一顧とは、わずかに注意を向けたり、振り返って見たりすることを指す。多くは否定表現を伴い、全く関心を持たない、あるいは軽んじる様子を表す際に用いられる。
四顧とは、周囲の様子を注意深く見渡すことを指す。また、そのように見渡される周囲一帯の情景をも意味する。
回顧とは、過去の出来事や経験を振り返って思い起こすことを指す。特に、個人や組織の歴史を顧みて、その意義や教訓を考える際に用いられる表現である。
恩顧とは、目上の者が目をかけ、引き立ててくれることを指す。日頃の恩顧に報いるというように、日ごろから受ける情け深い庇護や支援を意味する。
他人の立場や気持ちをあれこれと考え、心配りや気遣いをすること。
「枉顧」は、貴人が乗り物の進行方向をわざわざ変えてまで自分を訪ねてくれることを意味し、相手の来訪を敬って言う語である。
眷顧とは、振り返って見つめることを指し、転じて目をかけ引き立てること、特に目上の者から受ける愛顧やひいきを意味する。
顧眄とは、振り返って見る、あるいは周囲を見回すことを指す。視線を向け直して周囲を観察する動作を表し、単に目を動かすだけでなく、注意深く周囲の状況を確認する意味合いを含む。
脚下照顧は、足元を照らし顧みることを意味し、転じて身近な事柄に細心の注意を払うことを指す四字熟語である。禅語に由来し、自己の本性を見つめよという教えを含みつつ、一般には日常の些細な事柄にも気を配るべきであるという戒めとして用いられる。
「一顧傾城」は、一度振り返るだけで城を傾けるほどの絶世の美女を指す四字熟語である。その由来は『漢書』外戚伝にあり、李夫人の美貌を形容した故事に基づく。
伯楽一顧とは、優れた人物を見抜く眼力を持つ者が、その才能を認めて引き立てることを指す。故事に由来し、古代中国の名馬鑑定家である伯楽が駿馬を見出すように、賢者が隠れた才能を見出し、世に送り出すことを意味する。転じて、目上の者や実力者に認められて、その能力を発揮する機会を得る喩えとして用いられる。
低回顧望とは、心惹かれる対象や懐かしい過去に思いを馳せながら、行きつ戻りつして振り返る様子を表す四字熟語である。「低回」は同じ場所をぐるぐると歩き回ることを、「顧望」は振り返って見渡すことを意味し、未練や愛着の感情を伴って立ち去りがたい心境を描写する。
中国の三国時代、蜀の劉備が賢者と聞く諸葛亮(孔明)の草ぶきの庵を三度訪れ、礼を尽くして出仕を請うた故事に基づく四字熟語。転じて、優れた人材を誠意を込めて招くことのたとえとして用いられる。
四顧寥廓とは、あたりを見回しても人影がまばらで、ひっそりと静まり返っている様子を表す。広々とした空間に人の気配がほとんどなく、寂寥感が漂う情景を指す。
三顧之礼とは、目上の者が優れた人材を招く際に、礼を尽くして厚く迎えることを指す故事成語である。中国三国時代、劉備が諸葛亮を迎えるために自ら三度草庵を訪れた故事に由来し、誠意を込めて人を招くことの喩えとして用いられる。
左眄右顧とは、周囲の状況を落ち着きなくあちこち見回す様子を表す四字熟語である。左右を頻繁に見渡し、周囲の動向を気にかけたり、決断がつかずにためらったりする様を指す。
左顧右眄とは、右を見たり左を見たりして周囲をうかがい、なかなか決断がつかない様子を表す四字熟語である。もとは得意げに辺りを見回す意味であったが、転じて、ためらうことや躊躇する態度を指すようになった。「顧」と「眄」はいずれも見回すことを意味する。