物事の様子や内容がはっきりと分かり、疑う余地のないさまを表す。理解や認識が明確で、曖昧さが全くない状態を指す。
物事が秩序立って整っている様子を表す。また、区画などがきっちりと区別され整っているさまを指す。「整然」とも書く。
人目に触れる状態で、隠し立てせずに明らかなさま。多くの人々の前で、はっきりと示されている様子を表す。
必ずそうなること。避けられない成り行きや、そうなることが確実な事柄を指す。
まだ事が起こる前の段階を指し、物事が発生する以前の状態を表す。事故などを未然に防ぐように、事前に予測して対策を講じる際に用いられる表現である。
「全然」は、本来は否定表現を伴って「まったく~ない」という意味を表す副詞である。近年では肯定表現と共に用いて「非常に」「とても」という意味で使われることもあるが、これは俗な言い方とされる。
道理や事情から考えて、そうなるのが自然であり、疑う余地のないさまを表す。
「自然」とは、人の手が加えられていないありのままの状態を指し、山や川など天地の万物そのものを表す。また、人や物の本来の性質や本質を意味し、作為のない振る舞いや、ひとりでに生じる様子にも用いられる。
物事の様子や状態がはっきりとしていて、疑いの余地がないさまを表す。曖昧さがなく明瞭であることを意味し、理由や区別などが明確にわかる場合に用いられる。
覚悟を固め、ためらうことなく行動する様子。揺るぎない意志を持って事に当たるさまを表す。
以前の状態や状況が変わらずに続いている様子を表す。時間の経過や周囲の変化があっても、以前と同様の状態が持続していることを示す。
卒然とは、物事が予告なく急に起こる様子を表す。突然に事が生じるさまを指し、特に人の死などが不意に訪れる場合に用いられる。漢字では「率然」と書くこともある。
他よりも際立って優れている様子。群を抜いて目立つさまを表す。
動かずにじっとしている様子を表し、また、何もすることがなく手持ちぶさたな状態を指す。前者は姿勢や態度の静止を示し、後者は退屈で間の持たない時間の過ごし方を形容する。
予想していた通りの結果が現れるさまを表す。事前の推測や懸念がそのまま現実となる場合に用いられ、多くは「案の定」や「思った通り」といった含意を伴う。
物事の区別や境界が明瞭で、曖昧さのない様子を表す。二つの事柄の間に明確な差異があることを示す際に用いられる。
予期せぬ事態が急に起こるさまを表す。前触れもなく、ある事柄が生じる様子を指し、物事の発生が唐突であることを示す。
勃然とは、急に立ち上がるように起こる様子を表し、鬨の声が急に上がる場面や、突然席を立つ動作などに用いられる。また、顔色を変えて怒りが込み上げる様子、むっとするさまを指し、怒りを顕わにした表情や態度を形容する際にも使われる。
物事の様子や状態がはっきりと明らかであるさまを表す。隠れたところがなく、誰の目にも明白に分かる様子を指す。
もの寂しさやわびしさが心に深くしみる様子。また、寒さや孤独感が身に迫り、いたましいほどに感じられるさまを表す。
「徒然(とぜん)」は「徒然(つれづれ)」と同じ意味で、することがなくて退屈な様子や、手持ち無沙汰な状態を表す。また、そのような気分で何かを書き記す際の冒頭語としても用いられる。
徒然とは、何もすることがなく退屈に過ごす様子を指し、また、そのような時間に物思いにふけり、しんみりとした寂しい気持ちに浸る様子も表す。
落ち着き払って動揺せず、何事にも動じない様子。心にゆとりがあり、周囲の状況や変化に左右されず、平静さを保つ態度を表す。
索然とは、物事に対する興味や関心が薄れ、面白みを感じられなくなる様子を指す。また、散り散りになってまとまりを欠く状態を表すこともある。
純然とは、他の要素が一切混じっていない状態を指し、純粋そのものであることを表す。また、疑いの余地がなく、完全にそれ自体である事実や性質を強調する際にも用いられる。
