官職を退いて民間の身分に戻ることを指す。また、政権の座から離れ、野党となることも意味する。
学問や職業など、特定の対象や活動が属する範囲や領域を指す。
化野は京都市小倉山の麓に位置する野原で、平安時代には火葬場が設けられていた。後に火葬場や墓地を指す一般名詞としても用いられ、徒野や仇野とも表記される。
広野(こうや)とは、広々と見渡す限り続く平坦な野原を指す語である。曠野(こうや)の書き換え字としても用いられ、広大で開けた原野の景観を表す。また、「ひろの」と訓読みされることもある。
沃野とは、土壌が肥沃で農作物の生育に適した広々とした平地を指す。豊かな地味と水に恵まれ、農業生産に重要な役割を果たす地域をいう。
林野とは、森林と原野を総称した言葉で、主に樹木が生い茂る山林と、草が広がる野原の両方を指します。国有林の管理などを担う林野庁のように、行政や自然環境に関する文脈で用いられることが多い表現です。
荒野とは、荒れ果てて人の手が入らず、草木が生い茂るか、あるいは不毛の広大な土地を指す。人の気配がほとんどなく、寂寥とした自然の原野を表す語である。「あらの」「あれの」とも読む。
人の手が入っておらず、自然のままの広々とした野の地を指す。開拓や耕作が行われていない状態で、草や低木が生い茂る未開の土地を意味する。
性質や言動が洗練されておらず、礼儀や品性に欠けるさまを指す。人やその振る舞いが荒々しく、上品さや丁寧さが感じられない状態を表す。
野蚕はカイコガ科に属する昆虫で、桑の葉を食草とする蚕の一種である。家蚕と異なり、野外で自然に生育する性質を持ち、絹糸を吐くことで知られる。
ヤマノイモ科のつる性多年草で、山野に自生する。葉はハート形をしており、夏に黄緑色の小花を穂状につける。根茎には多数のひげがあり、苦味を除けば食用となる。そのひげを老人のひげに見立てたことが「野老」の名の由来である。
野宿とは、屋根のある建物ではなく、野外で夜を過ごすことを指す。特にテントなどを用いて自然の中で寝泊まりする行為を表し、露宿とも呼ばれる。
「野良」とは、耕作地や人家から離れた広々とした土地を指し、主に野原や原野を意味する。また、田畑そのものや農作業を行う土地を指す場合もあり、例えば農作業に従事することを「野良に出る」と表現する。
野原の中にある小高い丘を指す語で、「阜」は土を盛り上げた丘を意味することから、平坦な野に突き出たような地形を表す。
野分とは、秋の初めに吹き荒れる暴風を指し、特に台風の古称として用いられる。野の草を分けるように吹きすさぶ風の意から、「のわけ」とも読まれる。
野面とは、野原を指す語である。また、切り出したまま加工を施さない自然石、あるいはその表面の状態を表す際にも用いられる。「のもせ」と読む場合もある。
野師とは、祭礼や縁日など人の集まる場所で、見世物を興行したり物品を販売したりする者を指す。香具師(やし)とも表記され、大道芸や露天商など、非定住の営業を行う者を広く含む語である。
野営とは、軍隊が野外に陣地を設営すること、あるいはその陣営を指す。また、一般に野外にテントなどを張って宿泊する行為、すなわち野宿や露営を意味する。
野天とは、屋根や覆いのない場所を指し、野外や露天と同義である。特に自然の空の下にある状態を表し、野天風呂のように屋外に設けられた施設を修飾する際に用いられる。
野生の状態で生息する猿を指す語で、特に山野に棲む猿をいう。
野火とは、早春の野山で枯れ草を焼くために付ける火、すなわち野焼きの火を指す。また、山野で発生する火災、特に山火事の意味でも用いられる。
野趣とは、人の手が加わらない自然のままの風景や事物が持つ、素朴で飾り気のない味わいや風情を指す。山野の景色や田舎料理などに感じられる、洗練されていないが心にしみるような趣をいう。
野干とは、中国の伝説に登場する狐に似た獣を指す語である。また、転じて狐そのものの別称としても用いられる。さらに、植物のヒオウギ(檜扇)の異称でもあり、この場合は「射干」と表記されることもある。
