二心(ニシン)は、一つの事柄に対して二つの異なる心を持つこと、つまり忠誠心が揺らぎ裏切りを企てる心を指す。表記としては「弐心」とも書かれ、また「ふたごころ」とも読まれる。
二心とは、一つの対象に対して同時に二つの異なる心を持つことを指し、特に浮気心や移り気を意味する。また、味方や主君に対する裏切りや疑念を抱く心の状態も表し、忠誠心に欠ける態度をいう。
人心とは、人々の心や感情、考え方を指す言葉である。特に、世間一般の人々が抱く共通の気持ちや意向、社会全体の趨勢や雰囲気を表す場合に用いられる。個人の内面よりも、集団としての心理や支持の動向に重点が置かれる表現である。
下心とは、表には出さず心の中に秘めている考えを指し、特に何かを企むような悪意のある意図をいうことが多い。また、ことわざや格言などに込められた裏の意味、すなわち寓意を指す場合もある。さらに、漢字の部首の名称として用いられ、「恭」や「慕」の脚の部分、「思」や「恩」の下部など、心に関わる部分を表す。
小心とは、気が小さく、物事に臆病で、大胆さに欠ける様子を指す。些細なことにも過剰に気を遣い、決断力や度胸が乏しい性格を表す語である。
中心とは、物事の真ん中や中央を指す。また、物事が集中し、最も重要な働きをする場所や位置、あるいはその核となるものを意味する。幾何学においては、円周上または球面上のすべての点から等距離にある点を指す。
丹心とは、偽りのない真心を指し、赤心や丹誠とも呼ばれる。誠実さと熱意を込めた純粋な心の状態を表す。
仏心とは、仏が衆生を救済しようとする慈悲深い心を指す。また、一切の衆生が本来備えている仏となる可能性、すなわち仏性と同義として用いられることもある。「ほとけごころ」と訓読みされる場合もある。
内心とは、外部に表れない心の奥底にある考えや感情を指す。また、幾何学においては多角形の内側に接する円の中心を意味する。
天心とは、空の中心を指し、月や星が高く昇った位置を表す。また、天帝や天子の心を意味し、天の意志や君主の思いを象徴する表現として用いられる。
心の奥底から燃え上がるような激しい感情を指し、特に怒りや憎しみといった強い情動の状態を表す。
心外とは、相手の言動や物事の成り行きが全く予期していなかった方向に向かい、その結果として不本意であったり、裏切られたような気持ちを抱くさまを表す。意外に思うと同時に、残念で納得のいかない心情を含意する。
心の状態や気分を指し、特に心が晴れずに憂鬱な様子を表す。心気を病むとは、心がふさぎ込んで気分が塞ぎがちになることをいう。
心と血を意味する漢字から成り、人が注ぎうる限りの精神と体力、すなわち全身全霊の力を指す。何かに深く打ち込む様子を表す際に用いられる。
心魂とは、人の内面の本質を成す精神や魂を指す語で、時に「神魂」とも表記される。集中や没頭の度合いが極めて深い様子を「心魂を傾ける」などの表現で示すことがある。
「心神」とは、人の内面にある精神や意識の働きを指す言葉で、思考や感情、意志といった心の活動全体を表します。漢字の「神」はここでは心や精神の意味を持ち、心の状態やその働きを強調する表現として用いられます。例えば、「心神喪失」のように、正常な精神の働きが失われた状態を指して使われることもあります。
樹木の幹の中心部を形成する部分で、長い年月を経て細胞が死に、色素や樹脂などの物質が蓄積することで色が濃くなり、通常は辺材よりも硬く腐りにくい性質を持つ。
心算とは、心の中で行う計算や計画のことを指し、口に出さずに頭の中で見積もったり、準備したりする様子を表します。胸算用とも呼ばれ、実際に行動に移す前の内々の考えや意向を意味します。
心に抱いている事柄や考え。特に、他人に打ち明けがたい思いや悩みを指すことが多い。
心胆とは、心臓と胆嚢を指し、転じて人の精神や気力を意味する。特に「心胆を寒からしめる」という表現で、強い恐怖や衝撃によって肝を冷やし、心身の底から震撼させる様を表す。