物事が入り乱れて秩序を欠き、雑然と混じり合っている様子を表す。多くの要素が絡み合って区別がつきにくく、ごたごたとした状態を指す。
偶然とは、原因や結果の関係が明確でなく、予測できないことが起こる様子を指す。また、意図せずに何かが起こるさまや、そのような出来事そのものを表す。
爽然とは、心身がさわやかで晴れやかな様子を指す。また、気落ちしてぼんやりとし、我を忘れた状態を表すこともあり、「爽然自失」の形で用いられる。
寂然とは、静寂に包まれて物寂しさを感じさせる様子を表す。特に、人気のない場所や空間がひっそりと静まり返っている状態を指し、寺院や古びた建物などに用いられることが多い。
ゆったりと落ち着いて、少しもあわてたり焦ったりしない様子。心に余裕があり、周囲の状況に動じることなく、自分のペースを保っている態度やありさまを表す。
心に深い悲しみや憂いを抱え、それが表情や態度ににじみ出ている様子を表す。
断然とは、態度や判断において躊躇いがなく、きっぱりとしている様子を表す。また、他と比較して程度が際立って優れていること、あるいは差が明らかであるさまを指して用いられる。
粛然とは、厳粛な雰囲気が漂い、心が引き締まるような静かな様子を表す。儀式や式典などが厳かに行われるさま、あるいはその場の空気に押されて自然と姿勢が正しくなるような緊張感を含む。
釈然とは、もやもやとしていた疑念やわだかまりが解け去り、心に曇りがなく晴れやかになる様子を表す。納得のいく説明や理解を得て、すっきりと腑に落ちた状態を指す。
陶然とは、酒に酔って心地よい気分にひたっている様子を指す。また、何かに心を奪われてうっとりと夢中になっている状態をも表す。
高く盛り上がりそびえ立つ様子を表し、山や建造物などが雄大に聳えるさまを指す。また、勢いや気運が強く盛り上がるさまをいう。
困難や障害を恐れず、思い切って行動する様子。ためらうことなく決断し、勇気をもって物事に立ち向かう態度を表す。
さほどは、程度がそれほどでもないことを表す副詞で、後に打ち消しの表現を伴うことが多い。例えば「さほど悪くない」のように、物事の程度が予想や比較の基準に達していないことを示す際に用いられる。
「然様」は、相手の発言内容を肯定する際に用いられる語で、「その通りである」という意味を表します。また、相手の言葉に同意を示す応答の言葉として、「そうです」や「そのとおりです」という意味でも用いられます。表記としては「左様」と書かれることもあります。
引き受けること、承諾することを意味する。特に一度引き受けた約束や請け負った事柄を重んじ、確実に履行する姿勢を指して用いられる。
俗世間の雑事や利害に捉われず、あくまでも自己の立場を保って悠然としている様子。世間の風潮や時流に流されることなく、孤高の態度を貫くさまを表す。
間然とは、非難されるべき欠点や問題があるさまを指す。物事に隙や不完全な点があり、批判の余地がある状態を表す。
傲然とは、自らを優れたものと思い込み、他者を見下すような態度で振る舞う様子を指す。威張り散らすような横柄な姿勢や、尊大に構えるさまを表す。
憤りや憂いを感じて心が激しく動く様子を表し、また気持ちが奮い立って意気込む様子をも指す。
心配や悲しみの感情に沈み、物思いに耽っている様子。表情や態度にその深い憂いがにじみ出ているさまを表す。
身の毛もよだつような恐怖や強い衝撃を受けて、思わず震えがくる様子を表す。
暗然とは、悲しみや憂いによって心が沈み、晴れやかでない様子を表す。また、物事の雰囲気や様相が暗く陰鬱であるさまも指す。表記としては「闇然」や「黯然」を用いることもある。
姿勢や態度が整然としており、礼儀にかなった様子を表す。特に座り方や立ち振る舞いがきちんとしていて、威厳や落ち着きを感じさせるさまを指す。
