明神とは、神を尊んで用いる敬称であり、特に稲荷大社の祭神など特定の神格に対して「明神様」のように付して呼びかける際に用いられる。
海を司る神を指す語で、古くは「わた」が海、「み」が神を意味し、「つ」は格助詞である。山の神に対する海の神として捉えられ、広く海そのものを表すこともある。表記には「綿津見」を用いる場合があり、「わだつみ」と読まれることもある。
皇神は皇室の祖神を指す尊称であり、また広く神々を敬う呼称としても用いられる。古くは「すべがみ」「すべらがみ」とも読まれた。
神楽とは、神事において神を祀るために神前で奏される舞楽を指す。また、転じて歌舞伎や芝居の囃子の一つとして用いられることもある。
日本古来の民族信仰であり、天地の神々や祖先神などをまつる固有の宗教体系を指す。自然や祖霊への崇拝を基盤とし、「かんながらの道」とも称される。
神州とは、古代の日本や中国において自国を尊んで用いた呼称である。神々によって開かれ、守護される国という意味合いを持ち、神国と同義で用いられる。
神に供える水を指し、また霊験あらたかとされる神聖な水のこともいう。
神父とは、キリスト教のカトリック教会において、聖職者として信徒の指導や説教、秘跡の執行などを行う者に対する敬称である。司祭と同義であり、プロテスタント教会における牧師に相当する役職を指す。
神格とは、神々の間における格式や階級のことを指し、また神としての資格や地位を表す概念である。
神聖とは、神々しいまでに尊く、畏敬の念を抱かせるような性質を指す。俗世の穢れや軽薄さから隔絶され、厳かで清らかなあり方を表す。
神仏とは、神道における神々と仏教における仏や菩薩を併せて指す語であり、また神道と仏教という二つの宗教体系を総称する場合にも用いられる。
神妙とは、心がけや態度が殊勝で感心すべき様子を指し、また、素直で従順な振る舞いを示す言葉である。
神や神々を指す語であり、特に天照大神を祭神として指す場合もある。
神庫とは、神宝を納めておく倉のことであり、また転じて小さな神社や祠を指す語である。
神に供える酒を指し、祭祀の際に用いられる。また、転じて酒そのものを尊んで言う美称や敬称としても用いられる。「御酒」と表記することもある。
神に仕える役目を担う未婚の女性を指す。神社などにおいて祭祀や神事に奉仕する。表記としては「巫女」とも書かれる。
荒神とは、仏教において仏・法・僧の三宝を守護するとされる神であり、特に三宝荒神の略称として用いられる。また、民間信仰では竈の神として家の台所を守り、清浄を保つ神格としても広く祀られている。
竜神とは、水中に棲み雨や水を司る竜の姿をした神を指し、竜王とも呼ばれる。また、仏法を守護する八部衆の一つとしての側面も有している。
石神とは、自然に形成された奇岩や霊験あらたかな石を神体として祀る、古来よりの民間信仰における神格を指す。シャクジンやいしがみとも読まれる。
神実は、神の本体や実体を指す語であり、神体と同義である。表記としては「主神」とも書かれ、読み方としては「かむざね」とも読まれる。
神馬とは、神社に奉納される生きた馬のことを指す。神事において神の乗り物としての役割を担い、また神意を占うための神懸かりの媒体ともされた。
神巫(いちこ)とは、死者の霊を自らに憑依させ、その意志や言葉を伝える女性の霊媒を指す。口寄せとも呼ばれ、表記としては「巫子」や「市子」も用いられる。
神譴とは、神が人間の罪や過ちを責め罰することを指す。神の怒りや裁きが下される様を表し、天罰に近い概念である。
神を祀るための小さな社殿や祠を指し、特に規模の小さいものや簡素な造りのものをいう。
神苑とは、神社の境内を指し、神聖な領域としての庭園や敷地全体を意味する。神域とほぼ同義で、神事が行われる清浄な場所を表す。
