「一天」とは、空全体を指す語で、広く一面に広がる空の様子を表します。また、転じて全世界や天下を意味することもあり、この場合の「一」は天を強調する働きを持つとともに、語調を整える役割も果たします。
九天とは、天の高いところを指し、九重の天とも呼ばれる。また、宮中を意味する場合もある。古代中国の思想では、天を中央と八方に分けた九つの区域を表す概念として用いられた。仏教においては、地を中心に回転するとされる九つの天体を指し、この場合は「クテン」と読まれることもある。
干天とは、長期間にわたり雨が降らず日照りが続いている状態の空を指す語である。特に夏の日照りが続く時期の空模様を表す際に用いられ、「旱天」の書き換えとしても用いられる。
中天とは、天頂に達した太陽や月が空の中ほどに位置する状態を指し、転じて天空の中央や中空を意味する。天の真ん中、すなわち天心を表す語である。
天魚はサケ科の淡水魚で、ビワマスの陸封型とされる。本州中部以南の河川の上流域に生息し、ヤマメに似るが体側に赤色の斑点(パーマーク)が並ぶのが特徴である。美味であり、「甘子」とも表記する。
天外とは、はるか遠くの空の彼方や、非常に高いところを指す。また、常識や想像を超えた、不可思議な領域や境地を表す際にも用いられる。
天路とは、天上に通じる道を指す言葉であり、また天に昇る道そのものをも意味する。仏教の教えにおいては六道の一つに数えられ、天上界という神々の住まう世界を表すこともある。
天蓋とは、仏像や位牌、あるいは棺などの上に覆いかざす布製の覆いを指す。また、虚無僧が頭に被る深編み笠のことも、その形状から同じく天蓋と呼ぶ。
天機とは、天の意志や神のみが知る秘密を指し、転じて人間には計り知れない重大な機密を意味する。また、生まれつき備わった性質や才能のたとえとして用いられることもあり、さらに天子の機嫌や天候の状態を表す場合もある。
天宮とは、天帝や天人が住まう天上の宮殿を指す。転じて、広く大空や天空そのものを意味する語としても用いられる。読みは「テングウ」とも。
天柱は灸を施す経穴の一つで、両肩の中央、うなじの下あたりに位置する。また、幼児が頭に血が上るような状態になる病気、すなわち疳のことを指し、この意味では「身柱」と表記することもある。
天運とは、天が定める運命や自然の巡り合わせを指し、個人や国家の成り行きを超越した大きな流れとして捉えられる。また、天体の運行そのものを意味する場合もあり、宇宙の秩序や法則に基づく動きを表す。
製本における装飾技法の一つで、書物の上部の小口部分のみに金箔を施したものを指す。また、その金箔自体も天金と呼ぶ。書物の上部を「天」と称することに由来する名称である。
天空とは、地上から見上げたときに広がる果てしない空間を指し、大空や天穹とも呼ばれる。雲や星々が浮かび、無限の広がりを感じさせる大気の層を意味する。
天資とは、人が生まれながらにして持っている性質や才能のことを指す。特に、学習や努力によらずに自然に備わっている優れた素質を意味し、天賦や天性と同様の概念として用いられる。
天から授けられた寿命を指し、人が生まれながらに持つ定められた命の長さを意味する。自然の摂理に従って全うされるべき生涯を表し、「天寿を全うする」などの表現で用いられる。
天元とは、万物を生み育む根源としての天を指す。囲碁においては盤面の中心に位置する星の呼称であり、また中国宋代末から元代初頭に発達した代数学である天元術の略称としても用いられる。
天職とは、天から授けられた職務を意味し、その人の生来の才能や性質に最も適した職業を指す。また、天子が国を治めるという神聖な務めを表す場合もある。
天心とは、空の中心を指し、天の真ん中を意味する。また、天帝や天子の心を表すこともある。
生まれつき備わった並外れた才能を指し、またそのような才能を持つ人物を意味する。特定の分野において卓越した能力を発揮する者を形容する際にも用いられる。
天水とは、天と水を指す語であり、転じて天から降る水、すなわち雨水の意味でも用いられる。また、防火用に雨水を貯えておく桶である天水桶を略した呼称としても使われる。
天皇がお聞きになること、また天皇の耳に入ること。特に臣下の意見や奏上が、直接天皇に伝えられることを指す。
