一定の地域に住む住民が、慣習に基づく権利として特定の山林や原野、漁場などを共同で利用し、そこから収益を得ることを指す。
付会とは、本来関連のない事柄を無理に結びつけて解釈したり、ばらばらの要素を一つにまとめ上げたりすることを指す。特に、自分に都合の良い理屈をこじつける牽強付会という表現で用いられることが多い。表記としては「附会」と書くこともある。
会議や番組などの進行を管理し、参加者や出演者を導きながら全体の流れを円滑に進める役割を指す。
会式とは、寺院で行われる法会のことであり、特に日蓮宗において日蓮上人の命日である十月十三日とその前日に営まれる法会を指す。御命講や御影供とも呼ばれる。
会釈とは、軽く頭を下げて挨拶や礼を示す動作を指す。また、転じて他人への思いやりや配慮を意味し、仏教においては経典の意義を理解し解釈することを表す。
会葬とは、葬儀や告別式に参列することを指す。故人を偲び、遺族を慰めるために弔問に訪れる行為であり、葬儀場では会葬者の列が続くこともある。また、葬儀後に遺族から会葬者に対して贈られる「会葬御礼」という言葉もある。
会談とは、公式な場において複数の関係者が集まり、特定の議題について意見を交換し、話し合うことを指す。主に外交や重要なビジネスの場面で用いられる。
会意とは、漢字の構成原理である六書の一つで、二つ以上の漢字を組み合わせて新たな文字を形成し、それらの意味を合成して新たな概念を表す方法を指します。例えば、「木」を二つ並べて「林」とし、あるいは「人」と「木」を組み合わせて「休」とするように、構成要素の意味の相互作用によって全体の意味が生み出されます。
会議や集会などが開催されている期間を指し、特に国会において開会から閉会までの公式な活動期間を意味する。
金銭や物品の収支を計算し、管理する業務を指す。また、その業務を担当する人を意味することもある。飲食店などで代金を支払う行為、すなわち勘定をすることを表す場合にも用いられる。
会堂とは、主に公共団体が集会や行事のために設けた建物を指す。また、キリスト教においては教会や礼拝堂を意味する語としても用いられる。
会盟とは、古代中国において諸侯や各国の使者が一堂に会し、盟約を結ぶことを指す。その儀式自体を指す場合もあれば、そこで取り交わされた盟約そのものを意味することもある。
会衆とは、会合や集会に集まった人々の総称を指す。特に仏教において「エシュ」と読む場合は、説法や法会に参集した信徒や聴衆を意味する。
複数の人が集まり、共に食事をとること。特に、親睦や打ち合わせなどを兼ねて行われる食事の機会を指す。
会心とは、物事が思い通りに進み、心ゆくまで満足できる状態を指す。特に、努力の結果が期待以上に実り、深い満足感を得たときに用いられる表現である。
会席とは、人々が集まる場や機会を指す言葉である。特に連歌や俳諧の集まりを指すこともある。また、酒宴の席で供される、本膳料理を簡略化した料理「会席料理」の略称としても用いられる。この料理は、茶席で出される「懐石料理」とは起源も趣旨も異なるものである。
久しく会っていなかった人と、改めて顔を合わせること。また、そのような機会を指す。
初会とは、人と人が初めて顔を合わせることを指す。また、初めて開催される会合や集まりの意味もあり、特に遊郭において遊女が初めて客を取る行為、あるいはその客そのものを表す場合もある。
社会とは、人々が集まり相互に関わり合いながら形成する集団や組織を指し、共同生活の基盤となる場を意味します。また、広く世間一般や人々が生活する現実の世界を表すこともあります。さらに、特定の職業や関心を共有する人々の集まりや仲間を指す場合もあります。
会合や行事などに出席すること。また、人々が集まって同じ場に居合わせることを指す。
国会とは、国の最高立法機関であり、国民の代表者によって構成される議会を指す。日本においては、衆議院と参議院の二院制を採用し、法律の制定や予算の審議など、国の重要な意思決定を行う組織である。
夜会とは、夜間に催される宴会や集まりを指す。特に西洋風の舞踏会など、公式の社交の場として行われる夜の会合を意味し、燕尾服やイブニングドレスといった正装が求められる場合が多い。
法会とは、仏法を説くために人々を集めて行う集会を指す。また、死者の供養や追善のために営まれる仏事、すなわち法要や法事のことも意味する。
発会とは、新たに組織された会が初めて会合を開くことを指し、その会の発足を意味する。また、取引所においては、その月に最初に行われる立ち会いのことを特に指して用いられる。
