身辺を警護する役目の官人を指す。
笹身とは、鶏の胸肉のうち、特に脂肪が少なく柔らかい部位を指す。その名は、細長くしなやかな形状が笹の葉に似ていることに由来する。
全身の意を表し、体全体を指す。また、ありったけの力を込める様子を表す際にも用いられる。
個人の身の上や境遇に関わる事柄を指す。特に、職業や生活上の事情など、その人自身の状況に基づく理由や都合を表す際に用いられる。
するすみとは、財産や家族など身の回りの一切を失い、ただ己の身一つだけが残された状態を指す。また、そのような境遇にある人を指すこともある。「単己」とも表記され、「するつみ」と読まれることもある。
一身は胆という意味で、非常に勇敢で大胆不敵な様子を表す四字熟語である。『蜀志』の「趙雲伝」に由来し、趙雲の勇猛果敢な性格を称える表現として用いられる。
「一身軽舟」とは、大河に小舟を浮かべていると、自らもその軽やかな舟に身を任せているかのような気分になるという意味で、心身が解放され、のびやかな境地を表す。唐代の詩人・常建の詩「西山」に由来する四字熟語である。
「以身殉利」とは、自らの身を犠牲にしてまで利益や利得を追求することを意味する。『荘子』「駢拇」に由来し、人間が本来の自然なあり方を離れ、外なる利に執着して身を滅ぼす愚かさを批判した表現である。
「可惜身命」とは、自らの身体や生命を貴重なものとして大切に扱うことを意味する四字熟語である。