手無とは、袖のない筒袖の形をした襦袢の一種で、仕事着として用いられる衣服を指す。袖無とも呼ばれる。
南無は、仏や菩薩に対して深く帰依し、心から帰命することを表す語である。サンスクリット語の音訳に由来し、礼拝や祈りの際に最初に唱えられる。
無益とは、何らかの利益や価値がなく、無駄であることを指す。役に立たない行為や、結果として何も生み出さない状態を表し、しばしば避けるべきこととして用いられる。
無精とは、面倒くさがって物事に手を付けようとしない様子を指す。特に、努力を惜しみ、怠ける傾向を表す言葉で、日常の些細なことにも気乗りがせず、行動を起こすことを避ける態度をいう。例えば、筆無精は手紙を書くのが億劫な状態を指し、不精とも表記される。
人情の機微や男女間の情趣を解さず、洗練された美意識である「粋」から外れている様子を指す。特に、場の雰囲気を損なうような野暮ったさや、風流を欠いた言動に対して用いられる。
無頼とは、定まった住居や職業を持たず、街中をうろつきながら脅しや暴力を働く者を指す。無頼漢とも呼ばれ、漢字では「破落戸」と書くこともある。
無勢とは、人数が少ない状態を指す語である。多勢に対する反対の概念として用いられ、特に「多勢に無勢」といった成句で、多数に対して少数が立ち向かう状況を表す際にしばしば使われる。
無冠とは、地位や称号を何も持たない状態を指す。特に権威ある賞や栄誉を受けたことがないことを表し、生涯を通じて公式な栄誉に恵まれなかった様子をいう。
無言(しじま)とは、口を閉じて言葉を発しない状態、すなわち沈黙を指す。また、転じて周囲が音もなく静まり返っている様子を表す際にも用いられる。「黙」の字で表記されることもあり、「むごん」とも読む。
無難とは、特に優れた点も欠点もなく、ごく普通の状態を指す。また、危険や災難がなく平穏であることを意味する場合もある。
無季とは、俳句において一句の中に季語が含まれていない状態を指す語であり、特に「無季俳句」の略称として用いられる。
「無人」は、主に二つの意味を持つ。一つは人数が少なく人手が足りない状態を指し、例えば「あいにく無人で手伝えない」のように用いる。もう一つは、人が誰もいない状況を表し、この場合は「むじん」とも読む。なお、読み方としては「ぶにん」の他に「むにん」と読む場合もある。
無礼とは、礼儀を欠いた振る舞いや態度を指す。人を軽んじる意の動詞「なめる」は、この語を動詞化した「無礼る」に由来する。また、「ブレイ」と読む場合もある。
長らく音信や連絡がない状態を指す。特に手紙や便りをよこさない期間が続くことをいう。
無頼とは、定まった職業を持たず、社会の規範や道徳に反する行いをすること、またそのような人物を指す。徒党を組み、乱暴な振る舞いに及ぶ者をいうこともある。
無機とは、主に無機物や無機化合物を指す略語である。炭素を骨格とする有機物に対して、炭素を主要な構成要素としない物質の総称として用いられる。
無塩とは、塩を用いないことを指す。また、保存のために塩を加えず、生のまま新鮮な状態であること、特に魚介類の鮮度が高いことを意味する。転じて、世間慣れしておらず純粋な人柄を表すこともある。なお、「むえん」と読む場合は、塩分が含まれていないという意となる。
無骨とは、洗練されておらず、粗野で風流さに欠ける様子を指す。また、骨ばってごつごつした外見や質感を形容する際にも用いられる。表記としては「武骨」と書くこともある。
無礼とは、礼儀作法を心得ず、相手に対する配慮を欠いた言動を指す。社会通念上求められる丁寧さや敬意が不足している状態を表し、例えば「無礼な振る舞い」のように用いられる。また「なめ」と読む場合もある。
無様とは、体裁が悪く、見苦しい様子を指す。特に、人前で醜態をさらすような恥ずべき状態や、みっともない振る舞いを形容する際に用いられる。表記としては「不様」と書くこともある。
言葉を発しない状態を指し、口を閉じて何も言わない様子を表す。また、無言の行の略称として、言葉を用いずに行う修行の意味でも用いられる。
無罪とは、罪を犯していない状態を指す。また、法律上では、犯罪事実が証明されず、刑事責任を問われないことを意味し、裁判においてそのような判決が下される場合もある。対義語は有罪である。
適切な対策や方策が全くなく、どう対処すべきか方法が見つからない状態を指す。
