都会から離れた地方を指し、人家がまばらで田畑や自然が広がる地域を意味する。また、生まれ育った故郷や郷里を指すこともあり、懐かしさや安らぎを感じさせる土地を表す。
軍隊において兵士が起居し寝食をとるための建物を指し、兵営とも呼ばれる。
学舎とは、人々が学問を修める場所を指し、特に学校や校舎を意味する。古風で情感のある表現であり、往時の思い出を伴う教育施設を想起させる際に用いられる。「まなびや」と読み、「ガクシャ」と読む場合もある。
牧場において牛や馬などの家畜を収容し、保護するための建物を指す。
軍隊が民家や建物を利用して宿泊・休養することを指す。野営や露営と対比され、屋根のある施設を拠点とする点に特徴がある。
寄宿舎において、居住者の日常生活や規律を監督・管理する役職、またはその担当者のことを指す。特に学校や企業などの集団生活の場で用いられる。
「舎兄」は、他人に対して自分の兄を指す謙譲語である。主に書簡や改まった場面で用いられ、話し手自身の実兄をへりくだって言う表現として機能する。同様の謙譲語には「舎弟」があり、これと対をなす語である。
舎宅とは、人が住むための建物を指す語で、家屋や住居を意味する。特に「社宅」と表記する場合は、企業が従業員のために用意した住宅を指す点に注意が必要である。
「舎弟」とは、主に自分より年下の男性を指す謙譲語で、他人に対して自分の弟を言う際に用いられる。また、実の弟を指す場合もある。加えて、特にヤクザなどの世界において、兄弟分の関係で自分に従う弟分を指す隠語としても用いられる。
舎利とは、釈迦や高僧の遺骨を指す仏教用語であり、特に仏舎利として尊ばれる。転じて、火葬後に残る骨全般を意味し、またその形状から米粒を喩える表現としても用いられる。
舎人は、律令制において天皇や皇族に近侍し、雑務や警護などを担当した下級官人を指す。また、平安時代には貴人の牛馬の世話をする低い身分の者もこう呼ばれた。
家屋や建物を指す語で、特に規模の大きな建築物をいうことが多い。
「御舎」は「みあらか」と読み、宮殿や御殿を敬って指す語である。特に「舎」の字を含むことから、貴人の住まいや皇居を丁寧に表現する際に用いられる。
囚人を収容し拘禁するための施設を指し、刑務所や拘置所における監房や棟を含む建築物をいう。牢屋や監獄と同義である。
僧侶が仏道を修行し、居住する建物や施設を指す。寺院と同義であり、特に仏教の修行道場としての性格を強調する語である。
駅舎とは、鉄道駅において旅客の利用に供する建物を指す。駅亭と同義で、切符売場や待合室などの施設を備え、駅業務の中心となる構造物をいう。
哨舎とは、軍隊などにおいて警戒や見張りの任務に当たる歩哨が詰めるための小屋や建物を指す。
四方に柱を立てて棟木を渡し、上部と周囲に幕を張った仮設の建物を指す。儀式や行事などの際に、屋外に設営される。幄屋(あくのや)とも呼ばれる。
鳩を飼育するための小屋を指す語で、主に伝書鳩や愛玩用の鳩を収容・管理する施設を意味する。
「蝸廬」と同じく、蝸牛の殻のように狭く小さい家を指す語。転じて、質素で狭い住まいや、自身の家を謙遜していう表現として用いられる。
敵の攻撃から身を守るために地下に掘られた避難用の施設を指し、特に空襲に備えた防空壕として用いられる。
仏舎利とは、釈迦の遺骨を指す言葉である。舎利は梵語の音訳で遺骨を意味し、特に仏陀の骨を敬ってこのように呼ぶ。仏塔に納められ供養の対象となる。
内舎人は、律令制において中務省に属し、宮中の宿直や天皇の雑役、警護を担当した官職を指す。後に明治期の官制では、主殿寮や東宮職における最下級の職員を指すようになった。読みは「うちとねり」が転じたものとされる。
仏教において仏の遺骨を指す舎利のうち、特に歯の部分を意味する語。
砂糖を水に溶かして煮詰めた濃厚な液体を指し、シロップの一種として用いられる。
祇園精舎とは、古代インドの舎衛国にあったとされる仏教寺院で、釈迦が説法を行った重要な霊場の一つである。『平家物語』の冒頭で無常観を表す比喩として引用され、盛者必衰の道理を象徴する語として広く知られている。
「反首抜舎」は、『春秋左氏伝』僖公十五年に見える故事に基づく四字熟語で、髪を振り乱し、家屋を飛び出して逃げる様を表す。敗走や慌てふためいて逃げ去るさまを意味し、転じて、物事が急変し、狼狽して退散する状況を指す。
趣舎万殊は、人々の好みや選択がそれぞれ異なり、多様であることを表す四字熟語である。王羲之の「蘭亭集序」に由来し、人々の志向や行動の違いを自然なものとして捉え、多様性を肯定する意味合いを持つ。
「舎短取長」とは、短所や欠点を捨て去り、長所や美点を選び取って伸ばしていくことを意味する四字熟語である。『漢書』芸文志に由来し、「短を舎て長を取る」と訓読される。
近くにあるものを捨てて遠くのものを求めること。身近な便利なものを軽視し、遠くにあるものをあえて追い求める愚かさを喩える。
近くにあるものを捨てて、遠くのものを求めること。手近で容易に得られるものを顧みず、わざわざ遠回りをして手に入れようとする愚かな行為を指す。