物事の始めから終わりまでの全過程を指す。また、絶え間なく続く状態や、常に変わらない様子を表す際にも用いられる。
物事の行き着く最終の地点や状態を指し、これ以上先へ進むことのできない究極の段階を意味する。
終止とは、物事が終わりに至ることを指す。特に文法用語として、動詞の活用形の一つである終止形を指す場合もある。また、争いや問題に決着をつける意味で用いられることもある。
終始とは、物事の始まりから終わりまでの全過程を指す。また、その期間を通じて一貫して変わらない状態や行為が続く様子を表し、最初から最後までずっと同じように行われることを意味する。
終日とは、一日の始めから終わりまで、朝から晩までの時間の全般を指す語である。例えば、駅の構内では終日禁煙が実施されているとか、昨日は終日雨が降り続いたといったように、ある状態や動作が一日を通じて持続する様子を表す際に用いられる。終夜と同様の構成を持つ語であり、「ひねもす」や「ひもすがら」とも言い換えられる。
終夜とは、夜の始めから終わりまで、つまり一晩中を指す語である。夜通し続く様子を表し、例えば「終夜運転」のように用いられる。終日に対応する夜の表現であり、古語の「よもすがら」や「よすがら」と同様の意味を持つ。
終身とは、人がこの世に生きる始めから終わりまでの期間、すなわち生涯を指す語である。特に、死に至るまでの長い期間を一つのまとまりとして捉える場合に用いられ、終身雇用や終身刑などの表現に見られるように、その状態が生涯にわたって継続することを示す際に使われる。
人がこの世に生を受けてから死を迎えるまでの全期間を指し、一生涯や生涯と同義である。終身とも言い換えられる。
終夜は「よもすがら」と読み、夜の間ずっと、つまり夜通しを意味する。同じ意味を持つ「終夜(しゅうや)」と同義であり、例文として「終夜雨やまず」のように用いられる。また、「よすがら」とも読むことができ、一日中を表す「終日(ひもすがら)」や「ひねもす」と類義の関係にある。
演劇や芝居の最後の幕を指す。転じて、演劇そのものが終わることや閉幕を意味し、さらに広く物事が最終段階を迎えることの比喩としても用いられる。
人の命が終わりに近づき、死を迎えようとするその時を指す。特に、死が差し迫った最後の瞬間や状態を表し、「ご臨終です」のように使われる。末期や最期と同義である。
終熄とは、物事が完全に終わりを迎え、静まりかえることを指す。特に、騒動や流行、災害などが完全に収束し、その活動や影響が消え去った状態を表す。
ある事柄の初めから終わりまでの全過程を、細部に至るまで含めて指す語。もとは一冊の書物の最初から最後までを意味したが、転じて物事の経緯全体を漏れなく述べる様を表す。
臨命終時とは、人がこの世の命を終えようとするその瞬間を指す仏教用語である。特に浄土教においては、阿弥陀仏の本願に基づき、念仏を唱える者が臨終の際に極楽浄土へ迎え入れられるという重要な時を意味し、『阿弥陀経』などに説かれる。
臨終に際して心を乱さず、安らかに往生を信じる清らかな心境を指す。特に仏教において、死を目前にした者が信仰に基づいて平静を保ち、来世への確信をもって臨む心構えを表す。
有終之美とは、物事を始めから終わりまで立派に成し遂げ、その過程と結果の両方において見事な成果を収めることを意味する四字熟語である。特に、最後まで気を緩めずに全うし、完璧な結末を迎える様子を称える表現として用いられる。
無始無終とは、始まりも終わりもないことを意味する四字熟語である。仏教においては、無限の過去から永遠の未来へと続く輪廻の無限性を表す概念として用いられる。「無始」は始まりのないこと、つまり無限の過去を指し、「無終」は終わりのないこと、すなわち永遠の未来を指す。
婦怨無終は、『春秋左氏伝』僖公二十四年に見える四字熟語で、女性の恨みはいつまでも尽きることがないという意味を表す。
終始一貫とは、物事の始めから終わりまで、態度や行動、主張などが一つの方針で貫かれ、途中で変わることのない様子を指す。周囲の状況が変化しても信念を曲げずに持ち続ける場合にも用いられる。