組織や団体を構成する人々を指し、またその人数を表す。特に配置や必要とされる人数について言及する際に用いられる。
人煙とは、人家の炊事の煙を指し、そこから転じて、人が居住している様子や気配、あるいは人家そのものを表す語である。特に、人の暮らしが少ない場所を表現する際に用いられる。
人絹とは人造絹糸の略称であり、天然の絹糸を模して製造された人工繊維、あるいはその繊維を用いて織り上げられた布地を指す。レーヨンとも呼ばれ、正絹や本絹といった天然絹に対する人造の絹製品を意味する。
人後とは、他人より劣った立場や順位を指す。主に否定表現と共に用いられ、他人に引けを取らないという意味で使われる。例えば「読書だけは人後に落ちない」は、読書においては誰にも劣らないという意を表す。
人間が発する言葉、すなわち人間の言語を指す。また、人間の話し声そのものを意味することもある。
君主に仕える臣下を指す語で、特に朝廷や幕府において官職に就き、主君に奉公する者を意味する。位人臣を極めるという表現は、臣下として到達し得る最高の地位に就くことを示す。
ある国や地域に居住する人の総数を指す。また、人々の口から出る言葉、すなわち世間の評判や噂という意味でも用いられる。
人がこの世に生を受けてから死を迎えるまでの期間を指し、またその過程における生活全般を意味する。
ある役職や任務に適した人物を選定することを指す。特に重要な役職や組織の構成員を選ぶ際に用いられる。
天然のものに似せて、人の手によって作り出すこと。また、そのようにして作られたもの。
人材とは、優れた能力や技能を備え、組織や社会において重要な役割を果たすことのできる人物を指す。特に、その才能や資質が将来の発展や事業の成功に貢献し得る、有望な人材を意味する場合が多い。
人事とは、人がなしうる限りのことを指し、人事を尽くして天命を待つというように用いられる。また、人間社会における出来事や人と人との関わり合いを意味し、さらには組織内における個人の地位や能力、異動などに関する事柄を指す場合もある。読みが「ひとごと」の場合は別の意味となる。
人道とは、人として守るべき道徳や倫理を指し、人間らしさや人権を尊重する立場を表す。また、歩行者が通行するために設けられた道路、すなわち歩道の意味でも用いられる。
人足とは、主に力仕事や雑役に従事する労働者を指す語で、人夫と同義である。読みは「ニンソク」であり、「ひとあし」と読む場合は人々の行き来の意となる。
人と馬を指し、特に馬術競技において騎手と馬が一体となって行動する様子を表す。
土木工事や荷物の運搬など、主に肉体労働に従事する労働者を指す。人足とほぼ同義である。
大勢の人が周りを取り囲み、垣根のように立ち並んでいる様子を指す。特に、何かを見物しようとする人々が密集して壁のように立ち塞がる状況を表す。
人間とは、人類を指す言葉であり、その本質や性質を表す際にも用いられる。また、個人の人格や人柄を評価する意味でも使われ、人の住む世界や世間を指す場合もある。なお、「じんかん」と読む場合もある。
人形(ひとがた)とは、人間の姿を模して作られたものを指す。特に、神事や呪術において用いられる、紙や草木などで作られた簡素な人形(形代)を意味することが多い。また、かつては人の容貌や特徴を記した人相書きの意でも用いられた。この語は「にんぎょう」とも読む。
人情とは、人間が生まれながらに持つ自然な感情のことであり、特に他人に対する思いやりや情け、愛情といった人間らしい心の動きを指します。義理とともに、人と人との関係を結ぶ大切な要素として考えられています。
人望とは、多くの人々から自然と寄せられる信頼や尊敬のことであり、その人の人格や能力に対する評価の表れである。
人民とは、国家や社会を構成する人々の総称であり、特に主権の主体としての国民を指す。また、支配される立場にある一般大衆を意味する場合もある。
