日影とは、太陽の光そのもの、あるいはその光が差し込む様を指す。また、日が傾いてゆく時間の経過、すなわち日脚の意味でも用いられる。
火影とは、火の光、特に灯火のともしびの輝きを指す。また、その灯火に照らし出されてできる物や人の影、あるいはその光の中に浮かび上がる姿をも意味し、この場合には「灯影」と表記することもある。
遠方に浮かぶ船の帆の姿を指す。特に船体は見えず、帆だけが水平線や海原に映える情景を描写する際に用いられる表現である。
灯火や電灯などの光が周囲の物に映し出す影、あるいはその光そのものを指す。特に薄暗い中で揺らめく光とそれに伴う陰影のたたずまいをいう。
泡影とは、水面に浮かぶ泡や物の影のように、実体がなく儚いものの喩えである。特に、一瞬で消え去る無常な事象や、実現の見込みのない空しい望みを指して用いられる。
面影とは、過去の記憶の中に残る人や物の姿、あるいは情景の様子を指す。また、ある人に別の人物の顔立ちや雰囲気が彷彿とされる様を表す際にも用いられる。「俤」と書くこともある。
水面などに逆さまに映る影を指す。特に夕暮れ時に水面に映る夕日の光景をいうこともある。
海上から遠望した際に、島の輪郭がかすかに浮かび上がって見える様子を指す。特に水平線の彼方にぼんやりとその形をとどめている状態をいう。
相手の写真や肖像を敬って言う語。主に手紙文などで用いられ、「御尊影」の形で使われることも多い。
ある物事が他の物事に作用を及ぼし、それによって変化や反応を引き起こすこと。また、その作用の結果として現れる効果や痕跡を指す。
物の輪郭や形を映し出した陰のことを指す。また、絵画や写真などに描かれた人物や神仏の姿、すなわち肖像の意味も持つ。
写真や映画などの映像作品を、カメラなどの機器を用いて記録する行為を指す。特に被写体をフィルムやデジタル媒体に収める一連の工程を意味し、記念写真を残す場合や自然を題材にした野外での作業など、様々な状況で用いられる表現である。
故人の生前の姿を写した写真や描かれた肖像を指し、主に供養や追慕の対象として扱われる。
影青とは、白色の素地に青みがかった透明な釉薬を施した中国磁器の一種を指す。その名は、釉の下に透けて見える文様が淡い影のように見えることに由来するとされる。中国語の「インチン」に由来する呼称である。
影絵とは、光源の前に紙を切り抜いたものや手の形を置き、その影を壁やスクリーンに映し出して楽しむ遊びを指す。また、白地に黒一色で陰影の輪郭を描いた絵画のこともいう。
御真影とは、天皇や皇后といった高貴な方々の肖像写真を指す言葉である。特に明治時代以降、教育勅語とともに宮内省から全国の学校などに下賜された天皇・皇后の写真を指して用いられることが多い。
影法師とは、光が物体に遮られることで、地面や障子などの面に映し出される人の影のことを指す。特に、夕日などによって伸びた長い影を指して用いられることが多い。
御影石は花崗岩の一種で、兵庫県神戸市の御影地区で多く産出されたことに由来する名称である。黒御影、白御影、赤御影などの種類があり、建築や墓石などに広く用いられる堅牢な石材を指す。
影迹無端とは、『宋書』謝霊運伝に見える四字熟語で、物事の痕跡や手がかりが全くなく、由来や経緯をたどることが極めて困難である様子を表す。
影駭響震は、影を見ただけで驚き、音を聞いただけで震え上がる様子を表す四字熟語で、わずかな物事にも過剰に警戒し、恐れを抱く心理状態を指します。『文選』の班固「答賓戯」に典拠を持ち、風声鶴唳と同様の意味で用いられます。
衣香襟影は、着物に染み込ませた香りがほのかに漂い、美しく着飾った女性の姿を表す四字熟語である。衣服に焚きしめる香りを意味する「衣香」と、襟元や姿を指す「襟影」が組み合わさり、上品な装いと優雅なたたずまいを連想させる表現となっている。
暗香疎影は、ほのかな香りとまばらな影を意味する四字熟語で、主に梅の花の風情を詠んだ表現である。中国宋代の詩人林逋の「山園小梅」の詩句に由来し、梅の清らかで奥ゆかしい美しさを、香りと木漏れ日の影によって繊細に描き出している。後に、詩歌や文学において、梅の優雅な趣を象徴する表現として用いられるようになった。
鏤塵吹影とは、塵を刻み、影を吹くという意味で、実体のないものに手を加えようとする無駄な努力を指す。転じて、現実味のない空論や、実現不可能なことを企てる愚かさを喩える表現である。
嵐影湖光は、山の青々とした木々の影と湖面にきらめく光を表す四字熟語で、山水の美しい風景を指す。清の邵長衡の「夜遊孤山記」に用例が見られる。
迷頭認影とは、仏教の経典『首楞厳経』に由来する四字熟語で、自分の頭を探し求めてその影を認めるという喩えから、真実の自己を見失い、虚妄の現象に執着する愚かさを表します。