山茶はツバキ科の常緑高木を指す語で、椿(つばき)の漢名に由来する。
甘茶はユキノシタ科の落葉低木で、山地に自生し、六月頃にアジサイに似た花を咲かせる。また、その葉やアマチャヅルの葉を蒸してもみ、乾燥させて作られる飲料のことも指し、四月八日の灌仏会では釈迦の生誕像に注がれ、功徳があるとされて家庭でも飲用される。別名として「土常山」とも書かれる。
白茶は白っぽい薄い茶色を指す色名である。また茶道用語としては、灰汁抜きをせずに蒸して焙じた高級な茶のことを指し、この場合「しろちゃ」と読むこともある。
「目茶」は、道理に合わない様子や常識を外れた行為を指し、また程度が並外れて甚だしいことや、物事が混乱・破壊された状態を表す。多く「目茶目茶」と重ねて用いられ、表記は「滅茶」とも書く。当て字として用いられる語である。
抹茶は茶葉を臼で挽いて粉末状にしたもので、茶道においては湯を注いで茶筅で撹拌して飲用する。碾茶とも呼ばれる。
茶請けを添えずに茶のみを提供すること。また、そのようにして出された茶そのものを指す。
点茶とは、抹茶を茶碗に入れ、湯を注いで茶筅でかき回して泡立てる作法を指す。主に茶道において用いられる語で、「てんさ」や「たてちゃ」とも読まれる。
茶の若葉を発酵させて乾燥させた飲料で、湯で抽出して飲用する。茶葉の酸化によって独特の赤褐色の水色と芳醇な香りを生じるのが特徴である。
ツバキ科の常緑小高木で、晩秋から初冬にかけて赤や白、ピンクなどの花を咲かせる。漢名「茶梅」に由来し、その読みが転じて「さざんか」と呼ばれるようになった。山茶花とも表記する。
茶室とは、茶の湯を行うための専用の空間を指し、茶会を催すために設けられた部屋や建物をいう。茶席や茶寮とも呼ばれ、露地や待合を伴うこともあり、わび・さびの精神に基づいた独特の建築様式と空間構成が特徴である。
茶番とは、元来は茶を点てて客をもてなす役目のことを指すが、転じて、茶番狂言の略称として、また、見えすいた仕掛けや底の浅い出来事を茶番劇に喩えて、滑稽でつまらない振る舞いや事態を意味するようになった。
茶房とは、紅茶やコーヒーなどの飲み物を提供する飲食店を指す言葉であり、喫茶店と同義で用いられる。
茶を煎じるために用いる釜や土瓶を指す。また、頭髪の薄い頭を意味する「茶瓶頭」の略語としても用いられる。
茶目とは、子供のような無邪気ないたずらや、人を笑わせようとする軽い冗談を指す。また、そのような言動をする人を表すこともあり、悪意のない愛嬌のある振る舞いを特徴とする。
茶道に精通し、茶の湯を嗜む人を指す。また、風流を解し、一風変わった趣味を持つ人を形容する場合もある。
茶屋とは、元来は茶葉を製造・販売する店舗を指すが、転じて茶や軽食を提供する休憩所、さらには飲食や遊興を楽しませる接待施設をも意味する。特に芝居小屋や相撲興行場に付随し、客の案内や飲食の世話をする店もこう呼ばれる。
茶席とは、茶を点てて供するための座席や茶室を指す。また、茶の湯の会そのものを意味することもある。
茶を飲みながらくつろいで交わす会話を指す。特に形式ばらない座談や雑談の場を意味し、「茶話会」のように改まった集まりにも用いられる。
茶会とは、客を招いて茶の湯の作法に則り茶を振る舞う集いを指す。茶事とほぼ同義であり、茶の湯の会とも呼ばれる。また、「サカイ」と読む場合もある。
茶の湯において湯を沸かすために用いる釜で、口が狭くつばが付いているのが特徴である。茶鐺とも呼ばれる。
茶代とは、茶店などで茶を飲んだり休憩したりした際に支払う代金を指す。また、旅館や飲食店において、宿泊料や飲食料以外にサービスに対して渡す心付けの金銭、いわゆるチップの意味でも用いられる。
茶気とは、茶道の心得や教養を指すとともに、物事にこだわらない洒脱な気質や、世俗を超越した風流な趣を表す。また、軽妙な冗談や茶化しを好む、おどけた性格の一面も意味する。
「茶茶」は、他人の話や行為にわざと干渉したり、からかったりする妨害行為を指す。また、近畿地方を中心に用いられる方言として、煎茶や抹茶など、一般に飲用する「お茶」そのものを意味する場合もある。
茶の湯において茶碗を拭うために用いる麻などの布を指す。また、食品を布で包んで絞り、表面に絞り目を付けた「茶巾絞り」の略称としても用いられる。
茶事とは、茶道における正式な茶会を指す。茶の湯の儀式に基づき、亭主が客をもてなす一連の作法を含む。特に「茶事七式」と呼ばれる七種の基本形式があり、季節や時間帯に応じて構成が異なる。また「サジ」と読む場合もある。
粗茶とは、品質の高くない普通のお茶を指す。また、客人にお茶を差し上げる際に謙遜して用いる表現でもある。
煎茶とは、茶葉に湯を注いで香りと味を抽出して飲む方法、あるいはその茶葉そのものを指す。また、緑茶の一種として、玉露と番茶の中間に位置する中級品の茶を指すこともある。
