一堂とは、一つの建物や一つの場所を指す語である。特に、かつての仲間などが同じ場所に集まる状況を表す際に用いられる。
北堂とは、古代中国において主婦が居住する場所を指す語である。転じて、母を意味し、また他人の母を敬って呼ぶ称として用いられる。
母堂とは、他人の母親を敬って言う語で、主に書簡や改まった場面で用いられる。
金堂とは、寺院において本尊を安置する主要な建物を指す。本堂とも呼ばれ、その名称は往々にして内部が金色の装飾で荘厳されていたことに由来する。
高堂とは、高く立派に構えられた建物を指す。また、手紙などの文書において、相手の家を敬って言う表現としても用いられ、貴家や尊宅と同様の敬意を含む語である。
堂宇とは、堂の建物全体を指す語で、特に寺院などの荘厦な建築物をいう。軒や屋根を含む構造を表し、広く殿堂の意にも用いられる。
寺院の建物を指し、特に仏堂と仏塔を総称していう語。山の中腹などに建つ寺院の主要な建造物を眺める際に用いられる表現である。
堂堂とは、威厳に満ちて立派な様子を表し、体格や態度などに貫禄が感じられるさまを指す。また、隠し立てのない公然とした振る舞いや、白昼堂々と物事を行う様子にも用いられる。
尊堂とは、相手の家や家族を敬って言う語で、主に手紙などの改まった文書において用いられる。
堂内が人で埋め尽くされる様子を指す。また、その場にいる全ての人々を指して用いられることもある。
聖堂とは、聖人を祀る建物を指し、特に孔子を祭る施設を意味する。またキリスト教においては、礼拝を行うための教会堂を表す語として用いられる。
講堂とは、学校や寺院などにおいて、多数の人々を集めて式典や講演、説法などを行うための広い建物を指す。特に寺院建築においては、七堂伽藍の一つとして重要な施設とされる。
禅宗寺院において、住持が仏法を説くための建物を指す。他宗派における講堂に相当する施設であり、重要な法要や説法が行われる場である。
禅寺において住職が居住し、接客や法務を行う建物を指す。また、転じてその住職自身をも指す語。方丈とも呼ばれる。
陪堂とは、禅宗において僧堂の外で食事のもてなしを受けることを指す。また、僧の食事の世話をする役目や、その役目の僧、あるいは飯米そのものを意味することもある。俗に、ものもらいを指して「ほいと」とも呼ばれるが、この「ホイ」は唐音に由来する。
祖先の霊を祀る建物を指し、特に位牌を安置する堂をいう。また、神仏を祀る小規模な祠を意味することもある。
萱堂とは、本来は母親の居室を指す語である。中国において萱草(わすれぐさ)は憂いを忘れる草とされ、その草を母の居室の前に植えた故事に由来する。転じて、母親そのものを敬って言う表現として用いられる。
廟堂とは、祖先を祀る廟宇を指す。また、かつて天子が祖先の霊に政事を告げ、臣下と議した場所であったことから、転じて朝廷、すなわち天下の政治を司る所をも意味する。
鞘堂とは、堂や蔵などの重要な建造物を保護するために、その外側を覆うように設けられた建物を指す。例えば、中尊寺金色堂を覆う建物がそれに当たる。
花御堂は、四月八日の灌仏会(花祭り)に用いられる小さな堂のことで、花で飾り付けられ、その中に釈迦の降誕像を安置する。
旗鼓堂堂とは、軍隊や行列が整然と並び、威厳に満ちた様子を表す。また、論説や文章の勢いが盛んで堂々としているさまを形容する際にも用いられる。「旗鼓」は軍旗と太鼓を指し、転じて軍隊を意味する。
威風堂々とは、威厳に満ちて立派な様子を表す四字熟語である。堂々とした態度や外見から感じられる重々しい風格や、揺るぎない自信に裏打ちされた荘厳な雰囲気を指す。
朝廷において重要な政務を担うに足る優れた才能や器量を指す。特に、国家を統治する政治家としての素養と力量を備えていることを喩えた表現である。
『孫子』の「軍争篇」に由来する四字熟語で、整然とした陣形や威厳のある軍勢を指す。転じて、準備が整い隙のない堂々とした構えや、正々堂々とした態度・方法を意味する。
正正堂堂とは、態度や方法が正しく立派であるさまを指す。また、陣営などの勢いが盛んで威厳に満ちている様子も表す。本来は「正正の旗、堂堂の陣」の略であり、軍隊の陣容が整然として威勢のよいことを意味した。『孫子』に由来する表現で、堂々とした風格や公正な態度を形容する際に用いられる。
「升堂入室」は、学問や技芸の修得において、初歩の段階を経て次第に奥義に達することを表す。『論語』先進篇に由来し、まず堂(おもて)に上がり、さらに奥の室に入るという順序から、着実に深遠な境地へ進む喩えとして用いられる。