式典や行事などに出席しないこと。また、そのような状態を指す。
日参とは、毎日同じ場所に通うことを指す。特に、用件があって連日訪問する場合や、神社仏閣に毎日参拝することを意味する。
本人に代わって神社や寺院を参拝する行為を指し、またその役目を務める人をも意味する。特に、講中などで当番制で代表が参拝する「代参講」のような慣習にも用いられる語である。
古くからその組織や職場に所属し、経験を積んできたことを指す。また、そのような立場にある人を意味する。新しく加わった者に対して用いられることが多い。
玄参はゴマノハグサ科の多年草で、草原に自生する。葉はゴマの葉に似た長楕円形をしており、夏には黄緑色の小さな花を総状花序につける。漢名に由来する名称であり、「黒参」や「胡麻の葉草」とも表記される。
光参は、キンコ科に属する棘皮動物であるキンコを煮て乾燥させた食品で、主に中国料理の食材として用いられる。
「見参」は、目下の者が目上の人に会うことを意味する謙譲語であり、謁見を表します。また、目上の人が目下の者に会う引見の意味でも用いられます。「げんざん」と読むこともあります。
参賀とは、新年や宮中の祝賀行事などに際し、皇居に赴いて祝意を表すことを指す。一般参賀もこれに含まれる。
会合や行事などに出席すること。また、多くの人が集まって一堂に会することを指す。
実際にその場所を訪れ、様子や状況を見て回ること。特に学校や工場などの施設を見学する場合に用いられる。
神社や寺院に赴き、神仏を拝むことを指す。特に信仰の対象となる聖地を訪れ、礼拝や祈願を行う行為をいう。
他の事柄や意見などと照らし合わせて、自らの考えを深めたり判断を下したりするための手がかりとすること。また、そのために用いる材料を指す。
軍隊において指揮官の作戦計画や用兵に関して補佐する将校を指す。また、転じて、一般に相談を受け、計画や方策を共に練る役割を担う人を意味する。
計画や事業などに加わり、その運営に協力することを指す。また、官公庁や民間の企業・団体において、学識や経験を有する者が業務運営に関して助言や協力を行う際の役職名としても用いられる。
参酌とは、複数の意見や事例、条件などを比較検討し、その中から適切なものを取り入れて判断や決定を行うことを指す。
式典や儀式などに出席し、その場に加わることを指す。特に祝賀や弔意を表すための正式な場に列席する場合に用いられる。
多くの人が一つの場所に集まること。特に、会合や行事などに参加するために人々が集まることを指す。
参籠とは、一定の期間にわたり神社や寺院に泊まり込み、昼夜を問わず祈願や修行を行うことを指す。
他の資料や事例と照らし合わせて、比較・検討することを指す。判断や理解の手がかりとするために、既存の情報を引き合いに出す行為を表す。
「参上」は、自分が相手のもとへ行くことをへりくだって言う謙譲語である。主に改まった場面で、目上の人を訪問したり、呼び出しに応じたりする際に用いられる。
宮中に参上すること。特に、天皇や皇居に公式に謁見するために出向くことを指す。
神社や寺院に参詣する者が通るために設けられた道を指す。境内への入口から主要な社殿や堂宇へと至る経路として整備され、往々にして鳥居や門をくぐる地点から始まる。
直参とは、直接主君に仕える者を指す。特に江戸時代においては、将軍家に直接仕えた旗本や御家人の総称として用いられ、陪臣(家臣の家臣)に対して区別される身分を示した。
ナマコの内臓を取り除き、茹でて乾燥させた加工食品で、主に中国料理において高級食材として用いられる。干しナマコとも呼ばれる。
戦いや争いにおいて負けを認め、相手に従うことを指す。また、困難な状況に対処する手段がなく、どうしようもなくなる様子も表す。
推参とは、突然に押しかけて行くことを指す。また、訪問を謙遜して述べる際にも用いられる。転じて、無礼な振る舞いや行いを意味することもある。
黒参はゴマノハグサ科に属する多年草で、玄参(ごまのはぐさ)とも呼ばれる植物である。
紫参はタデ科の多年草で、山地の木陰に自生する。早春に白色の小花を穂状につけることから、春虎尾とも表記される。別名をイロハソウという。漢名に由来する名称である。
遅参とは、約束の時刻や定められた時間に遅れて到着することを指す。特に、会合や式典などに遅れて出席する場合に用いられる表現である。
墓参とは、墓所を訪れて故人を拝む行為を指す。特に盂蘭盆の時期に行われる墓参りを意味し、秋の風物詩としての側面も持つ。
新たに組織や集団に加入すること、またその人を指す。古参に対比される概念で、経験や地位において未熟な立場を表す。
人参はセリ科の二年草で、ヨーロッパから西アジアが原産とされる野菜である。根は長円錐形で、カロチンを豊富に含み、食用とされる。また、薬用として知られるチョウセンニンジンを指す場合もある。表記としては「胡蘿蔔」と書くこともある。
独参湯は、気付けに効能があるとされる煎じ薬を指す。また、歌舞伎においては、上演のたびに必ず成功を収める演目を意味し、特に「仮名手本忠臣蔵」を指して用いられることが多い。
閻魔参とは、陰暦の一月と七月の十六日に閻魔堂へ参拝する行事を指す。この日は地獄の釜が開き、亡者が責め苦を免れるとされ、また奉公人を休ませる藪入りの日とも重なっていた。閻魔詣でとも呼ばれる。
朝参暮請とは、朝に参拝し夕方に請うという意味で、一日中熱心に師のもとを訪れて教えを乞う様子を表す。仏教の修行において、師匠に絶えず近侍し、疑問を解き学びを深める不断の求道の姿勢を指す語である。
「曾参殺人」は、『戦国策』秦策に見える故事に基づく四字熟語である。孝行で知られた曾参に、彼が人を殺したという根拠のない噂が繰り返し流された結果、ついには彼の母でさえ疑いを抱くに至ったという故事から、虚偽の情報でも繰り返し伝えられると、いずれは真実として信じられてしまうことを喩えたものである。
参商之隔とは、杜甫の詩「贈衛八処士」に由来する四字熟語で、参星と商星が同時に空に現れないことに喩え、人と人が遠く離れ合って会えない状況を指す。特に親しい友人や家族が遠方にいて容易に再会できない隔たりを表現する際に用いられる。
参差錯落とは、物事が一様ではなく、大小・高低・長短などが入り混じって不揃いな様を表す。複数のものが整然と並ばず、不規則で多様な状態が共存しているさまを指す。
参天弐地とは、天と地に並ぶほどの高い徳を備えていることを意味する四字熟語である。天と交わり、地と自らの徳を比べることで、天・地・己の三者が並び立つ境地を表し、『文選』揚雄「劇秦美新」に典拠を持つ。