寸法とは、物の長さや大きさを指すほか、物事を行う際の手順や段取りを意味する。
六法とは、日本の主要な六つの法典、すなわち憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法を総称する語である。これらを収録した書籍「六法全書」の略称としても用いられる。また、歌舞伎などで舞台の六方向を指す「六方」の古い表記に同じ意味で用いられることもある。
物事を行う際の方法や手段を指し、特に芸術や創作における表現の技法や様式を意味する。
仏の教えに従って道理にかなっていること、あるいはその様子を指す。また、性質が穏やかで温厚なさまを表すこともある。さらに、もとから、あるいはまったくという意味でも用いられる。
作法とは、物事を行う方法や手順を指し、特に小説の書き方など特定の分野における技法を意味する。また、儀式や正式な場における立ち居振る舞いの規範、すなわち礼儀作法として用いられ、礼法や行儀と同義で扱われる。読みは「サクホウ」とすることもある。
兵法とは、戦いの方法や戦術に関する理論体系を指す。特に戦場における軍隊の運用や戦略を研究する学問であり、また剣術や柔術などの武術全般を意味することもある。
別法とは、ある方法がうまくいかない場合に取る、別の手段や方法を指す。行き詰まった状況を打開するために新たに講じる方策のことで、代替案や異なるアプローチを意味する。
私法とは、私人間の権利義務関係を規律する法分野を指し、民法や商法などがこれに含まれる。公法に対置される概念であり、個人や法人の財産関係、家族関係、取引関係などを対象とする。
呪法とは、呪文を唱えるなどして呪いをかける方法を指し、広く呪術と同義に用いられる。
法被は、職人などが着用する、屋号や紋章を染め抜いた半纏を指す。また、江戸時代には武家に仕える中間が着た丈の短い上着のこともいう。禅宗においては、高僧の椅子にかける金襴の布を指し、表記は「半被」ともする。
法会とは、仏法を説くために人々を集めて行われる集会を指す。また、死者の追善供養を行う仏事、すなわち法要や法事の意味でも用いられる。
仏教の教義を説いた書物や文章を指し、特に仏法を解説した経典や論書を意味する。また、高僧による法談や法話など、仏の教えを平易に説いた訓話を含む場合もある。
法王とは、カトリック教会における最高位の聖職者である教皇を指す呼称である。また、仏教においては釈迦如来を尊んで用いられる称号でもある。
仏法の正統な継承者を指し、特に禅宗において師から弟子へと法脈を伝える者を意味する。
法皇とは、皇位を譲った後に仏門に入った上皇を指す呼称であり、「太上法皇」の略称である。例えば、後白河法皇などが知られる。
法事とは、仏教の儀礼に基づいて故人の冥福を祈り、供養を行う行事を指す。特に命日や年忌などに営まれる追善供養の仏事を意味し、法要や法会とも呼ばれる。
法度とは、守るべき事柄やおきてを指し、特に武家時代の法令を意味する。また、禁止されている事柄や禁制を表す場合にも用いられる。
法外とは、社会一般の道理や常識の範囲を大きく逸脱し、妥当と認められる限度を超えている様子を指す。
法名とは、仏門に入る際に授けられる名、あるいは死者に対して付けられる名を指す。前者は戒名とも呼ばれ、後者は俗名に対する呼称として用いられる。
法要とは、故人の追善供養を行う仏教儀式を指し、法事や法会とも呼ばれる。また、仏法の教えの核心や要諦を意味する場合もある。
法談とは、仏教の教義や信仰のあり方について説き明かす話を指し、説法や法話とも呼ばれる。
国家が社会秩序を維持し、国民の権利と義務を定めるために制定する規範の総称。特に立法機関の議決を経て成立した成文法を指し、裁判や行政の根拠として機能する。
仏教において仏の教えを輪に喩えた語で、その教えが絶えることなく人々に伝わり続ける様を表します。
法律によって定められていること。また、そのような性質や状態を指す。
法例とは、法律上の定めを指すとともに、特定の法律が適用される範囲や条件を定めた規定を意味する。
法灯とは、仏法の教えを灯火に喩えた表現であり、迷いの闇を照らし悟りへと導く智慧の光を意味する。転じて、その教えを継承する高徳の僧や祖師を指し、また仏前を照らす灯明そのものを示す場合もある。
二つ以上の数値を掛け合わせて積を求める計算方法を指し、除法に対する概念として用いられる。一般に「かけ算」とも呼ばれる。