心緒とは、心の中に生じる様々な思いや感情の端緒、またその心の状態を指す語である。心の動きや気持ちの糸口として捉えられ、時に「シンチョ」とも読まれる。
心証とは、相手の言動や態度から自然と心に抱く印象を指す。また、裁判においては、審理を通じて裁判官が事実関係について内心に形成する確信を意味する。
心痛とは、心配や悲しみ、苦しみなどによって心が痛むことを指す。特に大切な人や物事に対する深い心労や、思い悩む様子を表す。
心頭とは、心の中や念頭を指す語である。激しい感情が心の内から湧き上がる様子を表す際にも用いられ、例えば「怒り心頭に発する」のように、怒りの感情が心の奥底から激しく沸き起こることを意味する。
心の中に生じる様々な思いや感情の状態を指す。喜びや悲しみ、期待や不安など、内面にわき起こる複雑な気持ちの総称として用いられる。
心太(ところてん)は、海藻の一種であるテングサを煮溶かして得た汁を型に流し込み、冷やし固めた食品である。通常は専用の器具で細長く突き出して糸状にし、醤油や酢などをかけて食用とする。名称は、テングサの古称「心太(こころぶと)」が「こころてい」と読まれるようになり、さらに転じて「ところてん」となったとされる。別表記として「瓊脂」がある。
ある物事に対して不安を感じたり、気がかりに思ったりする状態を指す。また、他者のために気を配り、世話を焼くという意味でも用いられる。
心から相手を尊敬し、その人に従うこと。深く感銘を受け、敬服の念を抱く様子を表す。
胸と腹を指す原義から転じて、心の奥底や胸の内を意味する。人の本心や内面の思い、またそれらが秘められている場所を表す表現である。
心算(つもり)とは、前もって立てた考えや意図を指す。また、事前の計算や見積もりを意味することもある。さらに、実際にはそうでない状況を、あたかもそうであるかのように思い込む心情を示す場合にも用いられる。例えば、「参加するつもり」のように意図を表したり、「旅行に行ったつもりで貯金する」のように仮定に基づく心持ちを表現したりする。表記としては「積り」と書くこともある。
民心とは、国民や民衆の心の動きや感情、考え方の総体を指す。政治や社会情勢に対する人々の受け止め方や、為政者への信頼や不満など、集団としての心情のありようを表す語である。
会心とは、物事が思い通りに進み、心から満足している様子を指す。特に、努力の成果が期待以上に現れた時に感じる深い喜びや達成感を表し、表情や態度に自然と滲み出る満足感を伴うことが多い。
安心とは、心が安らぎ、不安や心配がなく落ち着いている状態を指す。また、「あんじん」と読む場合は仏教用語として、信仰によって心が動揺しない境地に至ることを意味する。
気心とは、その人に本来備わっている気質や気性を指し、特に人柄の根底にある素直な性質や心のありようを表す。互いの気心が知れた間柄というように、親しい関係において理解し合える心の基盤を意味する。
灯心とは、行灯やランプなどで火をともすために用いる芯のことで、主に植物の繊維を撚り合わせて作られる。灯火の燃料を吸い上げて燃焼を支える役割を果たす。「とうしみ」や「トウシン」とも読まれる。
初心とは、物事を始めたばかりの未熟な状態を指す。習い事や学問などで経験が浅く、熟達していない段階を表す。また、最初に志したときの純粋な気持ちや、初めて取り組む際の新鮮な感動を含意することもある。
戒心とは、物事に対して油断せずに注意を払い、警戒する心構えを指す。自らを戒め、不測の事態に備えるという意味合いを含む。
過ちを悟り、それまでの悪い心や行いを改めて、新たに正しい方向へと心を入れ替えることを指す。
ある事柄について強い意志を持ち、それを成し遂げようと心に定めること。また、そのように固めた意志のことを指す。
肝心とは、物事の核心を成す最も大切な様子を指す。肝臓と腎臓が人体に不可欠であることに由来し、転じて欠くことのできない重要な事柄を意味する。「肝腎」と書くこともある。
花の中心部にある、雄しべや雌しべなど生殖器官が集まった部分を指す語。花蕊(かずい)と同義である。