人力とは、人の持つ能力や力を指す。また、人力車の略称としても用いられ、この場合の読みは「ジンリキ」ともされる。
人相とは、人の顔つきや容貌を指す言葉である。また、その顔かたちに現れるとされる性格や運勢をも意味し、骨相や手相と同様に、人相を見ることで未来を占うこともある。
人事(ひとごと)とは、自分自身には直接関わりのない他人の出来事を指す。自分とは無関係な事柄を表し、しばしば「他人事」とも表記される。なお、「じんじ」と読む場合は異なる意味となる。
人様とは、その人の人柄や人格、あるいは人品を指す言葉で、主に他者を敬って言う場合に用いられる。
大勢の人が押し寄せ、絶え間なく動き続ける様子を、波のうねりにたとえた表現である。特に祭りや駅の混雑時など、群衆が一方向に流れ、あるいは押し合う光景を指す。
上人とは、知徳に優れた高僧を指す敬称であり、また法眼に次ぐ僧位の一つとしても用いられる。僧に対する尊称としても広く使われ、その表記には「聖人」と書く場合もある。
特に優れた才能や能力を持たず、ごく普通の人間を指す。世間一般の人々と同様に、際立った特徴や非凡な業績のない人をいう。
「うし」と読む「大人」は、主に江戸時代において学者や師匠を敬って呼ぶ語であり、先生と同義である。また、古くは貴人などに対する敬称としても用いられた。なお、「タイジン」と読む場合もあるが、「おとな」と読めば全く別の意味となる。
「大人」は「たいじん」と読み、主に体が大きな人や巨人を指す。また、成人や年長者を意味するほか、徳が高く人格者とされる人を表すこともある。官位の高い人や、師・学者・父などに対する敬称として用いられる場合もある。対義語は「小人(しょうじん)」である。なお、「だいにん」や「おとな」と読む場合もあり、まれに「うし」と読むこともある。
才人とは、優れた才能を備え、頭の働きが鋭い人物を指す。また、転じて、物事を巧みに処理し、抜け目のない機知に富んだ人を意味することもある。
文学や芸術、学問に携わる人を指す。特に、詩文や書画など風雅な事柄を愛好し、高い教養と繊細な感性を備えた人をいう。武人と対比される概念としても用いられる。
主人とは、あるじや雇い主を指す語であり、特に自分が仕える対象となる人物をいう。また、家庭内においては夫を指す呼称としても用いられる。
自分以外の人間を指す。特に家族や親族に属さない人を意味し、またある事柄に関係のない第三者を表す場合にも用いられる。
本人に代わってその役割や任務を果たす人のことを指し、代理人や名代としての意味を持つ。特に本人の代わりに用事を済ませたり、会合などに出席したりする場合に用いられる。
昔の時代を生きた人々を指し、特に学識や徳行に優れた過去の人物をいう。現代に生きる我々が手本とすべき先達としての側面が強調されることもある。
犯罪行為を行った者を指す言葉で、法律に違反する行為を実行した人物を意味する。
氷人とは、男女の縁を取り結び、婚姻の成立を仲介する者のことを指す。中国の故事に由来し、月下に氷を割って縁を結んだという伝承に基づく雅称であり、特に結婚の仲人を指して用いられる。
玄人は、特定の分野において熟練した技能や深い知識を持つ専門家を指す。また、芸者や遊女など、芸事や水商売に従事する女性を指すこともある。これに対して、経験や知識の浅い未熟者は素人と呼ばれる。
江戸時代の大名や旗本の家において、主君の側近として仕え、日常の実務や金銭の出納などを担当した職名を指す。家老に次ぐ重職として、家中の行政や経済面での重要な役割を担った。
田人(たうど)とは、田打ちや田植えなど田畑の耕作に従事する者を指す。特に、田の作業に雇われる日雇いの労働者を意味する場合もある。同義語として「田子(たご)」があり、「とうど」と読むこともある。
立人(たちうど)とは、田植えの時期に田んぼで働く男性を指す言葉である。女性が腰をかがめて作業するのに対し、男性は立ったまま作業を行うことに由来する。たちど、たちおどとも呼ばれる。
