月の最初の日を指す語で、暦の上で各月の始まりを表す。晦日(みそか)や晦(つごもり)と対になる概念であり、朔日や朔とも表記される。
「なぬか」と読む場合、月の第七日を指し、特に正月の七日や七月の七日を意味する。また、七日間という期間を表すこともあり、この場合は「ななにち」とも読まれる。
二日とは、二日間という期間を指すほか、月の二番目の日を表す。
彼岸の七日間のちょうど中間にあたる日を指し、春分の日と秋分の日に相当します。また、中国と日本という二国間の関係を示す際にも用いられ、例えば中日友好のように使われます。さらに、一定の期間や日数の中間点を表すこともあり、大相撲の興行の中日などがその例です。この最後の用法では「なかび」と読むこともあります。
凶日とは、何か物事を行う際に不吉なことが起こるとされる縁起の悪い日のことを指します。吉日と対をなす概念で、古くから暦や占いにおいて避けるべき日とされています。
天日とは、太陽の光やその熱のことを指す。例えば、布団を干す際に太陽の光に当てることを「天日に干す」と表現する。
幻日とは、太陽の左右に現れる光の点を指す大気光学現象である。これは大気中の氷晶による光の屈折によって生じる暈(かさ)の一種であり、太陽と同じ高度に並んで見えることが特徴である。
日没とは、太陽が地平線の下へと沈んでいく現象を指す。一日の終わりを告げる自然の営みであり、夕暮れ時を象徴する言葉として用いられる。対義語は「日出」または「日の出」である。
日々の出来事や感想などを書き留めた記録を指し、またそのために用いる帳面のこともいう。
太陽の光を指す。また、日光菩薩を略した呼称としても用いられる。
一日分の労働に対して支払われる賃金や手当てを指す。特に日給制の仕事やアルバイトなどで用いられる表現である。
日参とは、毎日同じ場所を訪れることを指す。特に、願い事や用件があって連日同じ相手のもとへ通う場合や、神社仏閣に毎日参拝する行為をいう。
日報とは、業務や活動の状況を毎日報告する文書、またはその報告行為を指す。また、新聞など毎日発行される報道機関やその刊行物を意味することもある。
一日あたりの生産量や産出高を指す語。特に製造業などにおいて、一日単位で算出される生産実績や生産能力を示す際に用いられる。
日銭とは、毎日の収入として得られる金銭を指し、主に小商いなどで日々稼ぐ現金収入を意味する。また、かつては日々少しずつ返済することを条件に貸し借りする金銭、すなわち日々の返済を約束した金銭のことも指した。
日数や時間の経過を表す語で、ある事柄に要した期間や、過ごしてきた時間の長さを指します。
日脚とは、太陽が空を移動する様子やその速度を指す。また、日の出から日没までの、太陽が地上を照らしている時間帯を意味することもある。
日中は昼間や昼の時間帯を指し、夜に対して用いられる。また、半日ほどの時間の長さを表す場合にも使われる。
日光が直接当たる場所を指し、日陰に対して用いられる表現である。
太陽が地上を照らす光、またはその光が照りつけることを指す。特に強い直射日光を意味し、日照とほぼ同義で用いられる。
日が長く感じられること。特に春先に昼間の時間が延びて、夜の短さを意識させる時節を指す。
日照とは、太陽の光が地上を照らすことを指す。気象学においては、太陽光が地表を照らす時間やその強さを表す用語として用いられ、例えば日照時間の計測などに関連して使われる。
日影とは、太陽の光そのもの、あるいはその光が差し込む様子を指す。また、太陽が地平線や水平線に沈む際の、その端の部分を表す「日脚」と同じ意味でも用いられる。
日食とは、月が太陽と地球の間に位置し、太陽の光を隠す天文現象を指す。太陽が完全に隠される場合を皆既食、一部のみが隠される場合を部分食、太陽の中心部が隠され周囲が環状に見える場合を金環食と呼ぶ。「日蝕」の書き換え字として用いられる。
