人が会場や家屋などの中へ訪れ入ること。来訪を意味する語で、「お客さまがご入来です」のように用いられる。また、「ジュライ」と読む場合もある。
天から来たものの意から、この世のものとは思えないほど優れており、人間の力では到底及ばないような素晴らしさを表す。
去来とは、行くことと来ることを指す。また、心の中で様々な思いが浮かんでは消え、繰り返し現れる様子を表す際にも用いられる。
外国や外部から到来することを指し、特に他国から入ってきた言葉を外来語と称する。また、病院において通院で診療を受ける患者を外来患者と呼ぶことから、これを略して外来とも言う。
伝来とは、外国からある物事が伝わってくることを指す。例えば、仏教が中国から日本へ伝わったような場合に用いられる。また、先祖から代々受け継がれてきたものについてもいう。例えば、父祖から受け継いだ土地などがこれに当たる。
光来とは、目上の人や貴人が訪れることを敬って言う表現である。相手の到来を光栄に思う気持ちを込めて用いられ、「御光来」の形で使われることも多い。
労来とは、相手の苦労や努力に対して感謝の意を表し、慰めや励ましの言葉をかけることを指す。
来客とは、自宅や職場などに訪れてくる客のことを指す。特に予定されていない訪問者を含め、外部から来る人々を総称する語である。
船が港や沿岸に到着すること。特に、外国から船で人々が訪れることを指す。
外国の使者が貢物を携えて訪れ、その国の君主に献上することを指す。特に、周辺諸国が中国の皇帝に対して行った朝貢行為を意味する。
敵や災害などが突然、勢いよく攻め寄せてくることを指す。特に軍事や自然現象において、予期せぬ攻撃や被害をもたらす事態の発生を表す。
こちらに向かって来る人、特に縁談などで嫁として迎えるために訪れてくれる人を指す。
ある場所、特に催し物やイベントの会場などに訪れることを指す。多くの場合、公式な場や特別な行事への参加を意味し、来訪者がある場所に足を運ぶ行為を表す。
手紙が届くことを指し、またその書状そのものを意味する。来状や来書、来簡などとも言い換えられる表現である。
来援とは、援軍や救援が到着することを指し、特に戦場や困難な状況において外部からの助力が届く様を表す。同盟軍の来援を待つといった用例があり、支援が到来するという意味合いが強い。
医師が患者の自宅を訪れて診察を行うことを指す。患者側の立場から見た表現であり、医師側からは同じ行為を「往診」と呼ぶ。
来世とは、人が死後に赴くとされる世界を指す。現世の対概念であり、前世と対をなす輪廻思想における一環として捉えられる。後世や後生と同義で用いられることもある。
来朝とは、外国人が日本を訪れることを指し、来日と同義である。また、古代中国においては、諸侯や臣下が朝廷に参上し天子に謁見することを意味する。
講演や演説などを聞きに来ること、またその来訪を指す。主に主催者側が聴衆の参加を歓迎し、期待する気持ちを込めて用いる表現である。
来賓とは、会合や式典などの場に主催者から招待を受けて訪れる客を指す。特に敬意を払うべき客人としての意味合いを含む。
来復とは、一度去ったものが再び戻ってくることを指す。特に、悪いことが続いた後に良いことが巡ってくるという意味で「一陽来復」という成句で用いられることが多い。
来訪とは、人が訪ねてくることを指す。特に、予期せぬ訪問や、公式・非公式を問わず外部から訪れる人々に対して用いられる。
来遊とは、他の土地から訪れて遊びに来ることを指す。また、広くは遠方からやって来るという意味でも用いられる。
来臨とは、目上の人や貴人がわざわざ訪れることを敬って言う表現である。特に公式の場や儀式において、その人の出席を丁重に迎える際に用いられる。
到来とは、人や物事がこちらへやって来ることを指す。特に、待ち望んでいた時機や機会が訪れる場合に用いられる。また、贈り物が届くこと、あるいはその品物そのものを指すこともある。
家来とは、主君に仕えて奉公する者を指す。特に武家社会においては、主従関係を結んで主君に忠誠を誓い、軍役や政務に従事する家臣を意味する。また、より広くは身分の高い者の側に仕える従者や召使いを指す場合もある。古くは「家礼」や「家頼」の表記も用いられた。
マレー半島南部およびその周辺の島々を指す地域名称。マライとも表記される。
外国から船で運ばれて来ること。また、そのようにして輸入された品物を指す。特に近代以降、海外からもたらされた文物や商品に対して用いられ、国産のものと対比される概念である。