「両人」は二人の人間を指す語で、「ふたり」と読む。漢字表記としては「二人」とも書かれる。通常は「ふたり」と読まれるが、「りょうにん」と読む場合もある。
結婚の成立を仲立ちする者のことで、男女の縁を取り持ち、両家の間をとりもつ役割を果たす。媒酌人ともいう。
「全人」は「まとうど」と読み、完全な人という原義から転じて、正直で素直な律儀者を指す。一方で、愚直さや愚かさを表す意味合いもあり、とんまな様子を形容する際にも用いられる。なお、「ゼンジン」と読む場合は別の意味となる。
その事柄に直接関わる人物を指し、本人であることを強調する表現である。
成人とは、子供が成長し一人前の人間として認められる状態を指す。また、法律上では満二十歳に達した者、あるいはその年齢に達することを意味し、成年と同義である。
死んだ人のことを指し、死者や亡くなった人を意味する。特に過去の災害や戦争などで命を落とした人々について言及する際に用いられる表現である。
ある場所に居住し、そこで生活を営む人を指す。特に家屋や土地など、特定の住居や地域を生活の本拠としている人に対して用いられる。
良人(おっと)とは、婚姻関係にある男女のうち、男性の側を指す語である。妻から見た配偶者を意味し、夫や亭主と同義である。漢字では「夫」とも表記される。
邦人とは、自国の国籍を有する人を指す語である。特に海外において、日本国籍を持つ人々を指して用いられることが多い。
律令制において、九州北部の沿岸防衛などの任に就いた兵士を指す。主に東国から交替で派遣され、その勤務の様子や心情を詠んだ防人歌が『万葉集』などに収められている。
佳人とは、容貌が優れて美しい女性を指す語で、美人と同義である。特に才知に優れた男性を意味する「才子」と対をなして用いられることがあり、才子佳人という成句で、ともに優れた男女を表す。
武術を修め、戦闘を職能とする者を指す。特に武士や軍人など、武芸をもって主に軍事に携わる人々をいう。文人と対比される概念として用いられることもある。
舎人は、律令制において天皇や皇族に近侍し、雑務や警護などを担当した下級官人を指す。また、平安時代には貴人の牛馬の世話をする低い身分の者をも意味した。
故人とは、この世を去った人を指す。また、古くからの友人や旧知の間柄を表すこともあり、長年にわたる親交を想起させる表現として用いられる。
海人(あま)とは、海で魚介類を採ることを生業とする人を指す。漁師と同義であり、「蜑」の字を用いて表記されることもある。
その人が生まれつき持っている性質や性格を指し、主に天性の資質や人柄を表す語である。
狩人とは、主に鳥や獣を捕らえることを生業とする者を指す。猟師と同義であり、古くは「かりびと」が転じてこの語が生じた。「かりうど」とも読まれる。
茶道に精通し、茶の湯をたしなむ人を指す。また、風流を解し、一風変わった趣向を持つ人をも意味する。
軍人とは、軍隊に所属し、戦闘や国防をその職務とする者を指す。広義には、軍籍を有するすべての者を総称する。
個人とは、社会や集団を構成する個々の人間を指す。また、特定の職業や組織における立場を離れ、独立した一つの人間としての立場を表す場合にも用いられる。
党に所属する者を指し、特にその政党で長く活動し、組織に深く根ざした人物を意味する。政治の文脈では、党員としての経験や忠誠心が強調されることが多い。
原人とは、化石人類の一区分であり、猿人と旧人の中間に位置する。ジャワ原人や北京原人などが知られ、現生人類より以前に生存した人類の祖先とされる。
哲学を深く究め、卓越した思想を持つ人物を指す。また、広く知恵に富み、物事の道理をわきまえた賢明な人柄をいうこともある。
家人とは、自分と血縁や婚姻によって結ばれた身内の者を指す語である。特に、話し手自身を除いた家族の成員を指す場合に用いられ、例えば「家人を紹介します」のように、自分の家族を他者に示す際に使われる表現である。