日次とは、日の吉凶や運勢を指す言葉であり、古くから儀式や行事の日取りを選ぶ際に重視されてきた。また、日々の出来事を順に記録する日記の意味もあり、時間の経過に沿った記述を表す。
日歩とは、元金100円に対して1日あたりの利息を指し、またその利率を表す金融用語である。
日直とは、学校や職場などで一日単位で割り当てられる当番の役割を指す。また、特に昼間の時間帯における当直や宿直の任務を意味することもある。
日賦とは、借金などを毎日決まった金額ずつ返済していく方法を指す。日済しとも呼ばれる。
日柄とは、暦や占いなどに基づいて判断される、その日の吉凶や運勢の良し悪しを指す言葉です。主に結婚式やお祝い事などのめでたい席において、当日が縁起の良い日であることを示す表現として用いられます。
仕事や旅行など、一日ごとの計画や予定を指す。特に、数日間にわたる行動の順序や時間配分をまとめたものを表すことが多い。
冬の時期に昼間の時間が短いことを指す語で、短日ともいう。俳句においては冬の季語として用いられる。
日霊は日の女神を指し、特に天照大神の美称として用いられる。太陽の神格を女性神として尊び表す語で、古くは「ひるみ」とも呼ばれ、また「おおひるめのむち」といった表現にも見られる。
平日とは、土曜日・日曜日・祝祭日など特別な休日を除いた、通常の業務や生活が行われる日のことを指します。また、転じて、特に変わりのない普段の日という意味でも用いられます。
旦日とは、ある日から見て次の日を指し、特に翌朝を意味する。また、夜明けに昇る太陽のことも表す。
永日とは、春の頃の昼間が長く感じられる日のことで、日永とも呼ばれる。春の陽光がゆったりと続くような、のどかで長い一日を指す。
明るく輝く太陽を指す。また、転じて、すべてが明らかになる状況や、真昼の意味でも用いられる。
伏日とは、夏の最も暑い時期とされる三伏の期間を指し、盛夏の厳しい暑さが続く時節を表す語である。
同じ日付であることを指し、特に二つ以上の事柄が同じ日に発生する場合に用いられる。また、単に「その日」を指す用法もある。
平穏で天候にも恵まれ、心が晴れやかになるような気持ちのよい一日を指す。特に「日々これ好日」という成句で、毎日を大切に過ごすべきだという教訓を示す際に用いられる。
その事柄が行われる特定の日を指し、予定や指定された日そのものを表す。例えば行事や約束など、前もって定められた日付をいう。
尽日とは、一日の始めから終わりまでを指し、終日と同じ意味で用いられる。また、月の最終日、特に一年の最後の日、すなわち大晦日を意味することもある。
十日間という期間を指す。また、ごく短い日数を表す場合にも用いられる。
元日の朝に昇る太陽を指す。新年の始まりを象徴するものとして、古くからめでたいものとされてきた。
忌日とは、ある人物が亡くなった日と同じ日付を、その後の毎年に巡ってくる日を指す。命日や忌辰とも呼ばれ、通常は「キニチ」と読むが、「キジツ」と読む場合もある。
社日は暦注の一つで、春分と秋分に最も近い戊の日を指す。春の社日は五穀豊穣を祈る春社、秋の社日は収穫に感謝して穀物を捧げる秋社と呼ばれる。土地の神を祀る行事に由来する。
佳日とは、めでたいことがある日や、縁起のよい事を行うのに適した日のことを指す。吉日や佳節、佳辰などと同様に、祝い事や儀式を行うのに良い日取りを表す言葉である。
命日とは、ある人物が亡くなった日を指し、毎年その日が巡ってくる際に故人を偲ぶ日として扱われる。月単位で巡る命月に対し、命日は年単位の追悼の機会を意味する。
過ぎ去った日々、以前の時代を指す。主に文章語として用いられ、懐かしみや回想の対象となる過去の時間や情景を表す。
「昨日(サクジツ)」は「昨日(きのう)」と同じく、今日の前の日を指す語である。主に文章語や改まった表現として用いられる。