面会とは、人と直接顔を合わせることを指し、特に特定の場所を訪れて相手と会う行為、あるいは来訪者と応対することを意味する。病院や施設などで制限される場合もあり、事前の申し込みを必要とすることもある。
会合が予定されていたにもかかわらず、何らかの事情により開催されずに中止となること。特に、総会などで定足数に満たない場合に用いられる。
人目を避けてひそかに会うことを指し、特に恋愛関係にある男女が内密に逢引する場合に用いられる。
キリスト教において、同じ信仰を有する信徒の共同体を指すとともに、その礼拝や集会が行われる建物をも意味する。
盛大で賑やかな会合や集会を指す。多くの参加者や華やかな雰囲気を伴う催しを形容する際に用いられる。
人口が密集し、商工業や文化活動が活発に行われる地域を指す。田舎に対比される概念として、高い人口密度と整備された社会基盤を特徴とする。
照会とは、ある事柄について確認や問い合わせを行うことを指す。特に、不明な点や詳細な情報が必要な場合に、関係する機関や個人に対して、事情や状況を尋ねる行為をいう。
物事を行うのに適した時や状況を指し、何かを成し遂げたり変化をもたらしたりする可能性が開かれる好ましい契機を意味する。
公選された議員によって構成され、法律の制定や国・地方自治体の重要事項を審議し決定する合議制の機関を指す。民主主義の根幹をなす制度として機能し、国政レベルでは国会、地方レベルでは都道府県議会や市町村議会などがある。
会厭は、喉頭の入り口を覆う軟骨性の器官であり、嚥下時に気管への食物の流入を防ぐ役割を担う。喉頭蓋とも呼ばれる。
大納会とは、証券取引所や商品取引所などにおいて、一年の最後の取引日を指す用語である。これに対し、年初の最初の取引日は大発会と呼ばれる。
仏生会は、陰暦四月八日に行われる釈迦の誕生を祝う法会を指す。釈迦の像に甘茶を灌ぐ儀礼が特徴で、花祭りや灌仏会とも呼ばれる春の行事である。
捕らえた生き物を自然に放ち、その功徳によって供養を行う仏教儀式。特に陰暦八月十五日(中秋)に行われる秋の行事として知られる。
茶話会とは、茶や菓子を楽しみながらくつろいだ雰囲気で談笑する集まりを指す。形式ばらない社交の場として親しまれ、「チャワカイ」と読まれることもある。
精霊会は、陰暦七月に行われる先祖の霊を供養する仏教行事を指す。盂蘭盆(うらぼん)と同義であり、この時期に寺院などで執り行われる法要を特にこう呼ぶ。表記としては「聖霊会」と書かれることもある。
陰陽道において、万事に凶とされる日を指す。この日は吉事を避け、物事の開始や重要な決断を控えるべきとされる。
御会式とは、日蓮宗において宗祖である日蓮聖人の命日である十月十三日に行われる法要のことを指す。御命講とも呼ばれ、特に秋の重要な行事として位置づけられている。
卒業や転勤、旅行などで人々が別れを迎える際に、その門出を祝い激励するために催される送別会を指す。「餞」は旅立ちに際して贈る金品や宴を意味し、前途を祝う気持ちを表す。
臘八会は、釈迦が悟りを開いたとされる旧暦の十二月八日(臘月八日)に行われる仏教の法要で、成道会とも呼ばれる。この行事は冬の季語としても用いられる。
「柯会之盟」は、『史記』「斉世家」に記される故事に基づく四字熟語である。春秋時代、斉の桓公が諸侯を柯の地に会合させて盟約を結んだことを指し、後に強大な勢力の下で行われる同盟や会盟の代名詞として用いられる。
怨憎会苦とは、仏教における八苦の一つで、自分が怨みや憎しみを抱く相手と避けがたい縁で再会し、その関わりに苦悩することを指す。
遠慮会釈とは、他人に対して心遣いをし、態度を控えめにして相手の立場や心情を思いやることを意味する四字熟語である。ここでの「会釈」は、相手の気持ちを汲み取り斟酌することを指し、遠慮と合わせて、配慮に満ちた慎み深い振る舞いを表す。
会者定離とは、出会った者は必ず別れの時を迎えるという意味の四字熟語であり、この世の無常を表す言葉である。「定」は必ずの意で、人と人との邂逅が永遠に続くものではないことを示している。
会釈遠慮とは、軽く会釈するだけで深く立ち入ることを控える態度を指し、相手に対して必要以上の干渇を避け、一定の距離を保つ振る舞いを表す。
盂蘭盆会は、仏教行事の一つで、祖先の霊を供養するために行われる法会を指す。毎年七月十五日(または八月十五日)を中心に行われ、盆踊りや精霊流しなどの行事を伴うことが多い。
茶道に由来する四字熟語で、一生に一度限りの出会いを意味する。転じて、人との出会いや機会が二度と繰り返されることのない貴重なものであることを自覚し、それを誠意を込めて大切に扱うべきだという心得を表す。