名残とは、過ぎ去った物事の後に感じられる余韻や気配を指す。また、別れの際に心に残る未練や惜別の情を表すこともある。連歌や俳諧においては、句を書き連ねる最後の紙を意味する「名残の折」の略称としても用いられる。
老残とは、年老いてなお生きながらえている状態を指す。特に、長い年月を経てなお存命していることや、そのような境遇にある人を表す表現である。
夜明けの空に未だ残る月を指す語で、朝の光の中に淡く浮かぶ姿をいう。有明の月や名残の月とも呼ばれ、夜の終わりと朝の始まりの狭間に見られる風情ある情景を表す。
残光とは、夕日が沈んだ後も空にわずかに残る光のことを指す。特に夕暮れ時、地平線の彼方に微かに漂う淡い光景を描写する際に用いられる表現であり、残照と同義で用いられることも多い。
残酷とは、生き物に対して苦痛や死をもたらすようなむごい行為や様子を指す。特に、無慈悲で情け容赦のない仕打ちや、痛ましい結果を招くような状況を形容する際に用いられる。表記としては「惨酷」と書くこともある。
人や生き物を傷つけ、命を奪うことを指す。特に、無慈悲な手段で加えられる危害や殺傷を意味する。
焼失や破壊によって原型を留めずに残された物を指す。また、放置された死体、すなわち屍骸の意味でも用いられる。
残殺とは、人間や動物を無慈悲に殺害する行為を指し、特に残忍な手段を用いて生命を奪うことを意味する。単なる殺害ではなく、加害者の冷酷さや残虐性が強調される表現である。
残虐とは、人間や動物に対して情け容赦なく、極めて残酷な行為を行うこと、あるいはその様子を指す。無慈悲でむごたらしい性質を表し、通常の残酷さを超えた非道さを含意する。
立秋を過ぎてもなお続く暑さを指す。暦の上では秋に入った後も、夏の名残のように感じられる暑さが続く時期を表す。
定められた勤務時間を超えて職場に残り、業務を継続すること。また、その業務自体を指す。超過勤務。
外部からの刺激が消失した後も、感覚器官にその印象が持続して知覚される現象を指す。特に視覚において、強い光や鮮やかな色彩を見た後に、その像が網膜に焼き付いたようにしばらく見え続ける場合に用いられる。
戦いや争いの後、敗れた側で生き残った者たちを指す。特に、かつての勢力や組織が崩壊した後も、その思想や立場を保持し続ける人々の集団をいうこともある。
思いやりがなく、無慈悲に他者を傷つけることを平然と行う様子。特に、弱い立場の者に対して情け容赦なく酷い仕打ちをする性質や行為を指す。
期待が外れたり、望んでいた結果が得られなかったりして、心に満たされない思いが残る様子を表す。また、悔しさや無念の気持ちを伴うこともある。
物事が取り除かれたり消滅したりした後にも、なおその場に留まり続けている状態を指す。特に化学物質や影響などが除去後も存続する場合に用いられる。
敗残とは、戦いに敗れて生き延びた状態を指し、特に敗残兵のように戦場から逃れた兵士を表す。また、心身が損なわれて落ちぶれた様子を意味し、人生の敗残者といった表現で用いられる。後者の意味では「廃残」と表記することもある。
無残とは、残酷で非情なさまを指し、また、ひどい目に遭って見るに忍びない状態を表す。人の行為や運命のむごさ、あるいは損傷を受けた物や人の痛ましい様子に用いられる。表記としては「無慙」と書くこともある。
一部が欠けているために完全な状態ではなく、またそのような不完全なもの自体を指す。
残喘とは、かろうじて保たれているわずかな命のことを指す。特に、死を目前にした状態で、かすかに続く息づかいのような余命を意味する。
花残月は陰暦四月の異称で、春の終わりに花が散り残る頃の月を指す。花の名残を惜しむ季節感を表し、「はなのこしづき」とも読まれる。
鱠残魚はシラウオ科の海魚で、体長約10センチメートルほどである。体表に鱗がなく半透明で、春になると河口を遡上して産卵する。加熱すると白くなる性質があり、食用とされる。「鱠残魚」の表記は漢名に由来し、「銀魚」や「白魚」とも書く。
昔の優れた人物や風俗の名残を指す四字熟語で、先人から受け継がれた教えや、過去から伝わる風習の余韻を意味する。
敗柳残花は、枯れた柳と盛りを過ぎて咲き残った花を指す四字熟語である。もとは、かつての美しさが衰え、容色の落ちた女性の様子を、あるいは身を誤った女性などを喩える際に用いられる。中国の詩文において柳や花は美人の形容にしばしば使われることから、その凋み残った姿が、艶やかさを失った状態を象徴するようになった。
断編残簡とは、書物の一部が欠落し不完全な状態を指す四字熟語である。もともと「断編」は切れ切れになった文章を、「簡」は古代に文字を記した竹札を意味し、転じて書物を表す。全体として、散逸して残り少ない文献や、一部が失われた不完全な書き物のたとえとして用いられる。
剰水残山は、戦乱や災害によって荒廃した後のわずかに残る山河の風景を指す四字熟語である。杜甫の詩「陪鄭広文遊何将軍山林」に由来し、往時の繁栄が失われ、寂寥とした自然の情景を表現する際に用いられる。
残念無念とは、期待が外れたり望みが絶たれたりして、心に残る悔しさや無念さが消えずに残っている様子を表す四字熟語である。物事が思うようにならず、後悔や未練の気持ちが長く続く状態を指す。
残念至極とは、これ以上ないほど心残りで、悔やんでも悔やみきれない様子を表す四字熟語である。「残念」は思いが残ることを意味し、「至極」は極みや最上を指す。つまり、残念の度合いが頂点に達している状態を言い表している。
残忍酷薄とは、情け容赦なく冷酷で、他人に対する思いやりや慈しみの心が全く感じられない様子を表す四字熟語である。「残忍」は無慈悲で苛酷なこと、「酷薄」は冷酷で情愛に乏しいことを意味し、両者が組み合わさって極めて非情な性質を強調する表現となっている。
残山剰水は、戦乱などによって荒廃し、わずかに残された山河の風景を指す。転じて、山水画において全体を描き切らずに一部を残すことで、かえって自然の雄大さや余韻を表現する描法をも意味する。杜甫の詩にも見られる表現で、「剰水残山」ともいう。