麦秋とは、麦が黄金色に実り収穫期を迎える初夏の頃を指す語である。秋の文字を含むが、実際の季節は夏に当たり、稲の秋に対する呼び方として用いられる。
春秋とは、春と秋の二つの季節を指すとともに、そこから転じて年月や歳月の経過を表す言葉である。また、人の年齢を意味する場合もある。さらに、中国の歴史書として、魯の出来事を記録し、孔子が編纂したと伝えられる古典「春秋」を指し、儒教の重要な経典の一つに数えられる。
秋になって用いられなくなった扇のこと。転じて、時季を過ぎて役に立たなくなったものや、愛を失った女性の喩えとしても用いられる。
秋の澄み渡った水面の波を指す。また、美人の清らかで美しい目元のたとえとして用いられ、さらに転じて、女性が色気を込めて相手を見つめる流し目を意味する。
キク科の一年草で、メキシコが原産地である。葉は細かく羽状に裂け、秋の季節に白、淡紅、深紅などの頭状花を咲かせる。主に観賞用として栽培される植物である。
秋分は二十四節気の一つで、太陽が天球上の秋分点を通過する時を指す。暦の上では新暦九月二十三日頃にあたり、この日は昼夜の長さがほぼ等しくなる。春分と対をなす節気である。
秋涼とは、秋の訪れを感じさせる涼しさを指す。秋の風がもたらす清々しい冷たさや、季節の移ろいを感じさせる気配を表し、時候の挨拶などで用いられる。また、陰暦八月を指す異称としても使われる。
秋の訪れを感じさせる気配や雰囲気を指し、また秋特有の澄んだ空気や肌に触れる涼やかな気候そのものを表す。
秋季とは、秋の季節を指す言葉である。例えば、秋季キャンプのように、秋に行われる行事や活動を修飾する際に用いられる。
秋の季節を指す語で、特に行事や活動が行われる期間として用いられる。例えば、大学などで秋に開講される講座を「秋期公開講座」と称するように、特定の時期を区切って示す際に使われる。
秋になって感じられる冷たい空気や肌寒さを指す。秋の訪れを告げる涼やかな冷たさを表し、時候の挨拶などで用いられる。
秋の訪れに触れて心に湧き起こる、物寂しさや哀愁を帯びた情感。季節の移ろいがもたらすはかなさや、過ぎゆく時への思いを詠んだ詩歌などで表現される。
秋の季節が感じられる様子や、秋らしい風景を指す。自然の移り変わりの中で、紅葉や稲穂など秋特有の風物によって彩られる情趣をいう。
秋味とは、秋に産卵のために川を遡上する鮭のことを指す。アイヌ語の「アキアンチ(秋の魚)」に由来するとされる。
秋の澄み切った水を指す。また、その清らかさや鋭さから転じて、研ぎ澄まされた刀剣の冴えわたる刃をも喩える。
晩秋とは秋の終わりごろを指す言葉で、季節の移り変わりの中で冬の訪れを感じさせる時期を表します。また陰暦では九月の異称としても用いられ、暮秋と同様に秋の深まりを表現する語です。
秋の終わりごろを指す言葉で、晩秋とも呼ばれる。また、陰暦における九月の異称としても用いられる。
錦秋とは、木々の紅葉が色鮮やかに染まり、あたかも錦の織物を散りばめたかのように美しい秋の情景を指す言葉である。
秋蚕とは、七月下旬から晩秋にかけて飼育される蚕のことを指す。春蚕や夏蚕に対し、秋の時期に飼われる蚕を意味する。また、「シュウサン」と読むこともある。
秋沙はカモ科の水鳥の総称で、冬鳥として日本に渡来する。細長いくちばしの縁は鋸歯状をなし、先端がわずかに鉤状に曲がっているのが特徴である。潜水に優れ、主に魚を捕食する。語源は「あきさ」の転訛とされる。
秋楡はニレ科の落葉高木で、本州中部以西の山地に自生する。葉は楕円形で縁に切れ込みがあり、秋には淡黄色の小花を多数つける。イシケヤキとも呼ばれ、表記は「榔楡」とも書く。
秋の長雨を指す語で、主に秋雨前線の影響によって降り続く雨をいう。梅雨に似たぐずついた天候が続くが、気温が低く、しとしとと降る点に特徴がある。
秋毫とは、秋に生え替わる獣の細やかな毛のことを指し、転じて極めて微小な物事や僅かなことを意味する。「毫」は細い毛を表し、そこからごくわずかな差異や些細な事柄を表現する際に用いられる。