天罰とは、悪事や不道徳な行いに対して天が下す罰を指し、人為を超えた自然の摂理や神の意志によってもたらされる報いを意味する。しばしば災害や不運の形で現れ、人間の罪や過ちに対する戒めとして捉えられる。
天火とは、西洋料理において食材を加熱し蒸し焼きにする調理器具を指し、オーブンのことを意味する。
自然界において、ある生物を捕食したり寄生したりして、その生存を脅かす他の生物を指す。
天日とは、太陽の光やその熱のことを指す。例えば、布団を干す際に太陽の光に当てることを「天日に干す」と表現する。
天孫とは、天の神々の子孫を指す言葉である。特に日本神話においては、天照大神の血統を継ぐ者を意味し、その代表として高天原から葦原中国に降臨した邇邇芸命を指すことが多い。
天幕とは、野外で寒暑や雨露を防ぐために張る幕のことで、テントを指す。また、室内において天井から垂らして飾りとする幕の意味も持つ。
天馬とは、天上界に棲むとされる神聖な馬を指し、天帝が乗り空を駆けると伝えられる。転じて、地上においても特に優れた駿馬を意味する。また、ギリシャ神話に登場する翼を持ち天空を翔ける馬、ペガサスのことも指す。
天命とは、天が定めた人の力では変えられない運命を指す。また、天から授けられた寿命という意味もあり、人の努力を超えた定めや、この世に生きる限られた時間を表す。
天体や宇宙に生じる諸現象を指す語。特に星の運行や日食・月食などの天体観測に関わる事象をいう。東京天文台などの施設名にも用いられる。なお「てんぶん」と読む場合は、中国の元の時代に使用された年号の一つを指す。
天から授けられたもの、すなわち生まれつき備わっている才能や性質を指す。天賦や天性と同義に用いられる。
天から来たもの、すなわちこの世のものとは思えないほど優れており、驚くべきものであることを意味する。
天覧とは、天皇陛下がご覧になることを指す。特に公式の場で行われる行事や試合などを陛下がご覧になる場合に用いられ、「天覧試合」などの表現がある。同義語として「叡覧」「上覧」がある。
仰天とは、思いがけない出来事や予想外の事態に遭遇し、非常に大きな驚きを覚える様子を表す。天を仰ぐほどに驚きあきれるという原義から、強い衝撃や驚愕の感情を強調する表現である。
回天とは、衰えた勢いを盛り返し、世の中のありさまをすっかり変えることを意味する。天を回転させるという原義に由来し、挽回が難しい事態を一変させるような大きな力や事業を指して用いられる。「廻天」とも書く。
天に向かってまっすぐに立ち上る様子を表し、空高く昇ることを意味する。また、天に届くほどに勢力が伸び盛んになることの比喩としても用いられ、気勢が極めて盛んなさまを指す。
焼けつくような暑さの夏の空、あるいはそのような天候を指す。特に太陽が照りつけ、空気が灼熱となる夏の日中を表す語として用いられる。
荒天とは、風雨が激しく天候が荒れている状態を指す。特に強風や豪雨などによって空模様が険しくなり、通常の活動に支障をきたすような気象状況を表す語である。
脳天とは、頭部の最も上方に位置する部分、すなわち頭頂部を指す語である。頭蓋骨の頂点にあたり、俗に「頭のてっぺん」とも言われる部位を表す。
野天とは、屋根や覆いのない屋外の空間を指す語である。露天と同義で、空が直接見える状態を表し、例えば野天風呂のように自然の環境に開かれた場所をいう。
空がよく晴れ渡り、雲がほとんどなく快適な天候を指す。特に雨や曇りが続いた後に訪れる澄み切った青空を連想させる表現であり、好天や快晴と同義で用いられる。
暁天とは、夜明け前から明け方にかけての空を指す語で、東の空がわずかに白み始める頃の情景を表す。特に「暁天の星」という表現は、数が極めて少ないことの喩えとして用いられる。
普天とは、大地の上に広がる空全体を指し、転じて全世界や天下を意味する。
空全体が一面に広がっている様子を表す語で、特に星や雲などが空いっぱいに広がっている状態を指す。
勢いが非常に盛んで、天を突き上げるほどであることを表す。主に意気込みや気勢が極めて高揚している様子を形容する際に用いられる。
曇天とは、雲に覆われて太陽の光が弱まり、空全体が灰色がかった状態を指す。気象用語としては、快晴や晴れとは異なり、雲量が多く薄暗い空模様を表し、梅雨時などに続くことが多い。
頭上に天をいただくことを意味し、転じてこの世に生きていることを表す。例えば「不倶戴天」は、憎しみが深く同じ天の下に共存できないことを指す。