福茶は、黒豆や昆布、山椒などを加えて煎じ出した茶のことで、正月や節分などの際に縁起物として飲まれる習わしがある。
濃茶とは、茶道で用いられる抹茶の一種であり、通常の抹茶よりも濃厚な仕立てのものを指す。原料としては、直射日光を遮って栽培した茶樹の葉を石臼で挽いた高級な抹茶を用いる。茶会においては「濃茶手前」と呼ばれる作法で点てられ、少量を茶碗で回し飲みするのが特徴である。薄茶に比べて茶の量が多く、深い味わいと濃い緑色が際立つ。
薄茶は、抹茶を少量用いて薄く点てた茶のことで、濃茶に対して用いられる呼称である。また、薄く淡い茶色を指す色名としても用いられる。
「滅茶」は、道理に合わないことや常識を外れた様子を表し、無茶な言動を指す。また、程度が並外れて甚だしいことや、物事が極度に混乱した状態を意味する。表記としては「目茶」とも書かれ、これは当て字によるものである。
侘茶とは、桃山時代に確立された茶道の様式で、豪華な道具や装飾を排し、簡素で静寂な雰囲気を重んじることを特徴とする。村田珠光によって創始され、後に千利休によってその精神性と形式が完成された。
茶杓とは、茶道において抹茶をすくい取るために用いる細長い竹製の道具を指す。また、茶の湯の場面では茶釜から湯を汲み取る柄杓のことも意味する。
茶筅とは、抹茶に湯を注いでかき混ぜ、茶を立てるために用いる竹製の道具を指す。また、転じて、髪を後ろで束ねて先端を茶筅のように広げた髪型「茶筅髪」の略称としても用いられ、男子では中世から、女子では江戸時代に広く行われた。
茶を飲む際に湯呑み茶碗の下に敷く小さな受け皿のこと。茶碗を直接置くのを避け、卓上を汚さないようにするほか、茶碗の持ち手としての役割も果たす。
茶匙とは、小型の匙を指す。特に抹茶をすくい取るために用いられる細長い形状のものを指し、茶杓とも呼ばれる。
茶を沸かすために用いる金属製の器具を指し、茶釜と同じものを意味する。
挽茶とは、茶の新芽を蒸して乾燥させた後、臼で挽いて粉末状にした高級な茶のことであり、抹茶の原料として知られる。碾茶と表記されることもある。
仏事において、仏前や霊前に供える茶を指す。また、その供える行為そのものも意味し、同様の儀礼である奠湯と併せて用いられることがある。
碾茶とは、茶の若芽を蒸した後、揉まずに乾燥させたものを石臼で挽いて粉末にした茶のことであり、抹茶の原料となる。挽茶と表記されることもある。
中国やチベット、モンゴルなどで飲用される茶の一種で、緑茶や紅茶を蒸した後、煉瓦(磚)状に圧縮成型して固めたものを指す。
ツバキ科の常緑小高木で、暖かい地方の山地に自生する。晩秋から冬にかけて白や紅色の花を咲かせ、花びらは一枚ずつ散るのが特徴である。種子から採油される。漢名に由来する「山茶花」の表記のほか、「茶梅」とも書く。
波布茶とは、マメ科の植物であるハブソウやエビスグサの種子を炒った後、煎じて作られる薬用茶である。健胃や解毒の効能があり、民間療法として用いられる。
茶を飲み菓子を食べながら、くつろいだ雰囲気で談笑する集まりを指す。形式ばらない社交の場として親しまれ、「チャワカイ」と読まれることもある。
茶羽織とは、腰のあたりまでの短い丈の羽織を指す。茶道の席で、茶人が衣服のほこりを防ぐために着用したことに由来する。
茶坊主とは、かつて武家に仕えて茶の湯の接待や雑務を担当した下級の役職、またはその者を指す。転じて、権力者に取り入り媚びへつらう者を嘲る罵倒語としても用いられる。
黄枯茶は染色の色名で、薄く藍色を帯びた黄褐色を指す。朽葉色に近いが、わずかに青みがかった渋い中間色である。
芝翫茶は、赤みを帯びた茶色を指す染色の名称である。江戸時代、大坂の歌舞伎役者三代目中村歌右衛門(俳名・芝翫)が好んで用いたことに由来する。
チャタテムシ科に属する昆虫の総称で、体長は数ミリメートルと小さく、体は軟弱である。秋になると障子などに止まり、茶を立てるような「サッサッサ」という微かな音を発することからこの名がある。アズキアラとも呼ばれる。
ウリ科に属するつる性の多年草で、山地に自生する。秋には黄緑色の小さな花を咲かせる。葉は五枚の小葉からなる複葉で、甘味があり、甘茶の原料とされる。別名をツルアマチャといい、「絞股藍」と表記することもある。
中国原産の半発酵茶の一種で、茶葉を発酵途中で加熱処理し、揉捻して乾燥させる製法を特徴とする。仕上がった茶葉は烏のように黒く、竜の爪のように曲がった形状を呈することからこの名が付けられた。
物事の秩序や状態が著しく乱れている様子を表す。程度が甚だしく、常軌を逸しているさまを指し、多くは望ましくない事態や混乱した状況に用いられる。
無茶苦茶とは、物事の筋道が全く通っておらず、道理に外れた状態を指す。秩序や常識を無視した混乱した様子や、度を超えた行いを表す際に用いられる。
日常茶飯とは、文字通りには毎日の食事のことを指すが、そこから転じて、ごくありふれたことや、何ら特別でない当たり前の事柄を意味する。