剣法とは、剣を用いた武術の技法やその体系を指す語であり、剣術と同義で用いられる。
拳法とは、中国を起源とする武術の体系であり、主に素手による打撃や蹴り、関節技などを用いて戦う技術を指す。武器を用いない徒手格闘を中心とし、攻防の技術とともに身体鍛錬や精神修養の側面も備えている。
除法とは、ある数を他の数で割り、その商を求める計算方法を指す。これは乗法の逆の演算であり、割り算や除算とも呼ばれる。
法や秩序が守られない状態を指し、特に社会規範や法律が無視される状況を表す。また、乱暴で道理に外れた振る舞いや、そのような性質を持つ者を形容する際にも用いられる。
筆法とは、書道や絵画における筆の運び方や使い方を指す。また、文章表現の技法や言葉の選び方、さらには物事の処理や遂行における巧妙な方法や手段をも意味する。
滅法とは、程度が並外れて甚だしい様子を表す語で、現代では主に「非常に」「極めて」といった意味で用いられる。また、仏教用語としては、一切の相を滅し、因縁を離れた究極の法を指すこともある。
法律や法令に反する状態を指す。社会の規範として定められた法規に従わず、その行為が禁止されていることを示す。
説法とは、僧侶が仏教の教義を人々に分かりやすく説き聞かせることを指す。また、転じて、人を教え諭したり意見を述べたりする行為、すなわち説教を意味する場合もある。
法律や規則に従っている状態を指し、その行為や手続きが定められた法令の要件を満たしていることを意味する。違法の対義語として用いられ、社会秩序や規範に適合した正当なあり方を表す。
調法とは、使い勝手がよく便利であることを指す。また、仏教においては調伏のための修法を意味する。表記としては「重宝」と書くこともある。
病気を治療するための方法や手段を指す。特定の治療法を指す場合もあり、例えば食餌療法や指圧療法のように、その手法や対象を限定する語と結びついて用いられることが多い。
観法とは、仏教において心に真理を思い描き、深く念じる修行の方法を指す。観心や観想などとも呼ばれる。また、転じて人相を見る方法を意味することもある。
護法とは、法律や仏法を守り擁護することを指す。特に仏教においては、仏法を守護する行為や、その役割を担う鬼神を意味し、護法神とも呼ばれる。また、広くは魔や病などを退ける法力そのものを表す場合もある。
内法とは、容器や箱などの内側の寸法を指す言葉で、例えば縦・横・高さなどを内側から測った長さを表します。外側から測った寸法である外法と対になる概念です。
令法はリョウブ科の落葉小高木で、山地に自生し庭木としても植えられる。樹皮は剥がれやすく滑らかな幹を持ち、葉は長楕円形で輪生する。夏に枝先に白い小花を穂状に多数つけ、若葉は食用となる。美しい幹は床柱に利用され、ハタツモリとも呼ばれる。名称は漢名に由来する。
外法とは、容器や箱などの物体の外側から外側までの寸法を指す言葉で、厚みを含んだ全体の大きさを表します。例えば、箱の外法を測る場合には、その外側の縦・横・高さの寸法を測定することになります。これに対して、内側の寸法は内法と呼ばれます。
法鼓とは、仏法を説くことを意味するほか、寺院の法堂の北東の隅に掛けられる太鼓のことも指す。後者の由来は、太鼓の音が人々を鼓舞して仏道へと導くことに喩えられたことによる。また、「ホック」と読む場合もある。
禅宗の寺院において、住職が仏法を説くための建物を指す。他宗派における講堂に相当する施設であり、重要な法要や説法が行われる場である。
法螺貝の略称として用いられるほか、実際よりも大げさに話したり、事実を誇張した嘘を言ったりすることを指す。
戈法は書道における筆法の一つで、主に「戈」の字の右払いの部分を指す。筆を斜め右下に運び、適度なところで一旦止め、その後力を込めて右上方向にはね上げる技法であり、力強さと勢いを表現する特徴を持つ。
仏教の教えを世間に広め、人々に伝えることを指す。特に、僧侶などが教義を説き、信仰を広める布教活動を意味する。読みが「コウボウ」の場合とは異なる意味を持つ語である。
「弘法大師」の略称であり、平安時代に真言宗を開いた僧侶・空海の諡号を指す。書道に優れ、三筆の一人としても知られる。なお、「グホウ」と読む場合は別の意味となる。
法を自己の都合に合わせて曲げて解釈し、あるいは法律を悪用することを指す。
東洋画において、山や岩の質感や立体感を表現するための筆法で、主に輪郭線以外に施す独特の筆づかいを指す。
