一毫とは、極めて僅かな様子を表す。細い毛一本ほどの微小さから転じて、ごくわずかな数量や程度を指し、否定表現と共に用いて完全な状態を強調する際にも使われる。
寸毫とは、極めてわずかな量や程度を表す語で、細い毛を意味する「毫」の字を含むことから、微小なものを示す比喩に由来する。秋毫と同様に、ほとんど無視できるほどの僅少さを強調する表現であり、疑いや誤差が全くないことを示す際に用いられる。
分毫とは、極めて僅かな様子を表す語である。漢字の「毫」は細い毛の意であり、それが「分」と結びついて、ほんのわずか、ごく僅かな数量や程度を指す。寸毫と同様に、ほとんど無視できるほどの微小さを意味する。
白毫とは、仏の眉間にあるとされる長く白い巻き毛を指す。これは清浄な光を放つと伝えられ、仏の優れた相好の一つとされる。
秋毫とは、秋に生え替わる獣の毛のようにごく細く小さいことを指し、転じて極めてわずかな事柄や些細な様子を意味する。毫は細い毛の意で、わずかな違いも見逃さない精密さの喩えとして用いられる。
毫髪とは、非常に細い毛や毛筋を指す。また、転じて極めて僅かなことや微小な事柄の喩えとしても用いられる。
毫末とは、毛の先端や筆の穂先といった、極めて微小な部分を指す。そこから転じて、ごくわずかなこと、些細な事柄の喩えとしても用いられ、わずかでもおろそかにできないことを表す。
毫毛は毫髪と同じく、極めて細い毛や髪の毛を指す語で、転じてごくわずかな物事や微小なものの喩えとしても用いられる。
毫釐とは、極めて僅かな数量を表す言葉で、ほんのわずかな差や微量を意味する。毫も釐もともに微小な単位を示す漢字であり、合わせて用いることで、ほとんど無視できるほどの僅少さを強調する表現となっている。
揮毫とは、毛筆を用いて書や絵を描くことを指す。特に、書道や絵画において筆を振るい作品を仕上げる行為を表し、色紙や掛け軸などに筆を走らせる際に用いられる表現である。
細やかな毛の意から転じて、ごくわずかな物事や極めて些細な事柄を指す。
一糸一毫とは、一本の糸や一筋の毛のように、極めてわずかな物事を表す四字熟語である。ごく僅かな分量や、ほんの少しの事柄を強調する際に用いられ、否定の表現と共に使われることが多い。
明察秋毫とは、わずかな物事の違いや細かい点まではっきりと見抜くことができる鋭い観察力や洞察力を意味する。秋の獣の毛のようにごく細かいものまで明らかに察知できるという故事に由来し、主に人物の優れた識見や判断力を称える際に用いられる表現である。
秋毫之末とは、秋の獣の毛の先端のように極めて微細なものを指す。転じて、ごくわずかな差異や非常に些細な事柄を意味する。『孟子』梁恵王篇に由来し、細部にまで注意を払うことの重要性を説く際に用いられる表現である。
子墨兎毫とは、『本朝文粋』に収められた四字熟語で、筆と墨を指す雅語である。子墨は墨を、兎毫は兎の毛で作られた筆をそれぞれ意味し、文人が詩文を綴るための文房具を優美に表現した語である。
毫釐千里とは、ほんのわずかな誤りが、結果として非常に大きな過ちや隔たりを生じさせることを意味する四字熟語である。『礼記』経解に由来し、最初はほんの少しの違いが千里もの差を生むという比喩から、学問や道徳において初歩の段階でのわずかな誤りが、後々重大な結果を招くことを戒める言葉として用いられる。
毫毛斧柯とは、災いの芽は小さいうちに摘み取らねばならないという教訓を表す四字熟語である。細い毛ほどの些細な問題でも、放置して大きくなれば斧で切り倒すほどの手間がかかるようになるという意味で、『戦国策』魏策に由来する。
毫末遺漏とは、極めてわずかなものや些細なことまで、すべて漏らさずに含めることを意味する。細部に至るまで注意を払い、何一つ見落とさない様子を表す四字熟語である。