「巨多」は、数量が非常に多いことを表す語である。「許多」とも表記され、読み方は「キョタ」のほか「コタ」とも読まれる。
湿度が高く、空気中に含まれる水分量が多い状態を指す。特に気候や土地の性質について用いられ、蒸し暑い環境やじめじめした感じを表す。
物事に対して敏感に反応し、様々な感情を抱きやすい性質や状態を指す。特に感受性が豊かで、外界の刺激を深く受け止める傾向にあることを表し、多くは青春時代などの心情の揺れ動きやすい時期について用いられる。
深く感謝することを表し、厚い情けや親切に対して用いられる。また、丁重にわびる意でも使われ、自身の非礼や軽率な言動を詫びる場合にもいう。
多岐とは、物事が多方面に分かれて複雑に広がっている様子を表す。道が幾筋にも分岐することに由来し、問題や事柄が多様な方向に及んでいる状態を指す。
多くの技芸や技能を身につけている様子を指す。多才とほぼ同義で用いられるが、時に「無芸」の対義語として、特定の分野に偏らず広く様々な芸事に通じていることを表す。
数量の多いことと少ないこと、すなわち多寡を指す。また、程度や数量がいくらかあるさま、少しの意を表す。
多幸とは、多くの幸福に恵まれている状態を指す。幸せが豊かで満ち足りている様子を表し、しばしば「ご多幸を祈ります」のように、相手の将来に対する祝福の言葉として用いられる。
多才とは、一つの分野に限らず様々な方面に優れた才能を備えている様子を指す。多くの技芸や知識に通じ、幅広い能力を発揮できる人物を形容する際に用いられる。
多情とは、異性に対して愛情が移り変わりやすい性質を指すとともに、物事に深く感じ入りやすい豊かな感受性をも表す言葉である。
色彩が豊かで美しいさまを指す。また、物事の種類や様相が多岐にわたり、変化に富み、華やかであることを表す。
多罪とは、多くの罪を犯している状態を指す。また、手紙文において相手への無礼を詫びる際に用いられる語で、「乱筆多罪」などの形で、筆が乱れていることなどを謝罪する挨拶として使われる。
多寡とは、数量の多いことと少ないこと、すなわち数量の程度を指す。金額や物量など、何らかの数量について、その大小や多少を問題にする際に用いられる表現である。
多産とは、生物が多くの子や卵を生み出すことを指し、転じて物事が豊富に生み出される様子を表す。
「多端」とは、物事の端緒が多く、様々な事柄が同時に発生したり、手がけるべき仕事が多くて忙しい状態を指す。国事や業務など、複雑で多岐にわたる事柄が集中している様子を表す語である。
多くの種類や様々な形があり、単調でなく変化に富んでいる様子を指す。物事の形態や性質、内容などが幅広く異なっており、均一性に欠ける状態を表す。
多難とは、困難や災害、苦労などが重なって多く起こる様子を指す。人生や物事の行く末が、そうした苦難に満ちていることを表す際に用いられる。
分量が非常に多いことを指す。特に、出血や物質の量が通常を大きく上回る場合に用いられる。
長い年月にわたることを表す。多くの年数を経た状態や、積み重なった歳月の長さを示す。
多能とは、一人の人間が様々な才能や技能を備えている状態を指し、多芸多才であることを意味する。また、機械や装置などが単一の用途に限定されず、複数の機能や性能を有している場合にも用いられる表現である。
用事や仕事が多く、非常に忙しい状態を指す。日常の生活や業務において、多くの事柄に追われて休む暇もない様子を表す。
「多用」とは、頻繁に用いることや、用事が多くて忙しい状態を指す。例えば、特定の語彙や表現を繰り返し使う場合に「漢語を多用する」と表現したり、相手の多忙な様子を慮って「ご多用中」と述べたりする。
滅多は、むやみやたらな様子を表す語で、多くは下に打ち消しの語を伴って用いられる。例えば、滅多なことを言うな、というように、軽率で無分別な言動を戒める場合に使われる。また、滅多に外出しない、という表現では、ほとんど、あるいは容易には、という意味で、物事の発生頻度が極めて低いことを示す。この語は当て字による表記である。
