野暮とは、洗練されておらず風流を解さない様子を指す。世間の事情に疎く、粋から遠い言動や身なりを形容し、またそのような人を指すこともある。
歳暮とは一年の終わりを指す語であり、またその時期に日頃の感謝の気持ちを込めて贈る品物をも意味する。後者の用法では「お歳暮」と丁寧に言い表すことも多い。
夕方の空が次第に暗くなりゆく様子、あるいはその時に見られる薄暗い色合いを指す。日が沈みきる前の仄暗さや、黄昏時の物寂しい雰囲気を表す語である。
暮夜とは、日が暮れて暗くなった後の時間帯、すなわち夜分や夜中を指す語である。特に人目を避けて物事を行うような、静かでひそやかな夜の情景を連想させる表現として用いられる。
秋の終わりごろを指し、晩秋と同義である。また陰暦九月の異称としても用いられる。
春の終わりごろを指し、特に陰暦の三月にあたる時期を表す。晩春と同義で、春の季節が終わりに近づいている様子をいう。
夕暮れ時に寺院などで打ち鳴らされる鐘、またはその音色を指す。一日の終わりを告げるもので、入相の鐘や晩鐘とも呼ばれる。
薄暮とは、日が沈みかけて周囲が薄暗くなる時間帯を指す。夕暮れや黄昏と同義で、昼と夜の移り変わる頃の情景を表す。特にスポーツの試合などが日没近くまで及ぶ場合に「薄暮ゲーム」といった表現で用いられる。
暮靄とは、夕暮れ時に立ち込める薄い霧やもやのことを指す。日が沈みかけた頃、空気中に微かな湿気を含んで漂う霞のようなもので、晩靄とも呼ばれる。
十方暮は暦注の一つで、甲申から癸巳までの十日間を指す。この期間は方角や場所の気が塞がり、物事が調わず、特に相談事や新規の計画には不向きとされ、万事に凶とされる日柄である。
野暮天とは、洗練されずに無粋な様子や、そのような性質を持つ人を指す。特に、物事の機微を理解せず、礼儀作法や趣味に疎い状態を強調して言う表現である。
暮新月は陰暦一月の異称で、暮古月とも呼ばれる。年の暮れを経て新たに巡ってくる月を指し、新春の訪れを感じさせる表現である。
暮色蒼然とは、夕暮れ時になって周囲の景色が次第に暗く、深く沈んでいく様子を表す四字熟語である。特に黄昏の刻に訪れる、はっきりと色の分かれていた空や風景の輪郭が溶けていくような、物寂しくも厳かな趣を指す。唐代の文人柳宗元の「始得西山宴遊記」にその用例が見られる。
暮雲春樹は、遠方にいる友人を懐かしむ心情を表す四字熟語である。夕暮れの雲と春の木々という情景から、離れている人への思いを詠んだもので、杜甫の詩「春日憶李白」に由来する。春樹暮雲ともいう。
朝生暮死とは、朝に生まれて夕方には死ぬという意味から転じて、寿命の非常に短いこと、また人生のはかなさをたとえる四字熟語である。かげろうのような虫の一生に例えられ、『爾雅』の釈虫の注に由来する。
朝成暮毀とは、朝に完成したものが夕方には壊れてしまうことを意味し、物事が非常に短時間で崩壊する様子を表す。転じて、物事の寿命が極めて短いことや、努力や成果がすぐに無駄になることを喩える表現として用いられる。
朝齏暮塩とは、朝に漬物、夕に塩という意味で、非常に質素な食事のことを指す。転じて、貧しい生活や質素な暮らしぶりを表す四字熟語である。この語は、韓愈の「送窮文」に由来する。
朝に出した法令を夕方には改めるという意から、法令や方針が頻繁に変更されて定まらないことを喩える四字熟語。政策や規則が安定せず、人々が従いにくい状況を指して用いられる。出典は『漢書』食貨志にある。
朝蠅暮蚊とは、朝は蝿が多く、夕方は蚊が多いという意味で、一日中うるさいものや煩わしいもののたとえとして用いられる。唐の韓愈の詩に由来する四字熟語である。
朝改暮令とは、朝に法令を改め、夕方にはまた別の法令を出すことを意味し、政策や法令が頻繁に変更されて定まらない状態を指す。『漢書』「食貨志」に由来する四字熟語で、為政者の方針が安定せず、民が従いにくい様子を表す。
「朝朝暮暮」は、朝と夕をそれぞれ重ねて繰り返しを強調した四字熟語であり、毎朝毎晩、すなわち日々絶え間なく続く様子を表す。『文選』宋玉の「高唐賦」に典拠を持ち、時間の連続性や日常の繰り返しを指して用いられる。