適然とは、偶然に一致するさまを表し、ちょうどその時や状況に当てはまることを指す。また、道理にかなって当然であるさま、すなわち自然で疑う余地のない状態をも意味する。
怒りを強く表す様子。腹を立て、感情を激しく露わにするさまを指す。例えば、相手の態度に憤慨して席を立つような場合に用いられる。「忿然」と表記することもある。
確然とは、疑いの余地がなく確かな様子を指し、物事が揺るぎなく定まっているさまを表す。事実や根拠が明白で、動かしがたい状態を形容する際に用いられる。
動きが止まり、じっとしている様子。ある状態のまま微動だにせず、静止しているさまを表す。
奮然とは、気力を奮い起こして物事に立ち向かう様子を表す。意気込みが高まり、勇気をもって行動を起こそうとする態度を示す。
物事が秩序立ってきちんと整っている様子を表す。乱れがなく、規則正しく配置されている状態を指し、思考や論理、物の並びなどが明確に整理されているときに用いられる。
物事がはっきりと見て取れる様子を表す。一目見ただけで明らかであることを意味し、特に「一目瞭然」の形で用いられることが多い。
翻然とは、旗や布などが風に吹かれてひるがえる様子を表す。また、転じて、それまでの考えや態度を急に改めるさまを指し、心の動きが急転する様子をいう。
物事の様子や状態が明らかで、疑いの余地がないさまを表す。特に、違いや特徴などがはっきりと目に見える形で現れている場合に用いられる。
蹴然とは、何かを恐れて身を縮め、おずおずと警戒する様子を表す。
鬱然とは、草木が生い茂ってこんもりと盛り上がっている様子を表し、鬱蒼とした状態を指す。また、物事が勢いよく盛んに行われるさまや、心が塞がって晴れない気持ちを形容する際にも用いられる。漢字では「蔚然」と書くこともある。
まるでそのものであるさま。そっくりそのままの姿や状態を指し、本物と見紛うほどに似ている様子を表す。
油然とは、自然に内から湧き上がり盛んになる様子を表す。主に感情や気分、雲などが勢いよく生じるさまを指し、「油然と湧く」などの形で用いられる。
闇然とは、物悲しさや憂いを帯びて暗く沈んだ様子を表す。また、単に光が乏しく薄暗い状態を指すこともある。漢字表記としては「暗然」や「黯然」を用いることもある。
「孑然」とは、孤独で誰にも頼らず、ただ一人でいる様子を表す。周囲から孤立し、寄る辺のない状態を指し、時に寂寥感を伴う。
山などが高くそびえ立つ様子を表す。また、周囲の状況に左右されることなく、自らの立場や態度をしっかりと保っているさまを指す。
呆然とは、突然の出来事に驚き、我を忘れてぼうっとする様子を指す。また、気力が抜けて何も考えられず、ただ茫然とする状態も表す。「惘然」や「茫然」とも書かれる。
水が深く広々と広がっている様子を表す。また、水や涙が絶え間なく湧き出て流れるさまを指すこともある。
「沛然」は、雨が激しく降り注ぐ様子を表し、特に「沛然たる豪雨」のように用いられる。また、雨に限らず、物事の勢いが盛んで広がっていくさまを指すこともある。「霈然」とも書く。
光り輝く様子を表し、また物事が明らかで疑いの余地がないさまを指す。
「奄然」とは、物事がぴったりと合致する様子を指す。また、覆い隠されて暗くなるさまや、急に変化が起こる様を表す。さらに、息が絶え絶えでかすかな状態を意味する場合もある。
怒りを露わにして表情や態度が険しくなる様子。特に、突然の不快や憤りから、顔色を変えたり、席を立ったりするような動作を伴う場合に用いられる。
激しい怒りや憤りを感じて、心が穏やかでない様子を表す。怒りの感情が高ぶり、表情や態度に現れるさまを指し、「憤然」とも書かれる。
気力に満ちて威勢のよい様子。自信に溢れ、意気込みが盛んで堂々としているさまを表す。
奥深く遠く、はるか彼方にあるさま。また、物事の様子がはっきりせず、遠く隔たっているさまを表す。
