人道とは、人として守るべき道徳や倫理のあり方を指し、人間らしさや人権尊重の立場から物事を考える際に用いられる。また、人々が通行するために設けられた道路、特に歩行者用の通路を意味することもある。
小道とは、幅が狭く人里や自然の中に続く細い道を指す。また、主要な街道から分岐する脇道や横道を意味することもある。かつては六町を一里とする里程の単位として用いられたこともある。大道に対する語であり、表記は「小路」と書くこともある。
中道とは、一方に偏ることなく、過不足のない穏当な立場や態度を指す。また、物事の進行過程における中間の段階や、半ばの地点を意味することもある。
水道とは、水源から飲料水を引き込み供給する設備を指し、上水道を意味する。また、下水を処理するための施設である下水道も含まれる。転じて、海や湖が陸地に挟まれて狭くなった地形を表し、特に船舶の航路が集中する海峡を指す場合もある。
外道とは、本来は仏教以外の教えやそれを信奉する者を指す語である。転じて、正しい道理から外れた行いや考え方、またそのような人を非難していう場合にも用いられる。さらに、釣りにおいて意図しない種類の魚がかかることや、一般に災いをもたらすようなものの喩えとしても使われる。
物事の正しい道理や筋道、また人として従うべき正しい行いの道筋を指す。邪道に対立する概念であり、倫理や規範にかなった生き方や判断の基準を示す。
伝道とは、特定の宗教の教えを人々に伝え広める行為を指す。特にキリスト教において、福音を宣べ伝え、信仰へと導く宣教活動を意味する。これに携わる者を伝道師と呼ぶ。
役人としての職務を遂行する上で心得ておくべき規範や心構えを指す。
手堅く着実に物事を行う様子を表し、堅実で確かな方法で物事を進める態度や姿勢を指す。
地下に掘られた通路を指し、特に鉱山において鉱石の採掘や人員・物資の移動のために設けられるトンネル状の構造をいう。
花道は、劇場において舞台から客席へと延びる細長い通路を指し、役者の出入りや演出に用いられる。また、相撲の興行では力士が土俵へ入退場するための通路を意味する。転じて、人々から惜しまれながら引退する際の晴れやかな場面を表し、「花道を飾る」などの表現で用いられる。読みが「カドウ」の場合、別の意味を持つ語となる。
地球の中心を通り、自転軸に垂直な平面が地表と交わる線を指す。地理学においては緯度の基準となり、天文学においては地球の赤道面を天球に投影した仮想の線として用いられる。
邪道とは、正しい道から外れた不正な方法や手段を指し、人として踏み外すべきではない道理に反する行いを意味する。また、正統な教えから逸脱した邪教を指す場合もある。
神社や寺院への参詣者が通るために設けられた道を指す。
武道とは、武士が従うべき規範としての武士道を指すとともに、剣道や柔道、弓道などの武術・武芸の修練を通じて精神と身体を鍛える道をも意味する。
道理や人として守るべき規範から外れていること。また、そのような残酷で道理に反する行為を指す。
海道とは、海岸に沿って通る陸上の道を指す。また、海上を船が航行する経路を意味することもある。さらに、東海道を略した呼称として用いられ、特に江戸時代の五街道の一つである東海道を指す場合がある。
神道は、日本古来の民族信仰であり、天地の神々や祖先神をまつる固有の宗教体系を指す。自然や祖霊への崇拝を基盤とし、「かんながらの道」として、古来の伝統に根ざした生活のあり方を示すものである。
学問や技芸を修め、道徳を身につけること。また、宗教上の教えに従って修行を積むことを指す。
剣道とは、防具を着用し竹刀を用いて相手と打突し合う日本の武道であり、剣術の技術体系に競技性を加えて発展したものである。
悟道とは、仏教における修行を通じて真理を悟りに至る過程、あるいはその境地を指す。悟りの道を歩むこと、また修行の末に到達する覚りの域そのものを意味する。
山の険しい斜面に、木材などで棚のように張り出して設けられた細い通路を指す。
空中に張り渡した鋼鉄製のケーブルに搬器を吊るし、山岳地帯や河川などを横断して人や貨物を運搬するための交通施設を指す。ロープウェイや空中ケーブルとも呼ばれる。
唱道とは、ある意見や主張を率先して述べ、広く提唱することを指す。特に新しい考え方や運動を先導し、世に問う際に用いられる。「倡道」と表記することもある。