神饌とは、神道の祭祀において神前に供える飲食物の総称であり、米や酒、野菜、魚介類、塩、水などが用いられる。御饌(みけ)とも呼ばれ、神への捧げ物として清浄なものが選ばれる。
神佑とは、神仏の加護や助けを受けることを意味する。神の恩寵によって守られ導かれる状態を表し、類義語に「神助」「天佑」などがある。漢字の「佑」は助ける意であり、同様の意味を持つ「祐」とともに神の庇護を示す語として用いられる。
祭礼の際に神霊を乗せて担ぎ回る輿のことで、おみこしとも呼ばれる。
惟神(かんながら)とは、神の御心のままに従うことを意味する。神意に随順する姿勢を表し、古くから神道における重要な概念として用いられてきた。表記は「随神」とも書く。
「大明神」は、神を尊んで呼ぶ語であり、特に「明神」をさらに尊んだ表現として用いられる。神名の下に付けて崇敬の意を表し、例えば「稲荷大明神」「春日大明神」などの形で使われる。また、人名や事物名の下に付けて、それを神に見立てて親しみや戯れの気持ちを込めて呼ぶ用法もあり、「かかあ大明神」などの例がある。
太歳神は陰陽道における八将神の一つで、木曜星の精とされる。その年の干支に応じて定まる方角に鎮座し、一年の諸事を司る神である。この神の坐する方角に向かって木を伐採することは、古来、禁忌とされてきた。
天一神は陰陽道において、常に八方を巡り人の吉凶禍福を司るとされる神である。表記は「中神」とも書かれ、読み方としては「なかがみ」のほか「テンイチジン」とも読まれる。
上半身が人間、下半身が獣の姿をした神を指す。ギリシャ神話においては、牧神パンやサテュロスなどがこれに当たり、特にパンを指して用いられることが多い。
灰神楽とは、火気を含んだ灰の中に湯や水を注いだ際に、急激に発生して舞い上がる灰煙の様子を指す。その様が神楽の舞のように見えることからこの名がある。
疫病を流行させるとされる神を指す。転じて、その人が関わると不運や災いが起こると周囲から忌み嫌われる人物の喩えとしても用いられる。
神馬藻は、褐藻類ホンダワラ科に属する海藻の一種で、馬尾藻とも呼ばれる。沿岸の岩礁地帯に生育し、細長い茎状の体と多数の枝を持つことが特徴である。
神楽月とは陰暦十一月の異称で、宮中や由緒ある神社においてその月に神楽が奏される習わしに由来する。霜が降り寒さが増す時期であり、神事の奏楽が行われる月としてこの名が定着した。
「神去月」は「神無月」と同じく、旧暦十月の異称である。この月には全国の神々が出雲大社に集まるため、各地から神が去ると考えられたことに由来する。
神奈備とは、神霊が鎮座ましますと信じられた森や山のことを指し、神聖な場所として崇められる。古くは「かむなび」とも読み、神が降臨し留まる依り代としての自然の景観を表す語である。
神前に供える酒を指す言葉であり、神事において神聖な飲み物として用いられる。転じて、酒そのものを丁寧に、あるいはおもしろおかしく言い表す際にも使われる。表記としては「大御酒」と書くこともある。
道祖神は、悪霊の侵入を防ぎ、道路の安全や旅人の守護を司る神である。読みは「さえのかみ」で、「さいのかみ」「ドウソジン」とも読む。その由来は、伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰る際、追ってきた黄泉醜女を防ぐために投げた杖から生まれたとされる。また、「障の神」や「塞の神」とも表記され、道陸神(ドウロクジン)とも呼ばれる。
道祖神は、村境や峠などに祀られる神で、外部からの災厄や疫病を防ぐとされる。旅の安全を守る道の神としての性格と、男女一対の姿で表現されることから縁結びの神としての信仰も併せ持つ。
福神漬は、ダイコンやナス、ナタマメなど七種類の野菜を細かく刻み、塩漬けした後に醤油やみりんなどで煮詰めて作る漬物の一種である。その名称は、使用する野菜の種類が七福神にちなんでいることに由来する。
