物事の本質や真相を明確に理解し、悟ることを指す。単なる知識として知るのではなく、深く心に得て確かなものとする状態を表す。
知らないこと、あるいは知恵がなく愚かなことを指す。
世間一般に広く知れ渡っていること。多くの人々が認識している事実や情報を指し、周知とほぼ同義で用いられる。
四知とは、二人だけの秘密であっても、天が知り、地が知り、自分が知り、相手も知っているということであり、いかなる悪事も必ずいつかは露見するという教えを指す。後漢書に由来する故事に基づく。
長年にわたって親交を重ねてきた知人を指し、互いのことをよく知る間柄を表す。特に、過去に遡っての付き合いが長く、深い信頼関係が築かれている場合に用いられる。
告知とは、ある事柄を相手に告げて知らせる行為を指す。特に重要な情報や決定事項を正式に伝達する場合に用いられ、通知や通告と同様の意味を持つが、より公式な場面で使用される傾向がある。例えば、病状の詳細を患者本人に伝える際などに使われる。
多くの人々に広く知れ渡っていること。また、そのような状態を指す。
知己とは、自分のことを深く理解してくれる親しい友人を指す。故事に由来し、『史記』では智伯に仕えた予譲が「士は己を知る者のために死す」と述べ、主君への忠誠を示した。転じて、単なる知り合いを意味することもある。
知遇とは、その人の人格や見識、才能を高く評価し、厚遇をもって迎え入れることを指す。特に目上の者や権力者からそのような待遇を受ける際に用いられる表現である。
知足とは、自分の置かれた境遇や分際を理解し、それ以上の欲を抱かずに満足することを指す。老子の思想に由来し、過度な欲望を戒め、現状に感謝する心のあり方を表す。
実際に見聞きして得た知識や経験、またそれに基づく見識を指す。仏教用語としては、知恵によって物事の真実を認識する悟りの境地を意味し、この場合は「智見」と表記することもある。
知性が豊かで、物事を深く理解し判断する能力に優れている様子を指す。また、頭脳の働きや知識に関わる事柄についても用いられ、思考や認識の領域に属することを表す。
知行とは、物事の道理を理解する知識と、その理解に基づいて実際に行動することを併せた概念である。知識と実践が一体となることを指し、単なる理論の習得に留まらず、それを実生活において体現する態度やあり方を意味する。なお、「ちぎょう」と読む場合は別の意味となる。
知り得ること。また、知識や技術などを理解し習得して自分のものにすること。
知歯とは、口腔内の最も奥に位置する第三大臼歯の通称であり、親知らずとも呼ばれる。智歯とも表記される。
都道府県の行政を統轄し、その地域を代表する首長。住民による直接選挙で選出され、任期は四年である。
知謀とは、物事の道理を深く理解し、状況に応じて巧みな策略をめぐらすことを指す。また、そのようにして立てられた計略そのものをも意味する。
知音とは、音楽の音色を聞き分ける能力を指し、転じて互いの心を深く理解し合う親友を意味する。この語は、中国春秋時代の琴の名手伯牙とその友人鍾子期の故事に由来する。鍾子期は伯牙の琴の音からその心情を常に見事に読み取り、彼の死後、伯牙は琴の弦を切って二度と弾かなかったと伝えられ、ここから心を通わせる理解者を「知音」と呼ぶようになった。
知識とは、物事について認識し理解している事柄、あるいはその内容を指す。また仏教用語としては、仏道を導く師匠や高僧を意味し、善知識とも呼ばれる。後者の意味では「智識」と表記されることもある。
知者とは、物事の本質を深く理解し、優れた知恵を備えた人を指す。智者と表記されることもある。
知命とは、天命を理解することを意味し、特に孔子の『論語』にある「五十にして天命を知る」という言葉に由来して、五十歳を指す異称としても用いられる。
互いの気心をよく知り合った友人を指す。単なる友人関係を超え、深い理解と信頼に基づく親密な交わりを表し、得難い親友を意味する。
知勇とは、知恵と勇気の両方を兼ね備えた状態を指す。物事を深く理解し適切に判断する知性と、困難に直面してもひるまず行動する胆力を併せ持つことを意味し、特に優れた人物の資質として「知勇兼備」などの表現で用いられる。表記としては「智勇」と書くこともある。
知母はユリ科の多年草で、漢名に由来する。別名を花菅(はなすげ)とも呼ばれる。
すでに知っていること。また、すでに知られている事柄を指す。未知に対立する概念であり、経験や学習を通じて認識が済んでいる状態を表す。
辱知とは、相手が自分を認識してくださっていること、あるいは互いに面識があることを謙遜して言う表現である。主に「辱知の間柄」などの形で用いられ、目上の人との交際関係をへりくだって示す際に使われる。
通知とは、ある事柄について相手に告げ知らせる行為、またはその内容を指す。特に組織や団体から個人に対して、決定事項や必要な情報を伝達する場合に用いられる。