野羊とは、ウシ科に属する哺乳動物を指す語で、特に山羊を意味する。漢名に由来するこの語は、山野に生息する羊の一種を表す。
野球とは、九人ずつからなる二つのチームが攻撃と守備を交互に行い、投手の投げるボールを打者がバットで打ち、四つの塁を回って得点を競う競技である。ベースボールとも呼ばれる。
野辺とは、広くは野原や野のあたりを指すが、特に火葬場や埋葬地を意味し、葬送の場としての側面を持つ。また、「野辺送り」の略として、死者を葬地まで送る儀礼や葬送そのものを表すこともある。
動植物が人の手を介さずに自然の山野で生育する状態を指す。また、男性が自分を謙遜して言う語としても用いられる。
野面(のもせ)とは、広々とした野原の表面を指し、一面に広がる野の景色を表す語である。野原全体の広がりや、その平坦な様子を言い表す際に用いられる。また、「のづら」とも読まれる。
野鶏とは雉(きじ)の別称であり、山野に生息する鳥を指す。
野性とは、人間や動物が本来持つ、文明や教化に染まられていない自然な性質を指す。特に、本能に従った荒々しく力強い振る舞いや、飾り気のない素朴な気質を表す際に用いられる。
野原や山など、城郭や要塞のない開けた地勢で行われる戦闘を指す。また、転じて、戦闘が行われる戦場そのものを意味することもある。
文化が未発達で粗野な状態を指し、洗練されていない風習や習慣を形容する。また、礼儀作法に欠け乱暴な振る舞いや、教養のない粗雑な考え方についても用いられる。
野暮とは、風流や情趣を解さず、世間の事情に疎い様子を指す。また、洗練されておらず、あか抜けていない身なりや物事の形容にも用いられる。対義語として「粋」が挙げられる。
野望とは、身分や能力を超えた大きな望みを指し、特に権力や地位、財産などに対して抱く、実現が困難なほどの壮大な野心を意味する。
「野郎」は、若い男性を指すくだけた呼称として用いられる。また、相手を軽蔑したり罵ったりする際に男性を指す語としても使われる。
朝廷と民間を指し、広く政府と一般社会を包含する。転じて、天下や国全体を意味することもある。
野点とは、野外において茶を点てることを指し、特に自然の中での茶の湯の作法を意味する。屋外の景色を借りて行われる茶事であり、野駆けとも呼ばれる。
野に棲む鶴を指す語であり、官職に就かず世俗を離れて隠遁する人を喩える表現としても用いられる。閑雲野鶴と併せて用いられることが多く、自由で拘束のない境地を表す。
標野とは、かつて皇族や貴族が専有した野原のことで、一般の立ち入りが厳しく制限されていた区域を指す。主に狩猟などの場として用いられ、禁野とも呼ばれた。
野鶲はヒタキ科の渡り鳥で、夏に日本へ飛来し繁殖活動を行った後、秋には東南アジアへと渡る。雄は頭部から背中にかけて黒く、胸は栗色、腹部は白い羽毛に覆われるのが特徴である。
ユリ科の多年草で、山野に自生する。全体にニラに似た特有の香りがあり、夏には白紫色の小さな花とむかごを付ける。地中の鱗茎および葉は食用とされ、春の山菜として親しまれる。「山蒜」とも表記する。
野衾とは、薄く削いだ鮑の身で叩き茹でた小鳥の肉や鯛の肉を包み、煮た料理を指す。また、鼯鼠(むささび)の異称としても用いられる。
野禽とは、山野や森林などの自然環境に生息する野生の鳥類を指す語である。飼育下にある家禽に対して用いられ、自然の状態で生活する鳥の総称として捉えられる。
野猪とは、野生の猪を指す語である。特に山野に生息するイノシシを意味し、家畜化された豚とは区別される。
野衲とは、田舎に住む僧侶を指す語である。また、僧侶が自らを謙遜して用いる自称でもあり、拙僧と同様の意味を持つ。「衲」は僧衣を表し、転じて僧そのものを意味することに由来する。
「あらの」と読む場合、荒れ果てて人の気配のない寂しい野原を指す。広々とした野原を意味する「こうや」とは区別され、表記は「荒野」とも書かれる。
広々として果てしなく広がる野原を指し、人の手がほとんど加えられていない自然のままの平坦な土地を表す。
