民衆とは、特定の階層や立場に限定されない、広く一般の社会を構成する人々の集団を指す。特に支配層や特権階級と対比される概念として、普通の人々、大衆を意味する。
会衆とは、会合や集会に集まった人々の集団を指す。特に仏教において「エシュ」と読む場合は、説法や法会に参集した聴衆や信徒たちを意味する。
多くの人と少ない人、あるいは多数と少数を指す。兵力や勢力の大小を比較する文脈で用いられることが多い。
多くの人々が集まって相談し、意見を交わすこと。また、そのような場で出された人々の意見を指す。
多くの人々が口を揃えて言うこと、あるいは世間一般の評判を指す。特に、意見や評価が広く一致している状況を表す際に用いられる。
世間一般の多くの人々を指し、特に支配階級に対して一般の民衆や庶民を表す語である。
多くの人々、または大勢の人々を指す。特定の個人ではなく、集団としての人間の集まりを表す表現である。
多くの人々の視線や注目を指し、世間一般の見解や評価を表す。
多くの人々の間で交わされる議論や意見を指し、特に集団や社会における総意や世論の方向性を示す場合に用いられる。
演劇やスポーツ競技などの見物に集まった大勢の人々を指す。特に、一定の場所に集まって催し物を直接見る集団をいう。
下衆とは、品性に欠け心根の卑しい人物を指す。また、身分の低い者を意味する古い用法もあり、上種や上衆に対する対義語として用いられる。
衆知とは、多くの人々が共有する知識や知恵を指し、広く世間に知れ渡っている事柄を意味する。また、民衆の持つ知恵を集めるという意味合いも含まれる。
御伽衆とは、室町時代以降、主君の傍らで話し相手や相談役を務めた者を指す。豊富な見聞や教養、巧みな話術が求められ、経験を積んだ年長者が任じられることが多かった。江戸時代には、若い殿方の遊び相手として少年が起用される例も見られた。御咄衆とも呼ばれる。
室町時代に足利将軍家や諸大名に仕えた者たちを指し、僧侶の姿をしながら、芸能や茶の湯、あるいは身辺の雑務に携わった。
妖言惑衆とは、怪しげな言説や根拠のない噂を広めて人々を惑わし、混乱させることを指す。主に悪意のある虚偽の情報が社会に不安や動揺をもたらす様子を表す。
度衆生心とは、仏教において一切の衆生を救済しようとする菩薩の広大な慈悲心を指す語で、『往生論』に説かれる。
民衆の支持を得ることで国を治める権威を獲得するという、為政者の心得を表す四字熟語。
截断衆流とは、禅宗において師家が弟子の迷妄を断ち切るために用いる峻烈な手段を指す。衆生の煩悩の流れを一刀両断に断ち切るように、言葉や動作によって学人の妄念を遮断し、悟りへと導くことを意味する。『石林詩話』では、禅の機鋒鋭い様子を形容する語として用いられている。
衆目環視とは、多くの人々の視線が一人の人物や物事に集中し、厳しく見つめられている状況を指す。周囲から注目され、監視されているような圧迫感を伴う表現である。