「何故」は、物事の理由や原因を尋ねる疑問の表現である。主に話し言葉で用いられ、行動や状況の背景にある根拠を問いただす際に使われる。例えば、「何故そう思うのか」のように、相手の判断の理由を探る場合などに適する。
思いがけず発生する好ましくない事態や災難を指す。特に交通機関の運行中に生じるトラブルを指して用いられることが多い。
典故とは、故事や古い文献に由来する事例や言い伝えを指し、後世において議論や表現の拠り所とされるものをいう。
物故とは、人がこの世を去り亡くなることを指す。特に、公式な文書や記録において、人の死亡を表す際に用いられる表現である。構成する「物」と「故」の二字はいずれも死を意味し、合わせてその事象を表す。
故郷とは、その人が生まれ育った土地を指す。そこには幼少期の記憶や原風景が結びついており、懐かしさや愛着を感じさせる場所として捉えられる。郷里や故郷と同義で用いられ、「ふるさと」とも読む。
故国とは、自分が生まれ育った国を指し、祖国や母国と同義である。また、転じて生まれ故郷の土地を意味することもある。
故山とは、故郷の山を指す言葉であり、転じて故郷そのものをも意味する。懐かしい故郷の風景や土地を連想させる表現として用いられる。
故事とは、古くから伝えられてきた事柄や、歴史上の出来事を指す。また、それらに基づいて形成された教訓や寓意を含む語句や成語のこともいう。
故実とは、儀式や法令、作法、服装などに関する古くからの決まりやしきたりを指す言葉である。特に有職故実のように、公家や武家社会において伝承されてきた正式な礼式や慣習を意味する。
機械や装置などが正常に機能しなくなる状態を指す。また、物事の進行を妨げる障害や支障を意味することもある。さらに、異議や苦情を申し立てる場合にも用いられる表現である。
故人とは、この世を去った人を指す。また、古くからの友人や旧知の間柄を意味することもある。
故園とは、かつて住んでいた土地や生まれ育った故郷を指す言葉である。懐かしさや愛着を込めて、遠く離れた地から思いを馳せるような、心の拠り所となる場所を意味する。
故買とは、その品物が盗品であることを知りながら、それを購入したり物々交換によって入手したりする行為を指す。このような行為を行う者を「故買屋」と呼び、その対象となる物品は「故買品」と称される。
長年にわたって親交を重ねてきた友人や知人を指し、特に過去に深い関わりがあった間柄を表す。
故老とは、年を重ねた老人を指す語である。特に、長年の経験を積み、古い時代の事情や伝承に通じた老成の人物をいう。表記としては「古老」とも書かれる。
昔の優れた人々が残した知恵や教えを指し、それを手本として学ぶことを意味する。
革故鼎新は、古くからの慣習や制度を改め、新たな仕組みを打ち立てることを意味する四字熟語である。『易経』に由来し、旧弊を排して刷新を図る改革の精神を表す。
温故知新は、古い事柄を学び直すことで新しい道理や知見を得ることを意味する四字熟語である。過去の教えや経験を深く考察し、そこから現代に活かすべき知恵を引き出すという考え方を示す。『論語』為政篇に由来し、「故きを温ねて新しきを知る」と訓読される。
有職故実とは、平安時代以降の朝廷や公家、武家社会において確立された儀式・法制・作法・服飾などに関する先例やしきたりを指し、それらの知識体系や研究分野をも意味する。
「班荊道故」は、道端に敷物を敷いて腰を下ろし、旧交を温めて語り合うことを意味する。故事に由来し、旅の途中で偶然旧知と出会い、懐かしさのあまり立ち話に興じる様子を表す。転じて、旧友と偶然再会し、昔話に花を咲かせる情景を指す。
薄物細故とは、取るに足りない些細な物事や、価値のないつまらない事柄を指す四字熟語である。「薄物」も「細故」もともに些末な事柄を意味し、特に「故」は事柄や出来事を表す。この語は『史記』匈奴伝に由来し、重要でない瑣末な事象を表現する際に用いられる。
「蹈常襲故」とは、古くからの慣習や決まりをそのまま踏襲し、新しい試みをせずに従来通りの方法で物事を行うことを意味する四字熟語である。「蹈」は踏み行うこと、「襲」は受け継ぐことを表し、文字通り「常(つね)を蹈(ふ)み故(こ)を襲(おそ)う」と訓読される。現代では「踏襲」と表記されることも多い。