一本の細い糸を指す。転じて、ごくわずかなものや、わずかな隙間もない状態の喩えとして用いられる。例えば、整然と隙なく行進する様子や、全く衣服を身につけていないありさまを表す際に使われる。
蚕の繭から引き出した繊維をより合わせたままの状態で、精練や染色などの加工を施していない糸を指す。絹織物の原料となる。
糸口とは、巻かれた糸の端の部分を指す。そこから転じて、物事を始めるきっかけや、問題を解くための手がかり、また話などを切り出す端緒を意味する。例えば、話の糸口を見つけるといったように用いられる。表記としては「緒」の字を用いてもよい。
糸底とは、陶磁器の底部に見られる円形状の突起部分を指す。これは、ろくろ成形の際に糸を用いて作品を切り離した痕跡に由来する名称であり、糸切りや糸じりとも呼ばれる。
糸目とは、細い糸そのものや、糸のような筋や模様を指す。また、凧の釣り合いを取るために取り付ける糸のこともいう。この用法から転じて、金銭面での制限やけちけちした態度を意味する「糸目をつけない」という慣用句が生まれた。さらに、ゴカイ科の環形動物の名称としても用いられ、河口などの泥中に生息し、釣りの餌とされる細長く平たい体を持つ生物を指す。
糸魚はトゲウオ科の淡水魚で、温帯北部の河川に生息し、一部は海へ下る。体側には板状の鱗があり、背びれには三本の棘を持つ。産卵期には雄が糸状の粘液を分泌し、水草を絡めて川底に巣を作る習性がある。
手術後の創部が癒着した後、縫合に用いた糸を除去する処置を指す。通常は創の治癒状況を確認した上で、医師により抜き取られる。
蚕の繭から引き出した繊維を指し、絹糸や生糸とも呼ばれる。また、養蚕と製糸に関する産業や技術を総称する意味でも用いられ、例えば蚕糸業や蚕糸試験場といった複合語で示される。
絹糸とは蚕の繭から得られる天然繊維を精練し、よりをかけて糸状にしたものを指し、絹織物の原料となる。
繭糸とは、蚕の繭から引き出される細い糸のことを指し、特に絹織物の原料となる生糸を意味する。広義には繭そのものとそこから得られる糸を総称する場合もある。
織物において、経糸(たていと)に対して直角に交差して織り込まれる糸を指す。織機にかけた経糸の間を左右に通しながら、布地の幅方向を形成する役割を担う。
繰糸とは、繭から生糸を引き出し、一本の長い糸として巻き取る製糸工程を指す。蚕の繭を湯で処理し、糸口を見つけて引き出す作業であり、絹織物の原料となる生糸を得るための重要な製造過程である。
凧を揚げる際に用いる、強度と耐久性に優れた専用の糸を指す。通常は綿や合成繊維などで作られ、凧の操作と安定した飛行を支える役割を果たす。
糸葱はユリ科の多年草で、細長い葉が特徴の野菜である。この名称は漢名に由来するが、実際には「浅葱」の誤用として定着したものである。
糸瓜はウリ科のつる性一年草で、熱帯アジア原産である。夏に黄色い花を咲かせ、後に筒状の大きな果実を実らせる。果実の繊維は浴用のあかすりに、また茎から採れる液はへちま水として薬用や化粧用に利用される。漢名に由来する「糸瓜」の表記のほか、「天糸瓜」とも書く。
撚糸とは、二本以上の糸を合わせてよりをかけたものを指す。単糸に比べて強度が増し、織物や編み物の素材として用いられる。
ハスの茎や根を折った際に現れる細い繊維を指す。その様子から、極めて微小なものの喩えとしても用いられる。
天蚕糸は、テグスサン(天蚕)の幼虫が分泌する透明な繊維を製糸したもので、主に釣り糸として用いられる。その強靭さと水中での目立ちにくさが特徴である。
金糸魚はイトヨリダイ科に属する海水魚で、その名は水中を泳ぐ際に長く伸びた尾びれが金色の糸を撚るように見えることに由来する。別名を糸縒鯛ともいう。
金糸桃はオトギリソウ科の半落葉低木で、漢名に由来する。別名を未央柳(ビヨウヤナギ)とも呼ばれる。
天糸瓜はウリ科に属するつる性の一年草で、その果実は繊維質が発達し、成熟すると内部が網目状の繊維となることからこの名がついた。主に食用やたわしとして利用される。
糸蜻蛉はイトトンボ科に属する昆虫の総称で、その名の通り体が糸のように細長く、一般のトンボよりも小柄な形態を特徴とする。静止時には四枚の翅を背中で揃えて閉じる習性があり、別名としてトウスミトンボや「豆娘」の表記も用いられる。主に夏期に見られる。
糸縒鯛はイトヨリダイ科の海魚で、中部以南の近海に分布する。体は紅色の地に数本の黄色い縦線が入り、美しい外観を持つ。尾びれが糸状に長く伸び、泳ぐ際にそれが糸を撚るように見えることが名称の由来である。食用とされ、「金糸魚」「金線魚」「紅魚」などの表記もある。
カナリアはアトリ科の小鳥で、大西洋のカナリア諸島が原産地である。主に鮮やかな黄色の羽毛を持ち、姿形が愛らしく、さえずりも美しいことから、広く観賞用として飼育されている。漢名の「金糸雀」に由来する語で、「キンシジャク」とも読む。
「一糸一毫」は、極めてわずかな量や程度を表す四字熟語である。一本の糸や一筋の毛髪のように、ごく僅かな物事を指し、否定表現と共に用いて「まったく…ない」という完全な否定の意味を強調する際に使われる。中国の白話小説『二刻拍案驚奇』にも見られる表現である。
哀糸豪竹とは、弦楽器や管楽器の奏でる音色が悲壮で、聞く者の心を深く揺さぶるさまを表す四字熟語である。糸は弦楽器を、竹は管楽器を指し、杜甫の詩に由来する。音楽の情感が極めて豊かで、哀切な感動を覚えさせる様子をいう。
「墨子悲糸」は、『淮南子』説林訓に由来する四字熟語である。白い糸が染められることでその本来の純白が失われるのを、墨子が悲しんだという故事に基づき、人は本来清らかな性質を持ちながらも、環境や外界の影響によってその純粋さを損なうことを嘆く喩えとして用いられる。
墨子が白い糸を見て、それがいかなる色にも染まり得ることに感嘆し涙したという故事に基づく四字熟語。人は置かれた環境や習慣によって、その性質が善にも悪にも変化し得ることを喩えたものである。出典は『淮南子』の「説林訓」にある。
菟糸燕麦とは、名ばかりで実質が伴わないものの喩えである。菟(うさぎ)の糸や燕麦(えんばく)のように、名前に実体がなく、何の役にも立たないことを指す。『魏書』李崇伝に由来する故事成語で、見かけ倒しの空虚なものを批判する際に用いられる。
金石糸竹とは、古代中国の楽器を材質によって分類した総称で、『礼記』楽記に由来する四字熟語である。金は鐘や鐸などの金属製の楽器、石は磬などの石製の楽器、糸は琴や瑟などの弦楽器、竹は笛や簫などの管楽器を指し、広く音楽全般を意味する。
蓮の根は切れても糸のように繋がっていることから、一度切れた縁や関係が完全には断たれず、細くとも何らかの形で繋がり続けている様子を喩える。特に男女の情愛など、断ち切れない心情や未練が残る状態を指して用いられる。