二言とは、一度言ったことを後に異なる内容で言い直すことを指す。特に、前の発言を撤回して自己に都合の良い主張に変える場合に用いられ、「武士に二言はない」などの表現で、一度口にした言葉を貫くべきだという規範意識を示す。
寸言とは、簡潔でありながら深い意味を含んだ短い言葉を指す。わずかな語数の中に重要な真理や鋭い洞察が凝縮されており、時に格言や警句のような含蓄を持つ表現である。
公言とは、公の場で遠慮なく自分の意見や考えをはっきりと述べることを指す。多くの人々の前で、あるいは公然と、ためらうことなく主張する様子を表す。
切言とは、相手に対して心を込めて諭すように説得や忠告を行うことを指し、その言葉自体も意味する。また、厳しい口調で言い聞かせることや、その発言を表す場合もある。
方言とは、同一の国語体系内において、特定の地域社会で用いられる言語変種を指す。それは音韻、語彙、文法などの面で標準語や共通語と異なる特徴を持ち、その地域の歴史や文化を反映した独特の言葉遣いを含む。例えば「南方の方言」や「土地ことば」などと表現され、俚言とも呼ばれる。
文章や書類の中の言葉や表現を指し、特に契約書や法律文書などで用いられる個々の語句や文節を意味する。
片言とは、わずかな言葉や短い一言を指す。相手の言葉を注意深く聞き逃すまいとする様子を表す際などに用いられる。また、「かたこと」と読む場合もある。
他言とは、秘密にすべき事柄を外部の人に漏らして話すことを指す。例えば「他言は無用」のように用いられ、口外と同義である。なお、「タゲン」と読む場合もある。
付言とは、ある発言や文章に後から言葉を付け加えることを指し、またその付け加えられた言葉そのものを意味する。附言とも表記される。
言うべきでないことを、うっかり口にしてしまうこと。また、その言葉。軽率な発言によって、思わぬ誤解や問題を招く場合に用いられる。
広言とは、遠慮なく大げさなことを言うこと、またその言葉を指す。周囲の目を気にせずに大きなことを口にし、大言や放言と同様の意味を持つ。
人から人へと伝えられる言葉、またはその伝達行為を指す。直接会えない相手に対して、第三者を通じて用件を伝えること、またその内容そのものを意味する。駅の伝言板のように、特定の場所に書き留めて伝える形式も含まれる。
妄言とは、事実に基づかないでたらめな言葉や、偽りの発言を指す。また、自らの発言を謙遜して用いる場合もある。
妖言とは、凶事の予兆などと称して人々を惑わす不吉で怪しい言葉のことで、根拠のない噂や気味の悪い流言を指す。
書物の冒頭に置かれる文章を指し、その著作の趣旨や内容、成立事情などを読者に示す役割を果たす。序文や前書きと同義である。
相手の意見や主張に対して異を唱え、反対の立場から述べる言葉、またはそのような言動を指す。
狂言とは、本来は道理に外れた言葉や行動、あるいはでたらめな話を指す。また、能楽の合間に演じられる滑稽な寸劇を意味し、後に歌舞伎の演目の一つとしても用いられるようになった。さらに、人を欺くために仕組んだ策略や偽装工作を指す場合もある。
言い終わるか終わらないうちに、あるいは一言を聞いた直後に、即座に何らかの反応や判断を示す様子を表す。
言葉で直接表現されていない部分を指し、発話の背後に潜む意図や含意、あるいは言葉に込められた感情や期待などを意味する。
ある話題や事柄について話す際に、それに関連する特定の内容にまで話が及ぶことを指す。議論や叙述の中で、ある点を取り上げて述べる行為であり、しばしば重要な部分や核心に触れる場合に用いられる。
言葉や言葉遣いを指し、特に発せられた言葉の内容や表現の仕方に焦点を当てた表現である。しばしば、その言葉の性質や品格、あるいは発言の意図を含意して用いられる。
言動とは、人が発する言葉とそれに伴う行動の両方を指す総称である。話す内容と実際の振る舞いを合わせて捉え、その人の考え方や態度を判断する際の重要な要素となる。
はっきりと自分の考えや意見を言葉で表明すること。特に、曖昧さを残さずに主張を述べる行為を指す。
言語や文章を通じて思想や意見を公に述べ、議論する行為を指す。特に、表現の自由の根幹を成す概念として捉えられる。
身分の高い人や目上の人に対して、敬意を込めて申し上げることを意味する。
相手や物事を軽んじ、見下すような態度で発せられる言葉を指す。
忠実な心を込めて相手の過ちを諫め、正しい道へと導こうとする言葉。また、そのような真心からの助言や戒めを指す。
はっきりと意見や考えを言葉で表明すること。特に、曖昧さを残さずに断言する場合に用いられる。
思っていることを包み隠さず、ありのままに率直に言うこと。また、その言葉。特に目上の者に対して遠慮せずに意見を述べる場合に用いられる。
