ツキヒガイ科に属する二枚貝で、浅い海の砂底に生息する。殻は円形で平たく、表面は滑らかで光沢があることから鏡に喩えられ、この名が付いた。食用とされ、「月日貝」とも表記する。
破鏡とは、夫婦の離別や離婚を喩える表現である。中国の故事に由来し、かつて別居する夫婦が鏡を二つに割り、それぞれが一片を所持した。後に妻の不貞により、その鏡の一片が鵲となって夫のもとに飛び、離縁に至ったという『神異経』の伝承に基づく。この故事から、破れた鏡は再び照らすことがないように、一度離別した夫婦の関係は元に戻らないことを示す比喩として用いられる。
眼鏡は、視力を矯正したり目を保護したりするために用いる器具を指す。また転じて、物事を見分ける能力や判断力の喩えとしても用いられ、その能力が正確である状態を「眼鏡にかなう」、誤っている状態を「眼鏡が狂う」などと表現する。なお、「ガンキョウ」と読む場合もある。
鏡板とは、天井や戸などに嵌め込む表面を滑らかに仕上げた大きな板を指す。また、能舞台の正面背景として設置される嵌め板のこともいい、松の絵が描かれるのが特徴である。歌舞伎においても能舞台を模して用いられることがある。
鏡餅とは、正月に神仏に供えるための丸く平たい餅を大小二段に重ねたもので、床の間などに飾られる。
鏡のように澄み切って、静かにたたえている水のこと。水面が滑らかで、周囲の景色をくっきりと映し出す様子を表す。
鏡台とは、化粧用の鏡を備えた家具を指す。古くは手鏡を立てかける台であったが、後に引き出し付きの箱の上に鏡を取り付けた化粧台を指すようになった。
鏡を収納するための蓋付きの箱を指す。鏡箱とも呼ばれ、同義語に鏡匳がある。
十寸鏡(ますかがみ)は、非常に澄み渡り曇りのない鏡を指す語で、「真澄鏡」とも表記される。水が清らかに澄んでいる様子を表す「真澄(ますみ)」と同根の表現であり、鏡面の鮮明さや清浄さを強調する古雅な呼称である。
天眼鏡とは、柄の付いた大型の凸レンズを指し、主に手相見などが手相を拡大して観察する際に用いる道具である。
照魔鏡とは、悪魔の正体を映し出すとされる鏡を指す。転じて、人間や社会の隠れた本質や真実を明らかにする手段や物事の喩えとして用いられる。
潜水艦などが水中に潜航している際に、水面から突き出して外部の様子を観察するための光学装置。筒状の構造内に反射鏡やプリズムを組み合わせ、屈折を利用して視界を得る。ペリスコープとも呼ばれる。
微小な物体を観察するための光学機器で、レンズの組み合わせによって肉眼では識別困難な対象を拡大して視認可能にする装置を指す。
冬の寒さで凍りついた水面が、鏡のように滑らかで光り輝く様子を指す語。特に、氷が張った湖や池の表面が、周囲の景色を映し出す美しい光景を表す。
漢字音韻学の難解さを喩えた四字熟語。中国の音韻研究書『韻鏡』を十年間参照し続けても理解が困難であるという意から、学問や研究対象が極めて難しく、長年取り組んでも容易に習得できないことを表す。
八咫之鏡は、日本神話において天照大御神が天岩戸に隠れた際に作られたとされる神聖な鏡で、三種の神器の一つとされる。その名は「八咫」が大きさを表すとも解され、皇位の象徴として伊勢神宮に奉斎されている。
破鏡不照は、夫婦が離縁することを意味する四字熟語である。割れた鏡がもはや像を映さないように、一度別れた夫婦は元の関係に戻らないという喩えに基づく。故事では、離れ離れになった夫婦が再会の証として鏡を割り、それぞれがその一片を所持したが、後に妻の不義が露見して離縁に至ったと伝えられ、この語の由来となっている。
水鏡之人とは、澄み切った水面が物の姿をありのままに映し出すように、自らの心に曇りがなく、他者の模範となる人格を備えた人物を指す。特に、人を導く立場にある聡明な指導者や師表となるべき者を喩えた表現であり、中国古典『世説新語』に由来する四字熟語である。
鏡に映る花や水に映る月のように、目には見えるが手に触れることのできないはかない美しさを表す。実体のない幻や、捉えどころのないものを喩えるとともに、芸術作品の理屈を超えた奥深い情趣や、言葉では説明しがたい詩歌などの味わいを指すこともある。
虚堂懸鏡とは、空っぽの部屋に鏡を掛けるように、心にわだかまりがなく澄み切っている様子を表す。転じて、物事の道理が明らかで、少しの曇りもないことを意味する。『宋史』陳良翰伝に由来する四字熟語である。