物事の様子や状態がはっきりとしていて明らかなさまを表す。また、心持ちや雰囲気が晴れやかで明るいさまをも指す。
俄然とは、物事が急に変化したり、状態が突然現れたりする様子を表す。予期せぬ出来事や状況の急変を強調する際に用いられ、例えば、何かのきっかけで気持ちや勢いが急に高まるような場面で使われる。
大勢の人が一斉に声を上げて騒ぎ立てる様子を表す。特に、笑い声や歓声などが突然湧き起こり、場内がどよめくような状況を指す。
おそれて心が動揺し、落ち着かないさま。また、びくびくして不安に駆られる様子を表す。
「恍然」は、心を奪われてぼんやりとした状態を表す語で、「恍惚」と同義である。物事に深く心を引かれ、我を忘れてうっとりとする様子を指す。
恬然とは、心が落ち着いて静かな様子を指し、穏やかで動じないさまを表す。また、物事に動揺せず平然としている態度や、恥ずかしさやためらいを感じない心境にも用いられる。
炯然とは、光が鋭く輝き、明るく照らし出される様子を表す。特に、眼光が鋭く冴えわたり、物事の本質を見透かすような鋭さを備えているさまを指して用いられる。
茫然とは、気持ちや意識がぼんやりとして一点に定まらず、何を考えているのかわからない状態を指す。また、突然の出来事に驚きや衝撃を受けて、我を忘れてぼうっとしている様子も表し、その場合は「呆然」や「惘然」と書くこともある。
あらあらしく荒々しい様子。また、強く手ごわいさまを表す。
おそれおののき、身の毛がよだつような様子を表す。強い恐怖や畏怖の念にかられて、思わず身がすくみ、ぞっとする感覚を指す。
悄然とは、憂いを帯びて元気がなく、しょんぼりとしている様子を表す。また、周囲が静まり返り、もの寂しい雰囲気が漂っているさまをも意味する。
周囲の状況や他者に影響されることなく、堂々と自立している様子を表す。
浩然とは、心が広く大きくゆったりとしている様子を表す。気持ちが大きく伸びやかで、小さなことにこだわらないさまを指し、主に「浩然の気」という表現で用いられる。
耿然とは、光が明るく輝く様子を表し、転じて心が晴れ晴れとして清々しい状態を指す。
「莞爾」と同じく、にっこりと穏やかに笑う様子を表す。
女性のしとやかで優美な様子を表す。特に、微笑みや仕草などが柔らかく上品で、気品が感じられるさまを指す。
期待が外れたり物事が思うようにならなかったりして、心に満たされない思いを抱き、嘆き悲しむ様子を表す。
心に深くしみるような悲しみに沈み、痛ましいまでに哀れを感じさせる様子。
金石など堅い物が触れ合って発する、高く鋭い音を表す。また、そのような音が突然響き渡る様子を指す。
深い感慨や嘆きを込めて、思わず息を吐き出すさまを表す。心に湧き上がる感情を声となって漏らす様子で、特に失望や諦め、あるいは深い感動に伴うため息を指す。
喧然とは、多くの人々が騒ぎ立てる様子を表し、騒がしくて落ち着かない雰囲気を指す。また、激しい口論や罵り合いが起こっている状況にも用いられる。
湛然とは、水が満ち溢れて静かにたたえている様子を表す。また、心が落ち着き、動揺することなく静寂を保っているさまをも指す。
渺然とは、果てしなく広がり、はるか遠くにかすんで見える様子を表す。また、物事が漠然として捉えどころのない状態を指すこともある。「眇然」とも書く。
「然迄」は、程度がそれほどまでではないことを表す副詞で、後に打ち消しの表現を伴って用いられる。物事の程度が予想や基準に達していないことを示し、「それほどまでには」という意味合いを持つ。
皓然とは、月や雪などが白く明るく輝く様子を表す。清らかで澄み渡った光を放つさまを指し、秋の夜空に浮かぶ月の美しさを描写する際などに用いられる。
恐れや緊張で身が縮み、硬直する様子を表す。突然の出来事や強い恐怖に直面し、体が思うように動かなくなる状態を指す。