空言とは、事実に基づかない虚偽の言葉を指し、また口先だけで実際の行動を伴わない発言を意味する。
苦言とは、相手のためを思ってあえて厳しく述べる忠告の言葉を指す。聞く者にとっては耳の痛い内容であるが、その指摘は有益であり、成長や改善の契機となる。
人生の指針となるような立派な格言や教訓を指し、また仏の口から出た尊い教えをも意味する。後者の意味では「コンゲン」と読むこともある。
附言とは、主な内容に追加して述べる言葉、あるいはそのような行為を指す。書き言葉では「付言」と表記されることもある。
個人または集団が、自らの意見や方針、意志などを公の場で明らかにすること。また、その内容を述べた言葉そのものを指すこともある。
怨みや不満を述べる言葉を指し、特に他者に対する恨みや不平を口にした内容を意味する。
公の場で意見や考えを述べること。また、その内容そのものを指す。
約言とは、要点を簡潔にまとめて述べることを指す。また、語中で二つ以上の音節の一つが省略される言語現象を意味し、例えば「さしあぐ」が「ささぐ」となる類である。さらに、互いに交わした約束の言葉という意味も持つ。
食言とは、かつて述べた言葉と異なることを言うこと、すなわち約束や宣言を反故にして偽りを言うことを指す。故事に由来し、自らの発言を食い違える様子を「言を食む」と表現したことからこの語が生まれた。
格言とは、人生の教訓や戒めを簡潔に言い表した言葉のことで、長い年月を経て人々の間で伝えられ、生きる上での指針となるような知恵を凝縮した表現を指します。
早口で話すことを指し、またその言葉そのものも意味する。落ち着きのない様子を表す「疾言遽色」という成語にも用いられる。
真言とは、仏や菩薩が説く真実の言葉を指し、陀羅尼とも呼ばれる。また、平安時代に空海が唐から伝えた密教に基づく真言宗の略称としても用いられる。
高言とは、自らを誇示するかのように大げさなことを言うこと、またその言葉を指す。実際の力量や実績を伴わずに、威張った態度で大きなことを口にする様子を表す。
はっきりと主張を述べ、疑いの余地なく言い切ること。確信をもって事実や意見を断定する表現である。
虚言とは、事実に基づかない言葉、すなわち嘘や偽りを指す。漢字では「空言」と表記されることもあり、「キョゲン」と読まれる場合もある。
目上の人に対して意見や考えを申し上げること。特に、上位の立場にある者に対して、助言や提案を述べる行為を指す。
陳言とは、言葉を述べる行為を指すとともに、特に新奇さを失い、使い古されて陳腐になった表現や言説を意味する。
遠慮なく声高に主張すること。また、公然と宣言して広めることを指す。
無言とは、口を閉じて言葉を発しない状態、すなわち沈黙を指す。漢字では「黙」とも表記され、「ムゴン」と読む場合もある。また、静寂の意を当てて、音もなく静まり返っている様子を表すこともある。
言葉を発しない状態を指し、口に出してものを言わない様子を表す。また、無言の行の略称として、言葉を発さずに行う修行の意味でも用いられる。
痛言とは、相手の欠点や過ちを厳しく指摘する言葉、またはそのような批判を述べる行為を指す。聞く者にとっては耳の痛い、辛辣な内容を含むことが多い。
過言とは、実際よりも誇張した表現や、適切さを欠く言い方を指す。事実を大げさに述べたり、実際以上に評価したりする場合に用いられ、多くは否定形の「過言ではない」として、ある主張が誇張ではないと強調する表現で使われる。
過言とは、実際よりも大げさに表現したり、言い過ぎたりすることを指す。例えば「世界一と言っても過言ではない」のように、誇張ではあるが真実から大きく外れていない主張に用いられる。
目上の人に対して意見や考えを申し述べることを指し、またその内容そのものを指すこともある。
預言とは、ユダヤ教やキリスト教において、神の霊感を受けたとされる者が、神の言葉を人々に伝える行為、またその言葉そのものを指す。未来を予測して述べる「予言」とは区別される。
寡言とは、言葉を多く発しない性質を指し、口数が少ない様子を表す。物静かで控えめな態度を特徴とし、時に沈黙を重んじる姿勢を示す。
漫言とは、まとまりのない言葉や深く考えずに口にした言葉を指し、そぞろごとともいう。ただし「みだりごと」と読む場合は別の意味となる。
雑言とは、様々な悪口や罵りの言葉を言うこと、またその言葉そのものを指す。罵詈雑言などの表現で用いられ、人をののしり貶すような乱暴な発言を総称する。
確言とは、疑いの余地なく明確に言い切ることであり、またその言葉そのものを指す。
罵言とは、相手をののしる言葉や悪口を指す。怒りや憎しみなどの感情を込めて相手を非難する表現であり、口論や争いの際に用いられることが多い。
遺言とは、人が生前に自身の死後に備えて残しておく言葉や意思表示を指す。特に家族などへの最後の伝言として用いられ、法律用語としては「イゴン」と読まれることがある。