無稽とは、根拠がなく道理に合わないこと。物事の判断や言動に確たるよりどころがなく、でたらめであるさまを指す。「荒唐無稽」などの形で用いられる。「稽」は物事を照らし合わせて考える意であり、その「無」であることから、考察に値しないことを意味する。
無雑とは、混じりけがなく純粋な状態を指し、物事が乱れずに整っているさまを表す。
無産とは、生産手段や財産を所有していない状態を指す。特に資本主義社会において、労働力を提供することで生計を立てる階層の特性を表し、「有産」の対義語として用いられる。
無芸とは、人に誇れるような特技や才能を何一つ持たないことを指す。多芸の対義語として用いられ、特に芸事や技芸の面で秀でたものがなく、平凡である様子を表す。
無残とは、残酷でむごたらしい様子を指す。また、ひどい目に遭って見るに忍びないほど痛ましい状態を表すこともある。表記としては「無慙」と書くこともある。
空が曇っているために月が見えない状態を指し、特に陰暦八月十五日の中秋の名月が雲などに隠れて観賞できない場合をいう。
無私とは、自己の利益や私情にとらわれず、公平で偏りのない心のあり方を指す。特に、奉仕や行動において私心を排し、他者や公共の利益を優先する態度をいう。
無双とは、他に並ぶものがないほど優れていることを指す。また、衣服や道具などで表裏や内外を同じ素材で作ったものの呼称でもある。相撲の技としては、体をひねりながら片手を相手のももやひざに当てて倒すものをいう。
無念とは、心に何の執着もなく、一切の雑念を離れた静かな境地を指す。また、強い悔しさや残念な気持ちを抱くこと、あるいはその様子を表す際にも用いられる。
無駄とは、何らかの効果や利益をもたらさず、役に立たない状態や行為を指す。時間や労力、資源などが有効に活用されず、結果として価値を生まないことを表し、徒と書くこともある。
物事を成し遂げる能力や技能が欠如していること。また、そのような状態や性質を指す。
無償とは、金銭や物品などの見返りを求めないことを指す。対価を伴わない行為や提供を表し、無料で行われる援助や配布などに用いられる。また、報酬や補償を期待せずに行うことを意味し、有償の対義語として位置づけられる。
「無配」とは、株式の配当が行われない状態を指す語で、「無配当」の略称として用いられる。企業の業績が振るわず、利益の分配ができない状況などで生じ、対義語は「有配」である。
無上とは、これ以上のものがないほど優れている様子を指し、最高の状態や極致を表す。喜びや栄誉など、様々な事柄において他に比べるものがないほどすぐれていることを意味する。
他と比べるものがないほど優れていること。また、そのような状態を指す。類い稀な卓越性や唯一無二の特質を表す表現として用いられる。
無知とは、ある事柄についての知識や理解が欠如している状態を指す。また、物事の道理をわきまえず、判断力や思慮に乏しい愚かなさまをも意味する。
読み書きの能力を欠く状態を指し、またそのような人を指す語。文字の読み書きができないこと、すなわち文盲と同義である。
限りなく広がり果てしない様子を表す。空間や範囲に際限がなく、その広大さが際立っていることを指す。主に海原や空、大地など、はてしなく広がる自然の情景を形容する際に用いられる。
法や秩序が守られない状態を指し、特に社会規範や法律が無視される状況を表す。また、そのような状態で行われる乱暴な振る舞いや、道理をわきまえない粗暴な人物を指して用いられることもある。
無心とは、心に何のわだかまりもなく素直な様子を指し、特に子供の純粋な振る舞いを形容する。また、遠慮なく金品を請い求める行為をも意味する。文芸の分野では、滑稽味や洒落を重んじた連歌の一種である無心連歌の略称として、あるいは狂歌の別称として用いられる。これに対し、技巧や情趣を尊ぶ連歌は有心と呼ばれる。
無謀とは、結果や危険性を十分に考慮せずに、軽率な行動をとる様子を指す。計画性や慎重さを欠いた行いであり、しばしば無鉄砲とも表現される。
無銭とは、金銭を所持していない状態を指す。また、商品やサービスの対価を支払わずに済ませる行為も意味し、「無銭旅行」や「無銭飲食」などの表現で用いられる。
無道とは、人として踏み行うべき道理に外れた行いを指す。悪逆非道の如く、倫理や道徳に背く残酷な振る舞いを意味し、時に「ぶどう」と読まれることもある。
