中有とは、仏教において生命が死後から次の生を受けるまでの間の状態を指す。この期間は最短で七日、最長で四十九日間とされ、中陰とも呼ばれる。この間に霊魂は次の転生先を求めて彷徨うとされる。
二つのもののあいだ、あるいは物事の進行過程における真ん中の部分を指す。また、程度や性質が極端に偏ることなく、ほどほどである状態や、そのような立場にあることを表す。
「中気」とは、かつて「中風」と同義で用いられた語である。また、暦法においては、冬至から次の冬至までの一年を十二等分した区分点、すなわち冬至・大寒・雨水・春分・穀雨・小満・夏至・大暑・処暑・秋分・霜降・小雪の十二の節気を指す。
中空とは、空の中央部分を指し、中天と同義で用いられる。また、物の内部が空洞になっている状態、すなわち中身がなくがらんどうであることも意味する。
中宮とは、かつて皇后・皇太后・太皇太后を指す称号であり、また皇后と同等の地位にある天皇の妃を意味する。転じて皇后そのものや、皇后の居所を表すこともある。さらに神社建築において、複数の社殿が高低差のある土地に建てられている場合、中間の位置に設けられる社殿を指し、上宮や下宮に対応する。読みは「チュウグウ」のほか、「なかのみや」とも読まれる。
中啓は儀式用の扇を指す。その特徴は、外側の二本の親骨の上端を外側へ反らせて作られており、閉じた状態でも半ば開いているように見える形状にある。名称の「啓」には開くという意味が込められている。
中継とは、二つの地点の間で何かを引き継ぐことを指し、特に放送や通信において、遠隔地からの信号を中間地点で受けて再送する技術やその過程を意味する。また、放送分野では中継放送の略称としても用いられ、スポーツやイベントなどを現場から直接伝える生中継などの形態がある。
中陰とは、仏教において人が死後、次の生を受けるまでの間の状態を指す言葉で、中有とも呼ばれる。四十九日の期間とされることが多く、この世とあの世の狭間にあるとされる。
続いていた物事が途中で途切れること。また、そのように途中で止めること。
中元とは、陰暦七月十五日のことで、一年の前半が無事に過ぎたことを祝い、祖先を祀る日を指す。また、この時期に日頃世話になっている人々へ贈り物をする習慣もあり、その贈り物自体を中元と呼ぶこともある。陰暦では、正月十五日を上元、十月十五日を下元と称し、これらと対をなす語である。
事実無根の悪口や誹謗を言いふらし、他人の名誉や信用を不当に傷つける行為を指す。
中天とは、天頂に達した太陽や月などが位置する、天空の中央を指す語である。天の真ん中、すなわち観測者の真上にあたる空の領域を意味し、中空や天心と同様の概念を表す。
広い野原の中央を指す。また、中国の黄河中流域一帯を指し、漢民族発祥の地とされる。転じて、国の中央部や政権争いの中心地を意味することもある。
中食とは、食事をとっている最中の状態を指す。また、食べ物に当たることを意味する場合もある。
中道とは、一方に偏ることなく物事の適切な中間を保つことを指す。また、物事の進行過程における中間の地点や、半ばの段階を意味することもある。
中興とは、かつて栄えたものが衰えた後、再び勢いを取り戻し盛んになることを指す。特に王朝や家系、学問などの分野で、一度衰退したものを復興させる際に用いられる表現である。
中毒とは、薬物や有害物質を摂取した結果、生体に悪影響が生じる状態を指す。特に、過剰摂取や長期にわたる摂取によって、身体機能に障害が現れることをいう。食中毒や薬物中毒など、原因となる物質に応じて様々な症状を引き起こす。
腰を完全に伸ばした直立の姿勢と、完全に屈んだ姿勢の中間の状態を指し、膝を軽く曲げて腰を中途半端に落とした姿勢をいう。物を拾う時や、立ち上がりかけた時などに見られる。
「中日」は、彼岸の期間における真ん中の日、すなわち春分の日または秋分の日を指す。また、中国と日本という二つの国を併せて示す際にも用いられ、例えば「中日友好」のように使われる。さらに、相撲の本場所など、一定の期間のちょうど中間に当たる日の意味もあり、この場合は「なかび」と読むこともある。
進行中の物事を途中でやめること。また、予定していた事柄を取りやめること。
中風とは、脳梗塞や脳出血などの脳血管障害により運動神経が麻痺し、全身あるいは半身不随の状態に至る病気を指す。中気ともいう。なお、「チュウブ」や「チュウフウ」と読む場合もある。
物の中心を貫く軸を指すとともに、組織や集団において活動の中心となり、全体を支える役割を担う人や要素を意味する。
