他意とは、表向きの意図とは別に隠し持っている考えを指す。また、裏切りの心や異心を意味し、相手に対する不誠実な気持ちを表すこともある。
他界とは、人がこの世を去り死ぬことを指す。また、仏教用語として、十界のうち人間界以外の世界を意味する場合もある。
他行とは、自分の居場所から離れて他の場所へ赴くことを指す。外出や旅立つ行為を表し、時に「たこう」とも読まれる。
他家とは、自分や家族が所属する家以外の家を指す言葉である。他人の家や他の家を意味し、自家の対義語として用いられる。
他言とは、秘密にすべき事柄を外部の人に漏らすことを指す。特に、口外しないことが求められる情報を不用意に話す行為を意味し、「他言無用」などの表現で使用される。
他殺とは、他人によって生命を絶たれることを指す。自殺の対義語として用いられ、事件性を帯びた死因の一つとして扱われる。
自分自身には直接関係のない事柄や、他人に関する出来事を指す。自分の関心事ではないという含みを持ち、しばしば謙遜や遠慮の意を込めて用いられる。
自分以外の人間を指す。自分自身や身内ではない人々を意味し、家族や親族に属さない者を特に指す場合もある。また、ある事柄に関係のない第三者や局外者を表す際にも用いられる。
他聞とは、他人が聞くこと、あるいは他人に聞かれることを指す。主に「他聞をはばかる」などの表現で用いられ、外部に知られると都合が悪い内容について、その情報が漏れることを懸念したり、避けたりする場合に使われる。
他力とは、自らの努力によらず、他者からの助力や仏の加護に頼ることを指す。特に仏教では、阿弥陀如来の本願力によって衆生を救済するという浄土教の教義を中心に用いられ、自力による修行に対置される概念である。
武術や芸道などにおいて、自分が属している流派以外の異なる流儀を指す。
「自他」は、自分自身と自分以外の他者を指す場合と、自動詞と他動詞という文法上の区別を指す場合がある。前者は「自他ともに認める」のように、広く認められている状態を表す表現で用いられる。後者は動詞の分類に関する文法用語として機能する。
利他とは、自己の利益よりも他者の幸福や利益を優先する態度や行為を指す。また、仏教用語としては、自らの善行によって他者を救済するという意味も含む。
排他とは、ある集団や思想などが、自分たち以外のものを排除し受け入れない態度や性質を指す。特定の仲間内での結束を強める一方で、外部の者を疎外する傾向を含意する。
他力本願とは、本来は仏教用語で、阿弥陀如来の本願力に頼って極楽往生を遂げることを指す。転じて、一般には自らの努力を怠り、他人の力ばかりを当てにする態度やあり方を意味する。
他人行儀とは、本来親しい間柄であるにもかかわらず、他人に対するかのようによそよそしく振る舞う態度や作法を指す。親密さが期待される関係において、必要以上に礼儀正しく、距離を置いた対応をする様を表す。
他山の石とは、他人の誤りや欠点を自らを磨くための材料として役立てることを意味する四字熟語である。『詩経』に由来し、よその山から出た粗末な石でも、自分の宝玉を磨くのに利用できるという故事から、他人の良くない言動も自己修養の糧となりうるという教えを表す。
他言無用とは、秘密とすべき事柄を他者に漏らしてはならないという戒めを表す四字熟語である。他言は他人に話すことを指し、無用はしてはならないことを意味する。内密の事項について外部に口外しないよう求める際に用いられる表現である。
自利利他とは、自己の利益を追求すると同時に他者の利益をも図ることを指す仏教用語で、自他の両者が共に幸福になるべきであるという考え方を表す。
自他不二とは、自己と他者とが本来別々のものではなく、一体であることを表す仏教用語である。自他の区別を超えた平等の境地を指し、利己と利他が矛盾しない悟りの立場を説く。
左右他言とは、他人の言葉を勝手に変えたり、付け加えたりすることを意味する四字熟語です。『孟子』梁恵王篇に由来し、君主の言葉を臣下が曲解して伝える行為を批判したものです。転じて、物事を自分の都合の良いように歪めて伝えることを指します。