赤心とは、主君や国家などに対して抱く偽りのない真心を指す。誠実さと忠誠心を表し、赤誠や丹心とも呼ばれる。
邪心とは、道徳や倫理に反する悪意や不正な考えを抱く心の状態を指す。他者を欺いたり害を及ぼそうとするような、ねじけた意図や打算が含まれることが多い。
里心とは、故郷を離れて暮らす者が、ふと故郷や家族を懐かしく思い、帰りたいと感じる心情を指す。旅先や寄宿先などで、安らぎを求める気持ちが募る状態をいう。
妬心とは、他人の優れた点や幸せを見て、自分もそうありたいと思いながらもそれを得られないもどかしさから生じる不快な感情を指す。特に恋愛関係において、相手が第三者に好意を寄せるのではないかと疑い、不安や憤りを覚える心情を表す場合もある。
放心とは、心が他のことに奪われてぼんやりとした状態に陥ること、あるいは心配事をやめて気にかけないことを指す。前者の用法では放心状態に陥るなどの表現があり、後者の用法ではどうぞ御放心願いますのように安心や放念と同様の意味で用いられる。また、「放神」と表記されることもある。
物心とは、世の中の事柄を理解し判断する知恵や心の働きを指す。主に幼少期にそれが備わることを「物心がつく」と表現し、物事の道理を弁え始める年頃を意味する。
ある物事を成し遂げようと、心を砕いて努力し苦労すること。
変心とは、それまで抱いていた気持ちや意志を変えることを指し、特に愛情や忠誠心などが他へ移る場合に用いられる。
他のことを考えずに、一つの物事に精神を集中して取り組むこと。
恒心とは、物事に対して揺るぎない信念を持ち、常に変わらず貫き通す心の持ちようを指す。困難に直面しても動じず、自らの志や道徳観を堅持する節操のある態度を表す。
禅宗においては昼食を指すが、一般には軽い食事や間食を意味する。また、茶菓子や中国料理の軽食・菓子類を指す場合もある。古くは「テンジン」と発音された。
悟りを開こうと心を決め、仏道に入ることを指す。また、広く何かを成し遂げようと強く思い立つことの意にも用いられる。
心の奥底から湧き上がる偽りのない気持ちを指し、本心や誠意を表す。物事に対する深い思いや真摯な感情の根源を示す語である。
悪い事態が生じないように、事前に注意を払い警戒することを意味する。十分な注意を怠らない態度を指し、表記としては「用心」とも書かれる。
物体の各部分に働く重力の合力が作用する点を指し、物体の平衡や安定性に関わる概念である。
帰心とは、故郷や家に戻りたいと強く思う心情を指す。その思いの切なる様子は、「帰心矢のごとし」という成句に表れ、まるで放たれた矢のように速く、まっすぐに故郷へと向かう心の動きを言い表している。
従心とは七十歳の異称である。この語は『論語』為政篇にある「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」という孔子の言葉に由来し、七十歳に至って初めて自らの心の赴くままに行動しても規範を外れることがないという境地を表している。
偽りや飾りのない、ありのままの心。また、誠実な気持ちをもって他者に対して尽くそうとする心のあり方を指す。
ある物事や人物に対して強い関心や愛着を持ち、心が深く捉われて離れられない状態を指す。特に金銭や異性などに対して激しく心を奪われる様子を表し、しばしば過度な執着や没頭を伴うニュアンスを含む。
老婆心の略で、老婆が子供を思うような、必要以上に細かく気を配る親切心を指す。時に、くどいと感じられるほどに親切を尽くす様をいう。
心から理解し納得すること。十分に承知した上で、深く受け入れる心境を指す。
欲心とは、何かを強く欲しがる心の動きを指し、特に際限なく求める貪欲な気持ちや、物事に対する執着を表す言葉である。
異心とは、本来忠誠を誓うべき相手に対して抱く裏切りや背信の心を指し、二心や不忠の念を意味する。
細かい点まで注意深く配慮する様子を指す。また、気が小さく慎重な性格やその様子も表す。