流人(るにん)とは、古代から近世にかけての日本において、流刑に処せられた者のことを指す。遠隔地や離島などへ追放され、通常の社会生活を営むことを禁じられた罪人を意味する。また、「りゅうじん」と読む場合もある。
粋人とは、洗練された趣味や教養を備え、特に芸事や人情の機微に通じた人を指す。風流を解し、世間の事情にも明るい、洒脱な人物像を表す語である。
その分野を職業とせず、経験や知識が十分でない人を指す。芸事や特定の技能においては、玄人と対比される。また、芸者や遊女など特殊な職業に就いていない一般の女性を指すこともある。
ある分野に精通し、深い知識を持つ人を指す。また、世間の事情や人情に通じ、特に遊里のしきたりや風流を解する洗練された人を意味する。
偉人とは、並外れた功績を成し遂げ、歴史に名を刻むような傑出した人物を指す。その業績や人格は、後世の人々から広く尊敬を集め、模範とされる。
土や木などで人の形をかたどって作った人形を指す。ひとがたやでくとも呼ばれ、例えば偶人劇のように人形芝居に用いられることもある。
商人(あきんど)とは、商品の売買を生業とする者を指す。商売人とも呼ばれ、その成り立ちは「あきびと」が転じたものとされる。家柄よりも才覚や努力が重んじられる職業であり、「商人に系図なし」という諺にもその性質が表れている。
猟人とは、鳥獣を捕獲することを生業とする者を指す。狩猟を職業とする人を意味し、猟師と同義である。「かりうど」とも読み、「狩人」と表記することもある。
この世に生きている人間を指す語で、現世そのものを意味する場合もある。漢字表記では「空蟬」と書かれることがあるが、これは当て字である。
異人とは、主に外国人、特に西洋人を指す語である。また、別の人や別人を意味する場合もある。
他人の財物を窃取する者のことを指す。泥棒と同義であり、「ぬすっと」あるいは「ぬすと」とも発音される。
斎人(いわいびと)は、神事に携わり祭祀を執り行う者のことを指す。神に仕え、潔斎を保ちながら神聖な儀礼を司る役目を担い、古くは「忌人」とも表記された。
堅物と同義で、融通のきかない頑固な人や、真面目すぎて堅苦しい人を指す。
散人は、世俗の煩わしさから離れ、自由気ままに暮らす人を指す。また、文人や芸術家が雅号に添えて用いることもあり、風流な隠遁の趣を表す語である。
蛮人とは、礼儀や文化を欠き、粗暴で未開な振る舞いをする者のことを指す。
多くの人々、あるいは大勢の人々を指す表現であり、特定の個人ではなく集団としての人間を漠然と示す場合に用いられる。
証人とは、ある事実が真実であることを証明する者のことである。特に法廷において、自らの見聞きした事柄について宣誓の上で証言する者を指す。また、転じて、人物や事柄の確かさを保証する立場の者、すなわち保証人という意味でも用いられる。
貴人(あてびと)とは、身分や地位が高く、上品な人を指す語である。特に貴族や高貴な身分の人を意味し、古くは宮廷社会などで用いられた。同義の読みとして「きじん」「きにん」「うまひと」などもある。
達人とは、特定の学問や技芸の分野において卓越した技量を有し、その道の奥義を極めた者を指す。また、広く人生の機微に通じ、物事の本質を深く理解している洞察力に優れた人物をも意味する。
用事がなく暇を持て余している人を指すとともに、世俗の雑事から離れて静かに暮らす人をも意味する。
古代に中国から日本へ渡来した人々、およびその子孫を指す。特に、漢氏(あやうじ)と呼ばれる氏族の祖先とされる集団をいう。
猿人とは、人類の進化の過程において最も古い段階に位置する化石人類の総称である。アウストラロピテクスなどを含み、およそ四百万年前から百五十万年前にかけて生存していたとされる。
愚かな人、道理をわきまえない者を指す。また、筋道の通らない話やありえないことを語る者を喩える表現としても用いられ、「痴人夢を説く」などの成句で使われる。