仏教用語で、煩悩によって真理を悟ることができず、真実に対する無知の状態を指す。迷いの根源とされ、暗闇に例えられることもある。
論ずるまでもなく、当然であることを表す。後に続く事柄が疑いの余地なく成立することを示す。
無闇とは、十分な考慮を欠いたまま行う様子を指し、また程度が過ぎている状態を表す。思慮深さに欠ける行動や、節度を超えた振る舞いをいう。
無用とは、役に立たず価値のない状態を指し、有用の対義語として用いられる。また、必要がなく余計なものであることや、用事がないことを表す。さらに、禁止すべき行為を示す語としても使われ、ある行為が許されないことを意味する。
無欲とは、物事に対する強い欲求や執着を持たない状態を指す。特に、金銭や名誉、地位などへの貪りや執着がなく、淡泊で穏やかな心境を表す。
道理に合わないことや、強引に行うことを指す。また、実現が困難な状況や、成し遂げるのが難しいことを表す際にも用いられる。
他と比較できるものがなく、際立って優れている様子を指す。比類のないほどに程度が甚だしいことを表す。
値段をつけることができないほど貴重で、かけがえのないさまを表す。
無品とは、親王のうち位階を有しない状態を指す語で、「無品親王」の形で用いられる。「品」は親王に授けられる位を示し、この語はその位が無いことを意味する。「ムボン」と読む場合もある。
無漏とは、仏教用語で、煩悩の漏れ出ることが全くなく、心に一点の曇りもない清らかな境地を指す。有漏の対義語であり、迷いや執着から完全に解脱した状態を表す。
することがなく退屈な状態を指し、また心に気がかりなことがあって物事に興味が持てず、楽しめない様子を表す。
無慙とは、自らの過ちや罪を恥じることなく、平然としている様を指す。また、無残と同じく、むごたらしいことや、情け容赦のないさまを意味する場合もある。
無辜とは、何ら罪を犯していない状態を指し、またそのような人を意味する。漢字の「辜」は罪の意であり、無実であることや、罪のない人々を表す際に用いられる。
外出を面倒がり、家から出ることを好まない性質。また、そのような傾向を持つ人を指す。
他に類を見ないほど珍しく、並ぶものがないほど変わっている様子を指す。比べようもないほど特異な状態や、他に例のないほど稀な事柄を表す際に用いられる。
虚無僧とは普化宗の修行僧を指し、諸国を旅しながら托鉢を行う者をいう。深編み笠で顔を隠し、尺八を吹きながら歩く姿が特徴である。薦僧や梵論子とも呼ばれる。
「御無音」は、音信や連絡がない状態を丁寧に表現した語である。主に手紙の挨拶文などで、長らく連絡を怠っていることへの詫びや、相手からの便りのないことを婉曲に述べる際に用いられる。
無花果はクワ科の落葉小高木で、西アジアが原産とされる。葉は大きく掌状をなす。初夏、花托が肥大して袋状となり、その内側に多数の花をつけるが、外観からは花が見えないためこの名がある。果実は食用となり、漢名に由来し、「映日果」とも書く。
無名指は、小指と中指の間に位置する指を指す。薬指(くすりゆび)とも呼ばれ、表記としては「名無し指」と書くこともある。
無気味とは、何とも言いようのない不気味さや薄気味悪さを感じさせる様子を指す。通常の恐怖とは異なり、理由がはっきりしないままに不安や嫌悪を覚えさせるような、陰鬱で異様な雰囲気を帯びていることを表す。
無沙汰とは、長い間便りを寄越さず、また訪ねることもなく、音信が途絶えている状態を指す。
無調法とは、物事の扱いが行き届かず下手な様子を指し、特に口下手なことを「口が無調法だ」と表現する。また、過ちや失敗を意味し、謝罪の際に「とんだ無調法をいたしました」と用いられる。さらに、酒やたばこを嗜まないこと、あるいは芸事ができないことを謙遜して述べる場合にも使われ、「無調法で酒は飲めません」などの言い方がある。表記は「不調法」とも書く。
無頼漢とは、社会の規範や道徳に従わず、乱暴な振る舞いや不正な行いを繰り返す者のことを指す。特に、定職を持たずに徒党を組み、周囲に迷惑をかけるようなならず者やごろつきを意味する。
無造作とは、物事を深く考えずに手軽に行う様子を指す。特に、手間をかけずに簡単に処理したり、気軽に振る舞ったりする場合に用いられ、時に不用意な態度を含意することもある。