春日は、穏やかで心地よい春の一日を指す。また、春の柔らかな日差しそのものを表すこともある。春の光や陽気を感じさせる情景を連想させる語で、「はるび」と読む場合もある。
「畏日」とは、夏の強い日差しを指す語である。故事に基づき、中国の晋の時代、趙盾を評して「夏の日は畏るべきもの」とされたことに由来する。転じて、暑さの厳しい夏の太陽そのものを意味するようになった。同義語に「愛日」があるが、こちらは冬の温かい日差しを指す。
祝日とは、国家や社会において祝い事を行う日を指し、特に法律によって定められた国民の祝日を意味する。祭日や旗日と同義に用いられることもある。
消日とは、何ら有意義なことを行わずに、ただその日を過ごすことを指す。無為に時間を浪費する様子を表し、消光と同義で用いられる。
日を追うごとに、あるいは日が経つにつれてという意味で、物事が一日一日と変化していく様子を表す。
連日とは、同じ状態や事柄が何日にもわたって続くことを指す。特に、特定の状況が毎日繰り返される様子を表す際に用いられる。
「終日」の訓読みの一つで、朝から晩まで一日中という意味を表す。同じく「終日」と書いて「しゅうじつ」と読む場合と同義であり、夜通しを意味する「終夜(よもすがら)」と対をなす表現である。古語では「ひねもす」とも読まれる。
ある特定の日を基準として、その次の日に当たる日を指す。
週日とは、一週間を構成する七日間全体を指す場合と、特に日曜日を除いた平日、すなわち月曜日から土曜日までの六日間を指す場合がある。後者の用法では、土曜日を含めないで月曜日から金曜日までを指すこともある。
短日とは、冬の時期に日照時間が短く、日が暮れるのが早いことを指す。また、そのような冬の一日そのものを表すこともある。対義語は「長日」である。
過ぎ去った日、この間を指す語で、主に手紙文など改まった場面で用いられる。例えば、先日お伺いした折のことなどを述べる際に使う。
春の頃、日が暮れるのが遅く感じられる長い一日を指す。春の日差しが柔らかく、時間の経過が緩やかに感じられる季節の趣を表す言葉である。
愛日とは、冬の暖かな日差しを指し、またその貴重な陽光を惜しむ心情を表す。転じて、時間を大切にし、限られた時を慈しむこと、特に父母に孝養を尽くすべき時を大切にすることを意味する。
暇日とは、仕事や用事がなく自由に過ごせる日のことを指す。休日や余暇の時間を意味し、日常の義務から解放されて休息や趣味に充てられる一日を表す。
一日おきのこと。一日を間にはさんで次の日が来ることを指し、例えば隔日出勤などと用いられる。
心配事がなく平穏に過ごせる日。転じて、忙しさや心労が絶えず、そうした落ち着いた日がない状態を「寧日なし」と表現する。
旗日とは、国民の祝祭日のことで、その日には国旗を掲げて祝う慣習に由来する名称である。
暦日とは、暦の上での一日を指し、午前零時から二十四時間を単位とする日付のことをいう。また、転じて年月や月日の経過を表すこともあり、さらに暦そのものを意味する場合もある。
日数が経つこと、またその経過した日々を指す。月日が流れていく様子や、時間の経過を表す表現である。
七曜を当てはめた一週間の各日の呼称を指し、日曜日・月曜日・火曜日・水曜日・木曜日・金曜日・土曜日の総称として用いられる。
日嗣とは、天皇の位そのものを指すとともに、その位を継承することをも意味する語である。特に皇太子を「日嗣の御子」と称するように、皇統の継承にかかわる重要な概念として用いられる。
夕方に傾き、西の空に沈みゆく太陽を指す語。特に、地平線や水平線に近づき、長く伸びた影を落とすような、一日の終わりを告げる斜めの日差しをいう。
日暈とは、太陽の周囲に現れる光の輪を指す。大気中の氷晶による光の屈折や反射によって生じる大気光学現象であり、天候変化の前兆とされることもある。