謹言は手紙の結語として用いられ、「つつしんで申し上げます」という意味を表します。特に「謹啓」で始まる格式ばった手紙の末尾に添えられ、敬意を込めた締めくくりの言葉となります。
吉言(よごと)とは、天皇の御代が長く続き、国家が繁栄することを祈念して奏上される祝詞の一種である。寿詞とも表記される。
睦言とは、親しい間柄で交わされる打ち解けた会話を指し、特に男女が寝所で語らう情愛に満ちた言葉のやり取りを意味する。
禍言とは、不吉な兆しを含む言葉や縁起の悪い発言を指し、善言の対義語として用いられる。
「漫言」は「みだりごと」と読み、根拠のないでたらめな言葉や、軽々しく口にした冗談、戯れ言などを指す。また「みだれごと」とも表記される。なお「マンゲン」と音読みする場合は、別の意味を持つ語となる。
戯言とは、真剣さを欠いた軽はずみな発言や、根拠のないでたらめな言葉を指す。現実味がなく取るに足らない内容であり、しばしば冗談や愚かな考えを表現する際に用いられる。
戯言とは、ふざけて口にする言葉や冗談のことを指し、真剣な意図を持たずに軽い気持ちで発せられる表現を意味する。
俚言とは、共通語とは異なる特定の地域で用いられる独特の言葉、すなわち方言やなまりを指す。また、洗練された雅言に対して、卑俗で下品な言葉遣いを意味することもある。
「訛言」とは、事実に基づかない虚偽の言葉や、根拠のない噂のことを指します。また、訛りや方言を含む言葉を意味する「訛語」と同じ意味でも用いられます。虚偽の情報を広める行為や、その内容そのものを表す言葉です。
天子の発する言葉を指し、その発言は細い糸のようであっても、やがて太く大きな影響力を持つことに喩えられる。
事実無根のことを偽って述べること。また、そのような言葉。根拠のない虚偽の発言を指す。
目上の者の過ちや欠点を正すために行われる忠告や意見を指す。主に敬意を込めて相手の改善を促す発言を意味し、その行為自体や内容を表す。
細部に至るまで詳しく述べること。また、そのような叙述や言葉そのものを指すこともある。
なれなれしく、みだりに口にすべきでない下品な言葉を指す。
無用な言葉、あるいは必要以上の言葉を指す。また、そのような言葉を発する行為そのものも意味する。
一家言とは、その人独自の見識に基づく確固たる意見や主張を指す。特に、ある分野において十分な知識や経験を備え、一つの体系をなすほどの独自の見解を持つことを意味する。この語は、司馬遷が『史記』の序文で、本文で書き漏らした事柄を補い、自らの見識を示したと述べた故事に由来する。
口にした際に常に繰り返される言葉を指し、その人の口癖や決まり文句のように用いられる表現をいう。
合言葉とは、事前に取り決めた特定の言葉を用いて、互いが仲間であることを確認する手段を指します。また、同じ集団に属する者同士が共有する目標や信念を簡潔に表した標語やモットーとして用いられることもあります。
世迷言とは、筋道の通らない愚痴や不平を指し、聞くに値しないたわごとや無意味な言葉を意味する。
絵言葉とは、絵画や絵巻物の内容を説明する文章を指し、特に絵巻物においては詞書として添えられる解説文を意味する。また、そのような詞書が付された絵巻物そのものを指す場合もある。
間狂言とは、能の演目の進行中に、狂言方が登場して演じる部分を指す。曲の主題や筋立てを解説したり、劇中の間(あい)を埋めたりする役割を担う。
危言聳聴とは、わざと大げさなことや恐ろしいことを言い立てて、人々の注意を引きつけたり不安をあおったりすることを指す。
危言危行は、言行を厳しく慎み、世俗に流されず清く正しく保つことを意味する四字熟語である。『論語』に由来し、「危」の解釈により、言動を厳しくする意味と、言行を高く正しくする意味の二通りが伝えられる。
甘言蜜語とは、相手の気を引いたり取り入ったりするために用いられる甘く媚びた言葉を指す。特に、相手の心を巧みに操ろうとするような、心にもないお世辞や、男女間の甘い語らいを意味する。
寡言沈黙とは、言葉数が少なく、物静かで、めったに口を開かない様子を表す四字熟語である。
嘉言善行とは、立派な言葉と模範となる行いを併せ持つことを指す四字熟語である。ここでいう「嘉言」は道理に適った優れた言葉を意味し、それに伴う「善行」は善い行いを表す。すなわち、言葉と行動の両面において人々の手本となるような高潔なあり方を総称する表現である。
花言巧語とは、口先だけの巧みで美しく飾り立てられた言葉を指す。内容が伴わず、相手を欺いたり誤魔化したりするために用いられる美辞麗句のことで、「巧語花言」とも言う。
温言慰謝とは、穏やかで優しい言葉を用いて相手を労わり、慰め励ますことを意味する四字熟語である。