朝から今に至るまでの時間を指し、ある事柄が朝から継続している状態を表す。例えば「朝来の雨」とは朝から降り続いている雨を意味する。
渡来とは、海を渡って外国から到来すること、あるいはそのようにしてもたらされた物事を指す。特に、古代から近世にかけて、大陸や南方地域から日本に伝来した文化・文物に対して用いられる表現である。
遠方から訪れて来ること。特に、はるばる遠い土地から来た人や、その訪問を指す。
突然に激しく攻め寄せてくること。特に、敵や自然災害などが迫り来る状況を指す。
来迎とは、仏教において臨終の際に阿弥陀仏が現れ、極楽浄土へと導くために迎えに来ることを指す。また、転じて高い山の頂上で夜明けを待ち、昇る太陽を拝むことを意味し、特に「ご来光」とも呼ばれる。
来駕とは、身分の高い方や目上の方がこちらを訪ねて来られることを敬って言う表現である。主に書簡や改まった場面で用いられ、その到着を恭しく待ち望む気持ちを表す際に使われる。
「徂来」は、人や物が行ったり来たりする様子を表す語で、往来や去来を意味します。表記としては「徂徠」と書くこともあります。
出来秋とは、稲穂がたわわに実り収穫を迎える秋の時期を指し、実り豊かな季節の様子を表す言葉である。
出来高とは、一定期間内に完成した仕事の総量を指す。また、農作物の収穫量や生産高を表す場合にも用いられ、さらに取引所において売買が成立した総株数や数量を意味することもある。
風来坊とは、どこからともなく現れては、またふらりと去っていく人のことを指す。また、気まぐれで一箇所に落ち着かず、自由気ままに行動する人のたとえとしても用いられる。
帰去来とは、官職を辞して故郷へ帰り、世俗の地を離れることを指す。中国の詩人・陶潜の「帰去来辞」に由来し、「さあ、帰ろう」という意味を込めて「かえりなん、いざ」と訓読される。
御来光とは、高山や霊山などで拝む荘厽な日の出を指し、その光景を礼拝する行為をも含む。また、山岳地帯で霧がかかる朝や夕方に、太陽を背にした人物の影の周囲に光の輪が現れる大気光学現象(ブロッケン現象)を指すこともあり、この場合は御来迎とも呼ばれる。
御来迎とは、仏教において臨終の際に阿弥陀如来が極楽浄土へ迎えに来られることを敬っていう語である。また、山頂などで見られる朝日の荘厳な光景を指して「御来光」と同義に用いることもあり、この場合「ゴライコウ」と読まれることもある。
雁来紅はヒユ科の一年草で、インドを原産とする観賞用植物である。細長い葉を多数つけ、初秋になると鮮やかな赤や黄色に色づいて美しい。漢名に由来するこの名は、雁が北方から渡ってくる頃に葉が紅葉することにちなむ。表記としては「葉鶏頭」とも書かれ、「ガンライコウ」と読まれることもある。
「往古来今」は、過ぎ去った昔から今を経て未来へと連なる果てしない時間の流れを指す四字熟語である。『淮南子』では「往古来今、之を宙と謂う」とあり、時間の無限の広がりを意味し、転じて時間と空間を含む宇宙全体の悠久な広がりを表すこともある。
「枉駕来臨」は、相手がわざわざ出向いて来てくれることを敬って言う表現である。特に目上の人や客人が訪れる際に用いられ、その来訪をありがたく思う気持ちを込めた丁寧な言い回しである。
永劫未来とは、果てしなく続く未来を指す四字熟語である。永遠に終わることがない時間の流れ、すなわち「永劫」と、これから来る時を意味する「未来」を組み合わせ、無限に広がる時間の彼方、終わりを見せない未来の様相を表現する。
因往推来とは、過去の出来事や経験を手掛かりとして、未来の成り行きや道理を推し量ることを意味する四字熟語である。『楊子法言』「五百」に典拠を持ち、歴史や先例に学びながら将来を考察する思索の姿勢を表す。
一陽来復は、陰極まって陽の気が再び生じることを意味する。易経に由来し、陰暦十一月の冬至を指す。転じて、厳しい冬の後に春が訪れるように、不運が続いた後に好転が訪れることや、新年を迎えることを表す。
一別以来は、かつて一度別れてから今日に至るまでの期間を指す四字熟語である。別れを経た後の時間の経過を強調し、再会までの長い間隔や、その間に生じた変化への感慨を含意することが多い。
露往霜来は、秋の露が去り冬の霜が訪れる様子から、時が移り変わる速さを表す四字熟語である。もとは獣の肉付きが良くなる季節の推移を言い表した語で、左思の「呉都賦」に由来する。「露往き霜来る」と訓読される。
「来来世世」は、来世のさらにその先の来世を指す四字熟語であり、はるか遠い未来を表す。同じ語を重ねることで、時間の隔たりを強調した表現である。「らいらいよよ」や「らいらいせぜ」とも読まれる。