人語とは、人間が発する言葉や言語そのものを指し、動物など他の生物の鳴き声とは区別される。また、人の話し声や会話の音そのものを意味することもある。
口語とは、日常の会話などで用いられる話し言葉を指し、書き言葉としての文語に対比される概念である。また、現代の言語使用を指して、特に文語体と区別する場合にも用いられる。
文語とは、口頭での会話とは異なり、文章を書く際に用いられる言葉遣いを指します。また、特に日本語においては、現代の口語体以前の、主に平安時代の文法体系を基盤とした言語のことを指し、古文や古典語とほぼ同義で用いられます。
主語とは、文の構成要素の一つであり、動作や状態の主体を示す語を指します。例えば、「太陽が昇る」という文において、「太陽」が主語に当たり、その後に続く「昇る」という動作の主体を明確にしています。
母語とは、人が生まれ育った環境において最初に習得し、自然に身につけた言語のことを指す。また、言語学においては、同一の語族に属する諸言語の共通の起源となった祖語を意味する場合もある。
壮語とは、威勢のよいことや大げさなことを言うことを指し、またそのような言葉そのものも意味する。
妄語とは、仏教において戒められる虚言を指す言葉で、五戒や十悪の一つに数えられる。本来の読みは「もうご」であるが、「ぼうご」と読まれることもある。
成語とは、古くから伝わり広く引用されてきた定型の語句を指し、故事に基づくものを含む。また、二つ以上の語が結びついて一つの意味をなす熟語や複合語の総称としても用いられる。
耳語とは、他人に聞かれないように相手の耳元に口を寄せ、声をひそめて話すことを指す。ひそひそと内密の話をする行為を表す。
私語とは、周囲に聞こえないように小声で交わす会話を指す。特に授業中や公式の場などで慎むべき行為として用いられ、「ささめごと」とも読まれる。
仏教の教義を説いた書物や文章を指し、特に仏法を解説した語句や経典の内容を意味する。また、高僧による法談や法話など、仏の教えを平易に説いた訓話を含む場合もある。
物語とは、古くから語り継がれてきた伝承や説話を指す。また、平安時代から鎌倉時代にかけて、作者の見聞や想像に基づいて人物や事件を叙述した散文作品の総称としても用いられ、軍記物語などがその例である。さらに、何かを語ることや、その話そのものを意味する場合もある。
述語とは、文の中で主語の動作や状態、性質などを叙述する部分を指す。例えば「何がどうする」「何がどんなだ」「何が何だ」といった文型において、「どうする」「どんなだ」「何だ」に相当する要素であり、動詞や形容詞、名詞と助動詞「だ」の組み合わせなどがこれに当たる。
俗語とは、日常のくだけた場面で用いられる言葉遣いを指し、格式ばった文語や雅語に対置される概念である。特定の社会集団や世代内で流通する卑俗な表現や隠語を含み、口語体のうちでも特に砕けた性格を持つものをいう。
言語において特定の意味や機能を担い、文を構成する最小単位を指す。
独語とは、一人で声に出して言葉を発する行為、またはその言葉そのものを指す。また、ドイツ(独逸)の言語を意味する場合もある。
発語とは、言葉を発することや発言することを指す。また、文章や談話の冒頭に置かれる「さて」「そもそも」などの語を指す場合もある。さらに、語調を整えたり軽い意味を添えたりする接頭語(「か弱い」の「か」など)の別称として用いられることもある。「ホツゴ」と読む場合もある。
根拠のない事実や責任を伴わない噂のことを指し、しばしば「流言飛語」という成語で用いられる。漢字表記としては「蜚語」の書き換え字としても知られる。
倒語とは、元の単語を構成する音節の順序を逆転させて形成された語を指す。隠語や俗語として用いられることが多く、「ばしょ」を「しょば」、「たね」を「ねた」とする類いである。
翻訳や解釈において、原文の語句を一語ずつ忠実にたどり、そのまま置き換えていく手法を指す。逐語訳は原文の構造を厳密に反映するが、自然な表現にはならない場合があり、これに対して意訳が行われることもある。
「隻語」とは、ごくわずかな言葉、短い一言を指す。文章や会話の中で、簡潔に核心を突いた短い表現を意味し、同様の意味を持つ「隻句」や「隻言」と類義の関係にある。
