四大とは、古代インド哲学において万物の根源とされる四つの元素、すなわち地・水・火・風を指す。また、これら四元素から構成されると考えられる人間の身体そのものを意味することもある。
四知とは、二人だけの秘密であっても、天が知り、地が知り、自分が知り、相手も知っているという意味から、どんなに隠した悪事も必ずいつかは露見するという教えを表す。『後漢書』に由来する故事成語である。
一年を構成する四つの季節、すなわち春、夏、秋、冬の総称を指す。自然の巡りの中で、それぞれ異なる気候と風物の特徴を持ち、季節の移ろいを感じさせるものである。
四半とは、全体を四つに分けたうちの一つ、すなわち四分の一を指す。また、正方形の石を斜めに敷き詰めた石畳の様式である「四半敷き」の略称としても用いられるほか、正方形に裁断された布地を表す場合もある。
四顧とは、周囲の様子を注意深く見渡すことを指す。また、そのように見渡される周囲一帯の状況や風景を意味する場合もある。
四方を囲む壁を指す。また、壁のみが立ち並び家具などの調度品が一切ない貧しい家の様子を表す。
四隣とは、四方に隣接する家々や地域を指し、近所や近隣を意味する。また、周辺の国々や隣国を表す場合にも用いられる。
四散とは、物や人が四方八方に散らばる様子を指す。特に、それまで一箇所に集まっていたものが、何らかの原因で離れ離れになる状態を表し、例えば、壊れた器物の破片が飛び散る場合などに用いられる。
四六は四と六、あるいはその積である二十四を指す。また、書籍の判型の一つである四六判の略称としても用いられ、その寸法は縦約一八・八センチメートル、横約一二・七センチメートルを基準とする。
人間の両手と両足、また動物の前足と後ろ足を総称していう語。体幹から分かれて運動を司る部分を指す。
四幅とは、並幅の布四枚分の幅を指し、その幅を持つ布そのものをも意味する。また、四幅の幅がある布団を指す「四幅布団」の略称としても用いられる。
四時とは、一年における春・夏・秋・冬の四つの季節、すなわち四季を指す。また、一日を区分した朝・昼・夕・夜の四つの時刻を意味することもある。
四声とは、中国語における声調の分類体系を指す。古代中国では、漢字音の高低と長短に基づいて平声・上声・去声・入声の四種に区分された。現代の標準中国語(普通話)においては、第一声から第四声までの四つの声調を総称する語として用いられる。なお、「シショウ」と読む場合もある。
四方を取り囲むことを指し、また周囲や周辺の状況を表す。周囲の情勢を考慮する場合や、海に囲まれた国などの表現に用いられる。
四聖とは、世界の四大聖人とされる釈迦、キリスト、孔子、ソクラテスの四人を総称する語である。
四方の遠い辺境の地を指す。また、四方の果てにある未開の地域や国々を意味する。「裔」は衣服の裾を表し、中心から遠く離れた末端の地域という含意を持つ。
四阿(あずまや)は、四方に柱を立てて屋根を設け、壁を設けない簡素な建物を指す。庭園や景勝地などに設けられ、休憩や眺望を楽しむための施設として用いられる。漢字表記としては「東屋」とも書く。「阿」はひさしや棟を意味し、読み方は「シア」ともされる。
「四阿」は「あずまや」と同義で、四方に屋根をかけ、柱だけで壁のない建物を指す。庭園などに設けられ、休息や眺望を楽しむための東屋(あずまや)のことである。
四葩はアジサイの別称で、その花弁が四枚あることに由来する。主に俳句において夏の季語として用いられる語である。
四方山は、四方八方を語源とし、あらゆる方向や方面を指すことから、転じて世間一般の様々な事柄や話題を意味する。日常の雑多な出来事や、取り留めのない世間話などを広く包含する語であり、「四方山話」のように用いられる。
四方手とは、馬具の一種で、鞍の前輪と後輪の左右に取り付け、胸懸と鞦を結ぶ革紐を指す。
四君子とは、中国画や日本画における画題の一つで、蘭・菊・梅・竹の四種の植物を指す。これらは気高く清らかな風情を持つことから、徳の高い四人の君子に喩えられ、文人画などで好んで描かれる主題である。
四天王は、帝釈天に仕え仏法を守護する四神、すなわち持国天、増長天、広目天、多聞天を指す。転じて、ある分野や集団において特に優れた四人を称える呼称としても用いられる。
ミズキ科の落葉高木で、山地に自生する。初夏に四枚の花弁状の白い苞をつけ、その中心に小花が集まった花穂を出す。秋には赤く熟した果実がなり、食用とされる。漢名に由来する「四照花」のほか、「山法師」とも表記する。
赤四手はカバノキ科の落葉高木で、山地に自生する。新芽が赤みを帯びる特徴があり、材質は堅く、器具の柄やシイタケ栽培の原木として利用される。「見風乾」と表記されることもある。
四十路は、数詞として四十を表すとともに、人の年齢や物事の経過年数において四十歳あるいは四十年を指す語である。漢字「四」を含み、主に「よそじ」と読まれる。
家の中には四方の壁があるだけで、財産と呼べるものが何一つない極めて貧しい状態を指す。赤貧洗うが如しという状況を表す四字熟語で、「徒」は「ただ…だけ」の意味である。『史記』司馬相如伝に由来する。
「一天四海」は、天が覆うかぎりの広がりと四方の海を指し、天下全体、全世界を意味する四字熟語である。「一天」は天の下のすべてを、「四海」は四方の海を原義とし、ともに転じて世界全体を表す。『平家物語』にも用例が見られる。
一水四見とは、同じ水という対象であっても、それを見る者の立場や心のありようによって全く異なる見え方をすることを表す四字熟語である。例えば、天人は宝の池と見、人間は水と見、餓鬼は膿血と見、魚は住処と見るという仏典の喩えに由来し、主観によって認識が変容することを示す。「一処四見」ともいう。
一期四相とは、仏教において一つの事象が生じてから滅するまでの過程を、生・住・異・滅の四つの相に分けて捉える考え方を指す。
桃三李四とは、桃の木は三年で実を結ぶのに対し、李の木は四年かかるという故事に由来し、物事が成就するにはそれぞれ異なる時間と労力を要することを意味する。
天地四時とは、天と地、そして春夏秋冬の四季を総称した表現で、自然界の全体や宇宙の運行を指す。
張三李四は、中国で多い姓である張と李を用いた四字熟語で、張家の三男と李家の四男という意味から転じて、特に取り立てて特徴のない、ごく普通の名もなき人々を指す表現である。
四六駢儷とは、漢文における文体の一つで、四字と六字を基本単位とした対句を多用することを特徴とする。その表現は華麗で、典故を豊富に取り入れ、平仄を整えて音調の美しさを重視するため、朗誦に適している。この文体は漢・魏の時代に起こり、南北朝時代に盛行した。