虚心とは、先入観や偏見にとらわれず、素直な心で物事を受け止める態度を指す。他者の意見や忠告に対して心を開き、ありのままに聞き入れる様子を表し、無心に近い状態とも言える。
寒心とは、恐ろしさや強い不安を感じて、身震いするほど心が冷たくなることを指す。深刻な事態や将来への懸念から、ぞっとするような感覚を覚える様子を表す。
焦心とは、物事が思うように進まず、もどかしい思いで心が焦ること、あるいはそのような心理状態を指す。焦燥感や苛立ちを伴い、心が落ち着かない様を表す。
無心とは、心に欲や雑念がなく純粋な状態を指し、子供が遊ぶような無邪気な様子にも用いられる。また、遠慮なく金品を請い求める行為を意味することもある。さらに、文芸の分野では、洒落や滑稽味を重んじた「無心連歌」の略称として、あるいは狂歌の別称として用いられる。これに対し、技巧や作為を凝らしたものは「有心」と呼ばれる。
童心とは、子どもの頃に特有の純粋で無邪気な心のありようを指す。また、大人になっても失わずに持ち続ける、子どもらしい素直で飾り気のない心情を表すこともある。
道心とは、道徳を重んじる心のあり方を指すとともに、仏道を求める信仰心をも意味する。また、十三歳あるいは十五歳を過ぎてから出家した者を指す用法もある。
心に深い悲しみや苦しみを負うこと。また、そのような出来事によって痛みや悲しみを抱えた心の状態を指す。
感心とは、他者の優れた言動や作品などに深く心を動かされ、賞賛や尊敬の念を抱くことを指す。また、そのような立派な様子や態度そのものを評価する際にも用いられる。
腹心とは、心の奥底にある本心や真実の気持ちを指す。また、心から信頼できる人物、特に何事も打ち明けられ頼りにできる側近や部下を意味する。後者の用法では、主に同輩や目下の者に対して用いられる。
賊心とは、他人を害そうとする悪意ある心構えを指し、特に財物を奪おうとする盗みの意志や、主君に対して反逆を企てる謀反の意図を含む。
隔心とは、人と人との間に生じる心の隔たりや、打ち解けられない感情を指す。互いに遠慮や警戒心を抱き、親密な関係を築くことができない心理状態を表す。
慢心とは、成功や優位な立場にあることを理由に、自分を過大評価して驕り高ぶる心の状態を指す。油断や弛緩を招きやすいため、戒められるべき心構えとされる。
疑心とは、物事の真偽や他人の言動に対して抱く疑わしい気持ちを指し、確信が持てずに不安や不審を感じる心理状態を表します。
関心とは、ある物事に対して注意を向け、心を惹かれる状態を指す。特定の対象に興味を抱き、それについて知りたい、理解したいと思う気持ちを表す。
歓心とは、喜びや満足の感情が心に満ちている状態を指し、特に他者から好意や支持を得るために働きかける対象となる心情を表す。政治や人間関係において、利益や配慮を示すことで相手の好意を引き出す際に用いられる表現である。
心を静め、雑念を取り払って清らかな状態にすること。精神を集中させ、内面を落ち着かせた境地を指す。
ある物事に対して深い関心を持ち、真剣に取り組む様子を表す。
「衝心」とは、脚気の症状が進行して心臓に影響が及ぶ状態を指し、特に「脚気衝心」の略称として用いられる。この状態では呼吸困難などの重篤な症状が現れる。
獣心とは、人間として備えるべき良心や理性、情愛を欠き、獣のように残忍で冷酷な心のありようを指す。人としての外面を保ちながら内面に獣心を宿す者を「人面獣心」と喩える。
爆心とは、爆発や爆撃が発生した際の中心となる地点を指す。特に原子爆弾の投下地点など、大規模な破壊を伴う爆発の中心地をいう場合が多い。
「心耳(しんじ)」と同じく、心臓の一部を指す解剖学用語で、心房の一部が耳たぶのように突出した形状をしていることからこの名がある。
「弐心」は、主君や約束に対して裏切る気持ちや疑いの心を指し、ふたごころとも言う。表記は「二心」とも書かれ、読み方としては「ニシン」も用いられる。
「初心」は「うぶ」と読み、世間慣れしておらず純真な様子を表す。特に若さゆえの無垢さや、恋愛経験に乏しいことを指すことが多い。また「しょしん」とも読む。