霜天とは、霜が降りた冬の朝の空を指し、厳しい寒気に包まれた澄み切った様子を表す。特に初冬の情景に用いられ、霜晨とも呼ばれる。
屋根や覆いのない、空の下にある状態を指す。自然の景観を楽しむ露天風呂や、野外で行われる市などの表現に用いられる。
天と地、あるいは全世界を指す。また、天の神と地の神を意味することもある。「てんち」とも読む。
天辺とは、最も高い位置や頂点を指す言葉で、山の頂上などに用いられる。また、兜の鉢の最上部や、人の頭のてっぺんを意味することもある。後者の二つの意味では「頂辺」とも表記し、「てへん」と読む場合もある。なお、「テンペン」と発音すると、上空や空の果てといった異なる意味を持つ。
天上の世界に咲くとされる霊妙な花を指し、またそれに喩えられるほどに優美で荘厽な花のことをいう。
天ぷらを食する際に添えられる、醤油やみりんなどを基調とした調味液を指す。
スズメガ科に属する大型の蛾の総称で、翅の模様が雀の羽に似た茶色と黒の斑模様をしていることに由来する。夏に多く見られ、「雀蛾」とも表記される。
天児(あまがつ)とは、古代の祓えの儀式において幼児の形代として用いられ、災厄を移し負わせた人形を指す。後に、幼児の這う姿をかたどった守り札(這子)を指すようになった。
天竺とは、かつて中国や朝鮮、日本においてインドを指した古い呼称である。また、特定の語に付加して外国産や舶来の意を表す接頭語としても用いられ、例えば天竺牡丹のように使われる。さらに、厚手の平織り綿布である天竺木綿の略称としても使われ、シーツやテーブルクロスなどに用いられる。
天祚とは、天子すなわち天皇が受け継ぐ統治の地位を指す語で、天から授けられた皇位という意味合いを持つ。
天秤とは、梃子の原理を応用した計量器具で、中央の支点を中心に両端に吊り下げられた皿の一方に計量物を、他方に分銅を載せて重量を測定するものである。転じて、二つの物事の優劣や損得を比較する喩えとしても用いられ、「天秤にかける」などの表現がある。また、天秤棒の略称としても使われる。
天誅とは、天が下す罰を意味し、天罰と同義である。また、天に代わって悪人や逆賊に罰を加える行為、あるいはその罰そのものを指す。
天の助け、すなわち天帝の加護を受けることを意味する。
旱天とは、長い間雨が降らず空気や地面が乾燥している天候の状態を指す。特に日照りが続き、農作物の生育や生活用水に影響を及ぼすような乾燥した気象状況を表す語である。
昊天とは、広々として果てしなく広がる大空を指し、特に夏の空の青く澄み渡った様子を表す語である。
旻天とは、広く空や天空を指す語であり、特に秋の澄み渡った空を意味する。秋の季語としても用いられ、清らかで高い秋の空の趣を表現する際に使われる。
南天はメギ科の常緑低木で、暖かい地域に自生し、庭木としても植栽される。初夏に白い小花を咲かせ、秋から冬にかけて赤く丸い実を結ぶ。漢名の「南天燭」に由来する名を持つ。
廻天とは、世の中の情勢や局面を一変させるほどの大きな力や働きかけを指す。回天とも表記され、もとは天の運行をも動かすという壮大な比喩に由来する。
梵天は、梵天王の略称であり、バラモン教において万物を創造した神とされる。後に仏教に取り入れられ、仏法を守護する神となった。また、祭礼などで用いられる一種の大きな御幣を指すこともある。さらに、延縄漁業において、目印として用いる漁具のことも梵天と呼ぶ。
水が天に届くほどに満ち溢れる様子を表し、転じて勢力や気勢が非常に盛んで、押しとどめがたいさまを喩える表現である。
甕天とは、甕の中の狭い天地を指し、そこから転じて限られた狭い世界や世間を意味する。また、見識が狭く視野が限られていることの喩えとしても用いられる。
天蚕糸は、テグスサン(天蚕)の幼虫が分泌する物質から作られる透明な糸を指す。強靭で水に強い性質を持つため、主に釣り糸として用いられる。
天眼鏡とは、柄の付いた大型の凸レンズを指し、主に手相見などが手のひらの細かい線や特徴を拡大して観察する際に用いる道具である。
城の本丸の中心にそびえ立つ、最も高い建造物であり、物見や防御の役割を果たすとともに、城主の権威を象徴する櫓を指す。
天道花は、四月八日の灌仏会に竹竿の先に掲げて供える花のことで、西日本で行われる習わしである。高花や八日花とも呼ばれる。
