夕顔はウリ科のつる性一年草で、熱帯地方が原産である。夏の夕方にラッパ形の白い花を開き、翌朝にはしぼむ。果実は球形または円柱形で大きく、食用とされるほか、干瓢の原料となる。別名をタソガレグサともいう。
化粧や装いを施していない、ありのままの素の状態の顔を指す。
非常に恥ずかしく、顔に汗がにじむほどであること。自分の過ちや未熟さを強く恥じる気持ちを表す。
初顔とは、ある集まりや会合に初めて参加する人のことを指す。また、スポーツ競技において初めて対戦する相手との試合、あるいは演劇や映画などで初めて共演することを意味し、この場合は「初顔合わせ」を略した表現として用いられる。
拝顔とは、目上の人に会うことを謙遜して言う表現である。直接に対面する機会を得ることを敬意を込めて述べる語で、「拝顔の栄に浴する」などの形で用いられる。同義の謙譲語として「拝眉」「拝芝」がある。
厚顔とは、恥知らずで遠慮のない様子を指す。面の皮が厚く、他人の目を気にせずに自分勝手な振る舞いをすることを表す。
紅顔とは、若々しく血色の良い顔つきを指す。特に美少年の容貌を形容する際に用いられることが多い。
真顔とは、冗談やからかいのない真剣な表情、あるいは本気で物事に取り組んでいる際の顔つきを指す。
他人の顔を敬って言う語。特に目上の方や尊敬すべき人物の顔つきやお姿を指し、「御尊顔を拝する」などの表現で用いられる。尊容と同義。
朝顔はヒルガオ科のつる性一年草で、熱帯アジア原産である。薬草として中国から渡来し、夏の朝にラッパ形の花を咲かせ、昼前にはしぼむのが特徴である。種子は漢方で下剤として用いられる。また、古くはキキョウやムクゲを指すこともあり、形状の類似から男性用小便器の俗称ともなった。表記には「牽牛花」も用いられる。
慈愛に満ちた優しい表情、あるいは慈悲深い顔つきを指す。主に尊い人や年長者に対して用いられ、その温かく包容力のある様子を表す。
顔貌とは、人の顔つきや容貌を指す言葉で、顔の造形や表情を含めた外観全体を表します。特に顔の輪郭や目鼻立ちなど、その人固有の特徴を捉えた表現として用いられ、人の印象を形作る容貌そのものを示します。
顔色とは、顔面の肌の色合いや血色を指す。また、感情の変化によって現れる顔の表情や様子を表し、心の動きが外見に反映される様をいう。
赭顔とは、日焼けや酒の影響などによって赤みを帯びた顔の様子を指す。
顔見世とは、新たに結成された一座の役者が観客に対して初めて顔を揃えて披露する興行を指す。また、転じて、一般に人々に対して初めて自身の姿を見せることを意味する場合もある。特に歌舞伎などでは、新規の顔触れを披露する重要な催しとして行われる。
顔面蒼白とは、恐怖や驚き、あるいは強い衝撃を受けた際に、顔の血色が失われて青白くなる様子を表す四字熟語である。
顔常山舌とは、中国唐代の忠臣顔杲卿が安禄山の反乱軍に捕らえられても屈せず、舌を切られるまで敵を罵り続けた故事に由来する四字熟語である。文天祥の「正気歌」にも詠まれ、いかなる圧力や苦痛にも屈しない強い意志と忠節の精神を表す。
「顔厚忸怩」は、普段は厚かましい者でも、さすがに恥ずかしさや居心地の悪さを覚える様子を表す四字熟語である。『書経』「五子之歌」に典拠を持ち、「顔厚にして忸怩たる有り」を略した表現で、自らの非を悟り、顔を上げられないほどの後ろめたさを感じる心境を指す。
顔筋柳骨とは、顔真卿の書の力強い筆致と柳公権の書の清らかで骨太な風格を併せ持つことを指し、書道において剛健で優美な筆勢を形容する四字熟語である。
汗顔無地とは、恥ずかしさのあまり顔から汗が流れ、その場に立っていることさえもできなくなる様子を表す四字熟語である。非常に大きな恥をかいたり、面目を失ったりした際の心境を強調して言う表現である。
顔回箪瓢とは、孔子の弟子である顔回が貧しい生活を送りながらも学問に励んだ故事に由来する四字熟語で、清貧に甘んじて学問や道徳の修養に専念することを意味する。
鶴のように白い髪と、子供のように血色のよい顔つきをいう。老人が健康で元気に満ちている様子を表す四字熟語である。
無恥厚顔とは、恥知らずで厚かましい様子を表す四字熟語である。中国の古典『文選』所収の孔稚珪「北山移文」に由来し、道義を顧みず、自分の非を恥じない卑しい心根や態度をいう。