蔵人とは、平安時代に設置された蔵人所に属する役人を指す。当初は機密文書の扱いや訴訟事務を担当したが、後に天皇の側近として宮中の儀式や雑務を取り仕切る役割を担った。「くらんど」とも読まれる。
賢人とは、知恵と徳を兼ね備えた優れた人物を指す。特に、聖人に次ぐ高い境地に達した者をいう。また、転じて濁り酒の別称としても用いられ、清酒を聖人と呼ぶのに対応する表現である。
麗人とは、容姿が優れて美しい女性を指す語で、特に上品で気品のある美人をいう。佳人と同義に用いられ、「男装の麗人」のように、その美しさが際立つ女性を表現する際にも使われる。
人参はセリ科の二年草で、ヨーロッパから西アジアが原産とされる野菜である。羽状の根生葉を持ち、長円錐形の根を食用とする。カロチンを豊富に含む。また、朝鮮人参の略称としても用いられ、「胡蘿蔔」と表記されることもある。
夜間に青白く光り尾を引いて空中を漂う燐火を指し、古くは死者の魂が飛び回るものと信じられていた。
人伝とは、直接ではなく他人を通じて情報が伝達されることを指す。また、人の口から口へと伝えられていく伝聞の経路や、そのようにして得た情報そのものを意味することもある。
人の肌そのものを指すほか、人の肌と同程度の温かさを表す。特にぬるま湯などの温度が、人の肌の感触に近い状態をいう際に用いられる。
「あるじ」は、家や店など特定の場所や組織を統率する立場にある人を指す。また、客人をもてなす側の者や、物品や財産などの所有者という意味でも用いられる。
低人(ひきひと)とは、身長が著しく低い人のことを指す語である。古くは「ひきうど」とも呼ばれ、漢字では「侏儒」と表記することもある。
客人(まろうど)は、訪ねてくる人、すなわち訪問客を指す語である。語源は「まらひと」が転じたものとされ、まれに来る人という意味に由来する。また、「賓」の字を用いて表記されることもあり、「まれびと」と読む場合もある。
科人とは、法律に違反する行為を行った者を指す語で、特に罪を犯した人を意味する。古い用法では、罪人と同義に用いられる。
「徒人」は、浮ついた心を持ち誠実さに欠ける人を指す。また、風流を解する情趣ある人を意味することもある。漢字で「他人」と表記すれば、自分以外の別の人という意味になる。
人寰とは、人々が暮らす世界や世の中を指す語である。「寰」は天下や世界を意味する漢字であり、これに「人」を冠することで、人間が生活する領域や社会を表現している。
大勢の人が密集した状態で、雪崩のように一気に押し寄せたり倒れ込んだりする様子を指す。特に群衆事故や雑踏の中で発生する、人々が次々と押し倒される現象を表す。
心がねじけており、口先が巧みで、人に媚びへつらう者のことを指す。
吾人は、われわれやわれらを意味する一人称複数の表現である。主に古い論説文や硬い文体において用いられ、現代の日常会話ではほとんど使用されない形式ばった言い方である。
杣人とは、山林で樹木を伐採し、搬出することを生業とする者を指す。主に木材の生産に従事する労働者を意味し、木樵や樵夫と同義である。
牢人とは、本来は牢獄に囚われた者を指すが、特に江戸時代において主君を失い俸禄を離れた武士を意味する。後者の場合には「浪人」と表記されることも多い。
咎人とは、罪を犯した者のことを指す語で、罪人と同義である。漢字表記としては「科人」と書くこともある。
庖人とは、料理を専門とする人を指す言葉で、特に厨房で調理を担当する者を意味します。古くは庖丁や庖宰とも呼ばれ、料理の技を職能とする人を表す表現として用いられてきました。
魔術や手品を用いて人々の目をくらませ、不思議な現象を見せる者を指す。漢字の「眩」には目をくらます意があり、これに「人」を加えて、視覚や認識を惑わす技芸を持つ人を表す。
古代において九州南部の鹿児島地方に居住した勇猛な部族を指す。後には、鹿児島県の男性を指す呼称としても用いられるようになった。