特定の学問分野や専門技術において用いられる、その領域特有の概念や事物を指し示すための言葉を指します。
訳語とは、ある言語から別の言語へと翻訳された言葉を指します。原文の意味を適切に伝えるために選ばれた、翻訳先の言語における対応する語句や表現のことです。
敬語とは、話し手が相手や話題の人物に対して敬意を示すために用いる言語表現の総称であり、一般に尊敬語・謙譲語・丁寧語などに分類される。
畳語とは、同一の単語を重ねて形成される語彙形態を指し、「くにぐに」「ひとびと」などの例が挙げられる。これにより、意味の強調や複数性、反復性などが表現され、日本語の表現に豊かなニュアンスをもたらしている。
文章や講演などの末尾に置かれ、全体を締めくくるための言葉を指します。内容の総括や締めの挨拶など、終わりを明確に示す役割を果たします。
補語とは、英文法において不完全自動詞や不完全他動詞の意味を補完する語句を指す。また国文法では、述語の意味を補足する成分をいい、例えば「湯が水になる」における「水に」や「白を黒という」における「黒と」などがこれに当たる。
評語とは、物事や人物に対して評価や批評を加える言葉を指す。また、学校などで成績の優劣を表すために用いられる「優」「良」「可」などの等級を示す言葉のこともいう。
間語とは、静かに語り合うことを指し、また特に取り立てて言うほどの内容を持たない世間話を意味する。表記としては「閑語」と書くこともある。
閑語とは、ゆったりとした気持ちで静かに語り合うことを指し、そのような会話自体も意味する。また、取り留めのない世間話や無駄話をすることを表し、その内容も含む。
語釈とは、辞書において個々の語句や表現の意味を説明した文章を指す。難解な語や特殊な用法に対してその内容を明確にするために付されるもので、語義の解釈の中核を成す要素である。
言葉の使い方における不適切さや、誤解を招きやすい表現を指す。また、そのような表現によって生じる弊害や不都合も意味する。
語呂とは、言葉を発した際の音のつながりや響きの具合を指し、特に調子の良し悪しについて言う。
語彙とは、ある特定の範囲や分野において用いられる言葉の総体を指し、個人や集団が持つ言葉の蓄積、すなわちボキャブラリーを意味します。また、一定の基準に基づいて収集・編集された言葉の集まり、語集のことも指します。単なる「単語」や「言葉」という意味で用いるのは適切ではありません。
語幹とは、用言において活用によって変化しない部分を指す。例えば、「読む」という動詞の場合、「よ」が語幹であり、これに様々な活用語尾が付加される。
語感とは、言葉そのものが持つ響きや雰囲気、また、言葉から受け取る感覚や、言葉に対する個人の感受性を指す。例えば、ある表現には温かみのある語感が感じられるといったように用いられ、詩歌を創作する者などは特にこの語感が鋭いと言われる。
語気とは、言葉を発する際の調子や勢いを指し、話し手の感情や態度が反映される表現形式である。語調や語勢とほぼ同義で、声の高低や強弱、速度、間の取り方などによって、丁寧さや威圧感、穏やかさなどのニュアンスが生じる。
自信に満ちて大げさなことを言ったり、偉そうな口調でものを言ったりすること。実際の能力や状況を超えた誇張した発言を指し、大言壮語と同義である。
隠語とは、特定の職業や仲間内など、限られた集団の中でだけ通用するように作られた特別な言葉を指します。外部の者にはその意味が分からないようにするため、あるいは集団内の連帯感を強めるために用いられ、例えば警察を「さつ」、たばこを「もく」と呼ぶような類いです。符丁とも言います。
激しい口調や強い感情を込めて発せられる言葉を指し、興奮や怒りのあまりに発せられるような激烈な表現をいう。
識語とは、写本や刊本において、本文の前後に記される書誌情報を指す。主にその書物の来歴や書写・刊行の年月日、関係者名などを記したものであり、「しご」の慣用読みに基づく表記である。
なぞを含んだ言葉、あるいは意味が捉えにくい言葉を指す。
梵語とは、古代インドの文章語であるサンスクリットを指す。仏教の経典や教義が中国を経て日本に伝来する際、その言語は音訳されて仏教語として受容され、この呼称が定着した。
訛語とは、共通語と比較して発音に差異のある言葉を指し、特定の地域や社会集団において用いられるなまった言葉のことをいいます。
