水雲は褐藻類モズク科に属する海藻で、内湾のホンダワラなどの海藻に付着して生育する。茶褐色の糸状体は柔らかく、独特のぬめりを持つ。食用として広く用いられ、春が旬とされる。漢字では「海蘊」や「海雲」と表記することもある。
妖雲とは、その異様な形状や不気味な色合いから、何か不吉なことが起こる前兆ではないかと人々に畏怖の念を抱かせるような怪しい雲を指す。
東雲とは、夜明けの頃を指す言葉であり、特に東の空がほのかに明るみ始める時間帯を表す。また、その時刻に東の空に見える薄明るい雲のことも意味する。
青雲とは、青く澄み渡った高い空を指す。また、そこから転じて、立身出世や高い地位に昇ることを喩える表現としても用いられる。
風と雲を指すほか、風を伴った雲を意味する。転じて、変事が起こりそうな緊迫した情勢を表し、また優れた人物が活躍する好機や、そのような時代の状況を竜が風雲を得て天に昇ることに喩えて用いる。
空一面に厚く立ち込め、隙間も見えないほど密集した雲の状態を指す。
彩雲とは、太陽光が雲粒によって回折されることで、雲の縁が虹色に彩られる現象を指す。主に高積雲などに見られ、その美しい様子から古来より吉兆のしるしとされ、紫雲や瑞雲とも呼ばれる。
紫雲とは、紫色がかった雲のことを指す。仏教においては、仏や菩薩が現れる際の吉兆とされ、瑞雲とも呼ばれる。
飛行機や高い山の頂上などから見下ろした際に、一面に広がる雲の層が、まるで海のように見える光景を指す。
雲客とは、雲の上に住む人という意味から転じて、高貴な身分の人を指す。また、雲の中に隠棲する仙人や世を避けて暮らす隠者の喩えとしても用いられる。
雲漢とは夜空に帯状に広がる星の集まりを指し、天の川や銀河とも呼ばれる。古くは漢詩文などで用いられ、はるか遠くに横たわる天体の様子を表現する語である。
雲珠とは、神事や祭礼において神馬(しんめ)の飾りとして用いられる装飾品の一種で、宝珠(ほうじゅ)の形を模したものを指します。
雲桟とは、山の高い場所に架けられた橋のことで、その高さがあたかも雲に届くかのように見えることから、このように呼ばれる。
雲丹は、アカウニやバフンウニ、ムラサキウニなどのウニの卵巣を塩や酒で漬け込んで加工した食品を指します。
雲が集まるように、多くの人や物が一箇所に群がり集まることを指す。
雲水とは、修行のために諸国を巡り歩く僧侶を指す。雲や水のように一箇所に留まらず、遍歴する姿に由来する語で、特に禅宗の行脚僧をいうことが多い。
雲母(うんも)と同じ鉱物を指す語で、その結晶がきらきらと輝く様子から名付けられた。
雲居とは、雲がたなびくあたりを指し、転じて空や遠く高い場所を表す。また、雲そのものを意味することもある。さらに、禁中や宮中を指す用法もあり、この場合の「井」は当て字として用いられる。
雲助とは、江戸時代に街道や宿場で駕籠担ぎや荷物運搬などに従事した人足を指す。その呼称は、住所不定で雲のように漂泊する生活に由来するとされるほか、蜘蛛が網を張って獲物を待つように客を待つ様子に例えたという説もある。
雲脂とは、頭皮から分泌される物質が乾燥して鱗状になり、剥がれ落ちたものを指す。頭垢とも表記される。
戦争が差し迫っている状況や、戦争そのものを雲にたとえた表現。戦闘の気配が空気中に立ち込め、今にも戦端が開かれんとする緊迫した雰囲気を指す。
群がり集まって一塊となった雲の様子を指し、空に浮かぶ雲の集団を表す語である。時に「叢雲」や「村雲」とも表記される。
層雲は下層雲の一種で、灰色がかった一様な層状の雲を指す。地表近くから現れ、霧のように低く垂れ込め、空全体を覆うことが多い。通常は霧雨や細かい雨を伴い、視程を悪化させる。霧雲とも呼ばれる。
