「二布」とは、通常の反物の二倍の幅を持つ布地、またはそのような幅で織られた布そのものを指す。また、その広い幅を利用して仕立てられることから、特に女性の腰巻きの意味でも用いられる。
二世とは、現世と来世、すなわちこの世とあの世の二つの世界を指す語である。親子の縁は現世のみであるのに対し、夫婦の縁は来世にまで及ぶという考え方を示す「親子は一世、夫婦は二世」という言い回しで用いられる。なお、「にせい」と読む場合は別の意味となる。
二日とは、二日間という期間を指すほか、月の二番目の日を表す。
二世とは、移民先の国で生まれ、その国の市民権を持つ者を指す。また、同じ名前や家系、地位を継いだ二代目を意味することもある。さらに、ある人の子供、特に息子を指す場合もある。読み方は「ニセイ」であり、「ニセ」と読む場合は別の意味となる。
二流とは、二つの異なる流れや流派、あるいは方法を指す。また、第一の水準には及ばない地位や程度を表し、そのようなものや人を指して用いられる。
二藍(ふたあい)とは、紅花と藍を用いて染め出される色の名称である。赤みを帯びた深い藍色、あるいは赤紫色を指し、「ふたい」とも読まれる。
二言とは、同じことを二度言うこと、あるいは一度言ったことを後に取り消して異なることを言うことを指す。特に後者の場合、自らの都合によって前言を翻すような言動を意味し、「武士に二言はない」という慣用句において、武士の清廉さと対比される。また「ニゲン」とも読む。
二心(ふたごころ)とは、一つの対象に対して同時に相反する二つの心を持つことを指し、特に忠誠を誓うべき相手に対して抱く裏切りや不信の念を意味する。主君や味方に対する不忠な気持ちを表し、転じて浮気心の喩えとしても用いられる。なお、「にしん」「じしん」と読む場合もある。
「二形」とは、一つのものが二つの異なる形状を備えている状態を指す。また、一人の人間が男性と女性の両方の性徴を併せ持つことを意味し、この場合「双成」と表記することもある。
二竪とは病魔の喩えである。中国の晋の景公が病に臥せった際、夢の中で病魔が二人の童子の姿となり、名医の手を逃れて薬の効かない膏(心臓の下)と肓(横隔膜の上)の間に隠れたという『春秋左氏伝』の故事に由来する。
「二合半」は「こなから」と読み、全体の四分の一を指す語である。特に容量の単位としては一升の四分の一、すなわち二合五勺を意味し、小振りの徳利などに用いられる酒の量としても言及される。表記には「小半」の字を当てることもある。
同じ耕地において、同一の作物を一年間に二度栽培し収穫する農法を指す。特に水稲栽培においてこの方式が用いられる場合が多い。
同じ耕地において一年の間に異なる種類の作物を二度栽培する農法を指す。これにより土地の利用効率を高め、収穫を増やすことが可能となる。対義語として一年に一度の作付けを意味する「一毛作」がある。
二元論とは、ある問題を考察する際に、互いに独立した二つの根本原理を認める立場を指す。哲学においては、世界が精神と物質など、対立する二つの原理や要素から構成されるとする世界観を意味する。これは一元論や多元論と対比される概念である。
「二十重」は、物が幾重にも重なっている状態を表す語で、特に多くの層が積み重なっている様子を強調する表現である。
月の第二十番目の日を指す。また、二十日間という期間を表す場合にも用いられる。
二枚舌とは、矛盾した内容を述べたり、事実に反する嘘をついたりすることを指す。口先だけの偽りの言葉を用いる様子を表す。
十二支とは、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二種の動物(十二獣)を順に配したものを指す。古くは時刻や方角を示すために用いられ、後に十干と組み合わせて年や日を表すようになった。
「十二分」とは、十分であることをさらに強めて表現する語で、必要とされる程度を超えて満たされている状態を指す。十分すぎるほどに充足している様子や、余裕をもって足りていることを表す際に用いられる。
羽二重は、繊細で光沢に富む薄手の絹織物を指す。その滑らかな手触りと上品な光沢から、主に礼服や着物の裏地など、格式を要する衣装に用いられる。
青二才とは、年若く経験に乏しい未熟な男性を指す語である。相手を見下す場合や、自分をへりくだって言う場合に用いられる。「青」は未熟さを、「二才」はボラの幼魚に由来するとされる。
十二単は、平安時代以降に宮中で女官が用いた正装に対する後世の呼称である。唐衣や裳の下に、袿を数多く重ねて着ることに由来する名称で、重ね着による華やかな装いが特徴とされる。
十二雀は、小鳥の一種であるコガラの別称として用いられる語である。体が小さく愛らしい姿から、この名で呼ばれる。
「寡二少双」は、これに並ぶ者がいないほど優れていること、世に二つとないことを意味する四字熟語である。「寡二」も「少双」もともに二つとない意を表し、『漢書』吾丘寿王伝の「天下に双少なく、海内に二寡し」に由来する。類義語に「天下無双」がある。
轡を並べて門前に控える二頭の竜のように、優れた二人の人物が並び立つことを表す四字熟語。『新唐書』に見える故事に由来し、特に傑出した二人の武将や人物が相並んで威容を誇る様子を指す。
一つの石を投げて二羽の鳥を仕留めるという故事に由来する四字熟語で、一つの行為によって同時に二つの利益や効果を得ることを意味する。
二股膏薬は、定見がなく節操のない態度を指す四字熟語である。内股に貼った膏薬がどちらの足にもくっついてしまう様子に由来し、立場を明確にせずにどちらにも付くような、あいまいで誠実さに欠ける人物や行動をたとえる。
「百二山河」は、中国の史書『史記』高祖本紀に由来する四字熟語で、険しい要害の地を表します。秦の地は山河に守られており、わずか二万の兵で諸侯の百万の軍を防げるという故事に基づき、自然の地形が堅固な防衛に優れていることを喩える表現です。
二束三文とは、数量が多くても非常に安い値段で取引される様子、あるいはそのような品物を指す。二束(二足とも書く)でわずか三文という極めて安価なことから、ほとんど値がつかないような安売りを意味する。
二六時中とは、一日中、絶え間なく続く様子を表す四字熟語である。昔の時刻の数え方に由来し、昼夜をそれぞれ六つの時辰に分けたことから、一日全体を指すようになった。常に、いつも、という意味で用いられる。