梓人とは、大工の棟梁や家具職人を指す語である。その由来は中国の周代にさかのぼり、当時、工作を司った官職の名前に基づいている。
畸人とは、常識や世間一般の規範から外れた言動や生き方をする人物を指す。その特異な振る舞いや考え方ゆえに、周囲からは変わり者や異端視されることもあるが、時に独自の価値観や才能を秘めている場合もある。表記としては「奇人」と書かれることもある。
稠人とは、多くの人々が密集している様子を指し、群衆や大勢の人を表す語である。
店舗を構えて商品の売買を業とする者を指し、商人やあきんどと同義である。
古代中国において、宮廷に仕えるために去勢された男性を指す。宦官とも呼ばれる。
人心地とは、緊張や不安から解放されて安堵を覚える気分を指す。また、正気や正常な意識状態を表す場合にも用いられる。
人面竹はイネ科のタケの一種で、マダケの変種にあたる。中国原産の観賞用の竹であり、茎の下部の節間が著しく短く、独特のふくらみを見せる。この特性から杖や釣竿の材料として用いられ、筍は食用にもなる。別名として布袋竹、ゴサンチク、ジンメンチクとも呼ばれる。
人力車とは、人が客を乗せて自ら車体を引いて走る二輪の乗り物であり、主に近距離の旅客輸送に用いられた。明治から大正時代にかけて広く普及した交通手段である。
人に対する温かみや思いやり、人間らしい情愛の感じられる様子を指す。
人非人とは、外見は人間でありながら、人間としての本質を欠き、人としてあるべき道から外れた行いをする者を指す。人の情けや倫理をわきまえず、もはや人間とは呼べないような振る舞いをする者をいう。
三人称とは、話し手(一人称)と聞き手(二人称)以外の第三者、あるいは事物を指し示す代名詞の総称である。「彼」「彼女」「あれ」「それ」などがこれに当たり、会話や叙述において、話題の中心となる人物や対象を指すために用いられる。
自ら手を下して人を殺害した者を指す。特に、直接手をくだして殺人を行った犯人をいう。
内舎人は律令制において中務省に属し、宮中での宿直や天皇の雑役、警護を担当した官職を指す。また、明治期の官制では主殿寮や東宮職における最下級の職員を指す場合もある。読みは「うちとねり」が転じたものとされる。
サボテン科に属する植物の総称で、南北アメリカ大陸を原産地とする。葉は針状に退化しており、多肉質の茎が水分を蓄える。形態は球形や円柱形など多様で、多くの種がラッパ状の鮮やかな花を咲かせる。別名としてシャボテンやカクタスがあり、「覇王樹」の漢字表記も用いられる。
主人公とは、物語や事件の中心となる人物を指し、特に小説や演劇などでは主要な役割を担うヒーローやヒロインを意味する。また、転じて「主人」を敬って言う表現として、一家の主などを指す場合もある。
「令室」と同様に、他人の妻を敬って言う語。主に書簡や改まった場面で用いられる。
仙人帽はスッポンタケ科のキノコで、竹林に自生する。鐘形の傘を頭に戴き、その下に白い網状のマントを垂らした独特の形状を持つ。強い悪臭を放つが、中国料理では珍重される食材である。別名をコムソウタケともいい、「絹傘茸」や「衣笠茸」とも表記する。名称は漢名に由来する。
竹夫人は、夏の夜に寝床で涼をとるために用いられる円筒形の竹製の道具で、抱いたり手足を寄せかけたりする。抱きかごとも呼ばれる。
寿老人は七福神の一人であり、長寿を授ける福の神として信仰される。その姿は長頭に白髭をたくわえ、杖と団扇を持ち、鹿を従えているのが特徴である。
海人草は紅藻類フジマツモ科に属する海藻で、珊瑚礁などに生育する。扇状に広がりよく枝分かれした形状をしており、かつては回虫駆除の薬用として用いられた。別名をカイニンソウともいう。
発頭人とは、ある物事を最初に企てたり計画したりした人物を指す。その事柄の根源となる発案者であり、首謀者や張本人とも言い換えられる。