日雀はシジュウカラ科の小鳥で、山地の森林に生息する。シジュウカラに似ているがより小形であり、背中は青灰色、頭部は黒く、頬と腹部は白色をしている。頭には冠状の羽が見られ、夏に見られる鳥である。
日陰とは、太陽の光が直接当たらない場所を指す。木々や建物などに遮られて影となった部分を表し、日向に対する概念として用いられる。また、転じて「日陰者」の略称として、表舞台から遠ざかった人や不遇な立場にある者を意味することもある。
日蝕とは、月が太陽の前を通過することによって、太陽の一部または全体が隠される天文現象を指す。
日暈は太陽の周囲に現れる光の輪を指す言葉で、大気中の氷晶によって太陽光が屈折することで生じる大気光学現象である。同じ現象を指す「にちうん」と同義であり、月の周囲に現れる同様の現象は月暈と呼ばれる。
日傭とは、一日単位で雇用されること、またはそのような雇用形態で働く人を指す。また、その日払いで支払われる賃金そのものを意味することもある。
朝昇る太陽、あるいはその光を指す。特に夜明けの空に輝く初々しい朝日を意味し、その意匠を図案化した旭日旗はかつて日本海軍の軍艦旗として用いられた。
坎日とは陰陽道において、万事に凶とされる日のことで、特に外出などの行動を慎むべき日とされている。
陰暦における月の最初の日を指し、一日(ついたち)を意味する。対義語として月の末日を表す「晦日」があり、また「ついたち」とも読まれる。
朔日(ついたち)は、各月の第一日目を指す語である。暦の上で月が立ち上がる日という意味から「月立ち」に由来し、晦日(みそか)や晦(つごもり)と対をなす表現として用いられる。漢字では「一日」とも表記する。
晦日(つごもり)は、月の終わりの日を指す語で、晦日(みそか)と同義である。その由来は、月が隠れることを意味する「月隠り(つきごもり)」にあり、転じて月の最後の日を表すようになった。特に十二月三十一日は大晦日(おおつごもり)と呼ぶ。
晦日は毎月の最終日を指し、月末を意味する。読み方は「みそか」で、これは「三十日」に由来する。また「つごもり」とも読まれ、朔日(ついたち)に対する語として用いられる。表記としては「三十日」と書くこともある。
一日の始めから終わりまで、朝から晩までの時間の長さを指す。
嘉日とは、めでたいことや良いことが行われるのにふさわしい日のことを指す。結婚式などの慶事を執り行う吉日として用いられ、「佳日」と表記されることもある。
「嚮日」とは、過ぎ去った近い過去を指し、先日やこの間といった意味で用いられる。また、太陽の方角を向くこと、すなわち日の出の方角を望むという意味も持つ。
臘日とは、旧暦における一年の最後の日を指す語であり、大晦日に相当する。また、冬の季節、特に厳しい寒さの時期を表すこともある。
今日から数えて二日前の日を指す語で、昨日の前日に当たる。
七七日は、人の死後、死亡日を含めて数えて四十九日目にあたる日を指す。この日には追善供養の法要が営まれ、故人の冥福を祈る。四十九日とも呼ばれ、仏教における重要な忌日の一つである。読み方は「シチシチニチ」のほか、「なななぬか」「なななのか」とも読まれる。
月の第二十番目の日を指す。また、二十日間という日数を表す際にも用いられる。
三七日は、二十一日間、または二十一日目を指す語である。特に仏教の習俗において、人が亡くなってから二十一日目にあたる忌日を意味し、この日に行われる法要を指す場合もある。語源は、三と七を掛けると二十一になることに由来する。
下食日は陰陽道において、天狗星が下界に降りて食物を求める日とされる。この日は悪日とされ、沐浴や剃髪、種まきなどの行為を忌むべきものとされた。
陰暦の第三夜頃に見える、細く弓状に彎曲した月を指す。また、その前後の期間に見られる同様の形状の月も含めて用いられる。