バラ科の多年草で、山野に自生する。夏になると、茎の上部にシモツケに似た淡紅色の小さな花を密集させて咲かせる。
ユリ科の多年草で、山野に自生する。葉は笹の葉に似た形をしており、初夏には白色の細長い釣鐘形の花を垂れ下げて咲かせる。根茎に甘みがあり、またトコロ(野老)に似ていることからこの名がついた。
走野老はナス科の多年草で、山中の湿地に自生する。春に暗紅紫色の釣鐘形の花を咲かせる。根がトコロ(野老)に似て太いが、全草に毒性があり、誤食すると錯乱して走り回る苦しみを生じることからこの名がある。「虎茄」とも書く。
野次馬とは、自分には直接関係のない事件や事故の現場などに集まり、騒ぎ立てたり好奇の目を向けたりする人々を指す。単なる見物人を超えて、無責任にはやし立てるような態度を含意することが多い。
野暮天とは、洗練されずに無粋な様子や、そのような性質を持つ人を指す言葉である。特に、物事の機微を理解せず、礼儀や趣味に欠けるような、ひどく野暮な状態や人物をいう。
野山薬はヤマノイモ科のつる性多年草を指し、その漢名に由来する。一般に山の芋とも呼ばれる。
野放図とは、規律や制約を顧みずに勝手気ままに振る舞う様子を指し、またその態度が横柄であることを表します。さらに、物事が際限なく広がりや拡大する様を形容する際にも用いられます。
野鴉椿はミツバウツギ科に属する落葉小高木で、漢名に由来する名称である。別名を権萃(ゴンズイ)とも呼ばれる。
野篦坊とは、凹凸がなく平坦で、特徴や変化に乏しい様子を指す。また、そのような性質を持つものや人物を表すこともある。転じて、顔に目鼻や口などの凹凸がなく、つかみどころのない化け物のこともいう。
セリ科の多年草で、山野に自生し野菜としても栽培される。葉は三枚の小葉からなる複葉で、特有の芳香を持つ。漢名に由来する「野蜀葵」の表記のほか、「三葉」とも書かれる。
アケビ科のつる性常緑低木の一種で、漢名「野木瓜」に由来する。果実は食用とされ、古くから栽培される。別名を「郁子(むべ)」ともいう。
俗世の煩わしさから離れ、悠々と自由な生活を送る様子を表す四字熟語。大空に静かに浮かぶ雲と、野原を悠然と歩む鶴の姿に喩え、官職に縛られず世俗を超越した境地を指す。隠遁者の生き方を示す表現として、「閑雲野鶴を友とする」などの形で用いられる。
家鶏野鶩は、身近にあるありふれたものや優れたものを軽んじて、遠くにある新奇なものや劣るものをありがたがることを喩えた四字熟語である。故事に由来し、書道の分野では、身近な優れた筆跡を厭い、遠方の者の筆跡を珍重する風潮を批判する意味でも用いられる。
家鶏野雉とは、身近にある貴重なものを軽んじ、遠くにある取るに足らないものを珍重するたとえである。自分の家で飼っている鶏を疎んじて、野山にいる雉をありがたがるという故事に由来し、物事の価値を誤って判断する愚かさを表す四字熟語である。
戦乱や災害によって難民や敗残兵が野原に満ちあふれ、いたるところに哀れな光景が広がっている様子を表す。『詩経』の「鴻雁」の篇に由来し、人々が苦難の中で流浪する姿を詠んだ表現である。
狼子野心とは、狼の子を飼いならそうとしても、生まれつきの凶暴な性質が災いして容易に従わないことを指す。転じて、反逆の心を持つ者や凶悪な人物は、その本性を変えることが難しく、教化しがたいことに喩える。出典は『春秋左氏伝』宣公四年である。
沃野千里とは、肥沃な平野が広大な範囲にわたって広がっている様子を表す四字熟語である。「沃野」は豊かな土地を指し、「千里」は遠くまで続く広大な面積を意味する。土地が肥えており、見渡す限り平坦な原野が続く景観を形容する表現で、主に農業に適した豊かな大地を称える際に用いられる。
野人田夫とは、田舎に住む無学な人や、世間知らずの粗野な者を指す四字熟語である。野に生きる人や田を耕す農夫といった字義から転じて、教養がなく洗練されていない様を表し、時に蔑むニュアンスを含む。
野蛮で未開な状態を指す。文化や教養がなく、粗野で乱暴な様子を表す。