煩多とは、やるべき事柄や処理すべき事項が非常に多く、それらが複雑に絡み合っているために、対応するのが面倒でわずらわしい状態を指す。仕事や事務などが山積みになり、進捗が滞るような状況に用いられる。
雑多とは、異なる種類の物事が入り混じり、統一性や秩序に欠けている様子を指します。特に、性質や種類の異なる多様なものが一つにまとまっている状態を表し、扱う品物や収集物などについて用いられます。
物事の数や種類が非常に多いことを表す。また、用事が多くて忙しい状態や、その様子を指すこともある。
夥多とは、数量や程度が並々ならぬほど甚だしく多い様を指し、通常の多さをはるかに超えて膨大であることを表す。
「瓦落多」は「がらくた」と読み、役に立たない雑多な物品や価値のない道具類を指す。漢字は当て字であり、「我楽多」と表記されることもある。
多聞天は毘沙門天の別称であり、仏法を守護し福徳を授ける神とされる。その名は仏の教えを広く聞き、守り伝えることに由来する。
多数決とは、集団における意思決定の方法の一つで、賛否や選択肢に対する支持者の数を比較し、最も多くの支持を集めた案を採択する手続きを指す。主に議会や委員会などの合議制の場で用いられる。
多年草とは、同一の個体が三年以上にわたって生育を続ける草本植物を指す。地上部は冬季に枯れることもあるが、地下茎や根などが生き残り、毎年新たな芽を出す。ハナショウブやユリ、キクなどがその例である。
多毛作とは、同一の田畑において一年間に三回以上、異なる作物を順次栽培し収穫する農法を指す。例えば、年一回の作付けを一毛作、二回を二毛作と呼ぶのに対し、これより多い作付け回数を総称する語である。
我楽多とは、実用性や価値の乏しい物品や道具を指す言葉である。漢字表記は「瓦落多」と書くこともあるが、いずれも当て字として用いられる。
歌留多とは、絵や文字が記された長方形の札、およびそれを用いた遊戯や博戯の総称である。花札やいろはガルタ、トランプなどがこれに含まれ、新年の表記では「加留多」や「骨牌」とも書かれる。これらの表記は当て字であり、語源はポルトガル語の「カルタ」に由来する。
阿多福は、丸顔で低い鼻、頬のふくらんだ女性の顔立ちを指し、特にそのような特徴を持つ「おかめ」の面を表す。転じて、容姿に恵まれない女性を蔑んで言う場合にも用いられる。
貴人多忘とは、地位の高い人や忙しい人は物事を忘れがちであるという意味で、転じて人に頼みごとをした相手がそれを忘れている場合に、遠回しに非難したりからかったりする表現として用いられる。故事は唐代の『唐摭言』に由来する。
詭計多端とは、さまざまな悪だくみをめぐらせ、ずる賢く立ち回る様子を表す四字熟語である。『三国志演義』などにみられるように、策略や悪知恵に長け、常に人を欺こうとするような性質を指す。
一人を犠牲にすることで多くの人々を救うことを意味する。仏教の教えに由来し、悪人を一人殺すことによって大勢の命を助けるのはやむを得ないとする考え方から、転じて、より大きな利益のために小さな害を甘受することの比喩としても用いられる。
度を越えた愛情は周囲の憎しみを招き、身の破滅を引き起こすという意味で、『亢倉子』に由来する。過剰な寵愛に甘えることの危険性を戒めた表現である。
妄評多罪は、他人の文章などに対して無遠慮な批評をしたことを深く詫びる際に用いる四字熟語である。「妄評」はでたらめな批評を、「多罪」は手紙文で無礼を謝る言葉をそれぞれ意味し、合わせて軽率な批評の非礼を陳謝する謙譲表現となる。
手紙などの文末に用いる謙譲の挨拶語で、乱暴な言葉を並べて相手を傷つけ、多くの過ちを犯してしまったという意味から、自身の言葉遣いの無礼を詫びる表現です。
複雑多岐とは、物事の様相が多方面に分かれて入り組んでおり、単純に理解したり処理したりすることが難しい状態を指す。道筋が幾筋にも枝分かれしている様子を表す「多岐」に「複雑」が加わることで、より一層の込み入り具合を強調した表現である。