美人局(つつもたせ)とは、女性が夫や情夫と共謀して他の男性を誘惑し、その関係を口実に金品を脅し取る詐欺行為を指す。中国の元の時代に、遊女を妻妾と偽って少年を騙す犯罪を「美人局(びじんきょく)」と呼んだ故事に由来し、『武林旧事』にも記述が見られる。
郵便物や書状などを送り出す側の人物を指す。受取人と対になる概念で、手紙や荷物の送り主を表す語である。
御家人とは、鎌倉・室町時代には将軍に直接仕え、所領の安堵を受けた武士階級を指す。江戸時代には、将軍直属の家臣のうち、御目見以下の身分で、旗本に次ぐ地位に位置づけられた。
御寮人とは、主に関西地方で用いられた呼称で、中流家庭の若い妻を指す。語源は「御寮」であり、元来は高貴な家の娘をも意味したが、転じて既婚の女性を親しみを込めて、あるいは軽妙に呼ぶ言い方となった。「ごりょんさん」とも言う。
雲上人とは、雲の上に住む人という意味から転じて、宮中に仕える人々を指す言葉である。特に、清涼殿の殿上の間に昇ることを許された四位・五位の者、および六位の蔵人を指し、広くは宮廷にいる貴族や皇族をも意味する。雲客とも呼ばれる。
殿上人とは、平安時代において宮中の清涼殿の殿上の間に昇ることを許された官人を指す。四位・五位の公卿のほか、六位の蔵人もこれに含まれ、雲上人とも呼ばれた。地下人に対し、殿上に伺候する特権を有する身分を示す語である。
賢夫人とは、聡明で思慮深く、家庭や社会においても優れた判断力と品性を備えた妻を指す。特に、夫を支え家を治める才覚に長けた女性に対して用いられる尊敬の含みを持つ表現である。
江戸幕府における職名で、将軍の側近として政務を補佐した。老中の次に位置する重要な役職であり、将軍の命令を老中に伝達し、逆に老中らからの上申を将軍に取り次ぐことを務めた。通常は譜代大名が任じられた。
現人神とは、神が人の姿をとって現れたもの、あるいは人の姿をとった神そのものを指す語である。特に、神の化身として崇められる人物や、神格化された天皇を表す場合に用いられる。
ウリ科のつる性多年草で、熱帯アメリカが原産地である。日本へは鹿児島県に渡来し、白色の花を咲かせ、洋梨形の果実をつける。未熟な果実は漬物として利用される。
鬼の面をかぶって人を脅かす意から、見かけだけを飾り立てて相手を威圧したり、実際よりも強そうに見せかけたりすることを指す。
吉人天相とは、善良な人には天の助けがあるという意味で、もともと『春秋左氏伝』に由来する故事成語である。善い行いをする者は、自然と天の加護を受けて難を逃れ、無事に過ごすことができるという考え方を表している。
杞人の憂いとは、中国の故事に由来する四字熟語で、杞という国の人が天が崩れ落ちるのではないかと不必要な心配をしたという故事から、根拠のない取り越し苦労や無用の心配事を意味します。
杞の国の人が天が崩れ落ちるのではないかと不必要に心配したという故事に基づく四字熟語で、起こる可能性のないことをあれこれと心配するたとえ。
『荀子』「非相」に見える四字熟語で、人を欺き惑わすことに長けた極めて悪質な人物を指す。奸智に優れ、人々を巧みに操り社会に害をなす者の最たるものをいう。
閑人適意とは、俗事から離れてのんびりと暮らす人や、世俗の煩わしさから解放され、心静かに自分の思いのままに過ごす様子を表す四字熟語である。
人を弄ぶことで道徳心を失うことを意味する。人をからかったり軽んじたりする行為は、結局は自らの人徳や信用を損なう結果を招くという教訓を示す。『書経』に由来する四字熟語。
渦中之人とは、激しい争いや騒動のただ中に身を置き、その中心となっている人物を指す。物事の混乱や対立が最も激しい局面に巻き込まれ、重要な役割を担っている状態を表す。
美人は運命に恵まれず、しばしば不幸な生涯を送りがちであるという意味の四字熟語。ここでの「佳人」は主に美しい女性を指すが、優れた人物を指す場合もある。美しい容貌や優れた才能を持つ者が、かえって世の不運に遭い、早逝したり不遇に終わったりすることを喩える表現である。