山の頂上と麓との中間あたりの部分を指す語で、山腹ともいう。登山や地理の文脈で用いられ、山体の高さにおいて上下の中間を占める領域を表す。
中馬とは、江戸時代中期から明治初期にかけて信州地方で物資の運送に用いられた馬、あるいはその運送業を指す。多くは宿場の問屋を経由せず、荷主と直接契約して輸送を行う形態を特徴とした。
早稲と晩稲の中間にあたる時期に収穫される稲の品種を指す。
ある時代の中ごろを指す語で、「葉」は時代を表す。例えば「十九世紀中葉」のように用い、その世紀の半ば頃の時期を意味する。
文章や書簡などにおいて、中間部分を省略することを指す。前略や後略と同様に、文脈上明らかな部分を省く際に用いられる表現である。
物の中心部分を指す語で、瓜類の種を含む中央部や柑橘類の果肉の部分をいう。また、刃物において柄に収まる部分や、入れ子構造の容器の内側に収まる器を指す場合もある。
心中(シンチュウ)とは、人の心の内側や内面を指す語である。感情や考えが秘められている場所として用いられ、複雑な思いを抱く場面や、他人の心情を推し量る文脈で使われる。なお、「シンジュウ」と読む場合は、異なる意味を持つので注意を要する。
日中は昼間や昼の時間帯を指し、夜中に対して用いられる。また、半日の長さを表すこともあり、例えば半日分の仕事を指して日中仕事などと言う。
火の中を指す語であり、また火の中に物を入れて焼く行為そのものをも意味する。
町の中心部や、市街地の区域を指す語。特に商業施設や人の往来が集中する繁華な地域をいうことが多い。
必ず命中すること。特に射撃や投擲などにおいて、確実に目標に当たることを指す。
正中とは、物を二等分する中心点や中心線を指し、例えば正中線のように用いられる。また、両極端に偏らない中正な立場を保つことを意味し、不偏不党の態度を表す。天文学においては、天体が子午線を通過し、真南または真北に位置する現象を指す。
封筒や包みなどの内部に書類や物品が収められていることを示す語で、主に表書きに用いられる。
忙中とは、多忙な最中や、何かとせわしない物事の合間を指す。
忌中とは、家族や親族が亡くなった後、一定の期間を喪に服して慎み深く過ごすことを指す。通常は四十九日間を目安とし、その間は慶事への参加や派手な行動を控える習わしがある。
社中とは、本来は会社や組織の内部を指すが、特に伝統芸能の世界においては、同じ流派や師匠に学ぶ仲間、あるいは同じ結社に属する者同士を指して用いられる。
体の内部を指す語で、特に「獅子身中の虫」という成句において、恩ある者を内部から害する者の喩えとして用いられる。
脳血管の障害により突然意識を失い倒れる発作を指し、脳出血や脳梗塞などが原因となる。
南中とは、天体が観測地点の子午線を通過する現象を指す。この瞬間、その天体は地平線からの高度が最も高くなる。主に太陽や月に対して用いられる表現であり、恒星の場合は「正中」という語が使われることが多い。
家の中を指すほか、家族全員を表すこともある。また、かつての大名に仕える家臣のこともいう。
宮中とは、天皇の住まいである宮殿の内部、すなわち皇居の中を指す。また、広義には伊勢神宮をはじめとする由緒ある神宮の神域や境内を意味することもある。
胸の内側、すなわち心の中を指し、その人の考えや感情、秘められた思いなど、外からは見えにくい内面の状態を表す。
連中とは、ある集団に属する人々を指す言葉で、主に仲間や同類の者たちを意味する。特に芸能や音曲の世界においては、一座を組んで活動する芸人たちを指して用いられることもある。ややくだけた表現であり、文脈によっては軽蔑のニュアンスを含む場合もある。「れんじゅう」と読まれることもある。
陣中とは、軍隊が布陣した場所の内部を指し、転じて戦闘が行われている最中の状況を表す。戦時における激励や慰問の対象となる場面にも用いられる。
術中とは、策略や計略の範囲内、あるいはその過程にあることを指す。相手の仕掛けた罠や策略に嵌まる様子を表し、謀略の展開の中で陥る状況を意味する。
近親者が亡くなり、喪に服している期間を指す。この間は慶事を避け、年賀状のやり取りや新年の挨拶を控えるのが習わしである。
多くの物事の中でも特に際立っているものや、とりわけ重要な事柄を指し示す表現である。漢語「中に就く」の転じた形で、列挙された複数の要素から特定の一つを強調する際に用いられる。例えば「様々な花の中でも、就中バラが美しい」のように使う。
御中は、郵便物や書状において、宛先が特定の個人ではなく会社や官公庁、団体など組織を指す場合に用いる敬称である。読み方は「おんちゅう」であり、「おなか」と読む場合は別の意味となることに注意が必要である。