天道虫は、テントウムシ科に属する小型の甲虫の総称で、その丸みを帯びた体と鮮やかな色彩が特徴である。背中の模様は種によって多様であり、特に赤地に黒い斑点を持つ種類がよく知られている。農作物の害虫を捕食する益虫としても親しまれている。
天名精はキク科の二年草で、藪煙草とも呼ばれる。漢名に由来する名称であり、日本では主に藪地などに自生する植物を指す。
天南星はサトイモ科に属する多年草の総称で、山地の林床に自生する。根生する葉は鳥の足状に大きく裂け、春には仏炎苞に包まれた独特の花穂を付ける。球茎には毒性があるが、適切な処理を経て薬用に供される。マムシグサやウラシマソウなどを含み、その名称は漢名に由来する。
天然痘はウイルス感染症の一種であり、高熱を伴い皮膚に膿疱性の発疹が生じる特徴を持つ。種痘による予防が可能であり、疱瘡や痘瘡とも呼ばれる。世界保健機関(WHO)は1980年にこの疾病の根絶を宣言した。
天一神は陰陽道において、常に八方を巡り人の吉凶禍福を司るとされる神である。表記は「中神」とも書く。読み方は「なかがみ」のほか、「テンイチジン」とも読まれる。
仏教において帝釈天に仕え、仏法を守護する四人の武神、すなわち持国天・増長天・広目天・多聞天を指す。転じて、ある分野や集団の中で特に優れた四人、または中心となる四人を称える呼称としても用いられる。
多聞天は毘沙門天の別称であり、仏法を守護し福徳を授ける神とされる。その名は仏の説法を多く聞き、教えを広く聴聞することに由来する。
伴天連は、日本にキリスト教が伝来した際に渡来した宣教師を指す語で、ポルトガル語の「神父」に由来する。転じて、キリスト教そのものやその信者を指す場合もある。表記には「破天連」の字も用いられる。
告天子はヒバリ科の小鳥を指す語で、雲雀(ひばり)の漢名に由来する。通常「ひばり」と読み、「コクテンシ」と読むこともある。
カミキリムシ科に属する甲虫で、全身が黒色をしており、翅には四つの黄色い斑点が見られる。幼虫はスギやヒノキなどの材を食害する森林害虫である。
東天紅とは、夜明けに鳴く鶏の声を指す語である。また、高知県特産の鶏の一品種の名でもあり、その特徴として声に抑揚があり長く鳴くことが挙げられる。語源は、夜明けに東の空が赤く染まる様子に由来する。
青天井とは、青々とした空を天井に見立てた表現であり、転じて物価や株価などの数値が際限なく上昇し続ける状態を指す。
生まれつきではなく、出生後に何らかの原因によって獲得された性質や状態を指す。病気や障害、あるいは習得した能力などについて用いられ、先天性と対比される概念である。
破天連は、ポルトガル語で神父を意味する語に由来し、主にキリスト教が日本に伝来した初期の頃に、来日した外国人宣教師や司祭を指す語として用いられた。転じて、キリスト教そのものや、その信者を指す場合もある。表記としては「伴天連」と書かれることもある。
野暮天とは、洗練さや粋といった感覚が全くなく、無骨で粗野な様子を指す。また、そのような性質を持つ人物をいう。
世の中全体、世界中を指す表現で、ある事柄や人物の名声・影響力が広く行き渡っている様子を表す。
満天星はツツジ科の落葉低木で、灯台躑躅(どうだんつつじ)の別名として知られる。漢名に由来する名称であり、枝先に白い小花を多数咲かせる様子を星が空いっぱいに輝く姿に例えたものとされる。
満天星はアカネ科に属する常緑の小低木で、白丁花(ハクチョウゲ)の別名として知られる。その名称は漢名に由来し、星が空いっぱいにちりばめられたような小花の咲く様子を表している。
これまで未知であった新たな土地や世界を指すとともに、新しく活動の場を開拓する分野や領域をも意味する。探検や開拓の対象となる未開の地から、人生や事業における新たな活躍の場まで、未知の可能性に満ちた領域を広く表す表現である。
天に届くほどに高くそびえ立つ建築物を指し、特に都市部に林立する超高層ビルを意味する。
天邪鬼とは、他人の言うことに意地悪く逆らうひねくれ者のことを指す。また、民話などで悪役として登場する鬼の呼称でもあり、仏教美術においては仁王や四天王の像に踏みつけられている小さな鬼の姿を表すこともある。「あまんじゃく」とも読まれる。
伎芸天は仏教における天女の一尊で、福徳を司るとされる。その容姿は優美であり、音楽や舞踊などの芸能に秀でていると伝えられる。