細道とは、幅が狭く、人や動物がようやく通れる程度の小道を指す。山間や田園地帯、あるいは町の裏通りなどにみられ、主要な道路から外れた場所に位置することが多い。
発射された弾丸やロケットなどが、空中を描く軌跡のことを指す。特に、火器から打ち出された物体が重力や空気抵抗などの影響を受けながら進む経路を意味し、軍事分野ではミサイルの飛行経路を表す際にも用いられる。
極道とは、博打や酒色に耽るなど、道を外れた放蕩な行いを指す。また、そのような行いにふける者や、品行の悪い者を罵っていう語でもある。「獄道」と表記することもある。
無道とは、人として踏み行うべき道理に外れた行いを指す。特に、悪逆非道と結びつけて用いられ、極めて残忍で道理をわきまえない所業をいう。また、「ブドウ」と読む場合もある。
仏教において、真理を悟りに至るための道筋を指す。悟りを開くための修行の過程や方法を意味する。
物事の本質や真相を、ためらいなく明確に言い当てること。核心をずばりと言い切る様子を表す。
道教は、中国に起源を持つ宗教であり、老子や荘子の思想を基盤としつつ、陰陽五行説や神仙思想、さらには仏教などの要素も取り入れて形成されました。無為自然を重んじ、不老長寿の追求を特徴としています。
道標とは、道行く人に方向や距離、地名などの情報を示すために道端に設置された標識や立て札を指す。道案内の役割を果たすもので、「みちしるべ」とも読まれる。
道楽とは、本業とは別に趣味として楽しむことを指すが、特に食道楽のように特定の分野に熱中する場合に用いられる。また、転じて、賭け事や遊興にふけり、身を持ち崩すような放蕩な振る舞いを意味することもある。
道化とは、滑稽な言動によって人を笑わせる行為、あるいはそのような役割を担う者を指す。歌舞伎においては、道化方(三枚目)として笑いを取る役柄を指すこともある。
道心とは、道徳を重んじる心のあり方を指す。また、仏教においては仏道を求める信仰心や、修行への志を意味する。さらに、成人後に出家して仏門に入った者を指す用法もある。
主要な街道から外れた脇の道を指し、本道に比べて規模が小さく、しばしば近道や抜け道として利用される。
羨道とは、横穴式墳墓において、外部から棺を納めた玄室へと通じる通路のことを指す。古墳時代の墳丘墓などに見られる構造で、「えんどう」と読まれることもある。
鉄道とは、敷設されたレールの上を車両が走行し、旅客や貨物を輸送する交通機関を指す。
聞いた話によればという意を表す。伝聞の情報を述べる際に用いる語。
世間一般に言われているところによれば、という意味を表す。伝聞や世評を述べる際に用いる表現である。
舗道とは、歩行者や車両の通行を容易にするために、路面をアスファルトやコンクリートなどで平らに固めた道路のことを指します。英語の「ペーブメント」に相当し、表記としては「鋪道」と書くこともあります。
新たに切り開かれた道を指し、従来の道に対して新設されたり、未開の地を開拓して作られた道を意味する。
糧道とは、兵糧を前線へ輸送するための経路を指す。転じて、生計を立てる手段や生活の資を得る方法を意味する。
畔道は、水田と水田の間に設けられた畦(あぜ)を道として利用できるように広げた細い通路を指す。農作業のための通路として機能し、田園地帯で見られる景観の一部をなす。表記としては「畦道」とも書かれる。
馬道(めどう)は、殿舎と殿舎の間に板を渡して土間廊下とした通路を指し、必要に応じて板を外して馬を引き入れることができた。また、長い廊下の別称としても用いられる。
道のままに進むことを指し、特に途中で曲がったりせず、道に沿って真っ直ぐに進む様を表す。
道を歩む進み具合を指し、特に旅の進行状況を表す。歩みの遅速や行程の進捗を意味する。
切り立った山腹に設けられた険しい山道を指す。岩肌が露出した難所が続く細い道であり、歩行に困難を伴う地形を特徴とする。「そわみち」とも読まれる。
田んぼと田んぼの間の境界をなす土手状の部分が、細い通路として利用されている道を指す。畔道とも表記する。
学問や技芸など、特定の分野を指す語。その道筋や領域を意味し、従事する分野そのものを示す場合に用いられる。
山や海の底、あるいは地下を貫いて通された通路を指す。トンネルと同義である。なお、「スイドウ」と読む場合は、棺を納めるために斜めに掘られた墓穴への道を意味する。
