ひたすらとは、他のことに心を向けず、ただ一つの事柄だけに専念する様子を表す。ある目標や行為に全精神を集中させ、脇目も振らずに取り組むことを意味する。「只管」とも書く。なお、「いっこう」と読む場合は、異なる意味になるので注意を要する。
「下向」とは、高いところから低いところへと移動することを指す。また、都から地方へと赴くことや、寺社に参拝して帰ることを意味する場合もある。
「向後」は「きょうこう」とも読み、ある時点から後の時間を指す。将来や今後を意味し、主に文章語として用いられる表現である。
向暑とは、季節が次第に暑さに向かっていく様子を指す語である。主に手紙文などにおいて、時候の挨拶として用いられ、「向暑の候」などの形で使われる。対義語に「向寒」がある。
学問に心を向け、それを志して励むこと。また、そのような心構えや態度を指す。
向寒とは、秋から冬にかけて気温が次第に下がり、寒さに向かっていく時期を指す語である。時候の挨拶として手紙文などで用いられ、季節の移り変わりを丁寧に表現する際に使われる。
回向とは、仏教において自らが積んだ善行や功徳を他者に向け、その利益を分かち合うことを指す。特に、故人の冥福を祈り、供養のために経を読んだり布施を行ったりする行為を意味し、寺院での法要や墓参りの際に行われる。また、「廻向」と表記されることもある。
互いに向き合うこと。また、互いに向かい合って進行すること。例えば、本の見開きページや、道路の向かい合う車線などに用いられる。
ある方向や目標を目指して進むこと。また、その方向性や目指すところを指す。
背向とは、互いに背中を向け合っている状態を指す。また、後ろの方角や背後を意味する場合もある。
鎧の左側を指す語で、弓を射る際に体の左側を敵に向けることから、弓手の方向を意味する。
動向とは、人々の考えや行動、あるいは社会情勢などが向かっていく方向性や成り行きのことを指す。特に、政治や経済、世論などの今後の変化を探り、予測する際に用いられる語である。
物事が特定の方向へ向かうことや、偏りが生じる状態を指す。また、そのような動きや状態が一定の方向性を持って現れることを意味する。
意向とは、ある事柄についてどのようにするかという考えや、そうしたいという心の向かう方向を指す。相手の意向を探るなど、意志や考えの方向性を表す際に用いられる。
物事に面白みや風情を添えるための工夫や配慮を指す。特に芸術作品や催し物などにおいて、独自の味わいや魅力を引き出すための創意を意味する。
向拝は神社の社殿において、参詣者が礼拝を行うために設けられたひさしの部分を指す。御拝とも表記され、その読み方は「ゴハイ」のほか、「コウハイ」と読まれることもある。
向風とは、風に向かうことを指す。また、人や思想などに対して心を寄せて慕い、その影響を受けるという意味も持つ。
向股とは、左右の大腿部を指す語で、両方のももが互いに向き合う様子に由来する。
神仏が仮の姿をとってこの世に現れることを指す。特に、仏や菩薩が衆生を救うために、人々の前に姿を現すことを意味する。
諸向とは、あちらこちらへ向かい寄る様子や、どちらの方向へも向くことを指す。また、すべてが同じ方向へ向くという解釈もある。一方で、中国・九州地方ではウラジロの別称として用いられ、正月の飾りに使われるシダ植物を指すこともある。
向脛は、向こう脛(むこうずね)と同じく、足の膝から足首までの部分のうち、前面に位置する骨の張り出した部分を指す語である。
葵向とは、葵の花が太陽の方向を向く性質を指し、そこから転じて、君主や目上の人々の徳を仰ぎ慕い、心を寄せることを意味する。
物事が向かっていく方向や、その動きそのものを指す。社会情勢や事態の成り行きなど、一定の方向性を持った動きについて用いられる。
向日性とは、植物が光の方向に向かって成長する性質を指す。これは、光の刺激に応じて茎や葉が屈曲する反応であり、向光性とも呼ばれる。対義語として、光を避けるように成長する背日性がある。
向心力とは、円運動を行う物体に対して、その運動の中心方向に作用する力のことを指す。この力は物体が円軌道を維持するために必要であり、求心力とも呼ばれる。遠心力とは対をなす概念である。
陰日向とは、日が当たる場所と当たらない場所を指す。また、人前と陰とで態度や言動が異なる様子を表し、裏表のある振る舞いを意味する。さらに、表立ってあるいは内密に助け合うことをも示す。
キク科の一年草で、北アメリカ原産である。太く直立した茎に大きなハート形の葉をつけ、夏に鮮やかな黄色の大きな頭状花を咲かせる。種子は食用や油の採取に用いられる。別名をニチリンソウといい、花が太陽の方向を追って回ると言われるが、実際には成長に伴う一定の向きの変化はあれど、一日の中で大きく動くことはほとんどない。
回向発願は、仏教において自己の修めた善行の功徳を他者に振り向け、その成仏を願うことを指す。特に浄土教では、阿弥陀仏の本願力によって衆生が極楽往生を遂げることを願う実践を意味し、『観無量寿経』に説かれる重要な概念である。
一心一向とは、心を一つのことに集中させ、他の事柄に気を散らさない様子を表す四字熟語である。一つの方向に心を向け、ひたすらに専念する態度を指し、「一向」は「いっこう」とも読まれる。
向天吐唾とは、天に向かって唾を吐くという意味から、他者を害そうとして却って自分自身に災いが返ってくる愚かな行為を指す。仏教経典『四十二章経』に由来する表現で、自業自得の道理を譬えたものである。
向上機縁とは、物事が上向きに発展する契機や、運勢が好転するきっかけを意味する四字熟語である。特に、中国の戯曲『桃花扇』の「入道」の場面において、人生や境遇が良い方向へ向かう転機を表現する文脈で用いられる。