奇天烈とは、常識や通念から大きく外れており、非常に風変わりで奇妙な様子を指す。その珍妙さが際立っており、人を驚かせるような不思議さを帯びている。
帝釈天は、仏教における護法神の一尊であり、梵天と並んで仏法を守護するとされる。特に天部に属し、十二天の一つとして方位のうち東方を司る。古代インドの神インドラ(因陀羅)が仏教に取り入れられたもので、須弥山の頂上にある忉利天(とうりてん)の主とされる。
高天原は日本神話において、天照大御神をはじめとする天津神が住まう天上の世界を指す。地上の葦原中国や地下の黄泉国に対し、神々が統治する清らかな領域として描かれる。『古事記』や『日本書紀』では「たかまのはら」とも読み、神代の物語において重要な舞台となっている。
増長天は仏教における四天王の一尊で、増長天王とも称される。須弥山の南方を守護し、甲冑を身に着け矛を執る憤怒の相を特徴とする。読みは「ゾウチョウテン」ともされる。
天社蛾はシャチホコガ科に属する蛾の一種で、その名は鯱(しゃちほこ)に似た独特の翅の形状や姿勢に由来する。幼虫は主に広葉樹の葉を食草とし、成虫は夜間に活動する。
天花粉はキカラスウリの根から採取したでんぷんを精製して得られる白色の粉末であり、主に汗疹や皮膚のただれなどの外用薬として、特に夏季に用いられる。
天麩羅とは、魚介類や野菜などの食材に小麦粉を水で溶いた衣をまぶし、油で揚げた料理を指す。転じて、表面だけを金や銀でめっきしたものの喩えにも用いられ、さらに外見は立派だが中身の伴わないもの、あるいは偽物を意味する場合もある。
表面を毛羽立たせた柔らかな織物で、光沢があり滑らかな手触りが特徴である。ビロードとも呼ばれ、主に装飾や衣類の素材として用いられる。
両天秤とは、天秤ばかりの両方の皿に物を載せるように、同時に二つの異なる立場や関係を保ちながら、いずれか一方から利益を得ようとすることを指す。また、二股をかけるような態度や行為の比喩としても用いられる。
韋駄天は仏教における守護神であり、特に寺院や仏法を守る役割を担う。その特徴として、非常に足が速いと伝えられており、このことから転じて、現実においても足の速い人を喩える表現として用いられる。
兜率天は仏教における欲界六天の第四位に位置する天界である。内院と外院に分かれ、内院には弥勒菩薩が住し、外院には天人が住むとされる。「兜率」は梵語の音訳であり、知足天とも呼ばれる。
妻が夫よりも強い権力を持ち、家庭内で威張り散らしている状態を指す。特に妻が家庭の実権を握り、夫を従わせている様子を表す言葉である。
「吃驚仰天」は、予想外の出来事に遭遇して非常に驚き、天を仰ぎ見るほど衝撃を受ける様子を表す四字熟語である。「吃驚」と「仰天」はいずれも驚きの意を重ねて強調した表現で、俗に「びっくりぎょうてん」とも読まれる。
奇想天外とは、誰も予想し得ないほどに奇抜で、常識を超えた発想や様子を指す。天の外から突如として飛来するような、思いがけない奇抜な着想を意味する。
杞人天憂とは、『列子』天瑞篇に登場する故事に由来する四字熟語で、杞の国の人が天が崩れ落ちるのではないかと不必要な心配をし、食事も喉を通らなくなる様子を表しています。転じて、起こる可能性のないことや取るに足らないことを必要以上に心配するたとえとして用いられます。
天地を揺るがすほどに激しい勢いや影響力を持つことを意味する。壮大な事業や活動の盛んな様子を表すほか、非常に大きな音や響きの形容にも用いられる。
天を仰いで歓び、地に伏して喜ぶという意味から転じて、非常に大きな喜びに心が満ち溢れ、有頂天になっている様子を表す。『水滸伝』などの古典にも見られる表現で、喜びが天地にまで及ぶほどの大いなる慶びの感情を強調する四字熟語である。
「管中窺天」は、細い管の穴から天を覗き見ることを意味する四字熟語で、視野や知識が非常に狭く、物事の全体像を捉えられない状態を喩えた表現です。『荘子』の「秋水篇」に由来し、限られた見識に基づいて大局を判断しようとする愚かさを指します。
開天闢地は、天地創造の始まりを意味する四字熟語である。中国神話において盤古が天地を切り開いたという故事に由来し、物事の起源や史上初めての出来事を指して用いられる。「天を開き地を闢く」と訓読され、「開天辟地」とも表記する。