礼儀作法を心得ておらず、それに反する振る舞いを指す。特に茶道や正式な場において、適切なマナーを欠いた行為をいうことが多い。無作法とも表記される。
不調法とは、物事に対する配慮が行き届かず、失敗を招く様を指す。また、酒や煙草を嗜まないことや、芸事に通じていないことを謙遜して述べる際にも用いられる。「無調法」とも表記する。
仏法僧は、仏教において最も尊ぶべき三つの宝である仏・法・僧を指す。また、ブッポウソウ科の鳥の名でもあり、夏鳥として日本に渡来し、林に生息する。青緑色の体を持ち、「ゲッゲッ」と鳴く。かつてはその鳴き声を「ブッポーソー」と聴き誤られて名付けられたが、実際にそのように鳴くのはコノハズクであることが後に判明し、この鳥は「姿の仏法僧」とも呼ばれる。
奇計や策略を用いず、正面から堂々と攻めていく方法を指す。
法華宗は、日本仏教における宗派の一つで、主に天台宗と日蓮宗の別称として用いられる。天台宗は中国を起源とし、法華経を根本経典とする教学体系を指す場合があり、一方で日蓮宗は日蓮を開祖とし、法華経への絶対帰依を説く日本独自の宗派を指すことが多い。
法相宗は、南都六宗の一つに数えられる仏教の宗派である。中国では唐の玄奘が伝え、弟子の窺基によって大成された。日本へは道昭が入唐して伝え、奈良の興福寺と薬師寺を本山とする。
弱法師とは、足元がふらつきながら歩く僧侶の様子を表す語で、「よろぼし」とも読む。
御法度は、武家時代における法令を指し、特に江戸時代には禁止事項を意味するようになった。「法度」の尊敬語として用いられ、武家諸法度や禁中並公家諸法度などの成文法の名称にも見られる。転じて、広く何かが固く禁じられていることや、そのような行為そのものを表す。例えば、私用電話は御法度だ、といった表現で用いられる。
無調法とは、物事の扱いが下手であったり行き届かない様子を指し、口下手であることや失敗をしてしまうことを表す。また、酒やたばこを嗜まないことや芸事ができないことを謙遜して言う場合にも用いられる。表記は「不調法」とも書く。
光が物体に遮られることによって、地面や壁などに映し出される人の影を指す。特に夕暮れ時などに伸びる長い影を連想させる表現として用いられる。
法螺貝は、暖かい海に生息するフジツガイ科の巻貝で、円錐形の殻は大きく高さ約四十センチメートルに達し、その肉は食用とされる。また、この貝殻の先端に吹き口を付けた楽器のことも指し、山伏が山中で猛獣を追い払う際や、戦場での合図などに用いられた。吹螺や梭尾螺とも表記する。
駄法螺とは、根拠がなく誇張された無意味な大言を指し、しばしば「駄法螺を吹く」という形で用いられる。ここでの「法螺」は、もともと大げさな話やほら話を意味する語である。
法を曲げて私利私欲に従うことを指す四字熟語である。本来公正であるべき法規や規則を故意に歪め、個人の利益や欲求を優先して行動する様を表す。「枉」は曲げる、「徇」は従う意で、「法を枉げて私に徇う」と訓読される。
王法為本とは、君主の定めた法を根本とすることを意味する。国家の秩序や統治において、法律を最も重要な基準として尊重し、それに従って行動すべきであるという考え方を表す四字熟語である。
書道における基本点画の筆法を、「永」の一字に含まれる八種類の筆の運び方に集約して示したもの。側(点)・勒(横画)・努(縦画)・趯(はね)・策(右上がりの短い横画)・掠(左はらい)・啄(短い左はらい)・磔(右はらい)の八法から成り、楷書の技法の基礎とされる。
因機説法とは、仏教において聴衆の理解力や境遇に応じて、その場その場で適切な方法で教えを説き、仏法の真理を悟らせることを指す。
妙法一乗とは、法華経に説かれる唯一絶対の真実の教えを指す仏教用語である。「妙法」は仏法、特に妙法蓮華経を意味し、「一乗」は一切衆生を仏に至らしめる究極の教えを表す。
「三日法度」は、江戸時代の経済書『経済録』に登場する四字熟語で、新たに制定された法令が三日ほどしか続かないことを意味します。転じて、物事が長続きせず、すぐに廃れてしまう様子を喩える表現として用いられます。
法華三昧とは、一心に法華経を読誦し、その深遠な教えを体得しようとする修行法を指す。
末法末世とは、仏教において釈迦の入滅後、正法・像法の時代を経て訪れるとされる仏法が衰微し、人々の道徳が廃れた世のことを指す四字熟語である。「末法」は教えのみが残り実践と悟りが失われる時期を、「末世」はそのような末法の時代そのものを意味し、合わせて仏法の衰退と世の乱れを強調する表現として用いられる。