人相とは、人の顔つきや容貌を指す言葉である。また、その顔かたちに現れるとされる性格や運勢をも意味し、骨相や手相と同様に、人相を見ることでその人の内面や未来を占うこともある。
入相とは、日が暮れかかる夕方の時刻を指す。また、その時刻に寺院で鳴らされる鐘、すなわち入相の鐘を略して呼ぶ場合もある。
手相とは、手のひらに現れる線や肉付き、形などの特徴から、その人の運勢や性格を占うことを指す。古くから東洋の占術の一つとして親しまれ、特に生命線や頭脳線、感情線などの主要な線の状態が重視される。
物事の表面だけを見て、その本質を捉えられていない様子を指す。また、そのような浅はかな見方や考え方そのものを意味することもある。
吉相とは、将来の幸運や良い出来事を予感させる前兆を指す。また、人相学においては、幸福や繁栄をもたらすとされる顔つきや容貌の特徴を表し、凶相と対照される概念である。
地相とは、土地の形状や方位などから見た吉凶の判断を指す。また、広く土地のありさまや地形そのものを表すこともある。
死相とは、亡くなった直後の顔つきや表情を指す。また、人相学において、近い将来に死が訪れることを示すとされる顔の特徴や様子を意味する。
血相とは、主に怒りや驚きなどの強い感情が高まった際に現れる顔色や表情のことを指す。顔面の血色や様子が急激に変化する様を表し、通常は「血相を変える」などの形で用いられる。
形相とは、顔つきや表情の様子を指す言葉である。恐ろしい形相で睨みつけるといったように、その時々の感情や内面が表れた顔のありようを表す。なお、「ケイソウ」と読む場合は別の意味となる。
実際のありさまや真実の状態を指すとともに、仏教においてはこの世のあらゆるものの真実の姿、すなわち不変の真理である法性や真如を意味する。
物相とは、ご飯の量を盛り計るための器、あるいは一人前の飯を盛る器を指す。木製の型を意味する「相」の字を用い、「盛相」と表記することもある。転じて、牢屋に入ることを「物相飯を食う」と表現する。
相判は、浮世絵版画における寸法の一つで、縦約三十三センチメートル、横約二十三センチメートルの大きさを指す。また、帳面などの紙の仕上がり寸法として、縦約二十一センチメートル、横約十五センチメートルの規格にも用いられる。写真乾板においては、中判と小判の中間のサイズを表す。表記は「合判」や「間判」とも書く。なお、「あいハン」と読む場合は、複数人が連帯して押す判子や印鑑の意味となる。
二つ以上の事物が互いに密接な関係を持ち、一方の変化が他方に影響を及ぼすようなつながりを指す。統計学や数学の分野では、変数間の関連性の度合いを表す概念として用いられる。
相棒とは、物事を共に行う相手や仲間を指す言葉である。元来は駕籠を担ぐ際に棒の両端を支え合う者を意味し、そこから協力して事に当たる間柄を表すようになった。互いを補い合い、信頼して行動を共にする関係性を暗示する表現として用いられる。
同じ宿や部屋に偶然にも共に泊まることを指し、またそのようにして出会った宿泊客同士のことも意味する。
相生とは、二つのものが共に生い育つことを指す。特に同じ根元から分かれて二本の木が並んで成長する様子を表し、松などの樹木に用いられる。また、夫婦が共に長寿を保つことの喩えとしても使われ、この場合は「相老」と書くこともある。
互いに相容れない二つのものが対立し、争い合うことを指す。例えば理性と感情の葛藤などに用いられる。また、五行説において、木・土・水・火・金の五つの元素が互いに打ち勝つ関係(木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝つ)を説明する際にも使われる。「相剋」の書き換え字として用いられることもある。
相客とは、宿泊施設などで偶然にも同じ部屋を共にする客を指す。また、飲食店や乗り物などにおいて、たまたま同じ席に居合わせた客のこともいう。
相伴とは、客をもてなす際に相手役として同席し、共に接待を受けることを指す。また、その役割を担う人を指す場合もある。転じて、他の人に付き添うことで何らかの利益を受ける意味でも用いられる。