暑中とは、夏のうちで特に暑さの厳しい時期を指す。暦の上では夏の土用の頃に当たり、時候の挨拶などで用いられる。対義語として「寒中」が挙げられる。
「最中(さいちゅう)」は「最中(さなか)」と同じ意味で、物事が最も盛んな状態にある時や、ある出来事が進行している真っ只中のことを指します。
ある一点や一箇所に物事や注意、力などを集めること。また、その状態を指す。
夢中とは、ある物事に深く心を奪われ、周囲の状況や時間の経過を忘れるほどに没頭している状態を指します。また、かつては文字通り夢を見ている間、つまり夢の中にいることを意味する用法もありましたが、現代では主に前者の意味で用いられます。
心の中に抱いている考えや気持ちを指す。特に、他人にはっきりと伝えていない内面の意向や本心を意味する。
禁中とは、宮中や御所を指す語で、特に天皇の居所や政務が行われる区域を意味する。宮廷の内部を表し、禁裏や禁廷とも呼ばれる。
ある物事に深く心を奪われ、それに没頭する様子を指す。
懐中とは、衣服の懐すなわち胸元の内側の空間を指す。転じて、その中に物を収めて携行する行為をも意味する。
「御中」は「おなか」と読み、腹部を指す語である。もとは女性語や女房詞として用いられ、食事や綿を意味することもあった。これは食卓の中央に置いたことや布団の中に入れたことに由来する。なお「おんちゅう」と読む場合は別の意味となる。
物事が最も盛んな状態や、進行中の事柄の絶頂にある様子を指す。例えば、試合や行事などが最高潮に達している最中の状況を表す。
川の流れの中で、土砂が堆積して水面に現れた島状の地形を指す。特に河川の中流域などに見られる自然の陸地をいう。
篦中とは、矢の柄(え)の中ほどを指す語である。矢は、篦の一端に羽を付け、もう一端に鏃(やじり)を装着するが、その中間部分を特にこう呼ぶ。
簾中とは、元来は簾の内側を指す語であるが、転じて高貴な家の奥方や、貴人の妻を敬っていう呼称として用いられる。
中耳炎とは、鼓膜の奥にある中耳腔に生じる炎症性疾患を指す。主に細菌やウイルスの感染により引き起こされ、耳の痛みや発熱、耳だれ、難聴などの症状を伴う。放置すると慢性化したり、内耳炎や髄膜炎などの合併症を引き起こす恐れがあるため、早期の治療が望まれる。
水中花とは、透明な容器に水を張り、その中に造花を浸して草花が咲いたような姿に見せる夏の飾り物を指す。
しょっちゅうは、ある状態や行為が頻繁に繰り返されるさまを表す副詞で、絶え間なく続く様子や、いつもそうであることを意味します。
脳卒中とは、脳の血管が詰まったり破れたりすることによって生じる急性の疾患であり、突然の意識障害や身体の麻痺、言語障害などを引き起こす。脳梗塞や脳出血などがこれに含まれる。
橘の中に二人の老人が向き合って将棋を楽しむという中国の故事に由来し、将棋や囲碁のような盤上遊戯の奥深い楽しみを指す。転じて、狭い空間や限られた世界の中にこそ、深い趣きや喜びが潜んでいることを喩える表現でもある。
管中窺豹とは、竹の管を通して豹の斑紋の一部だけを見ることから、物事のごく一部分だけを見て全体を推し量ろうとするたとえ。見識が狭く、大局を捉えられないことを意味する。
「管中窺天」は、細い管の穴から天を覗き見ることを意味し、視野や見識が非常に狭く、物事の全体像を捉えられない状態を喩えた四字熟語である。『荘子』秋水篇に由来し、限られた狭い見方では真実や大局を理解できないという教訓を示している。
渦中之人とは、激しい争いや騒動の中心に巻き込まれている人物を指す四字熟語である。物事の混乱や対立が最も激しい場所に身を置き、その影響を直接受けている状態を表す。
火中取栗とは、他人の利益のために危険を冒し、自分だけが損害を被る愚かな行為を指す。ラ・フォンテーヌの寓話で、猫にそそのかされた猿が炉の火から栗を取り出そうとして火傷を負う故事に由来する。
高い地位について束縛されるよりも、貧しくとも自由な身で生きることを選ぶべきだという教え。荘子が、神に供えられる亀の骨になるよりは、泥の中で尾を引きずって生きる亀のほうが良いと説き、仕官を断った故事に由来する。
永世中立とは、国際関係において将来にわたって戦争や紛争に加わらず、いかなる軍事同盟にも属さないことを宣言し、他国からもその立場を承認された国家の立場を指す。
雲中白鶴とは、雲の間を優雅に飛ぶ白鶴の姿に喩えて、世俗の垢に染まらず、気高く清らかな品性を持つ人物を指す。特に高潔な人格者や、俗世を超越した境地にある優れた人を賞賛する表現として用いられる。