同じ憂いや心配を共有すること。また、そのような境遇や心情を共にする人を指す。
憂いを忘れることを意味し、そこから転じて酒の別称ともなる。また、そのような効能があるとされた萱草(かんぞう)の異称としても用いられる。
憂世とは、苦しみや心配事の多い世の中を指す語である。人生の辛さやはかなさを感じさせる現世を嘆く際に用いられ、「憂世を嘆く」などの表現で使われる。なお、同じ読みで「浮世」と表記する場合は、現代の世の中や現実の世を指す意味となる点に留意が必要である。
憂鬱とは、心が重く沈み、晴れやかさを失った状態を指す。物事に意欲が湧かず、気分が塞ぎ込む様子を表し、試験の前など特定の状況下で生じやすい精神の曇りをいう。表記としては「悒鬱」や「幽鬱」と書くこともある。
国の行く末や現状を案じ、心を痛めること。特に、社会や政治の状況に対して深い懸念を抱き、国の将来を真摯に思いやる心情を指す。
憂い憤ること。社会の不正や不道徳な事態に対して、深く悲しみ怒る心情を指す。
悪い事態が生じることを予想して心配し、気にかけること。将来に対する不安や懸念を抱き、その成り行きを案ずる気持ちを指す。
憂惧とは、将来の悪い出来事や不都合な状況を予想して、心配し恐れることを指す。
杞憂とは、実際には起こる可能性のないことを必要以上に心配することを指す。古代中国の杞の国の人が天地が崩れるのではないかと過度に憂えたという故事に由来し、無用な心配や取り越し苦労を意味する。
杞人の憂いは、中国の故事に由来する四字熟語で、杞という国の人が天が崩れ落ちるのではないかと不必要に心配したという逸話から生まれた。転じて、根拠のない取り越し苦労や、無用の心配を意味する。
杞人天憂とは、『列子』天瑞篇に由来する故事で、杞の国の人が天が崩れ落ちるのではないかと不必要な心配をし、食事も喉を通らなくなる様子を描いたものです。転じて、根拠のない取り越し苦労や、起こり得ない事柄を心配して悩むことを意味します。
遠慮近憂とは、将来のことを深く考えずに行動していると、必ず近い将来に思いがけない心配事が生じるという教えである。『論語』に由来するこの言葉は、先を見通した計画性の重要性を説き、行き当たりばったりの振る舞いを戒めるものである。
状況の変化に応じて喜んだり心配したりして、気持ちが安定しない様子を指す。些細な出来事にも心を動かされやすい、慎重すぎる態度を表す際に用いられることが多い。
憂いを忘れさせるものという意味で、特に酒を指す。陶潜の「飲酒」詩に由来し、酒を飲むことで日々の煩わしさから解放される心境を表す。
「負薪之憂」は、自分自身の病気をへりくだって言う表現である。その由来は、『礼記』曲礼篇に記され、薪を背負う労働の疲れから病に伏す、あるいは病のために薪を背負うことができなくなる状態を指すとされる。転じて、自身の病気や体調不良を控えめに述べる際に用いられる四字熟語である。
先憂後楽とは、優れた為政者の心得を表す四字熟語である。世の人々がまだ気づかぬうちに将来の憂いを慮り、先んじて対策を講じ、人々の楽しみが確かなものとなった後に初めて自らも楽しむという、公共に奉ずる者の姿勢を示す。中国宋代の范仲淹が『岳陽楼記』で述べた精神に由来する。
仁者不憂とは、『論語』に見える四字熟語で、仁徳を備えた者は心にわだかまりがなく、常に平静で安らかな心境にあるため、何ものにも煩わされることのない様を表す。