狂喜とは、心が高揚して我を忘れるほどに喜びに満ちた状態を指す。通常の喜びを超えた激しい感情の高まりを表し、舞い上がるような気分や、思わず体が動いてしまうほどの強い歓喜を意味する。
喜喜とは、非常に喜び楽しんでいる様子を表す語である。心からの歓びに満ち、楽しげにふるまうさまを指し、「喜喜として戯れる」などのように用いられる。漢字表記としては「嬉嬉」と書くこともある。
喜劇とは、人生の真実をこっけいな味わいや笑いを通して描き出す演劇の形式であり、一般にコメディーと呼ばれる。また、転じて、実際に起こったおかしな出来事や状況を指すこともある。これは悲劇と対照をなす概念である。
喜寿とは七十七歳を指し、またその年齢を祝う行事を意味する。「喜」の字を草書体で書くと「七十七」と読めることに由来する。同様の年祝いとして、八十八歳の米寿、九十歳の卒寿、九十九歳の白寿などがある。
悲しみと喜びという相反する感情を指す語で、特に一つの出来事に対して両方が同時に湧き起こるような複雑な心境を表す際に用いられる。
随喜とは、仏教において仏の功徳をありがたく感じる心、あるいは他人の善行を見て心から喜びを共にすることを指す。転じて、非常に喜び、感謝の念に堪えない様子を表す際にも用いられる。
歓喜とは、心の底から湧き上がる大きな喜びを指す。特に予期せぬ幸運や願望の成就に接し、抑えきれないほどの悦びを感じる状態を表す。仏教用語としては「カンギ」と読み、仏法を聞いて覚醒の喜びを得ることを意味する場合もある。
思いがけない出来事や予期せぬ良い結果に接し、驚きと喜びの感情が同時に湧き上がることを指す。
非常に大きな喜びを感じること。心から嬉しく思う様子を表し、特に予期せぬ良い知らせや願いが叶った時などに用いられる。
喜躍抃舞とは、非常に喜び、嬉しさのあまり躍り上がり、手を叩いて舞うように喜ぶ様子を表す四字熟語である。『列子』の「湯問」篇に由来し、大きな喜びや感激に心が躍動し、体全体でその感情を表現することを意味する。
新しいものを好み古いものを嫌うこと。特に、人間関係において新しい相手に心移りし、以前の関係を疎かにする態度を指す。移り気で飽きやすい性質を表す。
喜色満面とは、嬉しさや喜びの感情が顔全体に溢れ出ている様子を表す四字熟語である。顔色や表情に満ちあふれる喜びが自然と表れ、それを隠しきれないほどに明るく晴れやかな面持ちを指す。
天を仰いで歓び、地に伏して喜ぶという意味から転じて、非常に大きな喜びに心が満たされ、有頂天になっている様子を表す四字熟語である。
一喜一憂とは、物事の成り行きや状況の変化に応じて、喜んだり心配したりと感情が揺れ動き、気持ちが落ち着かない様子を表す四字熟語である。些細な出来事にも一々反応して気をもむ、慎重すぎる態度や心の小ささを指して用いられることが多い。
「懿公喜鶴」は、春秋時代の衛の懿公が鶴を寵愛し、臣下よりも鶴を重用した故事に由来する四字熟語である。この故事は『春秋左氏伝』閔公二年に記され、君主が道を外れた嗜好に耽り、国政を疎かにした愚行を批判する喩えとして用いられる。
「弄璋之喜」は、男の子が生まれたことを祝う喜びを表す四字熟語である。その由来は中国の古典『詩経』「小雅・斯干」にあり、生まれた男児に玉(璋)を持たせて遊ばせるという記述に基づいている。ここから、男子の誕生をめでたいこととして祝賀する意味で用いられるようになった。
「詩経」の「小雅・斯干」に由来する四字熟語で、女児が生まれたことを祝う喜びを表す。古代中国において、女児が生まれると瓦(陶器の紡錘車)で遊ばせた故事に基づく表現である。