理知とは、理性と知恵を備え、感情や衝動に流されずに物事の本質を冷静に見極める能力を指す。
報知とは、事件や状況などを関係者や広く一般に知らせる行為、またその知らせそのものを指す。特に火災報知器のように、危険や緊急事態を通達する手段として用いられる。報道や通報と同様の意味合いを持つ。
知識や知恵が欠如している状態を指し、物事を知らないことや理解が浅いことを意味する。また、時に愚かさや見識のなさを表す場合もある。
察知とは、物事の状況や他人の心中を推し量って理解することを指す。特に、表面には現れていない兆候や変化を敏感に感じ取り、その本質や行く末を見極める際に用いられる表現である。
聞知とは、人づてに聞いて知ること、あるいは以前から耳にしていた事柄を指す。
認知とは、物事を明確に把握し理解することを指す。また、法律上の用語として、嫡出でない子を自分の子であると認める手続きの意味も持つ。
知客とは、禅宗寺院において来客の接待や案内を担当する僧侶を指す。その読み「シカ」は、漢字の唐音に由来する。
才知とは、物事を理解し判断する知恵と、それを実際に活用する才能とを兼ね備えた能力を指す。状況に応じて適切な対応を考え出す鋭い頭脳の働きを表し、機転や洞察力に優れている様子をいう。
世の中を巧みに渡り歩くための才知や知恵を指し、人付き合いや処世において利口に振る舞う能力を意味する。
弁知とは、物事の道理をよく理解し、分別と知恵を備えている様を指す。また、弁舌に優れ、機転の利く賢さを表すこともある。
知悉とは、物事の詳細に至るまで余すところなく理解し、熟知していることを指す。特に、細部まで完全に把握している状態を表し、深い知識や精通を意味する。
故知とは、古人の優れた知恵や洞察を指す。歴史を通じて蓄積された深い知識や経験に基づく判断や考え方を意味し、現代においても学ぶべき価値を持つ。
衆知とは、多くの人々が共有する知識や知恵を指し、広く世間に知れ渡っている事柄を意味する。一般に、民衆の持つ知恵を集めるという意味合いと、世間一般に広く知られているという二つの側面を持つ。
頓知とは、突然の状況や予期せぬ出来事に対して即座に働く鋭い知恵や才知を指す。機転やウイットに富み、とっさの判断や機知に富んだ応答として発揮されるものである。
窺知とは、直接には見えない物事の様子や意図を、わずかな手がかりから推し量って理解することを指す。例えば、相手の言動や状況の変化を注意深く観察し、その背後にある真実や本心を察知する場合に用いられる。
不知火とは、秋の夜間に海上に無数の炎のような光が揺らめいて見える自然現象を指す。特に熊本県八代沖で観測されるものが知られており、漁火が大気中の温度差によって異常な屈折や反射を起こすことで生じるとされる。
未知数とは、数学において方程式の中で値がまだ定まっていない数を表す文字を指す。また、転じて、物事の結果や程度がまだはっきりとわからない状態や、予測がつかないことを意味する。例えば、新入社員の能力や計画の成否が不確かな場合などに用いられる。
一見利口そうに見えるが、実は浅はかで見通しの甘い考えや工夫を指す。猿が人間の真似をしながらも本質を理解できずに失敗する様子に喩え、軽蔑や嘲笑のニュアンスを含む。
親不知とは、生みの親を知らない状態、あるいはそのような人を指す。また、成人後に最も遅く生える奥歯である第三大臼歯の通称としても用いられ、親不知歯の略である。さらに、波が荒く危険で、親子が互いを顧みる余裕もないような海岸の難所を形容する語でもあり、親不知子不知の難所という表現に由来する。
奸知術数とは、人を欺くための悪知恵や策略、狡猾な計算を指す。主に悪意を持って他者を陥れるような、ずる賢い手段やはかりごとを意味する。
温故知新は、古い事柄を研究し、そこから新しい知識や道理を見出すことを意味する四字熟語である。過去の教えや経験を深く学び直すことで、現代の問題に対する洞察や解決策を得ようとする態度を表す。『論語』為政篇に由来し、「故きを温ねて新しきを知る」と訓読される。
一枚の落ち葉から秋の訪れを感じ取るように、わずかな兆候や現象から物事の本質や将来の成り行きを鋭く見通すことを意味する。『淮南子』に由来する四字熟語で、細部に現れた変化から大局を推し量る洞察力の喩えとして用いられる。
冷暖自知とは、水の冷たさや温かさは実際に飲む者だけが知り得るという喩えから、物事の真の良し悪しや自分自身の状況は、他人の意見に左右されず、自らが最もよく理解しているという意味である。『景徳伝灯録』に典拠を持つ四字熟語。
問牛知馬とは、物事の一部を尋ねることで全体を推し量るたとえである。牛について尋ねて馬のことを知る意から、関連する事柄の一端を探ることにより、全体の状況を理解する方法を指す。『漢書』趙広漢伝に由来する故事成語で、推論や類推の巧みさを表す表現として用いられる。