再往とは、同じ行為や動作を繰り返すことを指し、一度行ったことをもう一度行うという意味を表す。特に改めて申し入れる場合などに用いられる表現である。
「往往」は、ある事柄が頻繁に起こるさま、あるいはよくある状態を表す。物事が繰り返し生じる傾向にある場合に用いられ、「しばしば」や「ときどき」と同様の意味を持つ。
過ぎ去った時分、昔のことを指す。かつての状況や勢いを振り返って言う場合に用いられる。
医師が患者の自宅を訪問して診察や治療を行うことを指す。
過ぎ去った年月、特に過去の輝かしい時代や時期を指す。主に、かつて華やかだった人物や出来事を回想する文脈で用いられる。
往復とは、ある地点から別の地点へ行き、再び元の場所へ戻ることを指す。また、人や物が行ったり来たりする様子や、人と人との間での交際や手紙のやり取りを意味することもある。交通機関の切符においては、往復切符を略してこう呼ぶ場合がある。
独往とは、他者の力を借りずに一人で進むことを指す。自らの意志に基づいて行動し、他者に依存しない独立した姿勢を表す語である。
邁往とは、勇ましい気概をもってひたすら前進する様を指す。目標に向かって躊躇することなく、力強く進んでいく姿勢を表す語である。
大往生とは、苦痛や病苦に苛まれることなく、安らかな心境でこの世を去ることを指す。特に、平穏な最期を迎え、円満な死に方を遂げた場合に用いられる表現である。
往生際とは、死を迎える間際の様子を指す。転じて、物事を諦める際の態度や潔さを表し、特に「往生際が悪い」という表現で、諦めがつかずに未練がましい様を意味する。
往亡日は陰陽道における凶日の一つで、外出や旅行、出陣などの行為を忌むべき日とされる。一年のうちに特定の十二日がこれに当たる。
過去にあった過ちや失敗を、今さらとがめだてしないこと。済んでしまったことは水に流し、これからの行いを重視する姿勢を表す。『論語』に由来する表現。
仏教に帰依する者が、この世を去って極楽浄土に生まれ変わろうとする、平生からの願いを指す。「往生」は現世を離れ浄土に生まれること、「素懐」は平素から抱く思いを意味する。
往生極楽とは、仏教において浄土に往生し、阿弥陀仏の極楽浄土で安楽を得ることを意味する。転じて、苦しみや困難から解放され、安らかな境地に至ることを喩える表現としても用いられる。
往事茫茫とは、過去の出来事が遠く霞んでしまい、はっきりと思い出せない様子を表す四字熟語である。白居易の詩に由来し、時の流れの中で記憶が薄れ、漠然とした感覚に包まれる心境を言い表している。
往事渺茫とは、過ぎ去った昔の出来事が遥か遠くに霞み、記憶の中ではっきりと捉えられない様子を表す四字熟語である。往時が茫漠として遠く、その細部がかすんで明らかでないという心境をいう。
往古来今とは、過ぎ去った昔から今を経て未来へと連なる、果てしない時間の流れを指す四字熟語である。『淮南子』では、この語をもって無限に広がる時間の概念を「宙」と定義し、空間の広がりである「宇」と対置して、宇宙の全体像を表している。
右往左往とは、混乱して慌てふためき、あちこちと方向を見失いながら行き来する様子を表す。落ち着きをなくし、どうすべきか判断がつかずに右へ左へと動き回るさまを指す。
「因往推来」とは、過去の出来事や経験を手掛かりとして、未来の成り行きや道理を推し量ることを意味する四字熟語である。『楊子法言』「五百」篇に典拠があり、歴史に学び、将来を予測する思索の姿勢を表す。