生物の体内で生成される有毒な物質を指し、他の生物の体内に入ると生理機能に障害を引き起こす作用を持つ。
素面(しらふ)とは、酒を飲んでおらず、酔っていない平常の状態を指す。また、その際の顔つきや様子を表すこともあり、素顔という意味合いも含まれる。表記としては「白面」と書く場合もあり、「スメン」と読むこともある。
素魚はハゼ科の海魚で、各地の沿岸に生息する。春になると川を遡上し、小石に産卵する習性を持つ。体は淡黄色で半透明であり、死後は白くなる。シラウオとは別種であり、イサザとも呼ばれる。表記としては「白魚」と書くこともある。
その分野を職業とせず、経験や知識が十分でない人を指す。また、芸事や接客業に従事しない一般の女性を意味する場合もある。対義語は玄人(くろうと)である。
素足とは靴下や履物を履かず、直接肌が露出した状態の足を指す。地面や床に直接触れる裸足の状態を表し、季節を問わず使用される表現である。
素謡とは、能楽における演奏形式の一つであり、囃子や舞を伴わずに、謡曲の声楽部分のみを歌うことを指します。
「素地」は、物事の基礎となる状態や性質を指す言葉です。生まれつきの性質や素顔の肌、釉薬をかける前の陶磁器、織物の地質や布地、パンなどの材料となる練り粉など、様々な物事の土台や素材そのものの状態を表します。表記としては「生地」とも書かれ、「ソジ」と読む場合もあります。
化粧を施していない顔そのものを指すとともに、飾り気のないありのままの状態を表す。また、酒に酔っていない正気の状態を意味する「素面(しらふ)」と同義として用いられることもある。
素湯とは、水を沸かしただけで何も加えていない、飲用に供する湯のことを指す。白湯とも表記される。
素性とは、生まれながらの血筋や家柄、あるいは育ってきた経歴や環境を指す。また、物事の由来や来歴、いわれを表す場合にも用いられる。表記としては「種姓」と書くこともある。
素描とは、木炭や鉛筆などの画材を用いて、対象の輪郭や明暗を簡潔に捉え、描写すること、またその作品を指す。下絵として用いられることもあるが、独立した表現としても扱われる。
素材とは、何かを作り出す際の基礎となる材料を指します。例えば、料理においては食材そのものを意味し、その持ち味を活かすことが重要です。また、芸術作品の創作においては、民話や自然、人々の感情や行動など、作品の基盤となる題材やインスピレーションの源も素材と呼びます。
素面とは、剣道や能などにおいて面を装着していない状態を指す。また、酒に酔っていない状態、すなわちしらふと同じ意味でも用いられる。
素練とは、精練された白い絹布を指す。練り糸を用いて織られた絹織物であり、光沢と柔らかな風合いが特徴である。
陶磁器において釉薬を施さずに低温で焼成する技法、あるいはそのようにして作られた器物を指す。また、魚介類などに調味料を用いずにそのまま焼く調理法、あるいはその焼き上がった料理をも意味する。
素破(すわ)は、突然の出来事に驚いた際に発する感動詞で、「さあ」や「そら」といった意味を持つ。主に事態の急変や重大な出来事に直面した驚きや注意を促す際に用いられ、「天下の一大事」などの表現に続けて使われることもある。また、「驚破」と表記される場合もある。
電気回路や機械回路において、特定の機能を果たす最小単位の構成部品を指す。コンデンサーやトランジスターなど、それ自体が独立した働きを持つ電子部品の総称として用いられる。
素志とは、長い間心に抱き続けてきた願いや志のことを指す。平素からの念願であり、人生において大切に守り通そうとする目標や理想を表す。
素衣とは、模様や飾りのない白い衣服を指し、特に白絹で作られた着物を意味する。
素意とは、以前から心に抱き続けている意志や考えを指す。長い間持ち続けてきた願いや志を表し、それを成し遂げることを「素意を達する」などと表現する。
塩素は、黄緑色で刺激臭のある有毒な気体元素である。強い酸化作用を持ち、漂白や殺菌、消毒などに広く用いられる。
酵素とは、生物の細胞内で生成される有機化合物であり、生体内の化学反応を促進する触媒として働く。その主成分はタンパク質であり、消化作用をはじめとする様々な代謝過程において、反応速度を高める役割を担っている。
空気中に約21%含まれる無色・無臭の気体で、元素記号はO、原子番号は8である。物質の燃焼を支え、生物の呼吸に不可欠な役割を果たす。医療では吸入療法に用いられる。
飾り気がなく、無駄を省いたつつましいさま。生活や身なりなどにおいて、華美や贅沢を排し、地味で控えめであることを指す。
飾り気がなく、無駄を省いて質素であること。また、そのような様子を指す。物事の形式や外観が控えめで、本質を大切にした簡潔さを特徴とする。
沃素はハロゲン元素の一つであり、黒紫色の結晶を呈する。消毒や医薬品の原料として広く用いられ、ヨードとも呼ばれる。