心悸とは、心臓の拍動を自覚する状態を指し、通常時よりも強く速く感じられる動悸のことをいう。
心の奥底にある、他人には見えない感情や考えを指す。表面には現れない内面の本心や真意を表す語で、人の胸中に秘められた思いをいう。
主君や国家に対して謀反を起こそうとする心。裏切りを企てる心持ちを指す。「反心」とも書く。
人心地とは、緊張や不安から解放されて安堵を覚える心の状態を指す。また、正気や正常な意識を保っている様子を表すこともある。
不用心とは、警戒心が足りず注意を怠っている状態を指す。例えば戸締りをしっかりしないような場合に用いられる。また、物騒で危険が伴う状況や場所についてもいう。表記は「無用心」と書くこともある。
心不全とは、心臓のポンプ機能が低下し、全身に必要な血液を十分に送り出せなくなる状態を指す。これにより、息切れや疲労感、むくみなどの症状が現れ、生命を脅かす重篤な疾患である。
向心力とは、物体が円運動を行う際に、その軌道の中心に向かって作用する力のことを指す。これは物体を円軌道上に保つために必要な力であり、求心力とも呼ばれる。
未知の事柄や珍しい物事に対して、知りたいという興味や関心を抱く心の働きを指す。
老婆心とは、相手を思うあまりに必要以上に世話を焼いたり、細かい点まで注意を向けたりすることを指す。特に経験を積んだ者が、若い者などに対して過剰な気遣いを示す様子をいう。もとは老女の余計な心配りに由来する表現である。
モクレン科の常緑高木で、暖地に自生する。葉は長い楕円形で厚く、光沢がある。春に芳香のある白い花を咲かせる。漢名に由来し、「小賀玉木」とも表記する。
寝心地とは、寝具や寝床などに横たわった際の快適さや安らぎの度合いを指す言葉で、睡眠中の体の感じや心地よさを表します。
物体が円運動を行う際に、その軌道の中心から外側に向かって働く見かけの力のことを指します。
他人の表情や仕草、言動の些細な変化から、その人の心に秘められた考えや感情を読み取る技術を指す。
敵に対する憤りや憎しみの感情を抱き、それを戦う意気込みとして燃え立たせる心の状態を指す。
休心息念とは、心の働きを休め、雑念を鎮めることを意味する仏教用語である。『正法眼蔵』に典拠を持つ四字熟語で、修行において心を静め、あらゆる思いや執着から離れる境地を指す。
鬼面仏心とは、外見は鬼のように恐ろしい風貌をしているが、内面には仏のように慈愛に満ちた優しい心を持っていることを指す。また、そのような性質を持つ人を形容する際にも用いられる。
疑心暗鬼とは、疑う気持ちが強くなるあまり、実際には何でもないようなことにも不安を感じたり、恐ろしいものがあるように思えたりする心理状態を指す四字熟語である。『列子』説符篇にある「疑心、暗鬼を生ず」という故事に由来し、疑念が深まると暗闇の中にさえ亡霊を見出すという意味から、根拠のない猜疑心が妄想を膨らませる様を表す。
「鬼手仏心」とは、外科医などの医療従事者が、鬼神のごとき優れた技術で治療を行う一方で、患者に対しては仏のような慈愛に満ちた心で接することを表す四字熟語である。
灰心喪気とは、がっかりして意気消沈する様子を表す四字熟語である。灰心は火の消えた冷たい灰のように熱意を失った心の状態を、喪気は元気や活気をなくすことを意味し、合わせて失望や挫折によって気力を完全に喪失した心境を指す。
「開心見誠」とは、心を開いて隠し立てせず、誠実な気持ちをそのまま表に出すことを意味する四字熟語である。『後漢書』馬援伝に典拠を持ち、人と接する際に胸襟を開き、偽りのない真心を示す態度を指す。
「嘔心瀝血」とは、心臓を吐き出し、血の滴りが尽きるほどに、全身全霊を傾けて物事に取り組む様子を表す四字熟語である。唐代の詩人・李賀が詩作に心血を注いだ故事に由来し、創作や学問などにおいて、あらゆる精力を費やして努力することを意味する。
雲心月性とは、雲のように何ものにもとらわれない心と、月のように澄みきった本性を表す。世俗の名誉や利益に執着せず、超然として清らかな境地にあることをいう。