入道雲とは、積乱雲の俗称である。夏の空によく見られる、入道(坊主頭の妖怪)の姿を連想させるような、巨大で垂直に盛り上がった雲を指す。
天道花は、四月八日の灌仏会に竹竿の先に掲げて供える花飾りのことを指し、主に西日本で行われる習わしである。高花や八日花とも呼ばれる。
天道虫は、テントウムシ科に属する小型の甲虫の総称で、半球形の体と鮮やかな斑紋が特徴である。一般に「てんとうむし」とも呼ばれ、多くの種が農業害虫となるアブラムシを捕食するため、益虫として知られている。
合気道は、日本の古流柔術を源流とする武道であり、相手の関節の急所を制する技や当て身を主体としている。攻撃よりも自己防衛を重んじ、相手の力を利用して制することを理念とする。
修験道は、日本古来の山岳信仰に仏教や神道が融合して成立した宗教であり、山野に分け入って厳しい修行を積み、霊験を獲得することを目指す。開祖は役小角(えんのおづの)と伝えられる。
道祖神は、悪霊の侵入を防ぎ、道路の安全や旅人の守護を司る神である。読みは「さえのかみ」で、「さいのかみ」「ドウソジン」とも読まれる。その由来は、伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰る際、追ってきた黄泉醜女を防ぐために投げた杖から生まれたとされる。また、「障の神」や「塞の神」と表記されることもあり、道陸神(ドウロクジン)とも呼ばれる。
道祖神は、村境や峠などに祀られる神で、旅人の安全を守り、悪霊の侵入を防ぐとされる。塞の神とも呼ばれ、道端に立つ石像の形をとることが多い。
散歩や軽い運動を楽しむために整備された歩行者専用の通路を指し、自然の中や公園、河川敷などに設けられることが多い。プロムナードとも呼ばれる。
入木道とは書道の別称であり、特に筆勢が力強く紙面に深く食い込むような表現を重んじる観点から用いられる語である。入木三分の故事に由来し、文字の精神が木材に刻まれるほど深く表れるという書の理想を表している。
人の道に外れた行いや、情け容赦のない様子を指す。非道や不人情と同義で、かつては「無義道」から転じたとする説もある。
道陸神は、道祖神と同じく、村境や辻などに祀られ、悪霊や疫病の侵入を防ぎ、旅人の安全を守るとされる神である。
北海道で産まれた馬を指すほか、転じて北海道出身の人を指す語である。特に後者の用法では、その土地で生まれ育った者としての郷土愛や気質を含意することが多い。
道灌草はナデシコ科の一年草で、ヨーロッパ原産の観賞植物である。晩春に淡紅色の小さな花を咲かせ、種子は薬用に用いられる。江戸時代、東京の道灌山で初めて栽培されたことに由来する名で、「王不留行」とも表記する。
詭道険語とは、道理に反した邪な手段や、危険な思想を含む言葉を指す。物事の本質を歪めたり、人を惑わしたりするような言説や策略を意味する。
感応道交とは、仏教において信仰者の心が仏の慈悲に通じ、相互に響き合うことを指す。『法華文句』に基づけば、深い信心が仏の教えと一体となり、功徳や利益がもたらされる境地を表す四字熟語である。
悪逆無道とは、人として守るべき道理を踏み外し、極めて残忍で非道な行いをすることを指す。「悪逆」は父母や主君を害するような重大な罪を意味し、「無道」は人の道から外れることを表す。道徳に背き、常識を超えた残虐な行為を総称する四字熟語である。
悪逆非道とは、人としての道理に著しく背く残虐な行いを指す四字熟語である。悪逆と非道はいずれも道理に反する悪事を意味し、二語を重ねることでその非道さを強めて表現している。極めて残忍で、常識や倫理を逸脱した行為をいう。
仏教における世界観の一つで、衆生がその業に応じて天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界を生死を繰り返しながら巡り続けるという思想を指す。迷いの世界からの解脱がなければ、この輪廻は終わることがないとされる。
非義非道とは、道理に外れ、人としての道を踏み外した行いや様子を指す。義理や人道に背く、極めて不当で残忍な振る舞いを表す四字熟語である。
「班荊道故」は、道端に敷物を敷いて腰を下ろし、旧交を温めて語り合うことを意味する。かつて楚の国の伍挙と声子が鄭の国で偶然出会い、荊の枝を敷いて座り、互いに旧交を懐かしみながら語り合った故事に由来する。転じて、旧友と偶然に再会し、昔話に花を咲かせる情景を指す。