天皇がお聞きになること、また天皇の耳に達することを意味する。特に、臣下からの意見や奏上が、直接天皇に伝えられる状況を指して用いられる。
講演や演奏などを聞きに来ること。また、その来訪を敬っていう語。
「拝聴」は、相手の話や演奏などを聞くことをへりくだって言う謙譲語である。特に、目上の人の意見や教え、あるいは音楽や講演などに対して、敬意を込めて聞くという意味合いを持つ。
自分の話を聞いてもらうことを敬って言う語。講演や演説の終わりに、聴衆に対して感謝の意を込めて用いる。
盗聴とは、他人の会話や通信内容を無断でこっそりと聞き取る行為を指し、特に電話や室内の会話などを密かに聴取することを意味する。
傍聴とは、会議や裁判などの場において、当事者以外の者がその様子を聞くことを指す。特に公式の場での聴取を意味し、傍聴席を設けて一般の参加を認める場合もある。
相手の話を謹んで聞くこと。敬意を込めて耳を傾ける態度を表す。
耳を傾けて注意深く聞き入れること。相手の話に真摯な態度で向き合い、その内容を深く理解しようとする姿勢を指す。
静かにして人の話などを注意深く聞くこと。特に講演や発表などの場で、聴衆に対して丁寧に聞く態度を求める際に用いられる表現である。
聴覚とは、音波を耳で捉え、それを神経信号として脳が認識する感覚機能を指す。外界の音の高低、強弱、音色などを知覚し、情報を得るための重要な感覚であり、いわゆる五感の一つに数えられる。
講義や講演などに出席して、それを聞くことを指す。特に、大学などの教育機関において、正規の履修生ではなく、講義の内容を聞くだけの立場で参加する場合に用いられる。
聴視とは、音を聞くことと物を見ることを併せた行為を指す。特に放送番組などにおいて、視聴と同義で用いられることがある。
聴取とは、耳を傾けて内容を聞き取る行為を指す。特に事情や情報を聞き出して把握する場合に用いられ、またラジオ番組などを聞くことや、その際の聴衆の規模を示す聴取率といった表現でも使われる。
講演や演奏など、話し手や演奏者から発せられる音声情報を受け取るために集まった人々の集団を指す。主に講演会やコンサートなど、音声を媒介とした表現活動の受け手としての集団を表す。
聴納とは、他人の意見や願い、進言などを聞き入れ、受け入れることを指す。主に目上の者が目下の者の言葉を聞き容れる場合に用いられる表現である。
聴聞とは、行政機関が重要な決定を行う際に、利害関係者から意見を聴取する手続きを指す。また、説教や説法、演説などに耳を傾ける行為も意味する。後者の意味では「聴問」と表記されることもある。
謹聴とは、相手の話を慎み深い態度で真剣に耳を傾けることを指す。また、講演会や集会などにおいて、聴衆に対して静粛に聞くよう促す際の呼びかけとしても用いられる表現である。
吹聴とは、根拠のない噂や自慢話などを、あちこちに言い広める行為を指します。特に、誇張したり事実を曲げたりして広める場合に用いられる表現です。
公聴会とは、議会や行政機関が重要な法案や政策を審議する際に、その内容に関わる利害関係者や学識経験者などから意見を聴取し、審議の参考とするために開催される公式の会合を指す。
視覚と聴覚を総合した感覚機能を指し、光や映像によって得られる視覚情報と、音や声によって得られる聴覚情報とを併せた概念である。教育やメディアの分野において、両者を活用した方法や教材を指して用いられることが多い。
聴力が低下した人が音声を聞き取りやすくするために、耳に装着して使用する小型の増幅装置である。
危言聳聴とは、わざと大げさな言葉や恐ろしい内容を述べて人々を驚かせ、注意を引きつけることを意味する。
「厭聞飫聴」は、聞くことに飽き飽きし、聞き飽きてしまうことを意味する四字熟語である。曾鞏の「送江任序」に用いられ、同じような話を繰り返し聞かされて、すっかり耳にたこができるほど聞き飽きた状態を表す。
偏聴生姦とは、一方の意見のみを聞き入れることで、誤った判断を下し、悪事を生み出すことを意味する四字熟語である。『史記』鄒陽伝に由来し、偏った情報に基づく決定が不公正や混乱を招くことを戒める表現として用いられる。
道聴塗説とは、路上で聞いた話をそのまま路上で人に語ることを意味し、十分に確かめもせずに軽々しく伝えるいい加減な噂話や、他人から聞きかじった知識をそのまま受け売りにすることを指す。『論語』陽貨篇に由来し、深く考えずに聞き伝えを広めることは徳を損なう行為であると説いている。
視聴言動とは、『論語』顔淵篇に由来する四字熟語で、目で見ること、耳で聞くこと、口で言うこと、体で行うことを指す。すなわち、人間の外部に現れるすべての言動や振る舞いの総称であり、その人の内面のあり方を窺う手がかりとなるものである。