慶雲とは、太平の世に現れるとされるめでたい雲のことで、瑞兆を告げる前兆として瑞雲とも呼ばれる。古くは「景雲」や「卿雲」とも表記された。
闇雲とは、物事の道理や結果を考えずに、ただむやみに行動する様子を表す。闇の中で雲をつかむがごとく、方針も見通しもなく手当たり次第に行うことを意味する。
巻雲は上層に現れる雲の一種で、白く繊細な羽毛や絹糸のような形状をしている。高度約五千メートルから一万三千メートル付近に発生し、氷晶で構成されるため薄く透き通っている。俗称として「すじ雲」とも呼ばれ、また「絹雲」の表記も用いられる。読み方としては「まきぐも」とも発音される。
雲母は、花崗岩などに含まれる六角板状の結晶鉱物で、薄くはがれやすい性質を持つ。電気絶縁性に優れ、絶縁材料などに利用される。「きらら」とも読む。
朶雲とは、垂れ下がるようにたなびく五色の雲を指す。また、書簡や手紙の美称として用いられる朶翰と同じ意味でもある。
雲の上に高くそびえる様子を表し、転じて高く飛翔することを意味する。また、俗世間を超越した高遠な心境や志を指す場合もある。
卿雲とは、めでたいことが起こる前兆として現れるとされる瑞祥の雲を指す。太平の世に現れる吉兆とされ、慶雲や景雲とも表記される。
雲のように豊かで美しく結った女性の髪を指す。また、遠方に霞んで見える山々の姿を、雲や髪のたなびきに喩えた表現としても用いられる。
雲と虹を指す語。また、特に虹を指すこともある。雲と虹はともに雨の前兆とされることから、転じて雨を意味する場合もある。
雲翳とは、空一面に雲が広がり、空が曇って暗くなる様子を指す。
雲と霞を指す語であり、また雲や霞がたなびくように多くの人々が集まる様子の比喩として用いられる。
雲梯とは、古代中国において城壁を攻めるために用いられた長大なはしご状の攻城兵器を指す。また、現代では体育遊具の一種として、高さ約二メートルの支柱に水平に固定された金属製のはしごを腕の力で渡り移動する器具のこともいう。
雲鬢とは、女性の豊かで美しい髪を雲にたとえた表現である。もとは白居易の詩などにみられるように、髪のたなびく様を雲に見立てたが、転じて美しい女性そのものを指すこともある。
ヒバリ科の小鳥で、スズメよりやや大きく、褐色の羽毛に黒い斑点がある。頭頂の羽毛が冠状に立つのが特徴で、春には畑や野原に巣を作り、空高く舞い上がりながらさえずる様子がよく知られる。
瑞雲とは、めでたい事の前兆として現れるとされる、紫色や五色に輝く雲のことを指します。紫雲や祥雲とも呼ばれ、そのたなびく様子は吉祥のしるしとされています。
山の峰や尾根の上にかかる雲を指す。山の高い場所にたなびく雲の様子を表し、山岳風景の美しさや崇高さを連想させる表現である。
鯖雲とは巻積雲の通称であり、秋の空に現れる鱗状や波状の雲を指す。その模様が鯖の背中の斑紋に似ていることからこの名で呼ばれる。いわし雲やうろこ雲とも称される。
鰯雲とは、小さな白い雲が魚の鱗のように密集して空一面に広がる雲の様子を指し、巻積雲の俗称である。秋の季語としても知られ、この雲が現れるとイワシの大漁の前兆とされることから、この名が付いた。鱗雲(うろこぐも)や鯖雲(さばぐも)とも呼ばれる。
入道雲とは、積乱雲の俗称である。夏の空によく見られる、巨大な塊のように盛り上がった雲の姿を、頭の禿げた化け物である入道に喩えた呼び名である。
初東雲は、元日の夜明け前から明け方にかけての時間帯、あるいはその頃に東の空に見られる雲を指す。新年最初の曙を迎える際の空の様子を表す言葉である。