桂秋とは陰暦八月の異称で、秋の季節を指す雅語である。この時期は木犀の花が咲き、芳香を放つことから、その風情を込めて呼ばれる。
千秋楽とは、演劇や相撲などの興行が行われる期間の最終日のことを指す。雅楽の曲名に由来し、法会の最後に演奏された慣習から、物事の終わりや締めくくりを意味するようになった。また、「千龝楽」と表記されることもある。
作物が十分に成熟し収穫の時期を迎えた秋の季節を指す。特に稲穂がたわわに実り、豊かな実りをもたらす秋の情景を表す。
秋唐松はキンポウゲ科の多年草で、山野に自生する。葉は羽状複葉で裏面が白みを帯び、その形状がカラマツの葉に似ていることに由来する名である。夏の終わり頃に、黄白色の小さな花を多数咲かせる。
秋の季節にふさわしく、空が澄み渡って晴れている天気を指す。特に、空気が清々しく、過ごしやすい秋の晴れた日を表す。
サンマ科の回遊魚で、日本近海に生息する。細長く刀のような体形を持ち、背中は暗青色、腹部は銀白色をしている。秋の味覚として知られ、漢字表記の「秋刀魚」は、秋に獲れる刀状の魚という意味に由来する。
秋入梅とは、秋の長雨を指す語で、梅雨に似た天候が続く時期を表す。また、そのような雨の季節に入ることをも意味する。「秋入梅」の読みは「あきついり」であり、これは「あきつゆいり」が転じたものとされる。
シュウカイドウ科の多年草で、中国を原産とする。夏から秋にかけて淡紅色の花を咲かせ、観賞用として親しまれる。根は薬用にも利用される。名称は漢名「秋海棠」に由来する。
剪秋羅はナデシコ科の多年草で、センノウ(仙翁)の別名として知られる。漢名「剪秋羅」に由来するが、これは本来の植物名とは異なる誤用に基づく呼称である。
一刻千秋とは、ほんのわずかな時間が千年もの長さに感じられるほど、待ち遠しい気持ちや待つことの切なさを表す四字熟語である。主に恋人や大切な人を待つ心境を詠う際に用いられる。
一枚の落ち葉から秋の訪れを感じ取るように、わずかな兆候や現象から物事の本質や今後の成り行きを鋭く見抜くことを意味する。『淮南子』に由来する四字熟語で、細部に現れた変化から全体の趨勢を予見する洞察力の喩えとして用いられる。
一日千秋とは、一日会わないだけでもまるで千年もの長い年月が経ったかのように感じられるほど、相手を切に思う気持ちを表す四字熟語である。『詩経』の「一日見ざれば、三秋の如し」という一節に由来し、深い慕情や待ち焦がれる心境を詠った表現として用いられる。
一日三秋とは、たとえ一日だけ会えなくても、まるで三年もの長い間会っていないかのように感じられるほど、相手を強く慕い待ち焦がれる心情を表す四字熟語である。『詩経』の「王風・采葛」に由来し、一日千秋や一刻千秋と同様に、切なる思いの深さを強調する表現として用いられる。
暗送秋波は、ひそかに秋波を送ることを意味する四字熟語である。秋波とは、秋の澄んだ水の波に喩えられる涼やかな美人の眼差しを指し、転じて媚を含んだ流し目や、人に取り入ろうとする色目を表す。ここでは、こっそりとそのような目配せを送り、相手の気を引いたり、好意を示したりする様を言い表している。
老気横秋とは、若いのに老人のように覇気がなく、意欲に欠ける様子を表す。また、年長者が経験を鼻にかけて尊大に振る舞う態度を指すこともある。
明察秋毫とは、わずかな物事の違いや細部まで見逃さず、鋭く洞察する能力を指す。秋の獣の毛先のような微細な部分まではっきりと見分けられるという原義から転じて、物事の本質を鋭く見抜く優れた観察力や判断力を意味する。
氷壷秋月は、宋史に由来する四字熟語で、澄み切った氷の壷と秋の夜の月のように、心が清らかで一点の曇りもなく、品格が高く清潔な様子を表す。主に人物の清廉潔白な人柄や、純粋で邪念のない心境を称える際に用いられる。
美人が色っぽく媚びるような、なまめかしい目つきや眼差しを指す四字熟語である。