多くの人々や物事が一つの方向に向かって自然と集まり、まとまる様子を表す。
恥ずかしさやきまり悪さから顔が赤くなる様子を表す。
深い悲しみや嘆きに心が痛み、その感情が表情や態度ににじみ出ている様子を表す。胸が締めつけられるような哀しみを感じ、思わず涙がこぼれるような状態を指す。
煖然とは、ほどよい温かさを感じさせる様子を表す。気温や体温などが適度に温かく、心地よさを伴う状態を指す。
煥然とは、物事がはっきりと明らかになるさま、あるいは光り輝いて鮮やかなさまを表す。曇りなく澄み渡り、一目でその本質が理解できる状態や、輝かしく照り映える様子を指す。
煢然とは、孤独で頼るものもなく、寂しく佇む様子を表す。また、心に深い憂いを抱え、物思いに沈むような状態をも指す。
鮮やかに光り輝く様子を表す。星々や宝石などがきらめく美しさを形容する際に用いられ、「燦然」とも書かれる。
色が青白く見える様子を表し、顔色が悪い状態や夕暮れ時の薄暗がりを指す。また、長い年月を経て色あせ、古びた趣のあるさまにも用いられる。
劃然とは、物事の区切りや境界がはっきりとしている様子を表す。二つの事柄の間に明確な差異や断絶があり、混同の余地がない状態を指す。
他よりも一段と高く抜き出ている様子。特に際立って目立つさまを表す。
物事が何もなく空っぽである様子を表す。また、心が広くて小さなことにこだわらず、さっぱりとしているさまを指す。
截然とは、物事の区別が明瞭で、混同の余地がない様子を表す。また、切り立った崖のように、境界がはっきりとしているさまも指す。
落ち着きがあり、ゆったりとしている様子を表す。心に余裕があり、焦らず慌てないさま。
蔚然とは、草木が生い茂り豊かに繁る様子を表し、鬱蒼とした大樹などの表現に用いられる。また、雲や光、あるいは物事が多く盛んに立ち込めたり広がったりするさまを指し、鬱然とも書く。
「輒然」とは、直立したまま微動だにしない様子を表す。また、物事が急に起こるさま、突然であることを意味する。
「赫然」とは、激しい怒りで顔色が一変する様子を表す。また、光や色彩が鮮やかに輝き、強く目に立つさまを指すこともある。さらに、物事の勢いが盛んで、際立っている状態を形容する場合にも用いられる。
風がさっと吹き過ぎるさまを表し、物事が軽やかにすばやく行われる様子にも用いられる。
寒さが厳しく身の引き締まる様子を表す。また、気高く威厳があり、近寄りがたいほど堂々とした態度や様子を指す。
憫然とは、見るに忍びないほど痛ましく、心が痛むような様子を表す。深い同情を覚えるような悲惨な状況や、哀れでいたましいさまを指し、時に「閔然」や「愍然」とも書かれる。
失望や不満を感じて気持ちが空ろになり、ぼんやりと何もする気力が湧かない様子を表す。
自分の信念や意志をしっかりと持ち、何があっても揺るがず、ためらいのない様子を表す。困難や圧力に直面しても動じず、断固とした態度を貫くさま。
涙が止めどなく流れ出る様子を表し、静かに深く悲しみに沈むような泣き方を指す。
物事がすっかりなくなって跡形もないさまを表す。また、気ままに振る舞うだらしない様子を指すこともある。
「霈然」は、雨が激しく降り注ぐ様子を表す語である。表記は「沛然」とも書く。
蕭然とは、人の気配がなくひっそりと静まり返り、もの寂しさが漂う様子を表す。
金属が触れ合って発する澄んだ響きを表す。また、弦楽器や打楽器などの音色が清らかに鳴り響く様子にも用いられる。同義語に「錚錚」がある。
恥ずかしげもなく平然としている様子。厚かましく、自らの非を恥じる気配のない態度をいう。
聳然とは、山や塔などが高くそびえ立つ様子を表す。また、畏怖や驚きのあまり身が竦むような感覚を指すこともある。
急に起こるさま。予期せぬ事態が突然生じる様子を表し、主に出来事や変化が不意に訪れる際に用いられる。
