十全とは、あらゆる面において完璧で、不足や欠点がまったく見当たらない状態を指す。十分に整い、万が一の抜かりもないことを意味し、対策や準備などがこれに該当する。
少しの欠けや手落ちもなく、完全に整っている様子。準備や対策などが完璧で、問題が起こる余地がない状態を指す。
発育や機能などが十分に備わっておらず、完全な状態に達していないことを指す。特に身体器官や生理機能の欠陥や不十分さを表す際に用いられる。
両方の事柄を完全に保ち、どちらも欠けることなく成り立たせること。また、そのような状態。
全快とは、病気や怪我がすっかり良くなり、完全に健康な状態に戻ることを指す。全治や全癒と同義で、快復を祝う場面などで用いられる。
「全然」は、後に否定表現を伴って「まったく~ない」という意味を表す副詞です。近年では、肯定表現を伴って「非常に」「とても」という意味で用いられることもありますが、後者はくだけた俗用とされることがあります。
全潰とは、建物や構造物が完全に崩壊し、原形をとどめないほどに損壊する状態を指す。特に地震や爆発などの災害により、使用が不可能なほどに破壊された場合に用いられる。
全治とは、病気や怪我がすっかり良くなることを指す。例えば「全治二か月の骨折」のように、完全に回復するまでの期間を示す際にも用いられる。なお、「ぜんじ」と読む場合もある。
全壊とは、建物や構造物が完全に崩れ壊れ、その機能を果たせなくなる状態を指す。地震や爆発などの大きな外力によって、原形をとどめないほどに破壊されることをいう。「全潰」の書き換えとして用いられる。
見渡す限りの広がりをもつ景色全体を指す。特に高い場所から眺めた際の、一望のもとに収まる風景の全容をいう。
全権とは、ある事柄に関して全ての権限を有することを指す。外交交渉などにおいて国から委任された全権委員を略して呼ぶ場合もある。
ある集合を構成するもののすべてを指し、全体を漏れなく含むことを表す。また、そろいの書物や一連の出版物の全巻を指す場合にも用いられる。
全身とは、頭の先から足の先までを含む体全体のことを指す。身体のすべての部分を総称する表現であり、例えば「全身を鏡に映す」のように用いられる。満身や渾身、総身などと同様の意味を持つ。
全貌とは、物事の全体にわたる様子や姿を指す言葉である。事件や事象など、対象となるものの一部ではなく、そのすべてを含めたありのままの姿を表す。
全滅とは、敵や対象となるものが一人残らず滅びることを指す。また、全てを滅ぼし尽くすという行為そのものを表す場合もある。
勢力や人気などが最も盛り上がり、頂点に達している状態を指す。特に、ある人物や組織、時代などがその力を最大に発揮している時期を表す際に用いられる。
全容とは、物事の全体の様子や内容のすべてを指す言葉で、全体像や全貌と同義である。
衣服をまったく身につけていない状態を指し、身体のすべてが露出しているさまを表す。
「全人」は「まとうど」と読み、完全な人という原義から転じて、正直で素直な律儀者を指す。また、愚直で融通の利かない様子や、ばか正直なさまを表す場合にも用いられる。なお、「ぜんじん」と読む場合は別の意味となる。
危険や危害がなく、無事である状態を指す。物事が損なわれたり、危害を受けたりする恐れのない安定した状況を表し、生命や身体、財産などが保護されていることを意味する。
完全とは、欠けるところがなく、必要な条件がすべて整っている状態を指す。物事が完璧に仕上がっている様子や、万全の備えがなされていることを表す。
ある対象を損なうことなく守り、その状態を安全に保つことを指す。特に自然環境や文化財など、失われてはならないものを保護し維持する場合に用いられる。
健全とは、心身が健康で正常な状態にあることを指す。また、組織や活動が偏りなく適切に機能し、安定して運営されている様子も表す。
世のために尽くすこともなく、ただ無為に生きながらえることをいう。瓦全と同義で、志を曲げてまで長生きすることを意味する。
心臓のポンプ機能が低下し、全身の臓器や組織に必要な血液を十分に送り出せなくなる病態を指す。
冠不全とは、心臓の筋肉に酸素や栄養を供給する冠状動脈の血流が不十分となり、心筋が必要とする酸素需要を満たせなくなった状態を指す。これは狭心症や心筋梗塞などの虚血性心疾患の基盤となる病態である。
「求全之毀」とは、自らの人格を高め完全なものにしようと努めるあまり、かえって他人から思いがけない非難や悪口を受けることを指す。『孟子』に見られるこの言葉は、理想を追求する過程で生じる皮肉な結果を表している。
完全無欠とは、いかなる観点から見ても欠点や不足がまったくなく、完璧な状態を指す四字熟語である。「完全」と「無欠」はいずれも欠落のないことを意味し、両者が組み合わさることで、その完璧さが一層強調された表現となっている。
完全燃焼とは、燃えるものが最後まで燃え尽きることを指す。転じて、物事に取り組む際に、持てる力をすべて出し切って全力を尽くす様子の比喩として用いられる。
面目全非とは、もとの様子がすっかり変わってしまい、まったく見分けがつかなくなる様子を表す四字熟語である。特に、物事がひどく損なわれたり、改変されたりして、以前の面影をまったく留めていない状態を指して用いられる。
「百下百全」は、百のうち一つも欠けることなく完全であることを意味する四字熟語で、万全を表す表現である。『漢書』「馮奉世伝」に由来し、物事が完璧に整っている状態を指す。
万全之策とは、あらゆる状況に対応できる完璧な計画や策略を指す四字熟語である。『三国志』「魏志・劉表伝」に由来し、万に一つの不足もない周到な方策という意味で用いられる。
全豹一斑とは、物事の一部分だけを見て全体を推し量ることを指す四字熟語である。豹の斑点の一つから豹全体を想像するように、限られた情報や狭い視野から全体像を類推する喩えとして用いられる。また、見識が狭いことのたとえともされる。『晋書』王献之伝に由来し、「一斑全豹」ともいう。