人後とは、他人より劣った立場や順位を指す。主に否定形で用いられ、「人後に落ちない」の形で、ある事柄において他人に引けを取らないという意味を表す。
牛後とは、牛の尻の部分を指す。そこから転じて、強大な勢力の後ろに付き従う立場や状態を表す。『史記』に見える「鶏口となるも牛後となるなかれ」の句は、小さくとも自らを率いる者となるべきで、たとえ大きくとも他に従う者となるべきではないという教えとして知られる。
向後は「きょうこう」と読む語と同義で、これから先の時間や将来を指す語である。主に文章語として用いられ、今後や以後といった意味を表す。
没後とは、人がこの世を去った後の時期を指す語である。死後と同義で、主にその人物の業績を回顧したり記念行事を行ったりする際に用いられる。例えば、没後百年を機に著作集が刊行されるといった使われ方をする。表記としては「歿後」と書くこともある。
雨が降りやんだ直後の時を指し、空気が清々しく澄み渡った状態を表す。雨上がりの情景を描写する際に用いられ、特に虹がかかるような晴れ間の訪れを連想させる表現である。
四つ足動物の後方にある二本の足を指し、前足と対をなす部位である。
後味とは、飲食後に口の中に残る味わいを指す。また、物事が終わった後に心に残る感覚や印象を表し、特に不快な印象が残る場合に「後味が悪い」などの表現で用いられる。
前の人の代わりにその地位や役割を受け継ぐことを指し、特に後任者や後妻を意味する。
後金とは、商品やサービスを先に受け取った後で支払う代金のことを指す。また、一部を前払いした場合の残りの代金を意味することもあり、商品到着後などに清算される支払い残高を表す。
後厄とは、厄年を過ぎた翌年のことを指し、その年に生じる災難や厄災を意味する。前厄と対になる概念で、厄年の影響が完全に去りきらない期間として捉えられる。
「うわなり」と読む場合、かつての一夫多妻制において最初の妻(前妻)に対して後に娶った妻を指す。転じて、後妻一般を意味することもある。また、嫉妬や妬みの感情を表す古語としても用いられ、「次妻」とも表記される。一方、「ごさい」と読む場合は、再婚した妻を指す。
後朝(きぬぎぬ)は、男女が共に寝た翌朝を指し、転じて愛し合う者同士の別れや夫婦の離別を意味する。衣衣とも表記され、一夜を共にした後の名残惜しい別れの情景を含意する。
後継とは、ある物事や地位を受け継ぐことを指し、特に家業や伝統、技術などを引き継ぐ人を意味する。事業や文化の継承者としての役割を担う者を表す語である。
後見とは、年少者や無力な者を助け支える行為を指す。法律用語としては、親権者のいない未成年者の保護や財産管理を担う制度を意味し、また演劇の世界では、舞台上で役者の陰に立ち、小道具の受け渡しや衣装替えを助ける役割を指す。
後衛とは、軍隊やスポーツ競技において後方の守備を担う位置、またはその役割を果たす者を指す。軍事用語としては本隊の後方を守る部隊や兵士を意味し、スポーツではゴールや陣地を防衛するために配置される選手を表す。前衛と対をなす概念である。
家系を継承することを指し、特にその役割を担う人物を意味する。主に家督や血筋を受け継ぐ後継者のことを表す。
後援とは、表立たずに支援を行うことを指し、特に芸能人やスポーツ選手などの活動を支える組織や個人のことをいう。また、軍事用語としては、後方に控えて前線を支援する部隊を意味する。
後事とは、将来に起こる事柄や、特に人が亡くなった後に残される事柄を指す。例えば、身の回りの整理や遺産の処分など、死後に処理すべき事項を意味する。
後室とは、家屋の奥まった位置にある部屋を指す。また、かつては身分の高い人の未亡人を指して用いられることもあった。
過去に行った自分の言動や選択について、後になってその不適切さや誤りを認め、心に苦みや残念な思いを抱くことを指す。