喃語とは、主に二つの意味を持つ。一つは、親密な男女が互いにささやきかわすような、愛情のこもった言葉を指す。もう一つは、乳幼児が意味のある言葉を話し始める前に発する、まだ言語として成立していない発声を指す。
眠っているときに無意識に発する言葉を指し、転じて根拠のない取るに足らない発言や戯言を意味する。
綺語とは、詩歌や小説などで用いられる美しく飾られた言葉を指す。また、表面だけを繕った虚飾の言葉という意味もあり、仏教では十悪の一つに数えられる。狂言綺語ともいい、物語や小説を卑しめていう語としても用いられる。
蜚語とは、根拠のない噂や事実無根の風説を指す言葉である。特に、人を中傷するような虚偽の情報や、世間に流布する無責任な言いがかりのことを意味する。
鄙語とは、田舎で用いられる素朴な言葉遣いを指すとともに、洗練されていない下品な俗語や卑わいな表現をも意味する。
譫語とは、高熱や意識障害の際に意味の通らない言葉を口走る状態を指し、譫言(うわごと)と同義である。
「囈語」は、熱に浮かされた時などに無意識に発せられる言葉を指す。また、筋道が立たずまとまりのない言葉、すなわちたわごとの意味でも用いられる。「譫言」とも書き、「ゲイゴ」と読むこともある。
ウグイスの鳴き声を指す語で、春の訪れを告げるその美しいさえずりを表現する。
同じ意味を表すが、異なる語形を持つ語を指す。例えば「討論」と「討議」のように、互いに置き換え可能な関係にある語をいう。対義語や反義語とは異なり、意味の類似性に基づく語彙間の関係を示す概念である。
接頭語とは、それ自体では独立して用いられず、他の語の上に付加されることで、その語に特定の意味を付け加えたり、語調を整えたりする要素を指します。例えば「お菓子」の「お」や「か細い」の「か」などがこれに当たり、対となる概念として語の末尾に付く接尾語があります。
接尾語とは、単独では用いられず、他の語の末尾に付加されることで、その語に特定の意味を加えたり、品詞を変化させたりする形態素である。例えば、「高さ」の「さ」は名詞を作り、「春めく」の「めく」は動詞を形成する。これに対し、語の前に付くものを接頭語という。
寝物語とは、寝床に入りながら交わす会話のことであり、特に男女が寝室で親密に語り合う様子を指す。
擬声語とは、自然界の音や動物の鳴き声、人の発する声などを言語音によって模倣・再現した語を指す。例えば「ざあざあ」は雨音を、「わんわん」は犬の吠え声を表す。擬音語とほぼ同義で用いられるが、狭義には生物の発する声を模した語を特に擬声語と呼ぶ場合もある。
詭道険語とは、道理に合わない邪な論法や、極端で危険な言葉を指す。物事の本質を歪めて捉え、常軌を逸した主張や表現を用いることを意味する。
甘言蜜語とは、相手の気を引いたり取り入ったりするために用いられる甘く媚びた言葉のことであり、特に男女間の甘い語らいを指すこともある。蜜のように甘い言葉で相手を巧みに誘い込もうとする表現である。
花言巧語とは、表面だけを飾り立てた巧みな言葉を指し、内容が伴わない空虚な美辞麗句のことをいう。口先だけのうまい表現で、真実味や誠実さに欠ける言葉を意味する。『朱子語類』に由来し、「巧語花言」とも言い換えられる。
街談巷語とは、街角や路地で交わされる世間話や噂のことを指す四字熟語である。その由来は『漢書』芸文志にあり、巷に伝わる俗説や民間の言い伝えといった意味合いを持つ。転じて、正式な記録には残らない市井の話題や、世間一般で広く語られる風説を総称する表現として用いられる。
快人快語とは、性格がさっぱりとして飾り気がなく、思ったことを率直に口にする様子を表す四字熟語である。人の人柄や言動が明朗闊達であり、遠慮やごまかしのない正直な物言いを指す。
快語満堂とは、座談会や集会などで、人々が気持ちよく語り合い、会場全体が活気に満ちている様子を表す四字熟語である。
「一句一語」とは、一つ一つの言葉やわずかな言葉のことを指す四字熟語です。文章や会話における個々の語句を丁寧に捉え、言葉そのものの重みや細やかな意味合いを強調する表現として用いられます。
一語一句とは、言葉の一つひとつを指す表現であり、細部に至るまで注意深く言葉を選び、あるいは一字一句を厳密に扱う様子を表す。