陰陽道において土を司る神。四季によって居場所が変わり、春は竈、夏は門、秋は井戸、冬は庭にいるとされる。これらの場所を犯すと祟りがあると信じられており、土神とも呼ばれる。
大陰神は陰陽道における八将神の一つであり、土曜星の精霊とされる。この神の司る方角に関わる縁談や出産などの事柄は忌むべきものとされている。
守宮神とは、宮殿や役所などの建物を守護する神を指す。また、特定の技芸や芸道を司り、その道の繁栄と継承を見守る神としての側面も有する。
神籠石とは、古代の山城遺跡を指す語で、主に中国・四国・九州地方に分布する。切り石を列状に並べた石列が特徴であり、一部の遺跡には門の跡が認められる。
道陸神は、道祖神と同じく、村境や辻などに祀られ、悪霊や疫病の侵入を防ぐとされる神である。旅人の安全を守り、境界を司る神として信仰されてきた。
陰陽道において、その年の福徳を司る神を指す。この神の坐する方角は恵方と呼ばれ、万事において吉祥とされる。新年を祝う歳神と同様の性格を持つ神格としても捉えられる。
陰陽道において信仰される地の守護神で、その年の干支に基づいて定められる方角に鎮まるとされる。この神の居る方角に当たる土地の耕作や土木工事などを忌む習わしがあった。
三狐神は農家で田の神として祀られる神を指し、「みけつかみ」とも呼ばれる。この語は「みけつかみ」に「三狐神」の字を当て、その音読みである「サンコシン」が転じて「さぐじ」となったものである。
律令制における神祇官の長官を指す。神祇官は、朝廷の祭祀を司り、全国の官社を統轄する役所であり、その長である神祇伯は、神祇行政の最高責任者として重要な職務を担った。
神嘗祭は、天皇がその年の新穀を伊勢神宮の天照大御神に奉納する宮中祭祀であり、毎年十月十七日に執り行われる。この祭りは、収穫への感謝を神に捧げる重要な儀式とされる。
黄幡神は陰陽道における八将神の一つで、土の気を司る方位神である。この神の方位においては門を建てたり土を掘る行為は凶とされる一方、弓始めの儀式でその方角に向けて弓を引くことは吉とされた。
神社や寺院において、参拝者が吉凶や運勢を占うために引くくじのこと。通常は細長い紙片に神託や詩句が記されており、引いた結果によって将来の運勢や行動の指針を得るものとされる。
霹靂神は、激しい音響とともに轟く雷を指す古語で、いかずちやはたかみとも呼ばれる。夏の雷鳴が激しく打ち鳴らす様子に由来し、神々しいほどの威力を感じさせる自然現象を表す語である。
「鬼斧神工」は、『荘子』「達生」篇に由来する四字熟語で、人間業とは思えないほど精妙で巧みな技術や、自然が作り出した驚くべき造形を形容する表現である。鬼神の斧や神の技に喩えられるような、並外れて優れた工芸や、天然の絶景などに対して用いられる。
鬱塁神荼は、古代中国の神話に登場する二神の名前に由来する四字熟語で、門の左右に立てて魔除けの守護神とされたことにちなみ、門神や魔除けの守り神を指す表現として用いられます。
天佑神助とは、天の助けと神の加護が同時に働くことを指す四字熟語である。予期せぬ幸運や偶然の力によって危機を免れたり、困難を乗り越えたりする状況を表し、人間の力を超えた不思議な巡り合わせによる救いを強調する表現として用いられる。
天にまします神々と地にまします神々を指し、すなわち天地のすべての神々の総称として用いられる四字熟語である。
精神を一点に集中させ、心の働きを散漫にさせずに統一された状態に保つことを指す。瞑想や修練、あるいは特定の作業に没頭する際の心境を表す。
精神を一点に集中して事に当たれば、如何なる困難なことでも成し遂げられるという意味の四字熟語。朱子の『朱子語類』に「陽気の発する処、金石も亦た透る。精神一到、何事か成らざらん」とあり、専心努力の重要性を説く。