もともとの組織や境遇が発展や改革を経て大きく変化したもの、あるいは身分や境遇が一変した後の状態を指す。また、生まれ変わった後の身の上や、生まれ変わりそのものを意味することもある。いずれの場合も、その前の状態である「前身」と対になる概念として用いられる。
後学とは、先達に比べて後に学問を始めた者を指す。また、将来の自らの糧となる知識や学びを意味し、例えば「後学のために講義を聴く」のように用いられる。
後進とは、同じ道筋を後に続いて進むこと、あるいはそのような人を指す。また、経済や技術、文化などの分野において発展が遅れている状態を表すこともある。さらに、後ろ方向へ進むという後退の意味も含まれる。
ある出来事が原因となって、後に生じるかもしれない心配や災いを指す。将来の禍根を断つという意味で用いられることが多い。
後宮とは、皇后や妃嬪などが居住する宮殿の区域を指す。転じて、そこに住む女性たちの総称としても用いられる。
後家とは、夫と死別した後も再婚せずに暮らす女性を指す。また、対や組になっているものの一方が欠けた状態の残りの部分を意味することもある。
後に続くこと。また、そのように続くものや人を指す。特に、前のものに次いで続く部隊や列などを表す際に用いられる。
後難とは、ある行為や出来事の後に生じる災いや面倒な事態を指し、将来に禍根を残すような不都合な結果が降りかかることを意味する。
ある役職や任務を引き継ぐこと、またその人のことを指す。前任者に代わって職務を担う立場を表し、組織や役職の交代において用いられる。
後輩とは、同じ学校や職場において自分より後に入学あるいは入社した者を指す。また、年齢や地位、経験年数などが自分より下である者に対しても用いられ、先輩に対する関係を示す語である。
後生とは、死後の世界、すなわち来世を指す語である。また、その来世における安楽、特に極楽往生を願う気持ちを表す際にも用いられる。転じて、切実な願いを込めて相手に何かを頼むときの呼びかけの語としても使われる。なお、「コウセイ」と読む場合は別の意味となる。
列や集団などのうしろの部分を指し、特に順序や位置において最後の方に当たる箇所を表す。
後備とは、戦闘の際に後方で待機し、必要に応じて前線に投入される部隊を指す。予備兵力としての役割を担い、戦況の変化に対応するための態勢を整えている。
後輪とは馬具の鞍橋の一部を指し、鞍の後方に位置して山形に高くなっている部分をいう。前輪に対する後方の鞍橋の隆起部を表す語で、「あとわ」や「しりわ」とも呼ばれる。
後便とは、後日送られる手紙や通信のことを指し、次回の便りを意味する。前便に対して用いられ、詳細な連絡や報告を次回の通信に譲る場合などに使われる表現である。
手術が終わった後の時期を指す。患者の状態や回復の過程について述べる際に用いられる。
最後とは、一連の物事のうち、最も終わりに位置する部分や時点を指します。また、そのような状態にあるもの自体を表すこともあります。さらに、ある事柄がそこで終わりとなり、それ以降は続かないことを意味する場合もあります。
絶後とは、今後二度と同様の事象が起こらないと思われることを指し、多くは「空前絶後」の形で用いられる。また、息が絶えて死んだ後、すなわち死後を意味する場合もある。
戦場から離れた国内の地域を指し、直接戦闘に携わらない一般国民やその社会を意味する。戦時において兵士を支え国家の運営を維持する役割を担う集団や領域を表す語で、「銃後の守り」などの表現で用いられる。
午後とは、正午を過ぎてから夜の十二時までの時間帯を指す。特に、昼の十二時から日没までの間を指して用いられることもある。午前に対応する語である。
後裔とは、血筋を引いて後に続く者、すなわち子孫のことを指す。特に、先祖から連綿と受け継がれてきた家系の末裔を意味する語である。
後塵とは、車馬が通った後に立ち込める土煙を指す。転じて、他者に先んじられて後れを取り、その後に従うことを意味し、「後塵を拝す」などの表現で用いられる。