地位や身分の上下を気にせず、堅苦しい礼儀作法にとらわれずに振る舞う宴会や集まりを指す。特に、普段の格式を離れて気軽に楽しむ場であることを示す際に用いられる。
無双窓とは、板戸に設けられたのぞき窓に、同様に隙間のある引き戸を重ね合わせた構造を指す。両者を閉じると隙間が互いに塞がれ、あたかも一枚の板のようになる仕組みである。
無駄骨とは、努力や苦労をしても何の成果も得られず、結局は無益に終わることを指す。徒労に終わる骨折りという意味で、「徒骨」とも書かれる。
金銭をまったく所有していない状態を指し、一文さえも持たないことを意味する。
無定見とは、自分自身の確固たる意見や見解を持たず、物事に対する判断や方針が定まっていない様子を指す。
無鉄砲とは、物事を行う際に前後の見通しを十分に考えず、向こう見ずに突き進む様子を指す。無手法や無点法が転じた語とされる。
無患子はムクロジ科の落葉高木で、西日本の山地に自生する。夏に淡緑色の小花を円錐状につけ、球形の果実を結ぶ。その黒く堅い種子は羽根つきの玉に用いられ、果皮に含まれるサポニンは石鹸の代用とされた。名称は漢名に由来する。
無頓着とは、物事に対して注意を払わず、関心を持たない様子を指す。特に、身なりや周囲の状況など、通常であれば気を配るべき事柄に対しても、全く意に介さない態度を表す。
特定の意図や作為を持たず、偶然に任せて行うことを指す。例えば、調査対象者を無作為に選び出すように、事前の計画や選別を経ずに物事を進める様子を表す。
特定の職務を担当せず、割り当てられた仕事を持たない状態を指す。特に内閣においては、国務大臣として閣僚の一員でありながら、特定の省庁の行政事務を所管しない「無任所大臣」の略称としても用いられる。
悪意や作為がなく、素直で純粋な心の状態を表す。また、そのような性質から生じるあどけなく、かわいらしい様子を指す。
いくら取っても尽きることがなく、際限なく豊富なさまを指す。蔵の中身が尽きないという原義から転じて、資源や物事の豊富さを形容する表現として用いられる。
水無月は陰暦六月の異称で、夏の盛りを指す。この時期は田に水を引く必要があることから「水張月(みづはりづき)」と呼ばれ、また「無」の字は「の」を意味する連体助詞「な」の当て字とされ、「水の月」の意と解される。
金無垢とは、他の金属が一切混ざっていない純粋な金のことを指し、純金と同義である。例えば金無垢の仏像のように、材質が完全に金でできていることを表す表現として用いられる。
窮極無聊とは、極度に退屈でやることもなく、心のよりどころもない状態を指す。物事に興味や関心を失い、何をしても面白くなく、空虚で寂しい気持ちに苛まれる様子を表す。
疑事無功とは、物事を行う際に疑念や躊躇を抱いたままでは、成功を収めることができないという意味の四字熟語である。一度決断したことはためらうことなく断行すべきであり、そうでなければ成果は得られないという戒めの言葉として用いられる。『戦国策』に典拠を持つ。
頑鈍無恥とは、愚かで鈍く、恥知らずなさまを表す四字熟語である。『史記』「陳丞相世家」に由来し、道理に暗く、物事の分別がつかず、しかも羞恥心をまったく持たない人物の性質を言い表す。
乾燥無味とは、内容や表現に潤いや面白みがなく、単調で退屈な様子を表す四字熟語である。主に文章や話し方などが無味乾燥で、情感や魅力に欠ける状態を指して用いられる。
完全無欠とは、いかなる観点から見ても欠点や不足がまったくなく、完璧な状態を指す四字熟語である。「完全」と「無欠」はいずれも欠けたところがないことを意味し、両者が重なることで、非の打ちどころのない完全性を強調した表現となっている。
汗顔無地とは、恥ずかしさのあまり顔から汗が流れ、その場に立っていられないほど居たたまれない様子を表す四字熟語である。
感慨が非常に深く、その心情をはかり知れないほどに感じる様子を表す。心にしみじみと感じる思いが限りなく広がり、言葉では言い尽くせないほどの深い感動や懐かしさを抱く状態を指す。
禍福無門とは、災いや幸せには定まった来るべき門戸があるわけではなく、それらは人の行いによって自ら招き寄せるものであるという意味である。『春秋左氏伝』に由来し、人の吉凶は天から降ってくるのではなく、自らの行為の結果として訪れることを説く。
架空無稽とは、事実に基づかずに作り上げられた全くのでたらめな話や、何の根拠もない出鱈目なことを指す。