「五十日」は「いか」と読み、五十日間を指す。また、生後五十日目に行われる「五十日の祝い」や、その際に供される「五十日の餅」を略して「五十日」と呼ぶこともある。
日輪草は、キク科の一年草である向日葵(ひまわり)の別称である。その名は、太陽(日輪)を思わせる大きな黄色い花弁と、太陽の動きに合わせて花が回るとされる性質に由来する。
日章旗とは、白地の中央に赤い円形を配した日本の国旗を指す。通称「日の丸」とも呼ばれ、日本国を象徴する旗として広く認知されている。
表舞台に立つことができず、世間から隠れるように生きる人を指す。社会の主流から外れた立場にあり、公の場で活動することが難しい境遇にある者をいう。
母倉日とは、暦注において万事に大吉とされる日のことを指す。
学校教育における課程の一つで、昼間の時間帯に授業を行う通常の教育課程を指す。定時制や通信制と対比される形態であり、「ぜんにちせい」のほか「ぜんじつせい」とも読まれる。
向日性とは、植物が光の方向に向かって成長する性質を指す。これは、光を求めて茎や葉が屈曲する向光性とほぼ同義であり、背日性とは反対の現象である。
地火日は暦注の一つで、土に火の気が宿るとされる日である。この日は植樹や種まき、あるいは土木工事などの地に関わる作業を行うと凶とされ、避けるべきとされている。
血忌日は、暦注の一つで、この日に出血を伴う行為や狩猟などを行うことを忌むとされる日である。
往亡日は陰陽道における凶日の一つで、外出や旅行、出陣などの行為を忌むべき日とされる。一年のうちに特定の十二日がこれに当たり、古来より避けるべき日として認識されてきた。
今日の翌日である明日のさらに次の日を指す。また「みょうごにち」とも読む。
明後日は「あさって」と同じ意味で、今日の翌々日を指す。漢字表記では「明後日」と書き、読み方は「ミョウゴニチ」である。
映日果は、クワ科に属する落葉小高木の通称であり、その果実を指すこともある。漢字表記では「無花果」とも書かれるが、本表記は熟した果実が日に映える様子に由来するとされる。果実は花嚢が肥大化したもので、内部に多数の小花を含む。
秋の季節にふさわしく、空が澄み渡って晴れている天気を指す。特に、空気が清々しく、過ごしやすい秋の晴れた日をいう。
背日性とは、植物の根などが光の方向から遠ざかるように成長する性質を指す。これは光を避ける反応であり、向日性とは逆の現象である。
陰日向とは、日が当たる場所と当たらない場所を指す。また、人前と陰とで言動が異なる様子や、表立った行動と内密な支援の両方を用いて助けることを意味する。
用事や仕事がなく、のんびりと過ごせる時間を指す。また、心に余裕があり、焦らずに落ち着いた心境でいる様子も表す。
雄日芝はイネ科の一年草で、道端などに自生する。草丈は約四十センチメートルほどで、線形の葉を持つ。夏から秋にかけて、数本の緑色の穂を傘状につける。別名をチカラグサともいい、メヒシバ(雌日芝)に比べて根が強く抜きにくいことに由来する。漢字では「牛筋草」と表記することもある。
雌日芝はイネ科の一年草で、道端などに自生する。夏から秋にかけて、細長い緑紫色の花穂を五本から十本ほど放射状につける。同属の雄日芝に似ているが、全体により細くて柔らかい性質を持つ。別名をジシバリともいう。
十日夜は陰暦十月十日の夜に行われる東日本の農村行事で、収穫を終えた田の神が山へ帰る日とされています。この夜には藁束で地面を叩きながら巡回したり、案山子を上げたりする風習があり、西日本の亥子の行事に対応する冬の祭事です。
三十日(みそか)は、月の最終日、すなわち第三十日を指す語である。特に旧暦において月の終わりを意味し、朔日(ついたち)の対義語として用いられる。表記としては「晦日」とも書く。
五墓日は暦注上の凶日の一つで、万事に凶とされる悪日を指します。この日は葬儀や建築、移転など、重要な事柄を行うのを避けるべきとされています。