人気が全くなく、物音一つせずに静まり返っている様子を表す。
驚きや恐れなどで目を見開き、顔色が変わる様子を表す。突然の出来事に直面して、思わず表情が大きく動くさまを指す。
蹶然とは、驚きや衝撃を受けて急に立ち上がる様子を表す。突然の事態に慌ただしく反応するさまを指し、主に思いがけない決断や行動を起こす際に用いられる。
鏘然とは、玉や石、金属などが触れ合って発する澄んだ高い音を形容する語である。その響きは清らかで余韻があり、美しい音色を帯びている。また、「ショウゼン」とも読まれる。
突然に、予期せずに物事が起こる様子を表す。何の前触れもなく、瞬時にして状況が変化するさまを指す。
囂然とは、多くの人々の声が騒がしく響き渡る様子を指す。また、世間の人々が不満や嘆きを口々に訴え、物議を醸すような状況を表す際にも用いられる。
爛然とは、きらめくように明るく輝く様子を表す。特に光や色彩が鮮やかで美しく映えるさまを指し、燦然や燦爛と同様に、華やかで目を引く輝きを形容する際に用いられる。
轟然とは、雷鳴や爆発音などが激しく響き渡る様子を表す。大地を揺るがすような重厚な音が空間に満ち、耳をつんざくような強烈な響きを伴う状況を指す。
酒を適度に飲んで心地よい気分に浸っている様子を表す。ほろ酔いの状態で、気持ちが緩み、快く浮かれた気分になるさまを指す。
厳かで威厳のあるさま。また、確固として揺るぎない様子を表す。
急に物事が起こるさまを表し、特に雨が突然激しく降り出す様子を指す。また、事態が予告なく急激に変化する状況にも用いられる。
天然痘はウイルス感染症の一種であり、高熱を伴い皮膚に膿疱性の発疹が生じる特徴を持つ。種痘による予防が可能であり、疱瘡や痘瘡とも呼ばれる。世界保健機関(WHO)は1980年にこの疾病の根絶を宣言した。
自然薯はヤマノイモの別称である。その名は「自然生(ジネンジョウ)」が転じたものとされ、主に栽培されるナガイモと区別して、山野に自生する芋を指す。一般に山の芋とも呼ばれる。
昔ながらの状態や体制がそのまま保たれ、少しも変化や進歩が見られない様子を表す。長く続いた古いあり方が、時代の移り変わりにもかかわらず、依然として変わらずに存続していることを指す。
鬼気森然とは、不気味で恐ろしい気配が立ち込め、身の毛もよだつような厳かな雰囲気をいう。樹木が鬱蒼と茂り重々しい静寂をたたえる様子から転じて、人の心に戦慄を覚えさせるような、ただならぬ気配の漂うさまを表す。
家の周囲を囲む垣根が狭く、ひっそりと寂しい様子を表す。転じて、住まいが質素で貧しいさまを指す。陶潜の「五柳先生伝」に典拠を持つ四字熟語である。
煥然一新とは、物事がすっかり新しくなる様子を表す四字熟語である。古い状態が完全に改まり、見違えるほど新鮮で美しくなることを意味する。主に建物や環境、あるいは組織や気分などが一新され、以前とは全く異なる良い状態に生まれ変わることを指して用いられる。
豁然大悟とは、長く抱いていた迷いや疑念が突然解け、物事の真実や道理を深く悟ることを指す。仏教においては、修行の過程で生じるあらゆる疑問が氷解し、真理を体得する心境に至ることを意味する。「豁然」は心の曇りが晴れて開ける様子を、「大悟」は迷妄を断ち切って完全に悟ることを表す。
物事の道理や状況が急に明らかになるさまを表す。暗闇を抜けて突然明るい場所に出たかのように、それまでわからなかったことがぱっと理解できたり、行き詰まっていた問題の解決策が見えたりする心境を指す。
仏教、特に禅宗において、一切の執着を離れた広大な境地を指す。そこでは聖なる者も凡夫も区別なく、平等であるという悟りのあり方を示す。『景徳伝灯録』に典拠を持つ四字熟語。
廓然大悟とは、仏教において迷いが完全に晴れ渡り、円満な悟りの境地に至ることを指す。『感無量寿経』に典拠を持つ四字熟語で、一切の疑念や煩悩を超越した心の状態を表す。