勝負や取引において、双方の得点や損得が等しく、優劣や勝敗がつかない状態を指す。互角の関係や引き分けを意味し、特に勝負事で同点となる場合に用いられる。
相性とは、人と人との間における性格や気質の合致度を指す。また、陰陽五行説に基づき生年月日から判断される、男女の縁の適合性を意味することもある。表記としては「合性」と書く場合もある。
二つの物事の形や性質が互いに似通っていることを指す。また数学においては、一つの図形を拡大または縮小することで他の図形と完全に重ね合わせることができる場合の、両図形の関係を意味する。
互いに愛情を抱き合うこと。特に男女が互いに想いを寄せ合う関係を指す。
相席とは、飲食店などで見知らぬ他人と同一のテーブルを共に使用することを指す。混雑時などに席を合わせる状況で用いられ、「合席」と表記されることもある。
「相対」は、互いに向き合う状態を指し、直接対面して事を行うことを意味する。また、互いの合意に基づいて物事を決定する場合にも用いられる。例えば、向かい合って話し合いをすることや、双方の合意で価格を決めることなどがこれに当たる。なお、「そうたい」と読む場合は別の意味となる。
二つ以上の物事の間に認められる違いや、一致しない点を指す。互いに異なる状態を表し、特に比較対象となるものの間に見られる差異を意味する。
相輪とは、仏塔の頂部に設置される金属製の装飾構造の総称である。主に露盤や水煙、九輪などの部品から構成され、特に九輪のみを指して用いられることもある。
ある事柄について、相手の意見を聞いたり互いに話し合ったりすること。また、その話し合い。
代々受け継いで伝えること。特に、特定の家系や流派において、子孫や弟子へと連綿と伝えられていくことを指す。
眉相とは、眉の様子や状態を指す言葉であり、特に眉の形や生え方、あるいは眉と眉の間の部分を意味する。
相聞とは、『万葉集』における歌の分類の一つで、主に男女間の恋愛を題材とし、親子や友人など親しい間柄で交わされる贈答歌を指す。互いに消息を通じ合い心情を伝え合う歌であり、雑歌・挽歌とともに万葉集の三大部立てを成している。
人の顔の様子や形を指す言葉で、顔つきや容貌を表します。人相とほぼ同じ意味で用いられ、その人の外見から受ける印象や、時に運勢なども連想させる表現です。
内閣の首席として国務を統轄する大臣。日本では内閣総理大臣を指し、行政権の最高責任者として内閣を代表する。
家相とは、家の立地や方角、間取りなどの状態が、そこに住む人々の運勢に吉凶をもたらすとする考え方である。
宰相とは、君主を補佐して国政を統括する最高位の官職を指す。古代中国では皇帝を助けて政務を司る丞相を意味し、日本では太政官における参議の唐名として用いられたほか、近代以降は内閣総理大臣(首相)の雅称としても使われる。
骨相とは、頭蓋骨の形状や凹凸など骨格の状態を指し、そこから人の性格や運命を判断しようとする考え方である。古くは骨相学として、人相や運勢を占う際の根拠とされた。
悪相とは、顔つきや表情に表れる凶悪な印象を指す。また、物事の兆しとして不吉な前触れが現れることも意味する。
盛相(もっそう)とは、飯を盛り付けてその量を計るための器を指し、また一人前ずつに飯を分けて盛る器としても用いられる。表記は「物相」と書くこともある。
不注意や軽率さから生じる過ちや失態を指す。また、幼児などが大小便をもらすこともいう。
寝相とは、人が眠っている際の身体の姿勢や様子を指す言葉である。睡眠中の無意識な動きによって作られる体勢を表し、良い寝相、悪い寝相などと表現される。
滅相とは、とんでもないことや道理に合わないことを指し、例えば「お祝いなんて滅相もない」のように用いられる。また、仏教用語として業が尽きて命が終わることを意味する場合もある。
福相とは、顔つきや容貌から感じられる福々しさや幸せに恵まれた印象を指す。頬がふっくらとし、穏やかで豊かな雰囲気をたたえた人相を表し、しばしば裕福さや幸福を連想させる。対義語として貧相が挙げられる。
