公論とは、広く世間一般の人々が支持する議論や意見を指す。また、公平・公正な立場に基づいて行われる議論のことも意味する。
相手の主張や意見に対して異議を唱え、自らの立場や見解を述べること。また、そのような応答としての議論や弁明を指す。
水田に引き入れる水の配分をめぐって生じる争いを指す。特に夏季の水不足時に発生しやすいことから、夏の季語としても用いられる。水争いや水げんかともいう。
互いに意見を異にして激しく論じ合うこと。また、そのような議論そのものを指す。
曲論とは、道理や事実を故意に歪めて展開される議論を指し、正当性を欠いた主張や論理のことをいう。真実から外れた理屈を弄び、物事を不当に解釈する言説を意味する。
言語や文章を通じて思想や主張を表明し、論じる行為を指す。特に社会において意見を公に述べる活動を意味し、民主主義の基盤となる重要な概念として捉えられる。
所論とは、ある人が主張する意見や理論を指す。主に学術論文などの文章において、その人の論旨や見解を表す際に用いられる表現である。
持論とは、個人が以前から一貫して抱き続け、主張している独自の意見や見解を指す。長い間保持してきた自説という意味合いが含まれる。
ある問題について複数の人が意見を述べ、互いに論じ合うこと。
論ずるまでもなく、そうなるのは当然であることを表す。後に続く事柄が疑いの余地なく成立することを示す。
痛論とは、激しい口調で相手を批判しながら議論を戦わせることを指し、そのような議論自体も意味する。
多くの人々の間で交わされる議論や意見を指し、集団における総意や共通の見解を形成する過程やその内容を表す。
愚論とは、道理に合わない浅はかな議論や、取るに足らない論説を指す。また、自らの意見や見解を謙遜して述べる際にも用いられる表現である。
熱心に、また激しく議論すること。感情を込めて活発に意見を交わす様子を指し、時に白熱した論争となることもある。
議論や主張を支える根拠となる事柄。意見や説の正当性を示すために提示される証拠や理由を指す。
論説とは、ある事柄について筋道を立てて説明し、自らの意見や主張を述べること、またそのような内容の文章を指す。特に新聞や雑誌において、編集方針に基づいて特定の課題について論じる社説などの評論を意味する場合が多い。
功績の有無や程度を論じ定めることを指す。特に、功績を評価し、それに応じた報酬や処遇を決定する際に用いられる。
互いに異なる意見を主張し、激しく議論を戦わせること。特に、公の場で行われる白熱した討論を指す。
ある事柄について論じ考察すること、またそのようにしてまとめられた論文や研究書を指す。
互いの意見を主張し合い、議論を交わすこと。また、そのような議論そのものを指す。
論じてから判断することを指し、物事について議論や考察を重ねた上で結論を下す行為を表す。
刑事裁判において、検察官が証拠に基づいて被告の罪状を認定し、それに対する量刑の意見を述べる手続きを指す。
時事問題や政治情勢について、自らの見解や解決策を論じた文章を指す。特に中国の科挙において、官吏登用試験の課題として提出された政策論を意味する。
論賛とは、ある事業や功績などについて論じ、その価値を称えることを指す。また、史伝の記述の末尾に、編者が加える論評や賛辞を意味する場合もある。
議論の対象として考慮するに値しないこと。また、問題とするまでもなく明らかに不適切なこと。
ある事柄について筋道を立てて論じ述べること。また、そのようにして述べられた内容や文章を指す。
互いの意見を述べ、論じ合うこと。ある問題について異なる立場から意見を交わし、議論を深める行為を指す。
議論において中心となる問題や、話し合いの対象となる重要な事柄を指す。
論じている内容が、関連する他の事柄や領域にまで言及が及ぶことを指す。
相手の言動や主張の誤りや欠点を指摘し、道理に基づいて批判すること。
激しい口調で互いの意見を主張し合う議論のこと。感情を込めて激しく論じ合う様子を指す。
ある事柄について異なる立場や見解を持つ人々が、互いの意見を述べ合い、論じ合うことを指す。また、その過程で交わされる意見そのものを意味することもある。
当然であること、言うまでもないことを表す。漢文の「論ずる勿れ」に由来し、議論の余地がないほど明らかな事柄について用いる。例えば「大会には勿論参加する」のように、前提となる状況から当然導かれる事柄を示す表現である。
梵論とは、鎌倉時代末期に現れた有髪の乞食僧を指す語である。後に尺八を吹きながら諸国を巡り物乞いをする虚無僧を指すようになった。ぼろぼろとした服装からその名があるとされ、「暮露」とも表記する。ぼろんじとも呼ばれる。
他人の主張や論点に対して反論を加え、その誤りや矛盾を指摘する議論のこと。
互いに自説を主張し合い、激しく議論を交わすことを指す。特に、意見の対立から生じる言い争いや論争を意味する。
論鋒とは、議論や弁論において相手を突く鋭い主張の勢いや、その矛先のことを指す。議論が展開される際の鋭さや切れ味を表し、特に弁舌の鋭い様子を形容する際に用いられる。
二元論とは、ある問題を考察する際に、互いに独立した二つの根本原理を認める立場を指す。哲学においては、世界が相互に独立する二つの原理や要素から構成されるとする世界観を意味し、一元論や多元論と対比される概念である。
目論見とは、何かを実現しようとする際の計画や企てを指す。特に、周到に考えられた意図や策略を含むことが多く、しばしばその成否が注目される。
「梵論」と同じく、粗末な衣服やぼろぼろの着物を指す語で、特に僧侶などが身につける質素な衣をいう。転じて、みすぼらしい身なりやそのような人物を指す場合もある。
机上之論とは、実際の経験や実践を伴わず、理論や理想だけを論じることを指す。現実の状況や実現可能性を考慮せず、机上の空論に終始するような議論や考え方を意味する。
机上の空論とは、現実から遊離した実現性の乏しい議論や計画を指す。書斎の机の上だけで考えられた理論や構想が、実際の状況や実践を考慮していないため、現実味がなく役に立たないことを意味する。
危言覈論とは、厳しく正しい言葉で真実を論じることを意味する。『後漢書』郭太伝に由来する四字熟語で、遠慮せずに核心を突いた率直な議論を指す。
論旨明快とは、文章や議論の主たる主張や筋道が明確で、分かりやすく整然としている様子を表す四字熟語である。論旨は議論の核心となる考えの流れを指し、明快はその表現が鮮明で理解しやすいことを意味する。
名論卓説とは、優れた見識に基づく立派な議論や意見を指す四字熟語である。特に、道理にかなっており、他を圧倒するような卓抜な論説を称える表現として用いられる。
放言高論とは、思うままに言いたい放題に議論を展開することを指す。特に、抑制なく自己の意見を声高に述べ立てる様子を表し、時に無遠慮で勝手気ままな議論のあり方を意味する。
物論囂囂とは、多くの人々が様々な意見を言い立てて、世間が騒がしい状態を指す。議論や噂が沸き立ち、収拾がつかない様子を表す四字熟語である。
談論風発とは、活発な議論が風が吹くように次々と湧き起こる様子を表す。多くの人々が盛んに意見を交わし、論じ合うことで、会話や討論の場が非常に活気に満ちている状態を指す。