素肌とは、化粧を施していない、ありのままの肌の状態を指す。また、肌着などを身につけず、直接衣服をまとう肌のこともいう。
ハロゲン元素の一つで、淡黄緑色を呈する気体である。特有の刺激臭を有し、化学反応性が極めて強く、多くの物質と激しく反応する。また毒性が強いため取り扱いには注意を要する。
砒素は灰白色の金属光沢を持つ脆い固体で、非金属元素の一つである。その化合物は強い毒性を示し、農薬や医薬品の原料として用いられる。
素馨はモクセイ科ソケイ属に分類される植物の総称で、主に熱帯・亜熱帯地域に自生する。つる性または低木のものが多く、夏に芳香のある白色や黄色の花を咲かせる。その花は香料の原料として用いられ、ソケイやマツリカ、オウバイなどがこれに含まれる。漢名に由来する語で、「耶悉茗」と表記されることもあり、「ソケイ」と読む場合もある。
素袷とは、襦袢を着用せずに、直接肌にあわせの着物を着ることを指す。主に夏の暑い時期に行われる着方である。
素襖は、直垂から変化した衣服で、麻地に家紋を染め出したものを指す。室町時代には庶民の平服として広く用いられ、後に武士階級にも取り入れられ、江戸時代には下級武士の礼服として定着した。
素馨はジャスミンを指す語で、特にマツリカ(茉莉花)などの香り高い白い花を咲かせる植物をいう。その清らかで上品な香りから、古くから香水や茶の香りづけに用いられてきた。
仕事をせず、また功績や才能もないのに、高い地位に就いて俸禄を受け取っている状態を指す。徒食や素食と同義で、無為徒食の喩えとして用いられる。
ケイ素は非金属元素の一種であり、酸素と結合した二酸化ケイ素などの化合物として地殻に広く分布している。結晶質のものは半導体の材料として電子部品に用いられ、シリコンとも呼ばれる。漢字表記には「珪素」も用いられる。
鉤素とは、釣り糸のうち、おもりから釣り針に至る部分に用いる細くて丈夫な糸を指す。水中で魚の目につきにくくするため、透明なナイロンや天蚕糸(てぐす)などが使用される。
縞素とは、白い絹の生地を指す語で、特に喪服として用いられる白絹の衣装を意味する。また、書画を描くための支持体としての白い絹布のこともいう。
その人の家柄や血筋、生まれや経歴などを指す語。特に、出自や来歴が明らかでない場合に用いられることが多い。
非常に貧しい状態、あるいはそのような境遇にある人を指す。金銭や財産がほとんどなく、無一文に近い様子を表す。語源は「すかんぴん」で、「素寒貧」は当て字として用いられる。
素封家とは、代々受け継がれた財産を有する富裕な家柄を指す。元来「素」は無位無官を、「封」は領地を意味し、爵位や領地を持たないながらも大名に匹敵する財産を保有する者を称した。現代では広く大金持ちや資産家を表す語として用いられる。
往生素懐とは、仏教において平素から抱き続けてきた、この世を去って極楽浄土に往生したいという願いを表す四字熟語である。「往生」は極楽浄土に生まれ変わることを、「素懐」は日頃からの心からの望みを意味する。
一点素心とは、『菜根譚』に見られる四字熟語で、わずかではあるが、飾り気のない純粋な真心や、私欲の混じらない清らかな心持ちを指す。世俗の雑念に染まらず、ほんの少しでも真実の心を保つことの大切さを説いた表現である。
素車白馬とは、白木の素朴な車と白い馬を指す四字熟語である。中国では、もともと葬儀の際に用いられる車馬を意味した。転じて、降参や罪を詫びる際に、死を覚悟した潔い態度を示すために用いられることもあった。『史記』「高祖本紀」などにその用例が見られる。
窃位素餐とは、地位にふさわしい能力や実績がないにもかかわらず、その職位に居座り、俸禄を無駄に受け取っていることを意味する。『漢書』の「朱雲伝」に由来し、職務を果たさずに報酬だけを得る無能な官吏を批判する表現として用いられる。
清光素色とは、清らかな月の光が夜を照らす様を表す四字熟語である。清光は澄み切った光、特に月光を指し、素色は何も染まらない本来の色を意味する。合わせて、夜空に冴え渡る月の清冽な輝きを言い表す。
斉紫敗素とは、粗末な白絹(敗素)を紫色に染め上げるだけで価値が高まることに由来し、優れた知恵や手腕によって、一見不利な状況や粗末な材料を活用し、災いを福に転じ、失敗を成功へと導くことのたとえである。
質素倹約とは、贅沢を排し、飾り気なくつつましい生活態度を指す。物事を地味に控えめにし、無駄遣いをせずに慎ましく生きる姿勢を表す。
質実朴素とは、飾り気がなく素直で、地味で質素な様子を表す四字熟語である。中身が充実して誠実でありながら、外見は華美でなくつつましいことを意味する。人柄や生活態度などについて用いられる。
「尸位素餐」は、高い地位にありながら職務を果たさず、無為徒食で俸禄を受け取ることを意味する四字熟語である。「尸位」は神の依代として動かない様子から転じて、地位に居ながら何もしないことを指し、「素餐」は何の働きもせずに食事をすることを表す。