陰陽道において、万事に凶とされる日を指す。この日には重要な行事や行動を避けるべきとされる。
陰陽道において、遠出や帰宅、結婚などの行為を忌むべき日とされる。この日は縁起の悪い神が支配すると考えられ、それらの行動を避けることが推奨された。
御九日は九月九日の重陽の節句を指し、またその日に行われる祭礼をも意味する。おくんちとも呼ばれ、地域によっては「御供日」や「御宮日」と表記して、広く祭り一般を指す場合もある。
縛日羅は梵語に由来する語で、金剛石を指す。密教においては煩悩を打ち砕く法具である金剛杵の意味を持ち、伐折羅や跋折羅とも表記される。
大晦日は一年の最終日を指し、特に太陽暦では十二月三十一日にあたる。この語は「みそか」が月の三十日、あるいは月の末日を意味することに由来し、その一年版として「大」を冠して用いられる。古くは「大晦(おおつごもり)」とも呼ばれる。
鎌倉時代に日蓮によって開かれた仏教宗派で、法華経を根本経典とすることから法華宗とも称される。
キク科の一年草で、北アメリカ原産である。太く直立した茎にハート形の大きな葉をつけ、夏季に鮮やかな黄色の大きな頭状花を咲かせる。種子は食用や油の採取に用いられる。花が太陽の方向を追うように回ると言われるが、実際には成長に伴う向きの変化はあるものの、一日の中で大きく動くことはほとんどない。別名をニチリンソウともいう。
陰陽道において、万事に凶とされる日の一つで、三悪日に数えられる。この日は物事が乱れやすく、狼藉を働くような不穏な気配があるとされるため、重要な行動や決断を避けるべきとされている。
吉辰良日とは、縁起の良い日柄や時節を指す四字熟語である。特に、祝い事や重要な行事を行うのにふさわしい、めでたい日取りを意味する。
吉日良辰とは、物事を行うのに縁起の良い日取りを指す四字熟語である。ここでの「辰」は星宿を意味し、日柄の吉凶を占う考え方に基づいている。婚礼や建築の着工など、重要な行事を執り行うのに最適とされる佳き日を表し、大安吉日と同様の意味合いを持つ。
高くそびえ立つ様子を表す四字熟語で、雲に届き太陽を覆い隠すほどに聳え立つさまを指す。主に建築物や樹木などが非常に高く壮大であることを形容する際に用いられる。
格致日新とは、物事の道理を極めて探究し、日々新たな知見や進歩を重ねていくことを意味する四字熟語である。学問や技芸において絶えず研鑽を積み、向上を図る姿勢を表す。
開雲見日は、暗雲が晴れて太陽が再び姿を現す様子から、長く続いた苦難や不安な状況が去り、明るい希望や光明が訪れることを意味する四字熟語である。また、積もった疑惑や誤解が解けて、真実が明らかになる喩えとしても用いられる。出典は『後漢書』の「袁紹伝」にあり、「雲を開きて日を見る」と訓読される。
乳母日傘とは、乳母が幼子を抱き、日差しを避けるために傘をさしかけるほどに大切に育てることを指し、転じて、過保護ともいえるほど恵まれた環境で子供を養育する様子を表す四字熟語である。
非常に優れた酒を形容する四字熟語。わずかに飲んで心地よく酔っただけで、まるで千日もの間眠り続けるかのような深い酔いをもたらす酒のたとえ。故事によれば、劉玄石という人物が「千日酒」という強い酒を飲んで酔い、千日後に目を覚ましたという『博物志』の伝承に由来する。
一日不食とは、一日中何も食べないことを意味する四字熟語である。禅宗の典籍『五灯会元』に見える語で、修行における厳しい節制や、精神修養のために食事を絶つ行いを指す。転じて、非常に貧しくて食べるものに事欠く状態や、何かに熱中して食事を忘れる様子を表すこともある。
「一日片時」は、わずかな時間や短い期間を表す四字熟語である。『観智院本 三宝絵』に典拠を持つ古い表現で、一日の中のほんの一時、転じて非常に短い時間のことを指す。