風雲児とは、時代の大きな変革期や社会の激動に乗じて、めざましい活躍を見せる人物を指す。特に、政治や歴史の転換点において、その才覚や行動力で頭角を現す者をいう。
紫雲英はレンゲソウの別称で、春に紅紫色の花を咲かせるマメ科の植物である。水田の緑肥として用いられるほか、蜂蜜の源ともなる。「翹揺」や「蓮華草」とも表記される。
紫雲英はマメ科の二年草で、蓮華草とも呼ばれる。漢名に由来する名称であり、「げんげ」と読まれることもある。水田の緑肥として用いられるほか、春に咲く紅紫色の花が美しい。
雲上人とは、雲の上に住む人という意味から転じて、宮中に仕える人々を指す。特に、清涼殿の殿上の間に昇ることを許された四位・五位の者、および六位の蔵人をいう。広くは宮廷にいる貴族や皇族を意味することもある。
雲竜型とは、大相撲の横綱が土俵入りを行う際の型の一つである。せり上がる動作のときに、左手を体の前で曲げ、右手を横に伸ばして構えるのが特徴で、不知火型と対をなす様式として知られている。
積乱雲は、主に夏季に見られる巨大な雲で、積雲が強い上昇気流によって発達し、雄大な山や塔のような形状に垂直方向に著しく成長したものである。雷雨や雹、激しい驟雨を伴うことが多く、俗に入道雲や夕立雲とも呼ばれる。
頭巾雲とは、積乱雲や積雲の頂上部分に現れる、薄く広がった雲の層を指す。その形状が頭巾を被ったように見えることからこの名があり、主に強い上昇気流によって雲頂が押し広げられることで形成される。
鉄床雲とは、積乱雲の上部が発達して水平方向に広がり、その形状が鍛冶場で用いる鉄床に似ていることから名付けられた雲である。
草雲雀はクサヒバリ科に属する昆虫で、本州以南に分布する。体長は約七ミリメートルと小さく、黄褐色の体に黒斑がある。外観はコオロギに似ており、雄は秋に「チリリリ」と美しい声で鳴く。
疑雲猜霧とは、周囲の人々に対する疑いや嫉妬の心が、雲や霧が立ち込めたように晴れず、心を覆い隠している様子を表す四字熟語である。
俗世の煩わしさから離れ、悠々と自由な生活を送る様子を表す四字熟語。大空にゆったりと浮かぶ雲と、野原を悠然と歩む鶴の姿に喩え、官職に縛られず世を避けて隠遁する人の境地をも指す。『全唐詩話』に典拠を持ち、「閑雲野鶴を友とする」などの形で用いられることが多い。
干雲蔽日は、雲を貫き日を覆い隠すほどに高く聳え立つ様子を表す四字熟語である。後漢書の丁鴻伝に由来し、建築物や樹木などが非常に高くそびえ立ち、その壮大さが雲に届き太陽を遮るほどであるという意味で用いられる。
閑雲孤鶴とは、俗世間の煩わしさから離れ、自由でのんびりと暮らす心境や境遇を表す。空に浮かぶ雲や孤高の鶴のように、束縛を受けずに悠然としている様を喩えた表現である。
開雲見日は、暗雲が晴れて太陽が再び姿を現すように、長く続いた苦難や不安、あるいは誤解や疑念が解け、明るい希望や状況が訪れることを表す四字熟語である。『後漢書』に典拠を持ち、「雲を開きて日を見る」と訓読される。
煙雲過眼とは、眼前を過ぎ去る煙や雲のように、物事が一瞬で消え去り、心に留め置かれない様子を表す。転じて、富貴や栄華などが儚く消えやすいことや、所蔵品などが次々と手元を離れていくことを喩える。
雲水行脚とは、禅僧が修行のために一か所に定住せず、雲や水のように各地を巡り歩くことを指す。雲水は行脚する修行僧を、行脚は諸国を徒歩で巡る修行の旅を意味し、合わせて放浪と求道を重ねる仏教の修行形態を表す。
雲竜風虎とは、『易経』に由来する四字熟語で、雲は龍に従い、風は虎に従うという自然界の理を表します。これは優れた君主と有能な臣下、あるいは互いに引き合う傑出した人物同士が巡り会うことの喩えとして用いられ、気の合う者同士が自然に集まる様子を意味します。