観相とは、人の顔つきや手の線などの特徴を観察し、そこからその人の性格や将来の運勢などを読み解くことを指す。
古代中国において天子を補佐し国政を統括した最高位の官職を指す。また日本の律令制においては大臣の別称として用いられ、その読みは「ショウジョウ」ともされる。「丞」と「相」はいずれも補佐する意味を持つ漢字である。
相槌とは、会話において相手の話に調子を合わせ、同意や理解を示すためにうなずいたり短い言葉を挟んだりする行為を指し、「相槌を打つ」のように用いられる。また、刀剣などを鍛造する際、二人の鍛冶が向かい合って交互に槌を打ち合う作業を意味する場合もあり、この場合は「相鎚」と表記されることもある。
相剋とは、二つの事物が互いに反発し合い、一方が他方を抑制したり打ち消したりする関係を指す。特に五行思想において、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に対し、それぞれが相手を克服するという相互抑制の原理を表す。転じて、広く対立や矛盾する関係を意味する。
瑞相とは、めでたいしるしや前兆を指す瑞祥と同じ意味であり、また福々しく幸せそうな人相、すなわち福相を表す言葉である。
輔相とは、天子を補佐して政務を執ることを指し、その役目を担う者をも意味する。また、明治元年(1868年)に設置された政府の最高官職の呼称として用いられ、翌年に廃止された。宰相に相当する職である。
その人の身分や能力、あるいは状況などにふさわしくなく、釣り合いが取れないさまを表す。
身分や地位、経済力、能力などにふさわしい状態を指す。過不足なく釣り合いが取れている様子を表し、主に生活水準や身なり、行動などについて用いられる。
百面相とは、次々と様々な表情を作り出すこと、またそのような表情を浮かべた顔そのものを指す。また、寄席演芸の一つとして、簡素な衣装や小道具を用いて素早く扮装を変え、多様な人物の表情や仕草を演じて見せる芸の名称でもある。
法相宗は南都六宗の一つに数えられる仏教の宗派である。中国では唐代の玄奘が伝え、その弟子の窺基によって大成された。日本へは道昭が入唐して伝え、奈良の興福寺と薬師寺が本山とされる。
一本の傘を男女二人で共用することを指し、特に恋愛関係にある者や親密な間柄の男女が共に傘を差す様子を表す。
同じ師匠に師事し、共に学び修行する間柄を指す。兄弟弟子や同門とも呼ばれ、同じ流派や教えを共有する仲間という関係性を表す語である。
旅館や寮などにおいて、他人と同一の部屋を共用することを指す。特に、相部屋同士で生活を共にする場合などに用いられる。
「御面相」は、人の顔つきや容貌を指す語である。通常は相手の顔をからかったり、軽蔑の意を込めて用いられる表現で、例えば「なんという御面相だ」のように使われる。
気の毒に思われ、同情を引き起こす様子。特に弱い立場にある者や不幸な境遇にある者を見て、心を痛める感情を表す。
窮形尽相とは、物事の姿や様子をありのままに、細部に至るまで克明に描写することを指す。特に文学や芸術において、対象の本質を余すところなく表現し尽くす様を表す表現である。
旗鼓相当とは、両軍が対峙して戦うことを指し、転じて対立する勢力の力が互角で優劣がつきにくい状態を表す。実力が伯仲している様子を意味し、『後漢書』の故事に由来する四字熟語である。
互いに心の奥底まで隠すところなく打ち明け合い、誠意をもって接する親密な関係を指す。肝臓と胆嚢を意味する「肝胆」は転じて真心や本心を表し、「相照らす」は互いに明らかにし合うことを意味する。
刮目相待とは、目をこすってよく見るように、人の著しい進歩や成長を期待して見守ることを意味する四字熟語である。『三国志』「呉志・呂蒙伝」注に由来し、従来の認識を改めて、その人物の新たな活躍や発展を待ち望む心境を表す。
燕雀相賀は、新居の落成を祝う言葉である。燕や雀が人家に巣を構える鳥であることから、新しい家が完成すれば、それら小鳥も喜んで集まるという意味を込め、建物の完成を祝賀する際に用いられる。出典は『淮南子』の「説林訓」にある。