「落後」とは、集団や隊列から遅れて取り残されることを指す。また、競争において力が及ばず、他の者に追いつけずに脱落する状況も表し、進歩や発展から取り残される意味合いを含む。
歇後とは、成語や故事の後半部分を省略し、前半部分のみで全体の意味を表す修辞法である。例えば、「友于兄弟」という句から「友于」だけを用いて「兄弟仲良く」という意味を表現するような手法を指す。
ある時点から後を指し、それ以降の期間を表す。主に書き言葉で用いられ、やや改まった表現である。
生まれつきではなく、出生後に何らかの原因によって獲得された性質や状態を指す。先天性の対義語として用いられ、病気や障害、あるいは技能や知識などが、生後の環境や経験、事故、病気などによってもたらされた場合にいう。
後生楽とは、死後の安楽を信じて心を安んじることを指す。また、転じて何事にもとらわれず、気楽に構えている様子を表す。
備後表とは、広島県の尾道や福山周辺で生産される高品質の畳表を指す。
善後策とは、問題や事件が発生した後に、その影響を最小限に抑え、適切に処理するための方策や手段を指す。事態を収拾し、後々の支障を残さないように講じる対策のことをいう。
冠前絶後は、過去にも例がなく、今後も並ぶものがないほどに優れていること、あるいは非常に珍しいことを指す四字熟語である。「冠」はかんむり、すなわち最上位にあることを意味し、「絶後」は後を絶つ意で、比類のない卓越性を表す。故事に基づき、前代未踏の傑出さを強調する表現として用いられる。
雨後春筍は、春の雨が降った後に竹の子が次々と勢いよく生え出る様子から、物事が急速に数多く現れたり、盛んに増えたりすることをたとえた四字熟語である。
面従後言とは、人の面前では従順な態度を示しながら、陰ではその人の悪口を言うことを意味する四字熟語である。表面上はへつらい従う「面従」と、背後で非難する「後言」から成り、誠実さに欠ける二心のある態度を表す。出典は『書経』益稷篇にある。
「飯後之鐘」は、食事を終えた後に鳴る鐘の音を指す四字熟語で、転じて物事が終わった後に訪れる安堵や静寂、あるいは時機を逃したことを暗示する表現として用いられる。
『春秋左氏伝』宣公一二年に由来する四字熟語。戦闘において、中軍の指揮権を掌握し、後方に強力な予備兵力を備えることを指す。転じて、物事の進行において、中盤で主導権を握り、終盤に向けて十分な力を蓄え発揮する戦略や姿勢を意味する。
前仆後継は、先人が倒れても後続の者が躊躇なく続いて進むことを意味する四字熟語である。困難や危険に直面しても、人々が次々と立ち向かい、志や事業を絶やすことなく受け継いでいく様子を表す。
前狼後虎とは、前方には狼が、後方には虎が迫るという状況から、前後を敵に囲まれて逃げ場のない危険な立場に置かれることを意味する。転じて、進退ともに困難な苦境や、避けがたい危険に直面している様子を表す。
先憂後楽とは、優れた為政者の心得を表す四字熟語である。人々がまだ気づかぬ先に憂いを考えて手を打ち、人々が楽しんだ後に初めて自らも楽しむという、公共に奉仕する者のあるべき姿勢を示している。中国宋代の范仲淹が「岳陽楼記」で述べた思想に由来する。
前覆後戒とは、過去の失敗を教訓として将来の過ちを戒めることを意味する四字熟語である。『漢書』賈誼伝に由来し、前車の覆えるを見て後車の戒めとする、すなわち先人の挫折から学び、同じ過ちを繰り返さないようにするという教えを表す。
先難後獲とは、困難なことを先に行い、利益を得ることを後回しにするという意味の四字熟語である。まず他者のために難事を引き受け、自らの利益は後に求める姿勢を指し、また初めに苦労を重ねれば後になって報いが得られるという教訓も含む。『論語』雍也篇に由来し、「難かたきを先さきにして獲うるを後あとにす」と訓読される。